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一章

-7- 出会い

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「うん…あー……あ?」

カチャリと扉が開く音がして、自分たちとは別の部屋の向かいの扉が開く。
向かいの扉前だと、少し覗き込めば、私たちの姿が見える。
ちかさんだった。
私たちに気がついて、訝しげにこちらへやってくる。

私は背にしていて分からなかったけれど、なちさんはすぐに気がついたようだ。
反射的にそちらに顔をあげ、それにつられた形で、私も背後を見やる。

「なんかありました?」
「やー、あったと言えばーあってー、なかったと言えばーなーい」
「はい?」
「ゆっこのーおかげでー…ふふふ」

何がおかしいのか、今になっておかしいのか、なちさんは面白そうに笑った。
ここにきて私は、なちさんがかなり出来上がっていることに気がついた。
嘘でしょ?
さっきまで普通に話していたではないか。
なぜ?って思うも、緊張が一気にとけたのが原因だろう。
にしても。

ものすごい美人がふにゃふにゃになると、ものすごく可愛い!

「つい今まで普通に喋ってたのに!」
「ふふふ、酔ってるー、ふははっ、やべー楽しー立てなーい」
「……肩貸します」

ちかさんが呆れたように呟いて腕をとると、なちはその腕を拒む。

「やだ、戻りたくない」
「何言ってんすか」
「だってーまた盛られたくないしー」
「え……えっ?!」

ちかさんがびっくりした声を上げ、隣にいた私の顔を確認するように凝視する。
なちさんの名誉のためにあえて言わなかったのだが、なちさんが自分から言い出したのだから仕方ない。

「副サークル長の鈴木さんって、前に具合悪い子お持ち帰りとかしたことある?」
「えっ?!」
「あ、なちさんは大丈夫、飲んでないから。でも、なちさんのジョッキに何か混ぜてて」

「で、それ、ゆっこさんどうしたんですか?」
「何混ぜたか分からないから、躓いたフリしてジョッキ倒したの。中身は殆ど空の大皿の上に零れたから被害も最小限ですんだと思う」
「確かに、前回、前々回ってあって、その子らから苦情来たらしくて。でも、同意の上だっていうのが言い分で。
だから今回席順考慮して、両隣古参の男にしたはずなんだけど……嫌がらせとか?なちさん、今回の綺麗どころ無下にしてたし」
「嫌がらせで、あの密着はないでしょう?」
「あの人、普通に女の子大好きなはずだけど」
「なちさんくらい美人なら、ちょっと一回食ってみるかーくらいに思ったんじゃない?それに普通に女の子大好きだったら、薬なんか使わないでしょう?
ぶっちゃけ最初からちょっとおかしいなっていう雰囲気あったよ?私ですら飲み物だけは気をつけてたし、ショルダーのポーチは肩掛けしたままでいるくらいには」
「……」
「ぶふっ!ゆっこって、やっぱいいよねー」

ちかさんが言葉に詰まっていると、なちさんが笑いながら口を開く。
とろんとした満面の笑みだ。
なちさんがどの辺にツボだったのか疑問だが、ちかさんには、わかってしまったみたいだ。
ちかさんから焦りの顔が見える。

「普通に、女の子大好きってさー……ちか、俺がゲイって、知ってんの。だからだよ」
「や……違くてっ!」

ああ、そういう意味か。
言われてから私は気が付いた。

私は特に意識して言葉にしてはいなかった。
でも、だからといって、ちかさんにとっての『普通に』と私にとっての『普通に』は意味が異なるものだっていうのはわかった。

なちさんが言うように、ちかさんの『普通に』は、『女の子が好きだから、男には興味無い』にかかっていた言葉だった。
けして傷つけるつもりはなかったんだろうけれど、否定は出来ない。

「いーのいーの。俺、普通じゃねーもーん……んーなんか、あっつい」

笑いながら着ていたVネックのセーターをなちさんは引っ張り、その場で脱ぎ出す。
幸い下には襟ぐりの緩い2色のカットソーを着ていたから、止める理由はなかった。
部屋よりも廊下の方が暖房がきいている。
脱ぎずらそうにしてるので、私は見かねて手を貸した。

「脱ぐの?なにをもって普通っていうかは人それぞれだと思うけど、普通にはいないくらい美人なのは確かだから、警戒心もってね?それにちかさん、別にゲイフォビアでもないと思うよ?」
「んー……」


「え?ゲイふぉびあ?」

曖昧ななちさんの返事に、ちかさんの言葉が重なる。
聞きなれない言葉だったのだろうか。

「同性愛嫌悪な人」
「あー……まぁ、直接自分に関わらなければ、別段何も」
「でしょ?あ、待って、なちさん寝ないで!……迎えに来てもらった方が良いかな、これは」

「というか、本当になんもない、大丈夫なんですかね?」
「なちさんって、いつもどれくらい飲むの?」

ちかさんの顔が段々と険しくなる中、私は別段慌てもしなかった。
学生時代は、このくらいの者は多くいたし、前の会社の部署では、皆、浴びるように酒を飲み、同じように出来上がる者もいて、お約束だったからだ。
呼吸も安定してるし、顔色も悪くない。

