上 下
34 / 60
第五章

34.忌まわしい秘密

しおりを挟む
 現国王レオ三世の父、先王マキシム五世は若い頃、好色王として名を馳せていた。
 王太子時代から様々な女性と浮名を流し、危うく決闘沙汰になりかけたことも少なくなかったと言う。
 王として即位し、隣国の王女を王妃に迎えて多少は落ち着いたと思われていたのだが、ある時、王宮で働く一人の小間使いの少女が王の目に留まった。
 小間使いと言っても彼女は貴族ではなく、ほとんど下働きに近いものであったので、いつどこで王が彼女と出会ったのかは今となっては知る由もない。

「それがローレンスの母親だ。名は……何と言ったかな」
「……クララでございます」
「そう、クララだ」
 国王はローレンスに頷くと話を続けた。

「当時、既に正式な後宮制度は廃止されていたが、王の寵愛を受けた女性は愛妾として堂々と宮廷に留まっていたし、非嫡出子が生まれることも珍しくはなかった。貴族の親達には自分の出世の道具に娘を進んで差し出す人間も少なくなかったしね。ただ残念なことに、クララは身分が低すぎたのと、時期が悪かった」

 どれほど没落した家であっても、貴族の生まれであれば王ももう少し大っぴらにクララを王宮に置くこともできただろうが、流石に身寄りのない平民の下働きが相手では分が悪かった。
 それに王自身、そこまでクララをどうこうするつもりはなく、一時の手慰み程度にしか思っていなかったのだろう。
 そして遂に悲劇が起こった。ある時、クララが王宮の一室で片づけものをしていると、突然マキシムが部屋に入って来て、クララに襲い掛かったのだ。

「‼︎」

 両手で口を覆って息を呑み込むリリアーヌに、レオは申し訳なさそうに言った。
「我が父ながら、本当に恥ずかしいよ。だがもう少し我慢して聞いてくれるかい?」
 リリアーヌが頷くと、レオが話を続けた。

 マキシムはクララを突然羽交い絞めにすると壁に押し付け、何が起こっているのか分からず涙を流して怯えているクララにこう囁いたという。
 ……私は王だ。王に逆らえばどうなるかわかっているな?
 そして慌ただしく自分の欲望を満たすと、そのまま部屋を出て行った。

「そんな……」
 リリアーヌは王の御前であることも一瞬忘れて涙ぐんだ。
「酷い話だよ。その時の父は自分がどれだけ罪深いことをしているのかなんて、考えることさえしなかったんだろう。王は一時の欲望をそうやって満足させると、その日以来クララのことなどすっかり忘れてしまった。だが、それでは終わらなかった」

 ここでレオは一旦リリアーヌのほうへ向き直ると、またしても衝撃的な質問をリリアーヌに投げた。

「少し話が逸れるが、リリアーヌ嬢、宮中には表向きの御典医とは別に裏医者、と呼ばれる人間がいるのを知っているかい?」
「えっ?」
 リリアーヌは再び絶句した。全く、今日はどうしてこんなことばかり聞かされるのだろう。
「まあ、知っている訳がないよね。リリアーヌ嬢、宮中というのはそういう所なんだ。魑魅魍魎ちみもうりょうの巣窟とでも言えばいいか……」

 宮中に出入りする貴族の目的は、ほぼ同じ。男であれば出世、女であれば王あるいは高位貴族を仕留めることだ。それゆえ常に陰謀と嫉妬と足の引っ張り合いが渦巻き、時には悲劇が起こる。
「男同士の争いはまだ救いがある。肉体的に傷ついてそれで終わることがほとんどだからね。決闘だとか、狩りの場に紛れてとか……でもご婦人同士のいさかいは、本人の身体の傷だけでは済まないことも多い」
 貴族の、とりわけ若い未婚の令嬢の評判を落とす一番手っ取り早い方法は、にしてしまうことだ。だから皆、密かに奸計を巡らせて標的を追い詰める。
 下手人は誰でも良い。三角関係に狂った伯爵夫人がその令嬢に横恋慕している男をけしかけたり、あるいはごろつきに金を握らせて暴漢に襲われた体を装ったり、方法は様々だ。

 その結果、何が起きるか。
 まず、嫁入り前に身体をよごされたと知った親は娘の評判を落とす訳にはいかないともみ消しに走る。これはまだ金の力で何とでもできる。そしてその令嬢は素知らぬ顔で親が決めた許嫁の元へ嫁いでゆく。
 だがそうではない最悪の場合は……身体をよごされただけでは済まない。そう、身ごもってしまったら。
「もっともこれは若い令嬢に限った話ではなく、既婚の貴婦人でも日常茶飯事だ。火遊びの結果とか、夫の出世を盾に脅されてやむを得ず、とかね。そういった表に出せない諸々を処理するために秘密裏に宮中に出入りしている町医者がいる」
 そこまで聞いていたリリアーヌは、ふとローレンスの方を向いた。誰か心当たりがあるのだろう。

