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最終章
50.震える指先
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その日、王宮にある広大な広間に集まった貴族達は落ち着かない様子で国王ご夫妻のお出ましを待っていた。
「いやはや驚きましたな。まさか陛下に弟君がおられたとは。しかもあの……」
「全くです。あの法外な利息が回り回って軍艦になっていたなど、だれが想像したでしょうな」
「左様。……まあ思うところはない訳ではないが、結果的に皆借金を清算して身軽になることができたのだから良しとすべきでしょう。それにあの利殖の才は国家にとって非常に有益だ」
「確かに。既に一部の貴族が面会を求めて私邸を訪れているともっぱらの噂ですぞ。我々も考えを改める必要がありそうですな」
ローレンスとリリアーヌはホールの反対側にある控室でその時を待っていた。重い扉を通してざわめきが時々伝わってくる。
「リリアーヌ、ちょっと」
窓から庭園をぼんやりと眺めていたリリアーヌは声をかけられて振り向いた。
「どうなさったの、ローレンス?」
「すまんがこのホックを嵌めてくれないか」
「ホック?」
「さっきから何度もやっているんだが、上手くいかん」
姿見の前に立っているローレンスに近づいたリリアーヌはどきりとした。
大きな手が小刻みに震えている。そのせいで首元のホックが上手く扱えないのだ。
「ローレンス、手が」
「あ……ああ……情けない話だが、震えが止まらないんだ」
「……大丈夫よ。少し屈んで下さる?」
小柄なリリアーヌに届くようにローレンスは腰を曲げ、顔を近づけた。
「できましたわ。さ、御覧になって」
そう明るく言うとリリアーヌはローレンスの身体の向きを変え、全身を姿見に映させた。
「とても素敵よ、ローレンス」
今日、ローレンスは王族の第一礼装である大礼服を身に纏っていた。純白の地に金の縁取りが施され、前見頃やカフスには王室の紋章が彫り込まれた豪華な金ボタンが二列に並んでいる。高い詰襟の首元を小さなホックで止め、房のついた金のモールが三本垂れて、右肩から胸を彩っていた。少し細身のトラウザーズも純白で、脇の縫い目のところに金のラインが入っている。
そして、ひときわ丁寧に櫛目を付けて撫で付けられた銀灰色の髪と濃い灰色の瞳が、窓からの日差しを受けて彫りの深い顔立ちを更に引き立てていた。
「こういう服装は嫌いなんだがな」
照れ隠しのように苦笑するローレンスに向かってリリアーヌは熱っぽく言った。
「そんなこと仰らないで。本当に素敵よ。もう何度見惚れたか分からないわ。よく似合ってらっしゃる……」
これは一切お世辞なしの本心だった。仮縫いの頃から数回見てはいたが、こうも完璧に着こなしてしまうとは。やはりこの人は生まれながらの王族だ。いくら商人のような形を装っても滲み出る品格は隠せない。
「そうか?何度見ても俺には金の首輪を付けたシギにしか見えないが」
ローレンスの喩えにリリアーヌは吹き出した。シギというのは河口によくいる足の長い白い鳥のことだ。
「も、もう、止めてローレンス!シギ……シギって……もう貴方ったら……」
涙目で大笑いするリリアーヌにつられてローレンスも吹き出し、二人はしばらく声を上げて笑い合った。
「貴女が似合うと言ってくれるのなら、たぶんそうなんだろう」
「少なくともシギではないわ。本当に、素敵よ」
「そうか……貴女が喜んでくれれば、それだけでもやる甲斐がある」
ひとしきり笑ったローレンスが真面目な顔になって呟いた。
「貴女は今日も美しいな」
ローレンスの賛辞にリリアーヌは思わず頬を染めた。
リリアーヌのドレスも宮廷服と呼ばれる女性の最高礼装である。ずっしりと重い純白の緞子に銀糸を編み込んだレースを重ねて、長い裳裾を引いている。肩からデコルテはぐっと開いて、短い袖はレースを三段に重ねてあった。その白い胸元にはプラチナの台座に大粒のエメラルドと真珠をあしらったネックレスが輝いている。
