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〈2 ダイアモンドリリー〉
ep16 たとえ眺めているだけでも ②
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「えっ……」
結子は驚いて声の方を見た。隣には咲乃が、柔らかく微笑んで結子を見ている。結子は顔を赤らめて目線を彷徨わせて狼狽えた。
「えっ、えっ……」
「俺の班は、神谷が火をつけるのをやりたがってさ。自分の前髪を焦がして大変だったよ」
結子は、状況がまったく呑み込めないまま、ひたすら狼狽えていた。咲乃の顔を直視できず、目のやり場に困って俯いてしまう。なぜ、咲乃に話しかけられているのか全く分からなかった。ただ、他の女子に見られていたらと思うと、怖くてしかたがない。
「中本さんのグループは真面目な子が多いから、きちんと実験が出来ていそうだよね」
結子は、顔を赤くして頷いた。今はこれくらいが結子にできる精一杯の返事だった。
「ごめんなさい。りっ……理央が待ってるから……!」
すでに図書室にいるはずの親友の名前を持ち出して、結子はその場から逃げ出した。
*
放課後、図書室の勉強スペースで、咲乃は、成海の勉強スケジュールを組み立てていた。数学と英語は1年生の基礎をやりながら、応用として2年生の範囲も触れるようになり、最近は今まで手を付けていなかった理科と社会の勉強も少しずつ始めるようになった。やることが増えた分スケジュール管理が重要となる。手紙の件が片付くまでは、成海の家にも行けない。自分が行けない間も、リモートで勉強を見るなどして勉強に遅れが出ないように調節する必要があった。
「あれ、篠原くん?」
咲乃が目を上げると、本田稚奈が大きな瞳を見開いて驚いた顔をしていた。
「本田さん、こんにちは」
咲乃が微笑んで挨拶すると、稚奈は嬉しそうにキャレルデスクの向かいの席から椅子を引き、お互いの顔が見える位置に座った。
「篠原くん、どうしてまだ学校にいるの? なるちゃんの所に行ってるんじゃなかった?」
稚奈は好奇心満載に目を輝かせると、ぐいっと身を乗り出して尋ねた。
「今日は勉強会の予定がないんだ。本田さんこそ部活じゃないの?」
咲乃が尋ねると、稚奈は気まずそうに視線をさまよわせた。
「あ~、えっと……これには訳があって……」
「サボり?」
「違う違う! 歴史の課題があってレポート書かなきゃいけなくって、今日だけ休ませてもらったの! サボりたくてサボってるわけじゃ……」
「提出日はいつ?」
「明日……です……」
大分放置してきたのだろう。稚奈の声に力がない。
「そう、頑張って。本田さんの邪魔になってはいけないから、俺はもう帰るよ」
咲乃は愛想良く笑って立ち上がろうとすると、稚奈は慌てて咲乃の制服を掴んだ。
「か、帰っちゃうの!? 人が目の前で困ってるのに……! 篠原くん、勉強得意なんでしょ。せっかくだから手伝ってよ!」
稚奈は切羽詰まった想いで懇願した。絶対に離さないとばかりに、必死に咲乃を引き留める。これを逃したら絶対レポートが間に合わないと思っているのだ。
「レポートが書けることと、勉強が出来ることは別なんじゃないかな」
「そんなこと言わないで、お願いっ! 文献を一緒に探してくれるだけでいいから。お願いしますっ!」
両手を合わせて必死に頼み込む稚奈に、咲乃は考えるようにあごに手を当てた。
「人の力をあてにしていたら、こういう課題の意味が無くなってしまうと思うけど」
咲乃にとって稚奈は、成海の友人であって咲乃の友人ではない。つまり、咲乃に本田稚奈のレポートを手伝う理由はどこにもない。
稚奈は、いくら頼んでも助けてくれない咲乃に頬を膨らませた。
「篠原くんのいじわるぅ! いいですよーだ。稚奈ひとりで調べられますからぁ」
咲乃は思わず失笑した。稚奈がむくれてぷいっとそっぽを向く様子があまりにも子供っぽくて可笑しかったのだ。
「30分だけだからね」
