高等魔術の教理

エリファス1810

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 アイン
 Q
 呪い
 源泉
 目
 雷

 マタイによる福音5章28節で大いなる主イエスは「性欲を持って女性を見る者は(心の中で)女性を犯している」と話している。
 意思し続ける事は行われる。
 行動は全ての本当の意思を確証する。
 行動によって確証された全ての意思が行動である。
 神は全ての行動を裁く。
 神の裁きは永遠である。
 意思は行動に表れる事は考えである。
 意思は行動に表れる事は原理である。
 もし行動が意思を確証するのであれば、もし行動が決意を固定するのであれば、善意からであれ悪意からであれ、自身に対しての様に他のものに対して、意思の能力に対応して、行動の範囲内で、意思は間違い無く行われる。
 行動は意思から類推可能である。
 意思は行動から類推可能である。
 傷つける意思を有効にするためには憎悪の行動で意思を確証する必要が有る。
 愛を引き起こす意思を有効にするためには愛の行動で意思を確証する必要が有る。
 人の魂が抱いた印象は自分の魂の物と成る。
 言葉の広い意味で、人が全ての手段で自分の物にした物は自分の体に成る。
 人の魂は自分の体、自分の物に行われた全てのものを間接的にか直接的に感じる。
 人の魂は自分の体、自分の物に行われた全てのものから間接的にか直接的に影響を受ける。
 前記の理由から、倫理道徳と神学は隣人への全ての敵対行為を殺人の始まりであると考える。
 呪う事は殺人である。
 呪う事は殺人より悪い事である。
 なぜなら、呪いの犠牲者は呪いから自身を守れない。
 呪いは法の罰をすり抜ける。
 人々の良心を自由にするために、弱い器の人々を戒めるために、呪いは可能であるという原理を大胆に断言し、さらに、呪いは可能であるだけではなく、ある意味、呪いは必然で避け難いものであるという原理を大胆に断言しよう。
 社会では人は無意識に呪っている。
 社会では人は知らないで呪われている。
 無意識の呪いは人の命の最も畏敬するべき危険の1つである。
 肉欲の共感は最も熱い欲望を必然的に最も力が有る意思に従わせる。
 心の病気は肉体の病気より伝染し易い。
 いくつかの精神的な流行は皮膚病やコレラの流行に例えられる。
 人は伝染病の保菌者との接触によって死ぬかもしれないのと同様に悪い知識によって死ぬかもしれない。
 最近の世紀のヨーロッパでの愛の神秘への冒涜への報復である、畏敬するべき性病の伝染病は、自然の類推可能性の法の啓示である。
 畏敬するべき性病の伝染病は、日々いかがわしい共感に従っている心の堕落の弱い映像をもたらしているだけである。
 ある嫉妬深い邪悪な男性は、恋敵の男性に復讐するために、不治の伝染病に故意にかかり、天罰として呪いとして、ベッドを共にしていた女性と恋敵の男性に不治の伝染病をうつした、という話が存在する。
 伝染病に故意にかかってうつす話は、全ての神の聖霊の魔術師の話と言うよりはむしろ、呪いを実践している全ての悪人の霊の魔術師の話である。
 悪人の霊の魔術師は他者を毒する事が可能である様に自身を毒する。
 悪人の霊の魔術師は他者を苦しめられる様に自身を地獄に堕とす。
 悪人の霊の魔術師は息で地獄を放射できる様に息で地獄を引き寄せる。
 悪人の霊の魔術師は死を他者に与えられる様に自身を致命的に傷つける。
 しかし、他者を毒し殺すために自身を毒し傷つける不幸の大胆さを持つ者は、邪悪な意思の放射だけで、(他者か自身といった何者かを)毒し殺すであろう事は確かである。
 憎悪と同様に致命的である愛の形がいくつか存在する。
 善意による呪いにも似た祈りは悪人を苦しめる。
 改心を望まない者の改心の祈りを神にささげる事は改心を望まない者に不幸をもたらす。
 すでに話した様に、力を合わせた複数の意思の鎖による流体の流れと戦う事は疲労をもたらすし危険である。
 意識的な呪いと無意識の呪いという2種類の呪いが存在する。
 肉体的な呪いと精神的な呪いという2種類の呪いに区別できる。
 力は力を引き寄せる。
 命は命を引き寄せる。
 健全さは健全さを引き寄せる。
 力が力を引き寄せる事は自然の法である。
 健全さが健全さを引き寄せる事は自然の法である。
 もし2人の子供が一緒に生きていて、特に一緒に眠っていて、一方の子供は弱いが、他方の子供が強ければ、強い子供は弱い子供から力を奪い、弱い子供は衰弱するであろう。
 前記の理由から、子供は独りで眠るべきである事が重要である。
 共同生活の神学校では何人かの学徒が他者の知を奪う。
 全ての人の輪では他者の意思を応用する個人が速やかに現れる。
 流れによる呪いはありふれている。
 すでに話した様に。
 物理的にと同様に精神的に、大部分の人々は大衆によって流される。
 しかし、16章で特にエリファス レヴィが表したいものは、自身の行動を決定する人の意思のほとんど絶対的な力と、物質的な物で物質的に証明されている感化力である。
 いなかでは意識的な呪いはありふれている。
 なぜなら、無知な孤立した人々の中を、あらゆる疑い気晴らし気をそらす事による減衰無しに、自然の力は作用できる。