波打つ黒髪は結い上げようか迷ったのだが、下ろしたほうが良いという王后陛下の薦めに従って背中にゆるく垂らし、ネックレスと揃いの耳飾りを付けたリリアーヌは立っているだけで眩しいほどだった。
「こんなに肩を出したドレスは初めてですもの、恥ずかしいわ……」
「昨夜控えめにしておいて良かったな。また王后陛下にお目玉を喰らうところだった」
「……ローレンス!もう!こんな時に!」
昨夜、と言うのは云わずもがな、暴走して胸元にあまり目立つ痣をつけなくて良かった、という意味だ。
恥ずかしさのあまりプイッと背を向けたリリアーヌをローレンスが後ろからそっと抱きしめて囁いた。
「リリアーヌ、怖いんだ……」
「……」
「皆が俺を拒否したらと考えると怖い……今まで……誰かに受け入れてもらおうなんて思って生きてこなかった……だから今、とても怖い……俺に……できるだろうか……兄上を、貴女を失望させるかもしれないと思うと、怖くて堪らない……」
前に回した腕に白い手がそっと添えられた。
「できるわ、ローレンス。貴方なら」
「本当にそう思うか?」
リリアーヌは深く頷いた。背中に感じるローレンスの震えを鎮めるように。
「できるわ。貴方はローレンス・フィッツジェラルドよ。商会の皆さんもコンスタンティン先生もアランさんも、皆貴方を愛しているでしょう?それと同じよ。貴方は貴方のままでいればいいの。時間はかかるかもしれないけれど、いつか分かってもらえるわ」
抱き締める腕に少し力が込もった。
「……ありがとう……」
扉の向こうでファンファーレが鳴り響くのが聞こえて二人は振り返った。国王ご夫妻が広間に入られたのだ。この後陛下が演説をされ、太公位叙爵の宣下が下される。
控室の扉がノックされ、女官の声がした。
「そろそろお時間です。お出ましを」
二人は無言でテーブルに置かれていた手袋を取り身につけた。ローレンスは山羊革の短手袋、リリアーヌは極細のシルクで編まれた肘の上まであるロンググローブだ。
どちらからともなく両手を握り合う。
「愛している、リリアーヌ」
「愛しています、ローレンス」
その時がすぐそこまで来ていた。
「いやはや驚きましたな。まさか陛下に弟君がおられたとは。しかもあの……」
「全くです。あの法外な利息が回り回って軍艦になっていたなど、だれが想像したでしょうな」
「左様。……まあ思うところはない訳ではないが、結果的に皆借金を清算して身軽になることができたのだから良しとすべきでしょう。それにあの利殖の才は国家にとって非常に有益だ」
「確かに。既に一部の貴族が面会を求めて私邸を訪れているともっぱらの噂ですぞ。我々も考えを改める必要がありそうですな」
ローレンスとリリアーヌはホールの反対側にある控室でその時を待っていた。重い扉を通してざわめきが時々伝わってくる。
「リリアーヌ、ちょっと」
窓から庭園をぼんやりと眺めていたリリアーヌは声をかけられて振り向いた。
「どうなさったの、ローレンス?」
「すまんがこのホックを嵌めてくれないか」
「ホック?」
「さっきから何度もやっているんだが、上手くいかん」
姿見の前に立っているローレンスに近づいたリリアーヌはどきりとした。
大きな手が小刻みに震えている。そのせいで首元のホックが上手く扱えないのだ。
「ローレンス、手が」
「あ……ああ……情けない話だが、震えが止まらないんだ」
「……大丈夫よ。少し屈んで下さる?」
小柄なリリアーヌに届くようにローレンスは腰を曲げ、顔を近づけた。
「できましたわ。さ、御覧になって」
そう明るく言うとリリアーヌはローレンスの身体の向きを変え、全身を姿見に映させた。
「とても素敵よ、ローレンス」
今日、ローレンスは王族の第一礼装である大礼服を身に纏っていた。純白の地に金の縁取りが施され、前見頃やカフスには王室の紋章が彫り込まれた豪華な金ボタンが二列に並んでいる。高い詰襟の首元を小さなホックで止め、房のついた金のモールが三本垂れて、右肩から胸を彩っていた。少し細身のトラウザーズも純白で、脇の縫い目のところに金のラインが入っている。
