【完結】導く者に祝福を、照らす者には口づけを 〜見捨てられた伯爵夫人は高利貸しの愛で再び輝く〜

碓氷シモン

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最終章

54.王都を出るまでは

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 大公夫妻が王都を離れる日がやって来た。
 通常、王族は基本的に王宮で生活するが、今回は王家から譲渡された大公領での夫妻のお披露目も兼ねつつ、今後の地盤を固めるためにしばらく向こうに滞在する予定になっている。

 領都には王家所有の城があるが、なにぶん築年数が古いのでかなり大規模な改修工事が必要だろうし(まず何よりもボイラー完備の浴室は必須)、使用人の人数なども確認しなければならない。
 その他にも地元の経済人との面会や農地や街の視察や、最も重要な鉄鉱石の鉱山の調査など、やらねばならないことは山積みだ。
 だから王都に戻ってこられるのは最短でも半年後、今季の刈入れが終わって本格的な社交シーズンが始まった頃……いやもしかしたら来年以降になるかもしれない。

 王都のフィッツジェラルド邸はアランが管理してくれる。
 リリアーヌは大公領へ赴くにあたってアランも執事としてついて来てほしいと願ったのだが、アランは丁重に、だが頑固に王都に残ることを選んだ。
 心細さにしょんぼりするリリアーヌにローレンスはこう言った。

「アランの好きなようにさせてやってくれ。あいつはここを離れたくないんだろう。……俺の母がいたこの屋敷を」
「どういうことですか?」
 するとローレンスはこれは俺の推測でしかないんだが、と前置きしてからリリアーヌの思いもよらないことを言い出したのだ。

「たぶん……アランは俺の母に想いを寄せていたのではないかな」

「ええ?なぜそうお思いになるのですか?」

 驚くリリアーヌにローレンスは昔話をしてくれた。
「……昔一度だけ、母の墓に詣でているアランを見かけたことがある」

 それはローレンスがまだ街の小学校に通っていた頃の出来事だった。
 当時ローレンス少年はアランに付き添われて登校し、授業が終わる頃また迎えに来たアランと一緒に屋敷に帰るという生活をしていた。
 だがある日、教師の都合で予定外に授業が早く終了してしまった。

「しばらく教室でアランを待ってたんだが、退屈してきてしまった。それに大した距離じゃないし、たまには一人で歩いて帰ろうと思ったんだ。で、せっかくの機会だから普段と違う道を帰ろうと」
 ローレンスは街外れに向かって歩き出した。学校から屋敷まで普段と反対の道を通ると途中に墓地がある。ローレンスの母が眠っている墓地だ。

「前に話した通り俺は二才で母を亡くしてほとんど記憶がないから、正直母の墓にそんなに思い入れはない。学校であったことを考えながらぶらぶら歩いて墓地の前を通りかかった時、見たことのある人物がいるのにふと気がついた」

 アランだった。

「どうしてアランがこんなところにいるのかと思って声をかけようとしたら、彼が俺の母の墓の前でしゃがみこんでいるのに気がついた。手に一輪の花を持ってね。ピンク色の薔薇だった。その花に唇を寄せると母の墓に供え、その後何か話しかけながら墓石に刻まれた母の名を指でゆっくりなぞっていた。その時のアランの目にはうっすらと涙が浮かんでいた」
「ま……あ……」
「俺は子供心に見てはいけないものを見てしまったような気がして、抜き足差し足でその場を離れると走って屋敷に戻った。その夜アランから迎えに行くまで待っていなかったことをこっぴどく叱られた」
「そんなことが……」

 リリアーヌがその光景を脳裏に浮かべながら呟くと、ローレンスは絶対にアランに言うなよ、と念押ししてから続けた。

「俺も直接確かめた訳じゃないから確証はない。第一アランも口が裂けても認めないだろうが。……俺の母に対するアランの気持ちが同情だったのか憐憫れんびんだったのか恋慕だったのかは分からないが、何か思うところがあったんだろう。あいつも元はれっきとした近衛だからな。それに実のところ物心ついたばかりの幼児の頃から俺の世話はほとんどアランがしてくれていた。だからもしかしたら……この親子を引き取ったのが俺の親父でなく自分だったら……などと思っていたのかもしれん」

 そこまで話すとローレンスは静かに目を閉じて、昔を懐かしむような表情になった。リリアーヌはローレンスの肩に頭をもたせかけながらしみじみと言った。
「そうですか……では、アランさんには是が非でもこのままこのお屋敷にいて頂かなければ。これからは少し時間に余裕もできるでしょうから、心ゆくまで貴方のお母様とお話しできると良いですね」
「ああ。俺もそれを願っている」

