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本編
-173- 心の傷とプリン
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「兄ちゃんっ!」
目的地に着くと、すぐに家の裏側からシリルが駆けてきた。
走るたび、ふわふわと髪が揺れる。
満面の笑みだ。
俺らというか、俺か。
来るのを楽しみにしていてくれたに違いない。
それに、きっと親父さんの調子も良くなったんだろう。
「おう、シリル、元気にしてたか?」
「うん!」
「お待ちしていました」
中から扉を開いたのは、ネストレさん本人だった。
まだ本調子じゃなさそうだが、自分の足で歩いて俺等を笑顔で出迎えられるくらいには回復したようだ。
先生はネストレさんの回復具合を確かめつつ、時おり頷きながら話を交わして家の中へと入っていく。
「親父さん、大分良くなったな」
「うん。兄ちゃんたちのおかげだよ、ありがとう」
「おう」
わしゃわしゃと頭を撫でると、子供特有の楽しそうな笑い声がシリルから上がる。
一緒に話を聞くか、それとも今日も庭でシリルと妖精の相手をするか……と考えを巡らせていると、扉の前のオリバーと視線が合う。
俺とシリルを見たオリバーはなにやら嬉しそうに微笑んだ。
シリルがまだ子供だからだろうな、嫉妬しないのは。
「アサヒ、シリル君と先にお庭に行ってください」
「わかった。じゃあプリン持ってく」
「私も後でそちらで食べるので、このままお渡ししますね。
先生の目の前で差し出すのは、少し気が引けます」
「わかった」
オリバーからプリンが6個入った紙袋を受け取る。
今回、先生の分は買わなかった。
前回のカップケーキで、先生が遠慮したからだ。
甘いもの口にすると喉が渇いて水分を欲する、水分を取るとトイレが近くなる、だそうだ。
ただでさえ若い時よりトイレが近い先生は、出先では塩分が多いもんや甘いもんは極力避けているらしい。
『気にせんでいい、土産もいらん』と言っていた。
オリバーに相談してから、報酬を気持ち分上乗せして渡した。
その気持ち分すら最初は渋ったが、『眷属の秘密保持分にしちゃ安いけど受け取ってくれよ』と俺が言うと受け取ってくれた。
甘いものが嫌いなわけじゃないし、食べられないわけでもないようだ。
先生は至って健康で病気をしているわけじゃない。
こっちの世界では、医学の発達や技術が、元の世界よりも恐ろしく欠けている。
魔法があるので、大抵の怪我や病気は治っちまうらしいが、原因不明のままの病気っていうのが多くありそうだ。
それに、治癒魔法が使える者は限られているし、金がかかる。
一般市民の人間が病気になった時に頼るのは、神官でも医者でもなく、薬師だ。
薬師の調合の腕もあるが、症状を聞いて適切に処方をしなければ根本的な病気は治らない。
そこんとこ、オリバーはかなり優秀だった。
病気に名前がないのにも関わらず、効果のある薬を開発していた。
それらは全部上司や同僚に特許を取られちまったが、以前は人の病気を治すための薬の開発と研究に、惜しみない努力をしていた。
ノートを見るだけで、それは浮彫だった。
例えばだが、腹が痛いという客が来た時。
出来の悪い薬師だと、痛みを軽減する薬を渡す。
それによって痛みは治まるかもしれないが、根本的解決にはならない。
飲んでる間は痛みが治まるが、症状が長引いたり悪化したりすることがあるようだ。
もちろん、便秘なら下剤、下痢なら下痢止め、そのくらいは患者本人の自覚症状があるし、処方しやすい。
だが、胃が荒れて腹が痛いのか、腸が弱ってるのか。
風邪の初期症状や、悪ければ食中毒なんていう線もある。
オリバーは、炎症そのものを抑え回復させる薬を複数開発していた。
病名もない上にその状況すら確かめる術がない世界だ。
症例があったって、血液や臓器がどういった状態になっているかなんて細かく知ることは出来ない。
人の鑑定が出来る先生ならどこが悪いかはわかるだろうが、高血圧だとか、高脂血症だとか、そういうもんがない。
もっと言えば、コレステロールなんていうもんもないから、基準値がどうこう言う話もない。
すげー遅れてるんだ。
にもかかわらず、オリバーの書いた論文に目を通すと、これこれこういった症状が当てはまる時、体内ではこういう状態になっていることが見込まれる、だからこれらを調合することでこういった改善が期待でき、症状が緩和する───みたいなことが書かれていた。
きちんと禁忌についても書かれていたし、他の調合薬との相性の良し悪しについても書かれていた。
な?オリバーの奴、すげーだろ?
