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〈5 錯綜クインテット〉

ep69 夏の終わりにキミを想う②

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 玄関先に立っていたのは、淡い黄色地の浴衣を着た本田稚奈だった。稚奈は彩美と目が合うと、戸惑うようにすぐに目を逸らした。目が赤く充血している。もしかして、泣いていたのか。

「本田、お前も来てたのか」

 続いてやって来た重田が驚いて声を上げると、稚奈の姿を隠すように、咲乃が間に入った。

「本田さんを家まで送ってくるよ。せっかく来てくれたのに、ごめんね」

 そう言って、咲乃の視線が神谷へ向かった。

「神谷。みんなのことは、お前に任せたから」

「かき氷食って待ってっから、さっさと行って来いよ」

「うん、よろしくね」

「ちょ、ちょっと待っ――!」


 行くなら、私も一緒に――せっかく、篠原くん目当に来たのに!


「やめとけ、山口。他人ひとの事情に首を突っ込むもんじゃない」

 彩美は慌てて、閉じかける玄関の扉に駆け寄ろうと前に出ると、重田に引き留められてしまった。彩美は、茫然とした気持ちで閉まるのを見届けた。頭の中では、いろんな疑問が巡っている。

 なぜ、彼女が……本田稚奈が咲乃の家に訪れたのか。なぜ泣いていたのか。そして、先程ふたりの間に流れていた空気はなんだったのか。

 泣き腫らした目をして、縋るように咲乃を見つめていた稚奈の顔も、困ったものを見るような、しかし、放っておくことも出来ないような咲乃の様子も。あのふたりは、一体どういう関係なのだろう。

「そういやぁ、氷切らしてたんだったわ」

 いきなり背中を強く叩かれ、ぐるぐる巡っていた思考が吹っ飛んだ。驚いて神谷を見ると、またあの嫌な顔でにやにや笑っていた。

「コンビニでアイスでも買ってこようぜ、山口」





 稚奈はずっと待っていた。咲乃が来てくれるのを。

 成海の家から帰る途中にいつも通る公園で。夕方からずっと、友達からの誘いも断って、ひたすらベンチに座って待ち続けた。
 日が落ちて街灯がつき、人の姿がなくなっても、ずっとひとりで待ち続けた。咲乃に送ったLINEは、既読がついても返ってくることはなかった。それでも、稚奈は待ち続けていた。

 どうして、ダメなんだろう。

 心の中で、弱り切った小さな声が響く。チャンスが欲しかっただけだった。あの時、振られたままで終わらせたくなかった。ちゃんと、一緒の時間を過ごしてから判断して欲しかった。

 せっかく浴衣も新調したのに。ヘアセットもメイクも、頑張って研究して作って来たのに、全部無駄だったの?

 咲乃に送られて歩く道は、言葉がなく。稚奈は落ち込んで、心なしか足取りが重かった。加えて慣れない浴衣と下駄のせいで、余計に歩きにくい。

 それでも咲乃は、きちんと稚奈の歩幅に合わせてくれた。そんな咲乃の何気ない優しさが、稚奈には余計に辛かった。

「……そんなに、迷惑だった?」

 勇気を出して発した声は、自分が思っていたよりも掠れていた。泣きすぎて声が枯れてしまったみたいだ。

「気持ちには応えられないって、言ったよね」

 咲乃の口調は固かった。待っていられても迷惑だと、稚奈にはそう聞こえた。稚奈を受け入れる余地はないと、改めて突き放すような言い方だった。

「なんでそんな酷いこと言うの……?」

 声が震える。ようやく落ち着いてきたと思ったのに、また涙が溢れそうになった。

「篠原くんは、いつもそう。いつも稚奈に距離を置いてた。気づかないだろうって思ってた?」

 目に涙を湛えたまま、稚奈が咲乃を睨む。

「ずるいよ。いっつもなるちゃんばっかり優しくして。稚奈だって篠原くんの友達なのに、いつもふたりでいるじゃん!」

 三人で勉強していた時、咲乃はいつも稚奈の勉強を見てくれていた。勉強が苦手な稚奈のために、それこそ殆どかかりきりになるくらいにだ。

 勉強は嫌いでも、稚奈は咲乃を独り占めできるその時間が大好きだった。しかし、それ以外になると、咲乃はいつも成海のことを気にしていた。気づくと、いつも成海の方に行ってしまう。稚奈も、成海と同様に彼の友達であるはずなのに、なぜか成海との差を感じていた。

