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おまけ
外伝 〜フランチェスカの絵筆 その2〜
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二か月余りが過ぎ、今日はいよいよ完成した肖像画のお披露目である。
フランチェスカは祈るような気持ちでご夫妻の到着を待っていた。
もしかしたら今日で人生が終わるかもしれない。それぐらい危険な賭けであることは良く分かっていた。
(お父様お母様、無鉄砲な娘をどうかお許し下さい。でも何としてもお二人にはご迷惑をかけないようにやり遂げますから、どうか)
悩んで悩んで、ここ数日は食事も摂れないほど不安に苛まれた。自分の愚かさがほとほと嫌になりもした。
(……でも……もしかしたら……大公ご夫妻なら……受け入れて下さるかもしれない。やってみたい。自分の可能性に賭けてみたい。アカデミーの先生方は激怒するだろうけど……それにもし今日死罪になっても、この絵は残るわ……それだけでも試してみる価値はあるはずよ……)
そんな考えが頭をグルグル回っている中、やがて廊下に足音と話し声が聞こえた。ドアがノックされるのと同時にフランチェスカは腰を屈めて頭を垂れた。
「ご機嫌よう、フランチェスカ様」
前回と同じたおやかで優しい妃殿下の声がする。
「お久しぶりでございます、大公殿下、妃殿下。再びお目通りが叶いまして恐悦至極に存じます」
「ん」
「どうぞ楽になさって?」
「恐れ入りま……す?」
頭を上げたフランチェスカの目に信じられない光景が飛び込んできた。
(え?大公ご夫妻だけじゃ……ない……こ、このお二人は……国王陛下と王后陛下⁉︎ )
「やあ、君がフランチェスカ嬢だね?国王レオ三世だ。こちらは王后ユージェニー。急に参加して済まないね。僕達も早く見たくて、勝手に着いてきてしまった」
(大公ご夫妻だけならまだしも、国王陛下まで……終わった……)
「お、恐れ入ります……」
「で?これかい?早く見せて?」
「陛下。陛下がそんなに浮かれる必要はございませんでしょう」
「何を言うんだ弟よ。ようやくこの日が来たんだ。浮かれずにいられるか」
「……フランチェスカ嬢。構わないから進めてくれ」
「は、はい」
フランチェスカは覚悟を決めた。もういい、どうなっても。
ゆっくりと大きなカンヴァスに近寄り、掛けられた布を下ろす。
「え」
「え」
「‼︎ 」
一瞬、その部屋にいた全員が言葉を失って固まった。次の瞬間、アカデミーの重鎮方が真っ青な顔で叫んだ。
「フ、フランチェスカ・ドニゼッティ! どういうことだこれは一体!せ、説明したまえ!……国王陛下、大公殿下、こ、これは何かの間違いでございます!」
フランチェスカはありったけの勇気を振り絞って答えた。
「ま、間違いではございません。こちらが大公ご夫妻の肖像画でございま……」
「何を言っている!こ、こんなものが由緒ある我が王室の肖像画と認められるか!とにかく殿下と妃殿下にお詫び申し上げなさい!早く!」
そこに描かれているのは、紛れもない大公ご夫妻の姿。……ではあるが、歴代の王族の肖像画とは全く違うものであった。
従来の正式な肖像画の構図は殿下、妃殿下ともに直立不動で目線はこちらに向けて軽く微笑まれる。立ち姿も判で押したように大公殿下は左腕は自然に下ろし、右腕は軽く曲げてお身体の前。そして妃殿下は両手で軽く扇子をお持ちになるというのがセオリーだ。
だがフランチェスカが描いたフィッツジェラルド大公ご夫妻は全く違っていた。
お二人はほぼ向かい合う形でお体を密着させて、なんと、あろうことか……今まさに口づけを交わそうとされているのだ。
大公殿下は優しく微笑んで少し上体を屈ませ、片手を妃殿下の腰、もう片方を顎に添えられている。妃殿下は斜め上にお顔を向けて、その表情はうっとりと蕩けるようだ。お二人の視線は完全に目の前の愛する人に向けられていて、どこまでも甘い。そんな一瞬が若い女性特有の瑞々しい感性と筆致で描き取られていた。
確かにそれは肖像画と呼ぶにはあまりにも前代未聞で、アカデミーのお偉方がぶっ飛ぶようなものだった。
「あ、あのっ、でしたら正式な構図でお描きしたものも仕上げてございますのでそちらをご覧に……」
「何が正式だ!こんなふざけたものをいけしゃあしゃあと出して来よって!だから私は反対したんだ!アカデミーを卒業しただけの若い娘にこのような大役を任せるなど笑止千万だと!」
フランチェスカは説明しようとしたが方々からぎゃんぎゃん責め立てられて、やはり自分は間違っていたのかとだんだん惨めになってきてしまった。どうにか涙を堪えようと唇を噛んで俯いた時、大公殿下の低く落ち着いた声がした。
「すまないがちょっと静かにしてもらえるか、先生方」
殿下はそう一喝されると、カンヴァスの前に歩みを進められた。そして長い時間をかけて隅々までご覧になると、ゆっくりと振り返られた。
フランチェスカは永遠にも感じられるその間、全身全霊で祈った。
(神様……!)
