【完結】導く者に祝福を、照らす者には口づけを 〜見捨てられた伯爵夫人は高利貸しの愛で再び輝く〜

碓氷シモン

文字の大きさ
上 下
53 / 60
最終章

53.もう一つの夢

しおりを挟む
 その日、ローレンスとリリアーヌが全ての行事を終え、宮に戻ったのは深夜になってからだった。
 これから基本的には王宮の一角に与えられたこの宮と領地で生活することになる。

「疲れただろう」
 肘掛け椅子に座っていたリリアーヌをローレンスが後ろからそっと抱き締めた。
「ええ、少し。貴方もお疲れでしょう?お酒も相当召し上がってらしたし」
「酒はあれぐらいでは大したことはないが、やはり気疲れしたな」
「大したことない?あれで?わたくし貴方があんなにお酒に強いなんて思いませんでしたわ」
 ローレンスがははは、と小さく笑う。
「そうか?まあ、そうだな。人並みには飲めるほうだな」
 あの後、興奮して帰ろうとしない群衆の歓声に応えて数回バルコニーに出、それから息つく暇もなくリリアーヌはイヴニングドレスに着替えて晩餐会に出席した。その後はまた部屋に戻って舞踏会のドレスに着替えるという慌ただしさ。

 不意にリリアーヌはクスクス笑い出した。
「どうした?」
「ふふ……何でもないの。ただ貴方が……ふふ、無事に踊りきれて良かったと思って……ふ、うふふ……あはは……」
「もうその話は止めてくれ……死ぬかと思ったよ」

 舞踏会が始まると、否応なしに大公夫妻に会場全体の注目が集まった。
 最初の一曲はその日の主賓にあたるカップルが踊るのが慣例になっている。
 ダンスが下手過ぎてコンスタンティンに匙を投げられたローレンスだったが、愛する妻の願いを叶えてやりたいという執念と気合で三曲とも見事に踊りきったのだ。
「開き直ったのが良かったのかもしれないな」
「コンスタンティン先生にお見せしたかったわ」
「冗談じゃない。死ぬまでネタにされる」
 ローレンスは心底もう二度とご免だといった表情で呟いたが、リリアーヌはまだ笑っている。そして抱きしめられたまま後ろを振り向いてそっと囁いた。

「嬉しかったわ、ローレンス。夢が叶って」
「夢?」
「ええ……いつか王宮の舞踏会で愛する人と踊りたいという夢が」
「……そうか」
 ローレンスはリリアーヌの額にそっと唇を寄せた。
「ではこれから先も、俺にその夢を叶え続けさせてくれるか?」
「え?」
「今日、貴女と踊っている自分を、幸せだと思った。ステップを間違えないか心配で堪らなかったが、それ以上に貴方が俺と踊ることを本当に楽しみにしていてくれたことが伝わって来た。……だからこれからも、時々はこんな下手くそと踊ってくれるか?」
「ローレンス……本当に?これからもわたくしと踊って下さる?」
 リリアーヌの頬が思いがけない喜びに上気した。
「あ、ああ。ただし、時々な。あまり毎回だとそのうち調子に乗って貴女の足を踏みそうだから」
「構わないわ。貴方とまた踊れるなら、足ぐらい」
「そうか。ではまたコンスタンティン大先生に教えを乞おう。癪だがな」

 そう言いながらローレンスはリリアーヌの手元にあるものに視線を移した。

「……ところでそれは?」

 それは一冊のノートのような書物のような、不思議なものだった。がさっと分厚くて、あちこちから様々な色の糸や布の切れ端が覗いている。
「これですか?これは……わたくしのもう一つの夢、です」
「もう一つの夢?」
 怪訝な表情のローレンスにリリアーヌはそのノートを渡した。
「見てもよいのか?」
「もちろん」

 リリアーヌからノートを受け取って中身を確認するうちに、ローレンスの表情に明らかな驚きが浮かんできた。

 そこにまとめられていたのは様々な刺繍のサンプラーだった。図案とその紋様の意味、刺し方が詳細にまとめられ、絹や麻の地に実際に刺してある。
「これは……大したものだ。誰がこれを?」
「わたくしの実母ははです」
「貴女の御母上が?」
 ローレンスの驚きを隠せない声にリリアーヌが答えた。
「わたくしは五歳で伯爵家に引き取られてから実母ははとは一度も会っていないのですが、父はわたくしの結婚が決まった時、こっそり知らせに行ったそうです。その際に父に託されたとかで、実家を出る時に渡されました。母は根っからの刺繍職人でしたから、各地の伝統的な刺繍を地道に調査して、ここに入っているサンプラーを全て一人で作り上げたと父から聞いています」
「お一人で……凄いな」
「ええ」
 リリアーヌは頷くと、俯いて表紙をそっと撫でた。

「でもまだまだ未完成なのです。いつか……わたくしの手でこの資料を完成させることができたら、と思っているのですが……」

「やればいいじゃないか」

 ローレンスの力強い声にリリアーヌが顔を上げた。
「やりたいのならやればいい。遠慮は要らない。それにこれはとても価値のあるものだ。このまま埋もれてしまうには惜しい、貴重な資料だ」
「……良いのですか?本当にやる価値があると思って下さる?」
「勿論だ。元々ゴーディエ地方は手工芸が盛んな地域だと貴女が以前言っていたな。こういう学術的な資料があればこれも一つの産業の振興の起爆剤になるだろう。是非やってくれ。協力は惜しまない。向こうに行ったらすぐに手工芸ギルドの関係者と面会できるよう予定を組もう」

「嬉しいわ。ありがとう、殿
 リリアーヌは嬉しそうに言うと、背伸びをしてローレンスの頬にそっと口づけた。
「どういたしまして、
 ローレンスもいつものように微かに微笑んで、口づけを返した。

 ねえローレンス、お互いに『殿下』なんて呼ばれるようになったけれど、二人の間にあるものは何も変わらなかったわね。
 大丈夫、わたくしはここで生きていける。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。

さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。 忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。 「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」 気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、 「信じられない!離縁よ!離縁!」 深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。 結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

処理中です...