 そして今日もアランは普段通り、懐中時計を片手に雑務を黙々とこなしている。

 フィッツジェラルド邸には大公夫妻との別れを惜しむ人々が集まっていた。
 コンスタンティン、エルヴィン、アビゲイル、商会の面々……
 ローレンスが王都を出発するまでは俺はただのローレンス・フィッツジェラルドだ、と言い渡したので、皆、二人を大公夫妻として扱わず、普段通りに接してくれた。

 アビゲイルが涙でグシャグシャの顔でリリアーヌをぎゅっと抱きしめる。
「お元気でね、リリアーヌさん……寂しくなるわ……うう……」
「アビゲイルさん、本当にお世話になりました。一緒にカフェに行く約束、果たせなくてごめんなさい……でもまたすぐに戻って来ますから」
「うう……待ってるわよ……」
 何か言おうとするが言葉にならないアビゲイルにジャンニがいつものように悪態をつく。
「ったく、こんなめでたい日にビービー泣くんじゃねえよ!リリアーヌさんが困ってるだろ!」
「う、うるさいね!あんたこそ女同士の会話に割り込んでくんじゃないよ!」
 その様子がリリアーヌの心をほっと温かくした。

 ローレンスはエルヴィンと固い握手を交わした。
 フィッツジェラルド商会から離れるにあたって、ローレンスはエルヴィンを後継者に指名した。その決定に異を唱える者は誰もいなかった。
 エルヴィンはあれ以来、商売の全てを学びたいと熱心にローレンスに訴えた。十三歳のローレンスが養父フィッツジェラルドの前で誓ったのと同じように。そしていつの間にか彼の右腕になっていたのだ。
「頼んだぞ、エルヴィン」
「任せといて下さい社長。俺がいればフィッツジェラルド商会は安泰っすよ!」
「……それが心配なんだがな」
 そう言いながらもローレンスの表情は柔らかく、若いエルヴィンの力を信頼していることが伝わってきた。
 いいさ、思い切りやってみればいい。失敗しても成功しても、その経験の全てがお前にしか作れない世界のいしずえになるはずだから。

 時間はあっという間に過ぎ、出発が近づいていた。

 コンスタンティンの手を取ったローレンスがしみじみと言う。
「世話になったな、コンスタンティン」
「俺、何かしたっけな?」
「全くお前は……俺がいなくても屋敷には自由に出入りしてくれて構わないからな。なんなら住んでもいいぞ」
 コンスタンティンはいつもの調子で答える。
「嫌だよこんな無駄に広い幽霊が出そうな屋敷……ああでも酒蔵の酒は俺が責任持って全部飲んどいてやるから心配するな」
「聞いたかアラン?酒蔵の鍵は絶対こいつに見つからないように隠しておいてくれ。最重要事項だ。いいな?」

 そう二人で笑いあった後、次にコンスタンティンはリリアーヌに向かい合った。堪え切れずリリアーヌが抱き着く。
「先生、先生……大好きです。本当に何から何まで、ありがとう……ありがとう……」
 最後は涙でよく聞き取れない。
「ローレンスを頼みましたよ、夫人。あいつはすぐ頭に血が昇って暴走するから。ね?」
「ええ……ええ……」
 コンスタンティンも渾身の力を込めてリリアーヌをぎゅうっと抱きしめて、最後はローレンスに引き剥がされた。

「では皆、世話になった。しばらく留守にするが、また会おう」
 そうローレンスが告げて馬車に乗ろうとした時。

 突然コンスタンティンが片膝を折ってひざまずいた。左手は真っすぐ体に沿わせ、右手は左胸にあてている。最上級の臣下の礼だ。他の人達も彼にならう。

「な、何だ急に……」

「大公殿下」

 全くの予想外のことに固まるローレンスに向かってコンスタンティンが頭を下げたまま、普段とはまるで違う改まった口調で語りかけた。

「王弟ローレンス・フィッツジェラルド大公殿下、リリアーヌ妃殿下。永きにわたる殿下のご友情に心から御礼申し上げます。そして今ここで我ら一同、子々孫々に至るまで大公家への忠誠をお誓い申し上げることをお許し下さい。お二人の行く末に幸あらんことを」

「……」
「……」

 沈黙の中、ローレンスがゆっくりとコンスタンティンに近寄った。その肩に手を添えて立ち上がらせる。そして力の限り幼馴染を抱きしめた。

「いきなり何をするんだお前は……俺を泣かすなよ……」
「……驚いたか?一度やってみたかったんだよ」
「……馬鹿野郎」
 そう言って笑い合う二人の男の目は真っ赤になっていた。

「皆も立ってくれ……ありがとう……これからも、よろしく頼む」
 リリアーヌの目からもとめどなく涙が溢れていた。

 王族は人前で涙を見せてはいけないと王后陛下から言われていたが、きっとこの時だけは大目に見て下さっただろう。
 なぜなら馬車が出発するまでは、彼女はただのリリアーヌ・オルフェウス=フィッツジェラルドだったのだから。
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