「気に入った」
(……え?)
「殿下……畏れながら……それは……」
「だから、気に入った。とても良い」
極度の緊張と恐怖からいっぺんに解放されたフランチェスカの足が思わずふらついた。
(大公殿下が、気に入って下さった……!)
「殿下!お待ち下さい!このようなふしだ……いえ、前衛的な絵を王宮の肖像画の間に飾ることなど到底受け入れられませぬ!」
アカデミーの教授達は冷汗をかきながら必死に食い下がったが、殿下はさらりとお答えになった。
「好きにすれば良い。貴殿らの眼鏡に叶うお固いものも仕上げてあるとフランチェスカ嬢は申していたではないか。であればこの絵は大公家で私的に買い取るから心配いらん。何か問題があるか?」
そして再びカンヴァスのほうに向き直られると満足そうにうんうんと頷きながら呟かれた。
「……この表情が実に良い。まさに大公妃の美しさを完璧に描いている。見事な腕前だ」
「殿下、殿下、お止め下さいまし、こんなところで……恥ずかしいですわ」
真っ赤になったお顔を扇子で隠しながら夫君の暴走を制止しようとなさる妃殿下のお姿に気づいてフランチェスカはいささか申し訳なくなった。だがそこへ国王陛下が助け舟を出された。
「まあまあ大公妃、恥ずかしがる気持ちも分からなくはないが、確かにこの絵はとても良い出来だと私も思うよ。何というか、新しいものに果敢に挑戦する若さに満ち溢れていて、見る者が勇気づけられる」
ユージェニー王后陛下も少し拗ねたようなお口ぶりでこう仰った。
「ええ、素敵な絵よ、大公妃。……ずるいわローレンス、貴方達ばっかり。ねえレオ、わたくし来年の貴方の即位十周年の肖像画も、こういうふうに自由で自然な雰囲気で描いてもらいたいわ。ね、そうしましょ?」
「それもいいね。早速人選に入ろう」
アカデミーの教授達はそれでもまだ何かブツブツと不満を漏らしていたが、国王陛下のこのお言葉がその場を収められた。
「まあ、最終的にどちらを肖像画の間に掛けるかは、関係各所でおいおい話し合うこととしようではないか。確かに大変良い絵ではあるが、若干刺激が強いかもしれぬ。大公、異存はないな?」
「兄上の良きように」
それを機になんとなく部屋の空気がお開きになり、教授達はそれなりに納得して国王ご夫妻とともに退出していった。
その場に残されたフランチェスカに妃殿下がお声をかけられる。
「心臓が飛び出るかと思いましてよ、フランチェスカ」
「……あの、妃殿下……申し訳ございません……ただ私……」
やはり妃殿下はいたたまれないお気持ちであられただろうと、改めてフランチェスカは申し訳なく思ったが、妃殿下は普段通りのにこやかなお顔で静かにこう仰った。
「殿下が気に入って下さったのなら、それが一番ですから」
「妃殿下……」
そして辺りを窺いながら、声を潜めてこうお訊きになった。
「ねえ、フランチェスカ……わたくし、本当にあんな表情してまして?」
「はい、妃殿下」
「まあ……」
絶句してしまわれた妃殿下に、フランチェスカは心からの賛辞を込めてお答えした。
「でも妃殿下、私は心の底から妃殿下が羨ましゅうございます。私もいつか、私だけに口づけをくれるお人に出会いとうございます」
頬を紅潮させるフランチェスカに、妃殿下はにっこりと微笑まれた。
「きっと出会えますよ、フランチェスカ」
殿下は一言だけ仰った。
「見てたのか」
「……不敬は重々承知しておりましたが、あまりにお二人がお美しくてつい……」
首を竦めながらお答えすると、殿下はほんの少しお笑いになって、こう付け加えられた。
「次はアカデミーを通さず、直接貴女に連絡するから、よろしく頼む」
フランチェスカは祈るような気持ちでご夫妻の到着を待っていた。
もしかしたら今日で人生が終わるかもしれない。それぐらい危険な賭けであることは良く分かっていた。
(お父様お母様、無鉄砲な娘をどうかお許し下さい。でも何としてもお二人にはご迷惑をかけないようにやり遂げますから、どうか)
悩んで悩んで、ここ数日は食事も摂れないほど不安に苛まれた。自分の愚かさがほとほと嫌になりもした。