 拒絶された肉欲からではない私利私欲からではない率直な絶対な憎悪は、いくつかの条件の下では、死の宣告に成る。
 性欲や貪欲が混じっていない憎悪は、いくつかの条件の下では、死の宣告に成る。
 なぜなら、欲望は引き寄せる。
 欲望の引き寄せる力は憎悪の放射する力を相殺する。
 例えば、嫉妬深い人は恋敵を効果的に呪う事はできない。
 貪欲な遺産相続人はけちで長生きな伯父さん、叔父さんの命を縮める事はできない。
 肉欲から呪うと呪いは呪いをかけた人にはね返ってくる。
 肉欲から呪うと呪われた人を傷つけるどころか、呪われた人を敵対行動から自由にする。
 肉欲から呪うと呪われた人を傷つけるどころか、呪われた人を呪いから自由にする。
 過ぎた言葉や行動は呪いを無効化する。
 ゲール語のenvoûtementは呪いを意味する。
 envoûtementは何ものかを閉じ込める行動を意味する。
 呪いは何ものかを明らかにした意思の中に閉じ込める行動を意味する、と言える。
 呪いの手段は大いなる魔術の代行者である。
 大いなる魔術の代行者は邪悪な意思の下では悪人の霊的なものに成る。
 witchcraftは呪いの業である。
 呪いの業は呪う意思を持って行動する儀式である。
 witchcraft、呪いの業、呪いの儀式は呪う意思を苦労して明らかにし続ける事によって呪いをかける人の意思を固定する作用だけが有る。
 苦労する事と続ける事という2つの事が意思の力を有効にする。
 行動が、より難しいほど、より恐ろしいほど、行動の力はより大きく成る。
 なぜなら、行動が、より難しいほど、より恐ろしいほど、行動はより強く想像力に働きかける。
 行動は抵抗に比例して努力を確証する。
 行動は抵抗に比例して努力を固める。
 前記は黒魔術における行動の異常な性質と残忍な性質を説明する。
 (正常な人は残忍な行動を嫌う。)
 古代と中世の大衆は、地をはう爬虫類、流血、人のいけにえといった異常なものをささげて、悪人の霊のミサ、悪人の霊の聖餐を実践した。
 地をはう爬虫類、流血、人のいけにえといったものをささげる事はゴエティア、悪人の霊の魔術、黒魔術の本質である。
 地をはう爬虫類、流血、人のいけにえといったものをささげる事はゴエティア、悪人の霊の魔術、黒魔術の現実である。
 法の正しい弾圧は流血、人のいけにえをささげる悪人の霊の魔術師を常に打ち倒してきた。
 黒魔術は本当に段階的な神への冒涜への一致に過ぎない。
 黒魔術は人の意思の永遠の転倒のための殺人である。
 黒魔術は生きている人の中に憎むべき悪人の霊を実現するための殺人である。
 悪人の霊の魔術は、悪人の霊の宗教、闇の儀式、発作的なものにまで高められた善への憎悪である。
 悪人の霊の魔術は、死が人に成ったもの、地獄の絶え間無い創造である。
 大衆はカバラをかじったボダンを弱い心と迷信深い精神の持ち主であると誤解している。
 ボダンは不信の危うさを人々に警告するために「悪魔憑き」という本を書いた。
 カバラの探求によって魔術の本物の秘密に入門した者は、人の邪悪さに身を任せた呪いの力にさらされている社会の危うさを心配する。
 前記の様な理由から、19世紀にMirvilleがテーブル ターニングについての本を書いた様に、ボダンは1580年に「悪魔憑き」という本を書いた。
 ボダンは解釈無しで呪いについての事実の情報を集めた。
 自然科学が呪いに気を使わないにもかかわらず、自然科学が呪い以外のものに気を取られているにもかかわらず、ボダンは、呪いという、隠された感化力の存在と、悪人の霊の魔術の犯罪行為を確認した。
 1580年の大衆はボダンに注目しなかった様に、19世紀の大衆はMirvilleに注目しないであろう。
 なぜなら、真剣な人々を動かすには、呪いの現象を示し呪いの原因について早まった判断をするだけでは不十分である。
 人は呪いの原因を探求し説明し実証する必要が有る。
 呪いの原因を探求し説明し実証する事はエリファス レヴィがまさに試みている事である。
 呪いの原因を探求し説明し実証する人々はより良い成功と名誉を得られるであろうか? いいえ!
 憎悪による呪いの様に、愛による呪いにも似た祈りによって、人は死ぬ可能性が有る。
 息の下にいると吸血鬼の花嫁の様に自身が消耗する様に感じる、他人から力を奪う肉欲が存在する。
 悪人が善人を苦しめるだけではなく善人は知らないで悪人を苦しめる。
 アベルの思いやりは、カインの激しさにとって、長く苦しい呪いであった。
 悪人が善人を憎む源は自己保存しようとする先天的なものである。
 (
 悪人は自己保存しようと試みる。
 人が自己保存しようと試みるのは先天的なものである。
 )
 さらに、悪人は善が悪人を苦しめている事を認めないで心の平静のために悪を正当化する。
 カインの目にはアベルは猫をかぶった者に見えた。
 カインの目にはアベルは臆病者に見えた。
 カインの目にはアベルは神への恥ずべき従順によって人性と自尊心を裏切っている者に見えた。
 アベルを殺す前にカインはどれほど苦しんだ事か!
 仮にアベルが悪人は善人によって苦しむ事を理解していれば、アベルは悪人を嫌がったであろう。
 反感は呪いの予感である。
