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第五章
38.追憶
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数時間前に通った道を戻り、馬車の前までたどり着いたリリアーヌは心底疲れ切っていた。
(疲れたわ……)
だが馬車に乗ろうとした時、いつものように差し出されたローレンスの手をリリアーヌは無意識に振り払った。
ローレンスは一瞬悲しそうな顔をしたが何も言わず、屋敷へ帰りつくまでの間、二人は一言も口をきかず馬車の中で居心地悪く座っていた。
屋敷についた時もリリアーヌはローレンスの助けを振り切り、一人でさっさと馬車を降りて玄関の奥へ進んだ。
「リリアーヌ」
速足で追いかけて来たローレンスに呼び止められたが、リリアーヌは振り向かずこう言い放って、階段を昇った。
「疲れました。しばらく一人にして下さい」
そのまま客室に戻ると真新しいドレスと何枚も重ねたペチコートを乱暴に脱ぎ捨て、靴は蹴りとばし髪を振りほどいて、コルセットとドロワーズだけの姿で寝台に身を投げる。
今日聞かされた言葉が、切れ切れに蘇ってきた。
(……弟……言ってなかったのか……式までには……私のせいで……王族に……大公妃……覚悟……)
「何なの、それ」
不意に猛烈に腹が立ってきた。
(いい年してご兄弟で勝手に拗らせて、お涙頂戴で仲直りして、大公ですって?わたくしは蚊帳の外ですか。ああそう、良く分かりましたわ)
悔しさのあまり、両目に涙が滲んだ。住み慣れた部屋の輪郭がぼける。
「酷いわ、ローレンス様も陛下も……こんな時に仰らなくても……もうすぐ結婚式なのに……」
リリアーヌは枕を顔に押し当てて、すすり泣きが外に漏れないように歯を食いしばった。
「お二人とも、また残されたのか?」
アランはお盆の上で冷え切って乾燥した料理に目を落とした。
「どうしましょう、アランさん。私の料理そんなに不味かったんだろうか?」
オロオロしながらアランに問うているのはフランシス。リリアーヌが臥せっていた時にアビゲイルが不便だろうとローレンスに紹介してくれた料理人だ。
「もうこれで三日も、お二人ともほとんどお食事をとられてません……このままだとお身体が」
「貴方の料理のせいではないよ、フランシス。落ち着いて」
ローレンスとリリアーヌが王宮から戻って来てから三日が経っていた。あれ以来二人は一切口をきかずずっと互いの居室に籠ったままで、食事もほとんど手を付けていない。
アランは事前の書簡のやり取りであの日二人が国王に面会したことまでは把握しているが、何を話したのかまでは当然、知る由もなかった。
同時に、自分もかつて宮中に身を置いていた者として、外野が口出しできる問題ではないことも理解していた。
(ローレンス様も頑固だが、リリアーヌ殿もああ見えて相当な頑固者であられる……何とかお二人で話し合う機会が持たれると良いのだが)
リリアーヌは東屋に先客がいるのを認めた。
(!……ローレンス様がなぜここに……っと、部屋へ戻りましょう)
その日、王都ではその冬最後になりそうな雪が降った。
ほとんど積もりはしなかったが、裏庭は白一色になった。
三日間、客室に閉じ籠っていたリリアーヌだが、いい加減外の空気を吸いたくなって裏庭までやって来た。するとガーデンチェアにローレンスが腰かけているのに気付いたのだった。
いつもの黒っぽい三つ揃いを纏い、椅子にかけて足を組み、両腕を身体の前で組んで目を閉じている。
ゆっくりと向きを変えてローレンスに気づかれないように部屋へ戻ろうとしたリリアーヌだったが、生憎の雪で白く覆われた植木の根に躓き、思わずきゃっと声を上げてしまった。
その声に顔を上げたローレンスとリリアーヌの目が合った。
「あ……」
二人の視線が交錯する。
ローレンスが目を伏せた。
今までわたくしから目を逸らすなんてこと、なかったのに。突然リリアーヌは、どかどかと急ぎ足で東屋に近づいた。
だがいざローレンスの前に辿り着くと頭が真っ白になって、あ、とかう、とか、意味不明な言葉しか出てこない。
ローレンスも困った顔で視線をあちこちに泳がせていたが、やがて意を決して声をかけた。
「良かったら、ちょっと座らないか」
仕方なさそうな様子で(内心ほっとしながら)リリアーヌはローレンスの横に腰かけた。だがローレンスの着ている服の布地が手に触れるとさっと顔色を変えてローレンスに詰め寄った。