情けないだとか力がないだとか本人は言ってるが、全くそんな卑下する必要なんてねーんだよ、マジで。
天才って言葉だけで片付けちゃならないくらいに、時間も努力も重ねてきたんだ。
論文に関しちゃ世に出ていない。
なんならその管理もオリバー自身が適当過ぎて、見かねたタイラーがしっかりと選別して保管したほどだ。
調合した薬は出回っている。
他人の名前で特許が取られて、だ。
それらは色々と問題もあるらしい。
問題が起こってるのは、薬その物が原因じゃない。
処方の仕方や量に問題があるからだ。
けど、特許を奪っておきながら『これは本当は自分が作った薬じゃないから知らない』とは言えない。
それもあって、時折招かざる客が今でもやってくる。
一部の欲深い人間に搾取されたオリバーは、出来るだけ関与したくないようだ。
自分の手柄を取られたままで良いと思ってる。
人のために新しく薬を開発し調合する気が全く起きていない。
当たり前っちゃ当たり前だ。
オリバーの傷が癒えるまで、俺は傍で見守るだけだ。
けれど、俺のためとはいえ、人の薬が作れたんだ。
だからそのうちまた、人のために調合したいと思える時が来ると思う。
その時が来たら、一緒に隣で支えてやりたい。
「兄ちゃん、プリンってなあに?」
「あー…プリンってのは、甘くてプルンとしててたまごで出来てるおやつだ。美味いぞ」
シリルがキラキラした目で見上げて聞いてきた。
プリンを知らねーの?って思ったが、こっちじゃプリンが流行りだしたのは最近のことだったと思い出す。
「ちゃんと彼の分もある」
「ありがとう!」
期待に満ちた目で笑顔でお礼を言ってくるシリルは、めちゃくちゃ可愛い。
早く行こうと、俺の手を引いて庭の方へと案内してくれる。
見たことも食べたこともないんなら、プリンに衝撃を受けるかもしれない。
一緒に食べるのが楽しみだと思いながら、目的の庭へと足を踏み入れた。
目的地に着くと、すぐに家の裏側からシリルが駆けてきた。
走るたび、ふわふわと髪が揺れる。
満面の笑みだ。
俺らというか、俺か。
来るのを楽しみにしていてくれたに違いない。
それに、きっと親父さんの調子も良くなったんだろう。
「おう、シリル、元気にしてたか?」
「うん!」
「お待ちしていました」
中から扉を開いたのは、ネストレさん本人だった。
まだ本調子じゃなさそうだが、自分の足で歩いて俺等を笑顔で出迎えられるくらいには回復したようだ。
先生はネストレさんの回復具合を確かめつつ、時おり頷きながら話を交わして家の中へと入っていく。
「親父さん、大分良くなったな」
「うん。兄ちゃんたちのおかげだよ、ありがとう」
「おう」
わしゃわしゃと頭を撫でると、子供特有の楽しそうな笑い声がシリルから上がる。
一緒に話を聞くか、それとも今日も庭でシリルと妖精の相手をするか……と考えを巡らせていると、扉の前のオリバーと視線が合う。
俺とシリルを見たオリバーはなにやら嬉しそうに微笑んだ。
シリルがまだ子供だからだろうな、嫉妬しないのは。
「アサヒ、シリル君と先にお庭に行ってください」
「わかった。じゃあプリン持ってく」
「私も後でそちらで食べるので、このままお渡ししますね。
先生の目の前で差し出すのは、少し気が引けます」
「わかった」
オリバーからプリンが6個入った紙袋を受け取る。
今回、先生の分は買わなかった。
前回のカップケーキで、先生が遠慮したからだ。
甘いもの口にすると喉が渇いて水分を欲する、水分を取るとトイレが近くなる、だそうだ。
ただでさえ若い時よりトイレが近い先生は、出先では塩分が多いもんや甘いもんは極力避けているらしい。
『気にせんでいい、土産もいらん』と言っていた。
オリバーに相談してから、報酬を気持ち分上乗せして渡した。
その気持ち分すら最初は渋ったが、『眷属の秘密保持分にしちゃ安いけど受け取ってくれよ』と俺が言うと受け取ってくれた。
甘いものが嫌いなわけじゃないし、食べられないわけでもないようだ。
先生は至って健康で病気をしているわけじゃない。
こっちの世界では、医学の発達や技術が、元の世界よりも恐ろしく欠けている。
