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本編

-172- 馬車に酔う

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「おはよう、先生、久しぶり。今日もよろしくお願いします」
「うむ、元気そうじゃな」
「?ああ、俺もオリバーも元気だ」

今日は二度目だからか、院を尋ねてもびっくりされなかった。
だが、扉を開けて出迎えた先生の息子さん……や、俺よりずっと年上の医者だろうが、緊張感万歳で頭を下げられたな。
父親の先生みたく、俺等に対しても普通にタメ語になれるのは爺さんになっても無理かもしれない、などと思ったのもつかの間。
息子さんに急かされて、先生がやってきた。

先生自体は急いじゃいない。
予定していた時間より5分程早い到着だったのも理由の一つかもしれないけど、急ぐってことをあんましないのかもしれないな。
や、緊急の患者がいたらそれは急ぐんだろうけれどさ。
なんつーか、よっぽどのことがあっても動じない、っつーのが正しい言い方かもしれない。

“おはよう”も“久しぶり”もスルーされたが、最初の一言が“元気そうじゃな”なんて満足そうに笑みを浮かべて頷かれるから嫌な気は一切しない。
会う貴族会う貴族全員こうとは思わないが、この畏まらずに接してくれる感じがすげー楽だ。

元の世界で仕事柄いろんな医者に会ってきたが、この先生みたく対等に会話が出来た医者は本当に少なかった。
大病院の上程周りに持ち上げられて偉そうにしてたし……や、実際偉いんだろうけど。
あー個人病院だって、たった数年で態度がデカくなった医者が多かった。
テコ入れして良い縁だと思った病院は、数年でやっかいな病院になりさがって行く度足が重くなったな。

何でだろうなあ、嫌な慣れっつーの?
そういうのって患者の診察にも表れるんだよな。
昔は優しい先生だったのに、なんて複数口コミに正直に書かれちゃ病院の運営に関わるだろうな、なんて他人事のように思ったっけ。


「今日はすんなりじゃな」
「はは、この間はごめん」
「良い良い」

面白そうに笑いながら先生が馬車に乗り込む。
前回と同じ並びなのかと思ったが、今回はオリバーの真正面が先生で進行方向、俺とオリバーが隣同士という位置だ。
オリバーが俺の隣が良いと言い出して、『先生は私の前にしましょう』と笑顔でぬかしやがるから『先生が進行方向なら許す』と伝えた。

「お前さんそっち側で酔わんか?」
「え?……そういや背にすんの初めてだな」
「え゛?!」

先生に言われて初めて気が付いた。
背を向けて座るっていう機会が、元の世界でも殆どなかった。
前回、『アサヒはそちらで』と進行方向の席を言われたし、その前に先生が背にして座っちまったんだよな。
俺の返事にオリバーがぎょっとした声をあげるが、馬車は緩やかに動き出した。



「窓開けていいか?……酔った」
「だから聞いたんじゃ」
「アサヒ、大丈夫ですか?休憩しましょうか」
「や、良い。悪いけど、そっち座る」

発車してすぐ、車酔いならぬ馬車酔いをした。
酔いはまだ軽いが、腹と胸ん中が微妙に気持ち悪い。
今のうちに対策した方が良いと、空席になっていた向かい側に座り直して、ほんの少し窓を開ける。
開けた窓とカーテンの隙間から心地良い風が入ってきた。
ゆっくり息を吸い込み、ゆっくり息を吐く。
これなら、シリルん家に着くころには治っていそうだ。

「少し眠りますか?」
「や、起きてる」
「ですが……あ」
「あ?……何だコレ」

目を閉じて返事をしたが、オリバーの声が不自然に留まるので目をあける。
すると、俺の目の前に、ビー玉ほどの水の玉が浮かんでいるのが見えた。
色はまるでシャボン玉みてえな色だ。

「わしじゃない」
『アサヒ、口開ける』

先生に目を向けると、先生の声と被さるように、おはぎの声がした。

おはぎの言うように口をあけると、ころんと水の玉が入り込む。
飴玉かと思ったが、まん丸い玉は、ぷちんと弾けて水になった。
よく冷やされた水は、こころなしかふんわりミントの香りがして少し甘い。
嫌な甘さじゃなくて、柔らかな花の蜜みたいな自然で優しい甘さだ。
あ……マジか、気持ち悪い酔いが治っちまった。

(ありがとな、おはぎ。気持ち悪いの綺麗さっぱり治ったわ。すげーな、おはぎは)
『ん!』

「治った」
「……そうですか。良かったです。でも、今後は人前でやらないでくださいね」
「先生だから大丈夫だろ?」
「……今後も人を選んでやってくださいね」
「わかったわかった」

『本当ですか?』などと疑いの目を向けて聞いてくるオリバーは、横移動で俺の前に位置取った。
流石に先生まで座り直せと言わないだけ、褒めてやってもいいな。
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