 反感は憎悪による呪いの予感である。
 反感は愛による呪いにも似たものの予感である。
 なぜなら、反感の後に愛が起きる時が有る。
 反発の後に愛が起きる時が有る。
 星の光は、愛や呪いといった感化力が来る事を、多かれ少なかれ知覚できる様に、多かれ少なかれ自発的に、神経組織に作用する事によって、人に知らせる。
 すぐの意気投合といったすぐの共感、電撃的な恋愛は、強力な磁気の電池の放電の様に、正確に数学的に明らかである、星の光の爆発である。
 秘伝伝授者ではない人が呪いといったものを実践する事は、見えない火薬の近くで火を絶えずもてあそぶ人を突然の危険が襲うかもしれない様なものである事を理解できる。
 星の光は人に浸透している。
 星の光で人は満ちあふれている。
 人は場所を空けるために星の光を絶え間無く放射して新しい星の光を引き寄せる。
 特に、目と手は星の光を引き寄せたり放射する様に創造されている神経の道具である。
 親指には手の両極性が存在する。
 前記の理由から、いなかで未だに生き残っている魔術的な口伝では、疑わしい人々の集まりにいる時は、親指を2つに折りたたんで手の中に隠すべきである。
 疑わしい人に視線を固定するのを避けるべきである。
 予期しない流体の放射と、引き寄せる視線を避けるために、恐れるべき人を先に見分けるべきである。
 固有の同化によって星の光の流れを破壊する力を持つ何種類かの動物が存在する。
 同化によって星の光の流れを破壊する力を持つ動物は人に激しい反感を抱く。
 同化によって星の光の流れを破壊する力を持つ動物は目にいくらかの呪う力を持っている。
 例えば、同化によって星の光の流れを破壊する力を持つ動物はヒキガエル、バシリスク、tardである。
 ヒキガエルといった同化によって星の光の流れを破壊する力を持つ動物を、飼いならし生きたまま持ち運び同室させると、星の光による酩酊による幻や誘惑への身代わりに成る。
 エリファス レヴィがここで初めて星の光による酩酊という言葉を使った。
 星の光による酩酊が抑えられない肉欲、精神的な高まり、愚かさの全ての現象を説明する。
 ヴォルテールの弟子は「ヒキガエル、tardを飼え。ヒキガエル、tardを持ち運べ。これ以上馬鹿げた事は書くな」とエリファス レヴィに言うであろう。
 エリファス レヴィは答えて後記の様に話すであろう。
 エリファス レヴィは、理解できないものを笑いものにしたい誘惑を感じたら、理解できなかった知を持つ人々を愚者または狂人としてあつかいたい誘惑を感じたら、理解できないものについて真剣に考える様にしてきた。
 大いなるキリスト教徒のマギであるパラケルススは呪いを呪いに対立させた。
 パラケルススは反対の呪いの実践によって呪いを呪いに対立させた。
 パラケルススは共感による治療の基礎を成した。
 パラケルススは共感による治療を苦しんでいる患者本人にではなく患者の像に応用した。
 パラケルススは患者の像を魔術の儀式によって形成し聖別した。
 パラケルススの成功は信じられないほど驚くべきものであった。
 パラケルススの段階に到達した治療者はいなかった。
 パラケルススの治療の不思議に到達した治療者はいなかった。
 パラケルススはメスメルより前に動物磁気を見つけた。
 パラケルススは動物磁気という光の発見から究極の結果へ到達した。
 と言うよりはむしろ、パラケルススは動物磁気という古代人の魔術への入門から究極の結果へ到達した。
 古代人は現代人より大いなる魔術の代行者を理解していた。
 古代人は星の光、Azoth、賢者の普遍のマグネシアを被造物の個体だけが放射する動物固有の流体であると考えなかった。
 隠された哲学で、パラケルススは儀式の魔術に反対している。
 パラケルススは確かに儀式の魔術の畏敬するべき力を無視しなかった。
 パラケルススは疑わしい黒魔術のための儀式の魔術の実践をとがめようと試みた。
 パラケルススは心の隠された磁石によって魔術師の全能性に到達した。
 現代の熟練の催眠術師達はパラケルススより自身を上手に言い表せない。
 パラケルススは病気を治すために魔術の象徴の応用、特にタリスマンの応用をすすめている。
 18章でパラケルススのタリスマンとガファレルの隠された図像学と古銭学について話すつもりである。
 可能な場合は、代償によって、星の光の流れを断絶する事によって、または、星の光の流れをそらす事によって、呪いを治す事が可能である。
 可能な場合に、代償によって、星の光の流れを断絶する事によって、または、星の光の流れをそらす事によって、呪いを治す全ての方法についてのヨーロッパのいなかの口伝は見事であり疑う余地無く古代からのものである。
 可能な場合に、代償によって、星の光の流れを断絶する事によって、または、星の光の流れをそらす事によって、呪いを治す方法のヨーロッパのいなかの口伝はドルイドの教えの残骸である。
 ドルイドは旅していた秘儀祭司によってエジプトとインドの神秘に入門した。
 悪人の霊の魔術では、呪い、悪意が有る行動が持続的に確証した悪意は、常に実現する。
 悪人の霊の魔術では、呪い、悪意が有る行動が持続的に確証した悪意から手を引いてやめたり、ためらうと、死ぬ危険性が有る。
