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第五章
32.貴方は誰
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ローレンスとリリアーヌの結婚式が二か月後に迫ったある日、フィッツジェラルド邸に来客があった。
開け放たれた厨房のドアをノックする音にリリアーヌが振り向くと、コンスタンティンが立って手を振っている。
「まあ先生、いらっしゃいませ」
「こんにちは、リリアーヌ嬢」
腰を屈めて大袈裟にお辞儀をするリリアーヌと、同じく右手を胸にあててうやうやしく礼をするコンスタンティン。
「ローレンスいるかい?事務所に寄ったら今日はもう屋敷に帰ったと言われたんだけど」
「はい、執務室に。どうぞ二階へお上がり下さいませ。すぐにお茶を」
「……いや、お茶はいいよ。自分でやるから」
「でも……」
「うん、本当に大丈夫だから。……それよりリリアーヌ嬢、いつも忙しそうだね。たまにはどこかに出かけてゆっくり羽を伸ばしたらどうかな?」
いつもと違う、何か含みのあるコンスタンティンの言葉にリリアーヌは首を捻ったが、あ、と小さく呟いた。
コンスタンティンはローレンスと二人きりで話がしたいのだ。そしてその内容はたぶんリリアーヌに聞かれたくないことなのだろう。
意図を瞬時に理解したリリアーヌは、にっこりと笑ってコンスタンティンに答えた。
「まあ先生、どうしてわたくしの考えていることがお分りになるのかしら。実は市場の角に新しいパン屋が出来て、一度行ってみたいと思ってましたの」
「ああ、あそこね。うんうん、是非行ってきたらいい」
リリアーヌはいそいそとエプロンを外しながら言った。
「では先生、申し訳ありませんが1時間ほど留守をお願いしてもよろしいですか?」
コンスタンティンは片目をつぶって答えた。
「十分だよ。楽しんでおいで」
「お前の婚約者殿は聡い人だな」
執務室の肘掛け椅子に腰かけながらコンスタンティンはローレンスに言った。
デスクで新聞を読んでいたローレンスが目線を上げる。
「何だ急に」
「いや、俺とお前との間に聞かれたくない話があるんだろうということを瞬時に見抜いて、気持ちよく出かけてくれた。話が早くて助かる」
「当たり前だ。俺の婚約者を誰だと思ってる。そんなことより聞かれたくない話って何だ」
コンスタンティンはゆっくりとデキャンタからブランデーをグラスに注ぎ、一口味わってからおもむろに口を開いた。
「今日、王宮に行ってきた」
その言葉を聞いた瞬間、ローレンスの眉間にぎゅうっと皺が寄った。
「……それはリリアーヌに聞かせたくない以前に、俺が聞きたくない話だ。わざわざ言いに来たということは……そういうことだな?」
「ああ、特に用はないが、ただ呼ばれたから行ってきた」
「……」
ローレンスは暫く考え込んでから顔を上げた、コンスタンティンの視線とぶつかる。
「あれのことか」
観念したように言って、背中越しに親指でドアの向こうを指す。あれ、というのが何を指すのか、当然二人には分かっていた。リリアーヌだ。
「正解」
「コレか?」
今度は頭の両脇に人差し指を立てる。怒っているのか、とのゼスチャーだ。
「いや、怒ってはいない。仲間外れにされて拗ねているというところかな」
コンスタンティンは天気の話でもするような声で答えた。
「言う必要はない」
「お前がそうでも、向こうはそうじゃないらしい」
ローレンスは椅子の背にもたれると、大きな溜息をついた。コンスタンティンは涼しい顔でグラスのブランデーの香りを楽しんでいる。
「あーーーーーーーーっ!」
突然ローレンスの叫び声が執務室に響いて、コンスタンティンは飛び上がった。