「ありがとう、篠原くん! 本当に助かりますっ!」
咲乃が仕方なく了承すると、むくれていた稚奈の顔が一瞬にして笑顔に変わった。
咲乃がレポートを手伝っていてわかったことは、稚奈は勉強がものすごく苦手だということだった。要領はけして悪くないのだが、論理的に思考するのは不得意らしい。調べ事をしながら、思いついたことをどんどん盛り込もうとするため、徐々にテーマから外れていってしまう。そのたびに咲乃が軌道修正して、テーマに沿った文献を探し出す。これでは確かに一人で課題をやっても終わらなかっただろう。気付けば咲乃は、レポートの構成まで見てあげることになっていた。
結局、最後までレポートに付き合う羽目になり、ようやく学校を出た時には最終下校ぎりぎりの時間になっていた。
「すっごく助かっちゃった。篠原くん、ありがとう!」
稚奈は機嫌よくスキップしながら咲乃にお礼を言った。稚奈の周りに、見えないはずの花びらがふよふよ飛んでいる。
「帰ったらきちんと最後まで書き上げてね。出来上がりを楽しみにしてるから」
咲乃はにこりと笑うと、浮かれている稚奈にしっかりと釘を刺した。
「えっ、出来上がったレポート、篠原くんに見せなきゃいけないの!?」
「ここまで付き合わされたんだから当然でしょう?」
「えー、なにそれー、めちゃくちゃ厳しい!」
咲乃が笑顔を絶やさずに言うと、稚奈の顔が青ざめた。先程までの上機嫌が吹き飛んで、しゅんとうなだれてしまう。
「篠原くんって、もっと優しい人だと思ってた。引き留めないと帰っちゃうところだったし」
「課題を後回しにしていたことを棚に上げないで。手伝ってあげたんだから、それなりの成果を見せてもらわないと」
「いじわるー」
稚奈は頬を膨らませた。女子の憧れである咲乃が、こんなにも意地悪だとは思わなかったのだ。
大方の女子が抱く咲乃に対するイメージは、いつも穏やかにほほ笑みを浮かべて、全てを包み込んでくれる優しい王子様のような存在だった。だが、実際の咲乃はそんなに優しくはない。相手に対して無難に接しているだけで、柔らかく見えるのは外面だけ。親しくない人間との線引きはしっかりしている。
「なるちゃんのことも、こうやっていじめてるの?」
「今まで休んでいた分を取り戻しているだけで、いじめているつもりはないんだけど」
「うそ、絶対いじめてるもん! なるちゃん可哀想!」
咲乃が朗らかに答えると、稚奈が叫んだ。
あれこれ話しながら、咲乃はひっそりと横目で稚奈を観察した。
咲乃の印象では、稚奈は明るくて活発な性格をした、可愛いものとお洒落な物が好きな少女らしい子だ。誰に対しても隔たりがないため、誰からも好印象を与え、同性異性関係なく友人も多い。お喋り好きらしくかなりの情報通で、学校の取り留めない話からうわさ話まで色々喋ってくれる。そんな彼女なら、女子の間での流行り事にも敏いはずだと思った。
「毛糸を指輪みたいに巻くのって流行ってる?」
「毛糸を指輪みたいに?」
稚奈がぽかんと口を開けて咲乃を見返した。
今朝、中本結子と話した時、ふと彼女の左手の小指に目がいった。以前、結子を助け起こした時に見た、白く細い指に巻かれた赤い毛糸が咲乃の記憶の片隅にやけに鮮明に残っていたのだ。
「別に流行って無いけど……。あっ、でも、おまじないでそんなのがあった気がする」
「おまじない?」
「そうそう、恋のおまじない。運命の人とは赤い糸で繋がってるって言うじゃん。小指に赤い糸を括り付けて、3日間好きな人のことを思い浮かべてお願いするの。3日後にその恋が成就するんだって。小学生の頃、おまじないの本で載っていて、いろいろみんなで試したなー」
咲乃は、結子に小指の毛糸の意味を聞かなくてよかったと思った。結子としては、隠しておきたいものだったはずだ。ましてや意中の相手に知られたくは無いだろう。結果的には、その本人に意味を知られることとなってしまったのだが。
「えー、なになに。篠原くん、恋のおまじないに興味あるの!?」
稚奈は恋バナには目がないと言うように、興味津々に目を輝かせた。