「ローレンス様!いつからここにいらっしゃるのですか!お召し物がこんなに冷たくなって!」
ローレンスはああ、と今気づいたようにポケットから懐中時計を取り出すと時間を確認してぼそりと呟いた。
「ああ、もうこんな時間か……一時間ぐらいかな」
「一時間⁉︎ こんな薄着で⁉︎……も、もう、何をお考えになってらっしゃるの⁉︎ 風邪を引きますわ、とにかくこれを」
リリアーヌは焦って自分がかけていたショールを外すとローレンスの肩にかけようとしたが、ローレンスはそれを押しとどめた。
「俺がこれを使ってしまったら、貴女が冷えてしまうだろう。俺なら大丈……」
「大丈夫ではありません!全くもう……どうしてそう無理ばっかりなさるの……」
しばらく押し問答が続いてから、ローレンスが観念したように言った。
「分かった……では、二人で包まろう……それではダメか?」
「あ、あら……そ、そうですわね。それなら……」
リリアーヌは赤くなると、ショールの片方を自分の肩に掛け、もう片方でローレンスの肩を包み込んだ。今日のショールは特大サイズなので、二人で肩を寄せてすっぽりと入ることができる。
そのまま二人とも無言のままの時間が続いたが、やがてリリアーヌが口を開いた。
「何をお考えになっていたのですか?」
「あ、いや……これからのことを考えようと思っていたんだが、過去のことばかり思い出してしまって考えがまとまらん」
「過去のこと?」
「ああ。忘れようとしていたことばかりなんだが、人間そう簡単にはいかないな。……リリアーヌ、もし嫌でなければなんだが、俺の家族の話をしてもいいだろうか?」
「……構いませんわ。考えてみるとわたくし貴方のこと、ほとんど知りませんでした。いい機会かもしれませんね」
ローレンスはほっとした顔になった。
「長い話だから、途中で寒くなったら言ってくれ」
そう言うと記憶の糸を辿るような表情になり、静かに話を始めた。
「俺の母親は俺が二歳の頃に亡くなっているんだが、その時、彼女はいくつだったと思う?」
「見当もつきませんわ」
「……十七だ」
「‼︎ 」
「俺が産まれたいきさつは、この前聞いたとおりだ」
「ええ……」
「母クララは俺を身ごもった時、まだ十四歳だった。そして十五で俺を産み、十七歳で自ら命を絶った」
「そんな……」
ローレンスは寂しそうに笑うと、話を続けた。
(疲れたわ……)
だが馬車に乗ろうとした時、いつものように差し出されたローレンスの手をリリアーヌは無意識に振り払った。
ローレンスは一瞬悲しそうな顔をしたが何も言わず、屋敷へ帰りつくまでの間、二人は一言も口をきかず馬車の中で居心地悪く座っていた。
屋敷についた時もリリアーヌはローレンスの助けを振り切り、一人でさっさと馬車を降りて玄関の奥へ進んだ。
「リリアーヌ」
速足で追いかけて来たローレンスに呼び止められたが、リリアーヌは振り向かずこう言い放って、階段を昇った。
「疲れました。しばらく一人にして下さい」
そのまま客室に戻ると真新しいドレスと何枚も重ねたペチコートを乱暴に脱ぎ捨て、靴は蹴りとばし髪を振りほどいて、コルセットとドロワーズだけの姿で寝台に身を投げる。
今日聞かされた言葉が、切れ切れに蘇ってきた。
(……弟……言ってなかったのか……式までには……私のせいで……王族に……大公妃……覚悟……)
「何なの、それ」
不意に猛烈に腹が立ってきた。
(いい年してご兄弟で勝手に拗らせて、お涙頂戴で仲直りして、大公ですって?わたくしは蚊帳の外ですか。ああそう、良く分かりましたわ)
悔しさのあまり、両目に涙が滲んだ。住み慣れた部屋の輪郭がぼける。
「酷いわ、ローレンス様も陛下も……こんな時に仰らなくても……もうすぐ結婚式なのに……」
リリアーヌは枕を顔に押し当てて、すすり泣きが外に漏れないように歯を食いしばった。
「お二人とも、また残されたのか?」
アランはお盆の上で冷え切って乾燥した料理に目を落とした。
「どうしましょう、アランさん。私の料理そんなに不味かったんだろうか?」
オロオロしながらアランに問うているのはフランシス。リリアーヌが臥せっていた時にアビゲイルが不便だろうとローレンスに紹介してくれた料理人だ。
「もうこれで三日も、お二人ともほとんどお食事をとられてません……このままだとお身体が」
「貴方の料理のせいではないよ、フランシス。落ち着いて」
ローレンスとリリアーヌが王宮から戻って来てから三日が経っていた。あれ以来二人は一切口をきかずずっと互いの居室に籠ったままで、食事もほとんど手を付けていない。
