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第五章

35.兄と弟、父と息子

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「どうした?」
 ローレンスが、レオとローレンスを交互にチラチラ見て何か言いたそうにしているリリアーヌに気づいて声を掛けた。
「陛下、畏れながら、発言してもよろしいでしょうか……?」
 遠慮がちに言葉を発したリリアーヌにレオは穏やかに言った。
「ここは本当に限られた人間しかその存在を知らない部屋で、ここにいる間は僕は完全な私人だから、発言するのに許可は必要ないよ。なんなら敬語も止めてほしいくらいだ」
「お心遣い、感謝いたします」
 リリアーヌは続けた。
「先王陛下は、もし生まれて来る子が女児だったらどうなさるおつもりだったのでしょう。女児であれば、王女として宮中で育てられる可能性もあったのでしょうか?」
「いい質問だね、リリアーヌ嬢」
 レオが流石、といった表情で頷いた。
「当然父は、起こり得る全ての可能性を考えただろうね。性別は産まれてみないと分からないし、そもそも二人とも無事に産まれるという保証もないしね」

 王が考えた筋書きはこういったものだった。

 一番都合が良いのは、王妃は無事に出産し、クララの子供は死産、できればクララも出産の際に命を落とすこと。そうすれば全ては闇に葬られる。
 王妃の子供が男児でクララの子供が女児、あるいは王妃もクララも女児を出産した場合、クララの子供は一切王室とは関わらせず、フィッツジェラルドの元におく。もし将来隣国へ誰か王女を嫁がせる必要が出てきたらその時に表に出せば良い。王女など所詮は持ち駒、修道院にいただとか何だとか、いくらでも言い訳は立つ。

 最悪なのは、王妃が女児を、クララが男児を出産することだった。

「その場合、どうなさるおつもりだったのでしょう?」
 レオは平然と答えた。
「たぶん、クララの子供は産まれた時点で始末されただろうね」
 そして膝の上でスカートをきつく握りしめているリリアーヌに気づくと、こう付け加えた。
「王家に産まれる子供は、ただ祝福されるだけの存在ではないんだよ」

 残る可能性は一つ。王妃もクララも、ともに男児を出産した場合だ。
「その時点で、クララの息子は父と王室にとってかなり厄介な、それでいて重要な存在になってしまう。分かるよね?」
 リリアーヌは頷いた。
「この先王室に男児が生まれることはあまり期待できそうにない。となると必然的に王太子は僕になる。でも僕が成人する前に夭折してしまったら?誰か代わりが必要だ。であればクララの息子は生かしておいたほうが良い」
 レオが言葉を続ける。
「でも何事もなく王太子が成長して世継ぎが擁立されたら、クララの息子はもう不要だ。その時もし反王派勢力に王の隠し子の存在に気づかれたら?彼らに焚きつけられて王位継承権を要求されたら?」

 つまりクララの息子はは生かしておいたほうが得策かもしれないが、不要になった場合は速やかに消せる状態にしておかねばならなかった。

 そして月が満ち、王妃は男児を出産した。第一王子の誕生に、国中が喜びに包まれた。
 数か月後、もう一人の赤子がひっそりと産声を上げた。男児だった。

「父王は内心、産まれてくるのが女児であることを祈っていただろうね。でも男児だった以上、王家の将来に影を落とす可能性は排除しておく必要があるし、フィッツジェラルドの動きも押さえておきたかった」
「……どういうことでしょうか」
「だから監視を付けた」
「監視?」
 ローレンスが答えた。
「常に俺と親父の近くにいてその動向を王に注進する間者で、俺が王家にとって利用価値のある間は保護する護衛で、面倒なことになりそうな時は躊躇なく殺す刺客、そういう役目だ」
「誰のことか分かるかい?」
 レオに質問されたが見当もつかないリリアーヌに向かって、ローレンスがぼそりと言った。