「ううん。別に」
咲乃は穏やかに笑った。
「なぜ、そんなものに縋っているんだろうって」
結子は驚いて声の方を見た。隣には咲乃が、柔らかく微笑んで結子を見ている。結子は顔を赤らめて目線を彷徨わせて狼狽えた。
「えっ、えっ……」
「俺の班は、神谷が火をつけるのをやりたがってさ。自分の前髪を焦がして大変だったよ」
結子は、状況がまったく呑み込めないまま、ひたすら狼狽えていた。咲乃の顔を直視できず、目のやり場に困って俯いてしまう。なぜ、咲乃に話しかけられているのか全く分からなかった。ただ、他の女子に見られていたらと思うと、怖くてしかたがない。
「中本さんのグループは真面目な子が多いから、きちんと実験が出来ていそうだよね」
結子は、顔を赤くして頷いた。今はこれくらいが結子にできる精一杯の返事だった。
「ごめんなさい。りっ……理央が待ってるから……!」
すでに図書室にいるはずの親友の名前を持ち出して、結子はその場から逃げ出した。
*
放課後、図書室の勉強スペースで、咲乃は、成海の勉強スケジュールを組み立てていた。数学と英語は1年生の基礎をやりながら、応用として2年生の範囲も触れるようになり、最近は今まで手を付けていなかった理科と社会の勉強も少しずつ始めるようになった。やることが増えた分スケジュール管理が重要となる。手紙の件が片付くまでは、成海の家にも行けない。自分が行けない間も、リモートで勉強を見るなどして勉強に遅れが出ないように調節する必要があった。
「あれ、篠原くん?」
咲乃が目を上げると、本田稚奈が大きな瞳を見開いて驚いた顔をしていた。
「本田さん、こんにちは」
咲乃が微笑んで挨拶すると、稚奈は嬉しそうにキャレルデスクの向かいの席から椅子を引き、お互いの顔が見える位置に座った。
「篠原くん、どうしてまだ学校にいるの? なるちゃんの所に行ってるんじゃなかった?」
稚奈は好奇心満載に目を輝かせると、ぐいっと身を乗り出して尋ねた。
「今日は勉強会の予定がないんだ。本田さんこそ部活じゃないの?」
咲乃が尋ねると、稚奈は気まずそうに視線をさまよわせた。
「あ~、えっと……これには訳があって……」
「サボり?」
「違う違う! 歴史の課題があってレポート書かなきゃいけなくって、今日だけ休ませてもらったの! サボりたくてサボってるわけじゃ……」
「提出日はいつ?」
「明日……です……」
大分放置してきたのだろう。稚奈の声に力がない。
「そう、頑張って。本田さんの邪魔になってはいけないから、俺はもう帰るよ」
咲乃は愛想良く笑って立ち上がろうとすると、稚奈は慌てて咲乃の制服を掴んだ。
「か、帰っちゃうの!? 人が目の前で困ってるのに……! 篠原くん、勉強得意なんでしょ。せっかくだから手伝ってよ!」
稚奈は切羽詰まった想いで懇願した。絶対に離さないとばかりに、必死に咲乃を引き留める。これを逃したら絶対レポートが間に合わないと思っているのだ。
「レポートが書けることと、勉強が出来ることは別なんじゃないかな」
「そんなこと言わないで、お願いっ! 文献を一緒に探してくれるだけでいいから。お願いしますっ!」
両手を合わせて必死に頼み込む稚奈に、咲乃は考えるようにあごに手を当てた。
「人の力をあてにしていたら、こういう課題の意味が無くなってしまうと思うけど」
咲乃にとって稚奈は、成海の友人であって咲乃の友人ではない。つまり、咲乃に本田稚奈のレポートを手伝う理由はどこにもない。
稚奈は、いくら頼んでも助けてくれない咲乃に頬を膨らませた。
「篠原くんのいじわるぅ! いいですよーだ。稚奈ひとりで調べられますからぁ」
咲乃は思わず失笑した。稚奈がむくれてぷいっとそっぽを向く様子があまりにも子供っぽくて可笑しかったのだ。
「30分だけだからね」
「ありがとう、篠原くん! 本当に助かりますっ!」
咲乃が仕方なく了承すると、むくれていた稚奈の顔が一瞬にして笑顔に変わった。