アランは事前の書簡のやり取りであの日二人が国王に面会したことまでは把握しているが、何を話したのかまでは当然、知る由もなかった。
同時に、自分もかつて宮中に身を置いていた者として、外野が口出しできる問題ではないことも理解していた。
(ローレンス様も頑固だが、リリアーヌ殿もああ見えて相当な頑固者であられる……何とかお二人で話し合う機会が持たれると良いのだが)
リリアーヌは東屋に先客がいるのを認めた。
(!……ローレンス様がなぜここに……っと、部屋へ戻りましょう)
その日、王都ではその冬最後になりそうな雪が降った。
ほとんど積もりはしなかったが、裏庭は白一色になった。
三日間、客室に閉じ籠っていたリリアーヌだが、いい加減外の空気を吸いたくなって裏庭までやって来た。するとガーデンチェアにローレンスが腰かけているのに気付いたのだった。
いつもの黒っぽい三つ揃いを纏い、椅子にかけて足を組み、両腕を身体の前で組んで目を閉じている。
ゆっくりと向きを変えてローレンスに気づかれないように部屋へ戻ろうとしたリリアーヌだったが、生憎の雪で白く覆われた植木の根に躓き、思わずきゃっと声を上げてしまった。
その声に顔を上げたローレンスとリリアーヌの目が合った。
「あ……」
二人の視線が交錯する。
ローレンスが目を伏せた。
今までわたくしから目を逸らすなんてこと、なかったのに。突然リリアーヌは、どかどかと急ぎ足で東屋に近づいた。
だがいざローレンスの前に辿り着くと頭が真っ白になって、あ、とかう、とか、意味不明な言葉しか出てこない。
ローレンスも困った顔で視線をあちこちに泳がせていたが、やがて意を決して声をかけた。
「良かったら、ちょっと座らないか」
仕方なさそうな様子で(内心ほっとしながら)リリアーヌはローレンスの横に腰かけた。だがローレンスの着ている服の布地が手に触れるとさっと顔色を変えてローレンスに詰め寄った。
「ローレンス様!いつからここにいらっしゃるのですか!お召し物がこんなに冷たくなって!」
ローレンスはああ、と今気づいたようにポケットから懐中時計を取り出すと時間を確認してぼそりと呟いた。
「ああ、もうこんな時間か……一時間ぐらいかな」
「一時間⁉︎ こんな薄着で⁉︎……も、もう、何をお考えになってらっしゃるの⁉︎ 風邪を引きますわ、とにかくこれを」
リリアーヌは焦って自分がかけていたショールを外すとローレンスの肩にかけようとしたが、ローレンスはそれを押しとどめた。
「俺がこれを使ってしまったら、貴女が冷えてしまうだろう。俺なら大丈……」
「大丈夫ではありません!全くもう……どうしてそう無理ばっかりなさるの……」
しばらく押し問答が続いてから、ローレンスが観念したように言った。
「分かった……では、二人で包まろう……それではダメか?」
「あ、あら……そ、そうですわね。それなら……」
リリアーヌは赤くなると、ショールの片方を自分の肩に掛け、もう片方でローレンスの肩を包み込んだ。今日のショールは特大サイズなので、二人で肩を寄せてすっぽりと入ることができる。
そのまま二人とも無言のままの時間が続いたが、やがてリリアーヌが口を開いた。
「何をお考えになっていたのですか?」
「あ、いや……これからのことを考えようと思っていたんだが、過去のことばかり思い出してしまって考えがまとまらん」
「過去のこと?」
「ああ。忘れようとしていたことばかりなんだが、人間そう簡単にはいかないな。……リリアーヌ、もし嫌でなければなんだが、俺の家族の話をしてもいいだろうか?」
「……構いませんわ。考えてみるとわたくし貴方のこと、ほとんど知りませんでした。いい機会かもしれませんね」
ローレンスはほっとした顔になった。
「長い話だから、途中で寒くなったら言ってくれ」
そう言うと記憶の糸を辿るような表情になり、静かに話を始めた。
「俺の母親は俺が二歳の頃に亡くなっているんだが、その時、彼女はいくつだったと思う?」
「見当もつきませんわ」
「……十七だ」
「‼︎ 」
「俺が産まれたいきさつは、この前聞いたとおりだ」
「ええ……」
「母クララは俺を身ごもった時、まだ十四歳だった。そして十五で俺を産み、十七歳で自ら命を絶った」
「そんな……」
ローレンスは寂しそうに笑うと、話を続けた。
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