(……でも……もしかしたら……大公ご夫妻なら……受け入れて下さるかもしれない。やってみたい。自分の可能性に賭けてみたい。アカデミーの先生方は激怒するだろうけど……それにもし今日死罪になっても、この絵は残るわ……それだけでも試してみる価値はあるはずよ……)
そんな考えが頭をグルグル回っている中、やがて廊下に足音と話し声が聞こえた。ドアがノックされるのと同時にフランチェスカは腰を屈めて頭を垂れた。
「ご機嫌よう、フランチェスカ様」
前回と同じたおやかで優しい妃殿下の声がする。
「お久しぶりでございます、大公殿下、妃殿下。再びお目通りが叶いまして恐悦至極に存じます」
「ん」
「どうぞ楽になさって?」
「恐れ入りま……す?」
頭を上げたフランチェスカの目に信じられない光景が飛び込んできた。
(え?大公ご夫妻だけじゃ……ない……こ、このお二人は……国王陛下と王后陛下⁉︎ )
「やあ、君がフランチェスカ嬢だね?国王レオ三世だ。こちらは王后ユージェニー。急に参加して済まないね。僕達も早く見たくて、勝手に着いてきてしまった」
(大公ご夫妻だけならまだしも、国王陛下まで……終わった……)
「お、恐れ入ります……」
「で?これかい?早く見せて?」
「陛下。陛下がそんなに浮かれる必要はございませんでしょう」
「何を言うんだ弟よ。ようやくこの日が来たんだ。浮かれずにいられるか」
「……フランチェスカ嬢。構わないから進めてくれ」
「は、はい」
フランチェスカは覚悟を決めた。もういい、どうなっても。
ゆっくりと大きなカンヴァスに近寄り、掛けられた布を下ろす。
「え」
「え」
「‼︎ 」
一瞬、その部屋にいた全員が言葉を失って固まった。次の瞬間、アカデミーの重鎮方が真っ青な顔で叫んだ。
「フ、フランチェスカ・ドニゼッティ! どういうことだこれは一体!せ、説明したまえ!……国王陛下、大公殿下、こ、これは何かの間違いでございます!」
フランチェスカはありったけの勇気を振り絞って答えた。
「ま、間違いではございません。こちらが大公ご夫妻の肖像画でございま……」
「何を言っている!こ、こんなものが由緒ある我が王室の肖像画と認められるか!とにかく殿下と妃殿下にお詫び申し上げなさい!早く!」
そこに描かれているのは、紛れもない大公ご夫妻の姿。……ではあるが、歴代の王族の肖像画とは全く違うものであった。
従来の正式な肖像画の構図は殿下、妃殿下ともに直立不動で目線はこちらに向けて軽く微笑まれる。立ち姿も判で押したように大公殿下は左腕は自然に下ろし、右腕は軽く曲げてお身体の前。そして妃殿下は両手で軽く扇子をお持ちになるというのがセオリーだ。
だがフランチェスカが描いたフィッツジェラルド大公ご夫妻は全く違っていた。
お二人はほぼ向かい合う形でお体を密着させて、なんと、あろうことか……今まさに口づけを交わそうとされているのだ。
大公殿下は優しく微笑んで少し上体を屈ませ、片手を妃殿下の腰、もう片方を顎に添えられている。妃殿下は斜め上にお顔を向けて、その表情はうっとりと蕩けるようだ。お二人の視線は完全に目の前の愛する人に向けられていて、どこまでも甘い。そんな一瞬が若い女性特有の瑞々しい感性と筆致で描き取られていた。
確かにそれは肖像画と呼ぶにはあまりにも前代未聞で、アカデミーのお偉方がぶっ飛ぶようなものだった。
「あ、あのっ、でしたら正式な構図でお描きしたものも仕上げてございますのでそちらをご覧に……」
「何が正式だ!こんなふざけたものをいけしゃあしゃあと出して来よって!だから私は反対したんだ!アカデミーを卒業しただけの若い娘にこのような大役を任せるなど笑止千万だと!」
フランチェスカは説明しようとしたが方々からぎゃんぎゃん責め立てられて、やはり自分は間違っていたのかとだんだん惨めになってきてしまった。どうにか涙を堪えようと唇を噛んで俯いた時、大公殿下の低く落ち着いた声がした。
「すまないがちょっと静かにしてもらえるか、先生方」
殿下はそう一喝されると、カンヴァスの前に歩みを進められた。そして長い時間をかけて隅々までご覧になると、ゆっくりと振り返られた。
フランチェスカは永遠にも感じられるその間、全身全霊で祈った。
(神様……!)