魔法があるので、大抵の怪我や病気は治っちまうらしいが、原因不明のままの病気っていうのが多くありそうだ。
それに、治癒魔法が使える者は限られているし、金がかかる。
一般市民の人間が病気になった時に頼るのは、神官でも医者でもなく、薬師だ。
薬師の調合の腕もあるが、症状を聞いて適切に処方をしなければ根本的な病気は治らない。
そこんとこ、オリバーはかなり優秀だった。
病気に名前がないのにも関わらず、効果のある薬を開発していた。
それらは全部上司や同僚に特許を取られちまったが、以前は人の病気を治すための薬の開発と研究に、惜しみない努力をしていた。
ノートを見るだけで、それは浮彫だった。
例えばだが、腹が痛いという客が来た時。
出来の悪い薬師だと、痛みを軽減する薬を渡す。
それによって痛みは治まるかもしれないが、根本的解決にはならない。
飲んでる間は痛みが治まるが、症状が長引いたり悪化したりすることがあるようだ。
もちろん、便秘なら下剤、下痢なら下痢止め、そのくらいは患者本人の自覚症状があるし、処方しやすい。
だが、胃が荒れて腹が痛いのか、腸が弱ってるのか。
風邪の初期症状や、悪ければ食中毒なんていう線もある。
オリバーは、炎症そのものを抑え回復させる薬を複数開発していた。
病名もない上にその状況すら確かめる術がない世界だ。
症例があったって、血液や臓器がどういった状態になっているかなんて細かく知ることは出来ない。
人の鑑定が出来る先生ならどこが悪いかはわかるだろうが、高血圧だとか、高脂血症だとか、そういうもんがない。
もっと言えば、コレステロールなんていうもんもないから、基準値がどうこう言う話もない。
すげー遅れてるんだ。
にもかかわらず、オリバーの書いた論文に目を通すと、これこれこういった症状が当てはまる時、体内ではこういう状態になっていることが見込まれる、だからこれらを調合することでこういった改善が期待でき、症状が緩和する───みたいなことが書かれていた。
きちんと禁忌についても書かれていたし、他の調合薬との相性の良し悪しについても書かれていた。
な?オリバーの奴、すげーだろ?
情けないだとか力がないだとか本人は言ってるが、全くそんな卑下する必要なんてねーんだよ、マジで。
天才って言葉だけで片付けちゃならないくらいに、時間も努力も重ねてきたんだ。
論文に関しちゃ世に出ていない。
なんならその管理もオリバー自身が適当過ぎて、見かねたタイラーがしっかりと選別して保管したほどだ。
調合した薬は出回っている。
他人の名前で特許が取られて、だ。
それらは色々と問題もあるらしい。
問題が起こってるのは、薬その物が原因じゃない。
処方の仕方や量に問題があるからだ。
けど、特許を奪っておきながら『これは本当は自分が作った薬じゃないから知らない』とは言えない。
それもあって、時折招かざる客が今でもやってくる。
一部の欲深い人間に搾取されたオリバーは、出来るだけ関与したくないようだ。
自分の手柄を取られたままで良いと思ってる。
人のために新しく薬を開発し調合する気が全く起きていない。
当たり前っちゃ当たり前だ。
オリバーの傷が癒えるまで、俺は傍で見守るだけだ。
けれど、俺のためとはいえ、人の薬が作れたんだ。
だからそのうちまた、人のために調合したいと思える時が来ると思う。
その時が来たら、一緒に隣で支えてやりたい。
「兄ちゃん、プリンってなあに?」
「あー…プリンってのは、甘くてプルンとしててたまごで出来てるおやつだ。美味いぞ」
シリルがキラキラした目で見上げて聞いてきた。
プリンを知らねーの?って思ったが、こっちじゃプリンが流行りだしたのは最近のことだったと思い出す。
「ちゃんと彼の分もある」
「ありがとう!」
期待に満ちた目で笑顔でお礼を言ってくるシリルは、めちゃくちゃ可愛い。
早く行こうと、俺の手を引いて庭の方へと案内してくれる。
見たことも食べたこともないんなら、プリンに衝撃を受けるかもしれない。
一緒に食べるのが楽しみだと思いながら、目的の庭へと足を踏み入れた。
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