「そう、コンスタンティンだ。モルダー家は代々、宮廷の裏医者を拝命している」

 ローレンスは相変わらずリリアーヌを見ようとせず、前を向いたまま答えた。

 当時はコンスタンティンの父、先代のモルダーが裏医者を務めていた。
 王がクララを手籠めにしてから数か月が過ぎ、そのことを王自身がすっかり忘れてしまった頃、モルダー医師のところにある女官が一人の少女をこっそり連れて来た。
 この子は王宮で下働きをしているのだが、最近、人目を避けて吐いているところを見かけた。まさかとは思うが、身ごもっているのではないだろうか、と。
 診察の結果、確かにクララは妊娠していた。相手が誰なのか、クララは決して口を割らなかった。だがクララを連れて来た女官がモルダー医師に囁いた名を聞いて、彼は真っ青になった。
 実はその女官は、くだんの王がクララを手籠めにしている現場をこっそり目撃してしまっていたのだ。

 彼女はこう言った。王は悲鳴を上げることも忘れているクララのスカートを後ろからまくり上げ、あのをいいようにいたぶって、顔色一つ変えず事に及ばれました。このようなまだ子供と言ってもいい少女に、なんという酷いことをなさるのか……わたくしは黙って見て見ぬふりをすることなどできません、と。
 クララが襲われた日と胎児の月齢から計算すると、ぴたりと合う。モルダーは確信した。
 この少女は、生まれて初めての、意に染まぬたった一度の行為で身ごもってしまったのだ。しかも、一国の王の子を。

「ローレンス、聞きたくなければ部屋の外に出ていても……」
「いえ、お続け下さい」
 レオの言葉をローレンスは短く遮った。

 モルダー医師は、急ぎこのことを王に告げた。
 当初、王はクララのことを覚えてすらいなかったが、女官の証言を聞くと顔色が変わり、事実を認めた。
 これは大変なことになってしまった……とモルダー医師は頭を抱えた。
「ちょうどその時王妃の懐妊が発表されたばかりで、出産を半年後に控えていた。それはつまり僕のことなのだけど」
 レオの一人称がいつの間にかからに変わっていた。

 というのも、先王夫妻にはなかなか子が授からず、王妃の懐妊の報せは国中が一日千秋の思いで待ちわびていたまたとない慶事だったからだった。
 ようやく安定期を迎えた王妃の喜びと重圧は常人には想像しがたいものだっただろう。そんな時にあろうことか国王が平民の下働きの少女に手を出して孕ませるなど、到底まかり通ることではなかった。
 このままだと王妃の出産からあまり時を置かずして、クララも出産を迎えてしまう。もしこのことが王妃や世間に知られたら、一大事だ……
「さっき僕が言った時期が悪かったというのは、こういう訳だ。当然、父は大いに困って色々考えた。モルダー医師に命じてお腹の子ともどもクララを始末してしまうこともできたのだが、父はそうしなかった。父の頭にある考えが浮かんだんだ」

 王はこう考えた。王妃はなかなか懐妊しなかった。ということはこの先、次の子供は期待できないかもしれない。それに生まれて来る子供が無事に成人まで育つとは限らない。
 王家の正統な跡継ぎには何かあった時のが必要だ。殺すのはいつでもできる。。誰にも事実を知らせず、子供の存在も明らかにせず、どこか自分の目の届くところでひっそりと、利用価値がなくなるまで……と。

 そして王はモルダー医師にこう持ち掛けた。
 真実を全て知った上で、その下働きと腹の子を自分の妻と実子として引き受けられる男はいないか。
 口が固く、忠義に厚く、そして己の野望のために宮中に出入りするきっかけを欲しがっている、そんな平民の男がいい、心当たりはないか、と。
 モルダー医師はしばらく考えて答えた。

「一人だけ、陛下のお望みに叶いそうな者がおります」

「それが」
「俺の親父、フィッツジェラルドだ」

 レオの言葉を受け取り、その部屋に入って初めて、ローレンスがリリアーヌに視線を向けて言った。

 当時フィッツジェラルドは王都でおこした海運業が軌道に乗り始め、新たな販路の開拓のために貴族や王族とのコネを欲しがっていた。
 彼はいわゆる一匹狼で、人付き合いも仕事に必要なこと以外ほとんどせず、当時すでに四十を迎えようとしていたが、女っ気は全くない。まさにうってつけの男だった。
 モルダー医師はフィッツジェラルドを伴って王宮に赴き、秘密裏に国王と面会させた。一部始終を聞き終えて、彼は一言だけ言った。
「承知いたしました」とだけ。