咲乃がレポートを手伝っていてわかったことは、稚奈は勉強がものすごく苦手だということだった。要領はけして悪くないのだが、論理的に思考するのは不得意らしい。調べ事をしながら、思いついたことをどんどん盛り込もうとするため、徐々にテーマから外れていってしまう。そのたびに咲乃が軌道修正して、テーマに沿った文献を探し出す。これでは確かに一人で課題をやっても終わらなかっただろう。気付けば咲乃は、レポートの構成まで見てあげることになっていた。
結局、最後までレポートに付き合う羽目になり、ようやく学校を出た時には最終下校ぎりぎりの時間になっていた。
「すっごく助かっちゃった。篠原くん、ありがとう!」
稚奈は機嫌よくスキップしながら咲乃にお礼を言った。稚奈の周りに、見えないはずの花びらがふよふよ飛んでいる。
「帰ったらきちんと最後まで書き上げてね。出来上がりを楽しみにしてるから」
咲乃はにこりと笑うと、浮かれている稚奈にしっかりと釘を刺した。
「えっ、出来上がったレポート、篠原くんに見せなきゃいけないの!?」
「ここまで付き合わされたんだから当然でしょう?」
「えー、なにそれー、めちゃくちゃ厳しい!」
咲乃が笑顔を絶やさずに言うと、稚奈の顔が青ざめた。先程までの上機嫌が吹き飛んで、しゅんとうなだれてしまう。
「篠原くんって、もっと優しい人だと思ってた。引き留めないと帰っちゃうところだったし」
「課題を後回しにしていたことを棚に上げないで。手伝ってあげたんだから、それなりの成果を見せてもらわないと」
「いじわるー」
稚奈は頬を膨らませた。女子の憧れである咲乃が、こんなにも意地悪だとは思わなかったのだ。
大方の女子が抱く咲乃に対するイメージは、いつも穏やかにほほ笑みを浮かべて、全てを包み込んでくれる優しい王子様のような存在だった。だが、実際の咲乃はそんなに優しくはない。相手に対して無難に接しているだけで、柔らかく見えるのは外面だけ。親しくない人間との線引きはしっかりしている。
「なるちゃんのことも、こうやっていじめてるの?」
「今まで休んでいた分を取り戻しているだけで、いじめているつもりはないんだけど」
「うそ、絶対いじめてるもん! なるちゃん可哀想!」
咲乃が朗らかに答えると、稚奈が叫んだ。
あれこれ話しながら、咲乃はひっそりと横目で稚奈を観察した。
咲乃の印象では、稚奈は明るくて活発な性格をした、可愛いものとお洒落な物が好きな少女らしい子だ。誰に対しても隔たりがないため、誰からも好印象を与え、同性異性関係なく友人も多い。お喋り好きらしくかなりの情報通で、学校の取り留めない話からうわさ話まで色々喋ってくれる。そんな彼女なら、女子の間での流行り事にも敏いはずだと思った。
「毛糸を指輪みたいに巻くのって流行ってる?」
「毛糸を指輪みたいに?」
稚奈がぽかんと口を開けて咲乃を見返した。
今朝、中本結子と話した時、ふと彼女の左手の小指に目がいった。以前、結子を助け起こした時に見た、白く細い指に巻かれた赤い毛糸が咲乃の記憶の片隅にやけに鮮明に残っていたのだ。
「別に流行って無いけど……。あっ、でも、おまじないでそんなのがあった気がする」
「おまじない?」
「そうそう、恋のおまじない。運命の人とは赤い糸で繋がってるって言うじゃん。小指に赤い糸を括り付けて、3日間好きな人のことを思い浮かべてお願いするの。3日後にその恋が成就するんだって。小学生の頃、おまじないの本で載っていて、いろいろみんなで試したなー」
咲乃は、結子に小指の毛糸の意味を聞かなくてよかったと思った。結子としては、隠しておきたいものだったはずだ。ましてや意中の相手に知られたくは無いだろう。結果的には、その本人に意味を知られることとなってしまったのだが。
「えー、なになに。篠原くん、恋のおまじないに興味あるの!?」
稚奈は恋バナには目がないと言うように、興味津々に目を輝かせた。
「ううん。別に」
咲乃は穏やかに笑った。
「なぜ、そんなものに縋っているんだろうって」
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