「貴女も良く知っている人間だよ」

 リリアーヌは、あ、と小さな声を上げた。
「まさか、アランさん……ですか?」
 ローレンスは横顔で頷いた。

「だがフィッツジェラルドの行動には、王家に懸念を抱かせるようなものは微塵もなかった。それどころか彼はクララと息子を引き取ることへの見返りに父王から宮廷への出入りを許されると、それを足掛かりに次々と大口の顧客を獲得し、あれよあれよという間に大商人になった。そして裏社会の高利貸しで得た莫大な利益を惜しげもなく王室に寄進した。フィッツジェラルドが先王にとって非常に存在になるのに多くの時間は必要なかった」
 レオが再び話し始めた。

 しばらくは平穏な日々が続いた。レオは王太子として宮廷の奥深くで、ローレンスは王都のはずれにフィッツジェラルドが新しく購入した広大な屋敷で育った。
 ローレンスが三歳になろうとする頃、突然マキシム国王がローレンスを宮中に連れて来るようフィッツジェラルドに命じた。
 王家の子供は、幼少期につきあう友人すら、自由に選ぶことはできない。両親である王と王妃や養育係、身の回りの世話をする女官などが、将来の王たる人間にとって役に立つ人間か、臣下として傍に置くに足る人間かを吟味した上で、初めて交友を持つことができる。

 ローレンスはレオと血の繋がった兄弟であるということを伏せて、その友人の輪に加わされたのだった。
「先王様にとっては危険な賭けだったのではと思いますが……?」
「それなんだよ。父はどこか詰めが甘いというか、どうにも悪人になり切れないところがあってね。僕の友人の一人として、というのは建前で、本当は父自身が息子に会いたかっただけなんじゃないかと思う」

「陛下ご自身はどうお思いでしたか?」

 リリアーヌの問いに、レオの顔がぱっと明るくなった。
「それがね、僕は一目見てローレンスのことが気に入ってしまったんだ。その頃のローレンスといったらもう食べてしまいたいほど可愛くってさ……」
「陛下」
 弾んだ声でローレンスの幼少時代を事細かに語り始めようとした瞬間に低い声で牽制されてしまったレオはしゅん、と残念そうな顔になった。
「まあ、初めてできた自分より年下の友達だったからね。宮廷では常に女官に囲まれてて、両親が選ぶ友人も皆年上のしっかりした子ばかりで、ちょっとうんざりしていた。それに結局両親に二人目の子供が産まれたのは僕が六歳になってからで、王女だったから。だから単純に弟ができたようで嬉しかったよ。ローレンスもその頃は僕を慕ってくれてたし」

 それをきっかけに、ローレンスはフィッツジェラルドに連れられて時折王宮を訪れるようになった。レオは他の子供からは当然『王子』『殿下』と呼ばれていたが、ローレンスに限ってはその呼び方を許さず、『兄様』と呼ぶよう命じたほどの溺愛ぶりだった。
 二人の関係を知っている先王、フィッツジェラルド、モルダー医師がそのことにどんな感情を抱いていたのかは、今となっては知る由もない。

「そうそう、初めローレンスはまだ小さすぎて、『にいさま』と言えなくてね、『にいたま』と呼ぶのが精一杯だったんだよ。ね、可愛いだろう~?」
「陛下。もうその話はよいではないですか。陛下も色々やらかされましたでしょう?ここで暴露いたしましょうか?」
 そんな王とローレンスとのやり取りを傍で見ていたリリアーヌは、自分が今人生最大の衝撃的な局面に立たされている時であるにも関わらず、二人の姿をどこか微笑ましいと思ってしまった。

 幼い二人は、国家や大人の思惑などを超えた血の温もりを肌で感じていたのだろう。

 そのまま表面上は何事もなく過ぎた。が、10年後、レオが13歳で士官学校に入学したことを契機に二人の運命の歯車が再び動き出す。
 レオがリリアーヌに声をかけた。
「リリアーヌ嬢、思いもかけない話が続いて疲れただろう。大丈夫かい?」
「は、はい、恐れ入ります。わたくしは大丈夫でございます」
 レオは静かに頷いた。その表情が子供時代の思い出を語るものではなくなっていることにリリアーヌは気づいた。
「では、ここから先はあまり楽しい話ではないが、続けさせてもらうね」
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