 そしてその翌日にはクララは密かに王宮を出て、フィッツジェラルドの妻になっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

聖女召喚された科捜研の女~異世界科学捜査で玉の輿を狙う

青の雀
ファンタジー
分析オタクのリケジョ早乙女まりあは、テレビドラマに憧れ京都府警の科捜研の研究員となる。 京大院生との合コンの日、面白半分で行われた魔方陣によって異世界へ召喚されてしまうハメに 今は聖女様は間に合っていると言われ、帰る手立てもなく、しばらく異世界で分析を満喫することにする 没落した貴族の邸宅を自宅兼研究室、ならびに表向き料理屋をすることにして、召喚の慰謝料代わりに分捕った。 せっかく異世界へ来たのだから、魔法という非科学的なものを極めたいとポジティヴな主人公が活躍する 聖女様と言えども今は用なしの身分だから、平民と同じだけど邸宅だけは貴族仕様 かりそめの貴族ライフを楽しみつつ、異世界で巻き起こる様々な事件を現代科学の粋で解決に導く……予定です ついでにイケメン騎士団長や王弟殿下のハートを射止めることができるのか!?

永遠の隣で ~皇帝と妃の物語~

ゆる
恋愛
「15歳差の婚約者、魔女と揶揄される妃、そして帝国を支える皇帝の物語」 アルセリオス皇帝とその婚約者レフィリア――彼らの出会いは、運命のいたずらだった。 生まれたばかりの皇太子アルと婚約を強いられた公爵令嬢レフィリア。幼い彼の乳母として、時には母として、彼女は彼を支え続ける。しかし、魔法の力で若さを保つレフィリアは、宮廷内外で「魔女」と噂され、婚約破棄の陰謀に巻き込まれる。 それでもアルは成長し、15歳の若き皇帝として即位。彼は堂々と宣言する。 「魔女だろうと何だろうと、彼女は俺の妃だ!」 皇帝として、夫として、アルはレフィリアを守り抜き、共に帝国の未来を築いていく。 子どもたちの誕生、新たな改革、そして帝国の安定と繁栄――二人が歩む道のりは困難に満ちているが、その先には揺るぎない絆と希望があった。 恋愛・政治・陰謀が交錯する、壮大な愛と絆の物語! 運命に翻弄されながらも未来を切り開く二人の姿に、きっと胸を打たれるはずです。 ---

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

チューリップと画家

中村湊
恋愛
 画家の育成が盛んなソンラル王国。王宮の画家たちが住む居住区で、侍女として働いているアイリス。  絵画には特に興味がない彼女が、唯一、興味もった絵があった。描いた画家のモーネスと、王宮の画家居住区で初めて出逢う。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】私のことを愛さないと仰ったはずなのに 〜家族に虐げれ、妹のワガママで婚約破棄をされた令嬢は、新しい婚約者に溺愛される〜

ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
とある子爵家の長女であるエルミーユは、家長の父と使用人の母から生まれたことと、常人離れした記憶力を持っているせいで、幼い頃から家族に嫌われ、酷い暴言を言われたり、酷い扱いをされる生活を送っていた。 エルミーユには、十歳の時に決められた婚約者がおり、十八歳になったら家を出て嫁ぐことが決められていた。 地獄のような家を出るために、なにをされても気丈に振舞う生活を送り続け、無事に十八歳を迎える。 しかし、まだ婚約者がおらず、エルミーユだけ結婚するのが面白くないと思った、ワガママな異母妹の策略で騙されてしまった婚約者に、婚約破棄を突き付けられてしまう。 突然結婚の話が無くなり、落胆するエルミーユは、とあるパーティーで伯爵家の若き家長、ブラハルトと出会う。 社交界では彼の恐ろしい噂が流れており、彼は孤立してしまっていたが、少し話をしたエルミーユは、彼が噂のような恐ろしい人ではないと気づき、一緒にいてとても居心地が良いと感じる。 そんなブラハルトと、互いの結婚事情について話した後、互いに利益があるから、婚約しようと持ち出される。 喜んで婚約を受けるエルミーユに、ブラハルトは思わぬことを口にした。それは、エルミーユのことは愛さないというものだった。 それでも全然構わないと思い、ブラハルトとの生活が始まったが、愛さないという話だったのに、なぜか溺愛されてしまい……? ⭐︎全56話、最終話まで予約投稿済みです。小説家になろう様にも投稿しております。2/16女性HOTランキング1位ありがとうございます!⭐︎

処理中です...