「友達?」

 咲乃は、綺麗に生えそろった眉を静かにひそめた。

「友達だと思っていた? 本当は最初から、良い友達でいようなんて気はなかったよね?」

 咲乃の勢いに気圧されて後ろに下がると、咲乃が稚奈を追い詰めるように迫った。

「な、何言ってるの。篠原くん」

 目から涙が引き、ゆっくりと後ずさる。背中にブロック塀が当たった。

「稚奈は、本当に篠原くんと仲良くなりたくて――」

「津田さんが心配だったわけじゃないんだ?」

 逃げ場が無くなって、上から見下ろす咲乃の視線から逃れるように、稚奈は視線をさまよわせた。

「幼稚園の頃からの親友だもん。心配に決まってるじゃん」

「津田さんがいじめられていた時、一度でも会いに行こうと思ったことはある?」

 咲乃の冷たい声に冷やされて、稚奈の心の温度も下がっていった。顔から表情が消えていくのが、自分でも分かる。稚奈は、心と同様に冷たくなった指先を握り込んだ。

「……なんでよ」

 なんで、なるちゃんばっかり。

「思うわけないじゃん。好き好んで、誰があんなの・・・・と仲良くしたいって思うわけ?」

 稚奈は怒っていた。なぜ、咲乃がそこまで成海のことにこだわるのか分からなかったからだ。咲乃の顔から視線を逸らし、苛立ちながら吐き捨てる。

「幼稚園の頃に少し遊んだくらいで、未だに親友面されるの、ホントウザいんだよね。周りの子たちの目もあるのに、あんなと友達だなんて思われたくないし」

 幼い頃から、成海はデブでブサイクだったし、空気が読めなくて鈍臭かった。そのせいで周囲の女子から疎まれ、男子からはからかわれていた。そんな子の友達だと思われることは、稚奈にとって恥ずかしいことだった。

「まさか、あのなるちゃんが篠原くんと知り合いだなんて思わなくて、チャンスだと思ったの。篠原くんと仲良くなれるって」

 転校初日から学校を騒がせていた転校生のことを、稚奈が知らないわけがない。稚奈自身も、他の女子生徒同様に咲乃に憧れ、親しくなりたいと願っていた。そんな時成海は、咲乃と親しくなるための良い口実になったのだ。

 成海が咲乃と親しいと知ってから、稚奈は積極的に成海に関わるようにした。昔のように、成海と親しいふりをしていれば、咲乃とも繋がれる。
 放課後、たまたま図書室で会った咲乃に気さくに喋りかけて一緒に帰ることができたのも、稚奈が成海の唯一の親友だったからだ。休日に咲乃とお菓子作りをしたり、勉強会に参加できたのも、稚奈が成海の親友・・だったから。

「初めからそうだった」

 見上げた咲乃の表情は、感情が見えないほどに冷めていて、瞳の中はそれよりも冷え切っていた。

「だから、信用出来なかったんだ」

 細めた目に、爛々とした鋭い光が宿る。

「最初からきみは、津田さんの親友なんかじゃなかった」

 咲乃は気付いていたのだ。稚奈の視線から、普段の態度から、成海への接し方から――。成海にすり寄りながら、ずっと咲乃のことを窺うような視線や態度に。

「……なんで篠原くんが、なるちゃんを大事にするのか、わかんないよ」

 幼馴染だとか親友だとか。稚奈が成海をそんなふうに思ったことは一度もない。成海が引きこもってからは、縁を切ったつもりでいたのだから。それなのに、何で咲乃と一番親しい子があの成海なんだと、悔しくて、悔しくて叫び出してしまいそうだった。
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