念の為なちさんの手首を貰うよう促し、腕時計のない右手を掴む。
自分の腕時計の針に目を向けること、15秒。
特に問題は無さそうだ。

「あー、そういや、今日はピッチ早かったかも?…てか、ゆっこさんって、看護師の経験とか」
「んーん、ただの医療事務……というか、今は健診事務だから、正確には医療事務でもないけど。
脈は安定してるし、暑いって言ってるし、多分大丈夫。
なちさんなちさん、ここで寝ないで。連絡出来る?」
「んー、はい」

なちさんは、尻ポケットからスマホを取り出すと、私に手渡してきた。

「えー」

戸惑いながら受け取りケースを開くと、免許証とその奥にSuicaがさしてあり、態度と同様、持ち物に対してもあけすけで心配になった。

まさかと思ったが、当然ロックもかかっておらず、画面に2度触れ、促されるままに上にスワイプしただけで簡単に立ち上がる。
履歴から辿ろうか、そこまで勝手に見てもいいのかと数秒悩んでいると、電話がかかってきた。

表示には、怜司、とある。

「ちかさん、なちさんのパートナーって、怜司さんって人?」
「あー、多分。会ったことないけど、たしか、そんな名前だったと思います」
「ありがと…、はい、なちさんの携帯です」

躊躇せず電話を取った。
ここで切れて、私がかけ直す方が相手の警戒心を煽るはずだ。

『は?あんた誰?』
「あ、ごめんなさい、私、本日カラオケサークルでご一緒してます平木綿子と申します。失礼ですが、なちさんのパートナーの方ですか?」
『そうだけど…』
「あ、良かった!なちさんかなり出来上がってて、ちょうど今、お迎えに連絡しようとしていた所なんです」

私の様子を、ちかさんはぽかんと見つめていた。
サークルメンバー内では、ニックネームを使っている。
なちさんのは本名そのままだけれど、苗字は名乗っていなかった。
スマホのケースには、内側の透明なビニール部分に入っていたからがっつり見てしまった。
そこに好奇心が一ミリもないと言ったら嘘になる。
そして、住所もだ。
びっくりすることに、ご近所さんというほど近くはないが、恐らく歩いて十分ちょっとしか離れていない場所だろう。

本名をフルネームで伝えたのは、出来るだけ相手の警戒心を解くためだったけれど、免許証を見てしまった罪悪感もあったかもしれない。

とうのなちさんは、うとうとしながらにこにこするという器用な表情を浮かべて、ときおり『ゆっこはいい女ー』だとか『ぷぷぷ、なちさんだってー』とか呟いている。

『…代われそう?』
「…かな、ちょっと待ってくださいね、…なちさん、電話、怜司さんから。出られる?」
「んー…あい、もしもーし」

なちさんにスマホを返すと、荷物を取りに行こうとちかさんにひと言告げて踵を返す。
すると、そのスカートの裾をなちさんが掴んだ。
それを見て、ちかさんがすぐに動く。

「持ってきます。ゆっこさんのコート白っぽかったから覚えてるんですけど、他にバック持ってましたよね?」
「ありがと。うん、紺のサテンのサブバッグでこれくらいの。お弁当箱とタンブラーが入ってる」
「わかりました。なちさんのコート覚えてます?」
「うん。黒で膝丈くらいの長めのモッズコート。内側と帽子の部分がファーになってて、あったかそうな感じの」
「了解です」

私が取りに行くよりは、ちかさんが取りに行ってくれた方が精神的には楽だ。
ほうっと息を吐き、ちかさんを見送った後、なちさんに目を落とす。
座り込んだままのなちさんは、ずっと言い訳をしているようだ。
だって、だとか、ゆっこのおかげ云々、だとか、へーきだし、だとか、呟いている。

多少会話にはなっていそうだが、反省の色は全くない。
だが、段々と機嫌が悪くなり、相槌の声が低くなっていく。
しまいには、まだ相手が何か言っているのに、途中で切ってしまった。
すっごい不機嫌そうな顔だ。
これだけ美人だと不機嫌そうにぶすくれていても綺麗だから凄いなと思う。

案の定、電話はまた相手からかかってきた。
舌打ちしたなちさんは、スマホを私に押し付けてくる。
スカートの裾は掴まれたままだ。

私の気分は悪くないどころか、すこぶる良い。
こんな美人の生き物から頼られるのは、とても気分が良いものだ。

ここは代わりに出てあげましょうと、スマホを受け取り、通話をタップした。
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