「気に入った」
(……え?)
「殿下……畏れながら……それは……」
「だから、気に入った。とても良い」
極度の緊張と恐怖からいっぺんに解放されたフランチェスカの足が思わずふらついた。
(大公殿下が、気に入って下さった……!)
「殿下!お待ち下さい!このようなふしだ……いえ、前衛的な絵を王宮の肖像画の間に飾ることなど到底受け入れられませぬ!」
アカデミーの教授達は冷汗をかきながら必死に食い下がったが、殿下はさらりとお答えになった。
「好きにすれば良い。貴殿らの眼鏡に叶うお固いものも仕上げてあるとフランチェスカ嬢は申していたではないか。であればこの絵は大公家で私的に買い取るから心配いらん。何か問題があるか?」
そして再びカンヴァスのほうに向き直られると満足そうにうんうんと頷きながら呟かれた。
「……この表情が実に良い。まさに大公妃の美しさを完璧に描いている。見事な腕前だ」
「殿下、殿下、お止め下さいまし、こんなところで……恥ずかしいですわ」
真っ赤になったお顔を扇子で隠しながら夫君の暴走を制止しようとなさる妃殿下のお姿に気づいてフランチェスカはいささか申し訳なくなった。だがそこへ国王陛下が助け舟を出された。
「まあまあ大公妃、恥ずかしがる気持ちも分からなくはないが、確かにこの絵はとても良い出来だと私も思うよ。何というか、新しいものに果敢に挑戦する若さに満ち溢れていて、見る者が勇気づけられる」
ユージェニー王后陛下も少し拗ねたようなお口ぶりでこう仰った。
「ええ、素敵な絵よ、大公妃。……ずるいわローレンス、貴方達ばっかり。ねえレオ、わたくし来年の貴方の即位十周年の肖像画も、こういうふうに自由で自然な雰囲気で描いてもらいたいわ。ね、そうしましょ?」
「それもいいね。早速人選に入ろう」
アカデミーの教授達はそれでもまだ何かブツブツと不満を漏らしていたが、国王陛下のこのお言葉がその場を収められた。
「まあ、最終的にどちらを肖像画の間に掛けるかは、関係各所でおいおい話し合うこととしようではないか。確かに大変良い絵ではあるが、若干刺激が強いかもしれぬ。大公、異存はないな?」
「兄上の良きように」
それを機になんとなく部屋の空気がお開きになり、教授達はそれなりに納得して国王ご夫妻とともに退出していった。
その場に残されたフランチェスカに妃殿下がお声をかけられる。
「心臓が飛び出るかと思いましてよ、フランチェスカ」
「……あの、妃殿下……申し訳ございません……ただ私……」
やはり妃殿下はいたたまれないお気持ちであられただろうと、改めてフランチェスカは申し訳なく思ったが、妃殿下は普段通りのにこやかなお顔で静かにこう仰った。
「殿下が気に入って下さったのなら、それが一番ですから」
「妃殿下……」
そして辺りを窺いながら、声を潜めてこうお訊きになった。
「ねえ、フランチェスカ……わたくし、本当にあんな表情してまして?」
「はい、妃殿下」
「まあ……」
絶句してしまわれた妃殿下に、フランチェスカは心からの賛辞を込めてお答えした。
「でも妃殿下、私は心の底から妃殿下が羨ましゅうございます。私もいつか、私だけに口づけをくれるお人に出会いとうございます」
頬を紅潮させるフランチェスカに、妃殿下はにっこりと微笑まれた。
「きっと出会えますよ、フランチェスカ」
殿下は一言だけ仰った。
「見てたのか」
「……不敬は重々承知しておりましたが、あまりにお二人がお美しくてつい……」
首を竦めながらお答えすると、殿下はほんの少しお笑いになって、こう付け加えられた。
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