そして、ひときわ丁寧に櫛目を付けて撫で付けられた銀灰色の髪と濃い灰色の瞳が、窓からの日差しを受けて彫りの深い顔立ちを更に引き立てていた。
「こういう服装は嫌いなんだがな」
照れ隠しのように苦笑するローレンスに向かってリリアーヌは熱っぽく言った。
「そんなこと仰らないで。本当に素敵よ。もう何度見惚れたか分からないわ。よく似合ってらっしゃる……」
これは一切お世辞なしの本心だった。仮縫いの頃から数回見てはいたが、こうも完璧に着こなしてしまうとは。やはりこの人は生まれながらの王族だ。いくら商人のような形を装っても滲み出る品格は隠せない。
「そうか?何度見ても俺には金の首輪を付けたシギにしか見えないが」
ローレンスの喩えにリリアーヌは吹き出した。シギというのは河口によくいる足の長い白い鳥のことだ。
「も、もう、止めてローレンス!シギ……シギって……もう貴方ったら……」
涙目で大笑いするリリアーヌにつられてローレンスも吹き出し、二人はしばらく声を上げて笑い合った。
「貴女が似合うと言ってくれるのなら、たぶんそうなんだろう」
「少なくともシギではないわ。本当に、素敵よ」
「そうか……貴女が喜んでくれれば、それだけでもやる甲斐がある」
ひとしきり笑ったローレンスが真面目な顔になって呟いた。
「貴女は今日も美しいな」
ローレンスの賛辞にリリアーヌは思わず頬を染めた。
リリアーヌのドレスも宮廷服と呼ばれる女性の最高礼装である。ずっしりと重い純白の緞子に銀糸を編み込んだレースを重ねて、長い裳裾を引いている。肩からデコルテはぐっと開いて、短い袖はレースを三段に重ねてあった。その白い胸元にはプラチナの台座に大粒のエメラルドと真珠をあしらったネックレスが輝いている。
波打つ黒髪は結い上げようか迷ったのだが、下ろしたほうが良いという王后陛下の薦めに従って背中にゆるく垂らし、ネックレスと揃いの耳飾りを付けたリリアーヌは立っているだけで眩しいほどだった。
「こんなに肩を出したドレスは初めてですもの、恥ずかしいわ……」
「昨夜控えめにしておいて良かったな。また王后陛下にお目玉を喰らうところだった」
「……ローレンス!もう!こんな時に!」
昨夜、と言うのは云わずもがな、暴走して胸元にあまり目立つ痣をつけなくて良かった、という意味だ。
恥ずかしさのあまりプイッと背を向けたリリアーヌをローレンスが後ろからそっと抱きしめて囁いた。
「リリアーヌ、怖いんだ……」
「……」
「皆が俺を拒否したらと考えると怖い……今まで……誰かに受け入れてもらおうなんて思って生きてこなかった……だから今、とても怖い……俺に……できるだろうか……兄上を、貴女を失望させるかもしれないと思うと、怖くて堪らない……」
前に回した腕に白い手がそっと添えられた。
「できるわ、ローレンス。貴方なら」
「本当にそう思うか?」
リリアーヌは深く頷いた。背中に感じるローレンスの震えを鎮めるように。
「できるわ。貴方はローレンス・フィッツジェラルドよ。商会の皆さんもコンスタンティン先生もアランさんも、皆貴方を愛しているでしょう?それと同じよ。貴方は貴方のままでいればいいの。時間はかかるかもしれないけれど、いつか分かってもらえるわ」
抱き締める腕に少し力が込もった。
「……ありがとう……」
扉の向こうでファンファーレが鳴り響くのが聞こえて二人は振り返った。国王ご夫妻が広間に入られたのだ。この後陛下が演説をされ、太公位叙爵の宣下が下される。
控室の扉がノックされ、女官の声がした。
「そろそろお時間です。お出ましを」
二人は無言でテーブルに置かれていた手袋を取り身につけた。ローレンスは山羊革の短手袋、リリアーヌは極細のシルクで編まれた肘の上まであるロンググローブだ。
どちらからともなく両手を握り合う。
「愛している、リリアーヌ」
「愛しています、ローレンス」
その時がすぐそこまで来ていた。
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