 ある人への呪いをやめたい悪人の霊の魔術師は、別の人を悪意で呪わなければいけない。
 さもなければ、悪人の霊の魔術師は、自身の呪いの犠牲として、呪いに打たれて破滅するのは確実である。
 星の光の動きは循環性である。
 全てのAzothまたは磁気の力の放射は、中間物または中間者に出会わない場合は、放射したものの元に戻る。
 前記は、マルコによる福音5章の、汚れた霊が豚の群れの中に移され、汚れた霊が中に移された豚の群れが湖の中に身を投げた、不思議な話の説明である。
 (
 マルコによる福音5章の汚れた霊は悪意に汚染された星の光の流れの例えである。
 豚の群れが身代わりに成ってくれた。
 豚の群れが中間者に成ってくれた。
 )
 マルコによる福音5章の天の秘伝伝授の行動は悪意に汚染された磁気の流れを断絶する事である。
 マルコによる福音5章で汚れた霊にとりつかれた者は直感で「我々の名前は軍団である。なぜなら、多数である」と話す。
 悪人の霊による憑依は呪いである。
 現在では悪人の霊による憑依は無数に存在する。
 現在では呪いは無数に存在する。
 Hilarion Tissotは狂人の治療に献身している祭司である。
 Hilarion Tissotは、長い経験と絶え間無い実践によって、パラケルススの磁気学を知らないで応用する事によって、多数の狂人の治療に成功している。
 Hilarion Tissotは狂気の原因が意思の病気か外からの意思の邪悪な影響であると考える。
 Hilarion Tissotは全ての悪行を狂気による行動と考える。
 Hilarion Tissotは、悪人を怒らせないで、悪人を矯正不能にしないで、悪人を罰するふりをして、悪人を病人としてあつかう。
 Hilarion Tissotが天才と認められるまでに、どれほどの時間が必要であろうか?
 16章を読んだ時に、多数の大衆は、Hilarion Tissotとエリファス レヴィは互いを狂人として、あつかうべきである、と話すであろう!
 多数の大衆は、狂人という不治の病のための病院へ入院するべきであると考えられたくないならば、エリファス レヴィはエリファス レヴィの理論の公開をやめるべきである、と話すであろう!
 ガリレオは地をふんで「それでも地球はまわっている」と話した。
 ヨハネによる福音8章32節で人の救い主イエスは「あなたが真理を知れば、真理はあなたを自由にする」と話している。
 ヨハネによる福音8章32節「あなたが真理を知れば、真理はあなたを自由にする」に付け加えれば、あなたが正義を愛せば、正義はあなたを健全な人にする。
 悪徳は毒である。
 悪徳は肉体にとってすら毒である。
 本物の徳は長生きを約束する。
 儀式の呪いの方法は時間と人と共に変わる。
 全ての狡猾な傲慢な人々は呪いの秘訣と呪いの実践方法を論理無しに自身の中に見つける。
 狡猾な傲慢な人々は大いなる代行者の霊感の直感に従う。
 大いなる代行者は人の悪徳や人の徳に応じる。
 自身の傾向の類似によって、特に、自身の欠点の類似によって、大衆は他者たちの意思に従うと言える。
 個人の欠点を甘やかす事は欠点を甘やかされた個人を手に入れる事である。
 個人の欠点を甘やかす事は欠点を甘やかされた個人を類似した同様の欠点の道具に変える事である。
 類似した欠点を持つ弱い者が強い者に従う時、弱い者は強い者の代行者に成る。
 弱い者の精神は強い者の精神にとりつかれる。
 弱い者は強い者と戦い反抗しようと試みるが、より深い奴隷状態に陥るだけである。
 ルイ13世はリシュリューに対して共謀を企てたが、結局、共謀者に見捨てられてルイ13世はリシュリューに許しを求めた。
 人は支配的な欠点を持っている。
 全ての人が支配的な欠点を持っている。
 人が持つ支配的な欠点は、魂にとって、罪深い生まれの、へその緒の様なものである。
 人は、人が持つ支配的な欠点によって、敵に常にとらえられる。
 ある人たちは、うぬぼれによって、敵にとらえられる。
 ある人たちは、怠惰によって、敵にとらえられる。
 多数の人たちは、利己主義によって、敵にとらえられる。
 邪悪な狡猾な精神の持ち主に人が持つ支配的な欠点という罠を応用させれば、人は滅ぶ。
 邪悪な精神の持ち主に人が持つ支配的な欠点という罠を応用させれば、人は狂人や愚者にならないかもしれないが、人々は分裂する。
 前記の全てを力、星の光が説明する。
 邪悪な精神の持ち主に人が持つ支配的な欠点という罠を応用させれば、人は外からの刺激に従う。
 邪悪な精神の持ち主に人が持つ支配的な欠点という罠を応用させれば、人は外からの力に従う。
 邪悪な精神の持ち主に人が持つ支配的な欠点という罠を応用させれば、人は直感的に理性に連れ戻す全てのものを恐れる。
 邪悪な精神の持ち主に人が持つ支配的な欠点という罠を応用させれば、人は夢中に成っているものと正反対のものの言う事は聞かない。
 心に自然に作用できる病気が最も危険な病気である。
 心に自然に作用する病気、呪い、狂気を治すためには狂気自体を応用する事が唯一の治療方法である。
 心に自然に作用する病気、呪い、狂気を治すためには狂人が夢中に成っているものとは正反対の想像上の満足を狂人にもたらす事が唯一の治療方法である。

 例えば、天の栄光を求めさせる事によって、俗世のものへの野心を治そうと試みなさい。
 神秘の治療。

 本物の愛によって、放蕩を治しなさい。
 自然な治療。

 名誉ある成功を手に入れさせて、うぬぼれを治しなさい。

 無私利他、少欲を見せて、貪欲を治しなさい。

 名誉ある参加によって合法な利益を思いやりのある企業に手に入れさせて利己主義的な企業を治しなさい。

 など。

 前記の様に、心に自然に作用する事によって、多数の肉体の病気を治せるであろう。
 なぜなら、心は肉体に作用する。
 「上のものは下のものから類推可能である」、「下のものは上のものに似る」という魔術の原理の力、徳によって、心は肉体に作用する。
 前記の理由から、ルカによる福音13章16節で主イエスは体が曲がったまま麻痺していた女性について「サタンが女性をしばっていた」と話している。(悪魔は存在しない)
 肉体の病気の原因は常に肉体的な欠陥、精神的な欠陥か行き過ぎた行為である。
 肉体的な悪さの根源には常に精神的な病気が見つかるであろう。
 肉体の病気の原因は常に肉体的な欠陥、精神的な欠陥か行き過ぎた行為である事と、肉体的な悪さの根源には常に精神的な病気が見つかる事は、自然の不変の法である。
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