「何だよいきなり。驚かせるなよ」
「分かったよ。会わせればいいんだろ、リリアーヌを」
「だろうな。もう腹を括れ。リリアーヌ嬢なら大丈夫だ。お前よりずっと肝が据わってるよ」
「それは分かってはいるんだが」
煮え切らない態度のローレンスを見ていたコンスタンティンはははん、という顔をした。
「何だその顔は」
「……お前、リリアーヌ嬢を宮廷の人間に見せたくないんだろう。特に貴族の男達に」
「!」
「ま、気持ちは分からんでもない。皆、間違いなく色めきたつだろうからな。あの美しい令嬢は誰だ、ってな。そりゃあ心配だ」
「……そうじゃない」
珍しく歯切れの悪いローレンスの反応に、コンスタンティンの眉がぴくりと上がった。
「お前まさか……まだ話してないのか?リリアーヌ嬢に」
「……」
「隠して結婚するつもりじゃないだろうな?」
「……」
「ローレンス!」
「分かってる。式までには話す。それから会わせようと……」
「そりゃ無理だろう」
あーあ、といった表情でコンスタンティンが椅子に頭を預ける。
「知らんぞ、どうなっても」
「放っておいて欲しいんだよ俺は」
「だとしてもリリアーヌ嬢には話しておく必要があるだろう。死ぬまでこうやって逃げ続けるのか?」
「……分かってると言ってるだろ」
そのまま黙ってしまったローレンスの姿をコンスタンティンはしばらく見つめていたが、やがて静かにグラスをおいて立ち上がった。
「とにかく俺は伝えるべきことは伝えた。あとはお前とリリアーヌ嬢の問題だ。ちゃんと話し合え」
「……ああ。向こうには俺から連絡する。わざわざすまなかったな、コンスタンティン」
「全くだ。ブランデー一杯じゃ割が合わんよ。じゃあな」
コンスタンティンは執務室を出て行きざまにローレンス、と声をかけた。
「……いい加減意地を張るのを止めろ。運命からは逃れられん。お前の役割を果たせ」
その夜リリアーヌはローレンスからこう質問された。
「貴女は社交界にはデビューしていないと言っていたな」
「はい」
王国では通常、貴族の子女は16歳になると成人とみなされる。
毎年秋に開催されるデビュタントと呼ばれる舞踏会の席で、貴族社会へのお披露目を迎えるのだ。
国中の貴族の令息、令嬢が一堂に集まり、一人一人国王夫妻の前に歩み出てお言葉を賜ることで正式に社交界への出入りが認められるようになる。
令息にとっては将来の出世の、令嬢にとっては嫁ぎ先の足掛かりとなる、人生で最初にして最大の重要なイベントだと言っても過言ではない。
だがそれは同時に、陰謀と甘言と悪意と嫉妬が渦巻く貴族社会の闘いの場へ足を踏み入れる最初の一歩でもあった。
当然リリアーヌの元にも招待状は届けられていたが、以前ローレンスに話したとおりオルフェウス伯爵家の経済状況は火の車で、一人娘の社交界デビューにふさわしい支度を整える金など逆さにして振っても出せなかった。それで結局リリアーヌは出席とも欠席とも返事を出さないまま、気が付くと舞踏会の日は過ぎてしまっていた。
「両親は酷く落ち込んでおりましたけれど、わたくし自身はそんなことのためにこれ以上借金を重ねてほしくありませんでしたし……それに当時既に水面下でマテオとの縁談が進んでおりましたから、わざわざ結婚相手を見つけるためだけに王都まで行こうとは思えませんでしたの。ただ舞踏会で皆さんがお召しになるドレスにどんな刺繍がされているのか、この目で見られないことだけは残念でした」
リリアーヌは特にそのことに何の感情も持っていないような口調で答えた。
「なるほど」
「あの、ローレンス様、それが何か?」
なぜ今になってそんな昔のことを訊いてくるのか、ローレンスの真意がわからない。
「……いや」
そう短く答えたローレンスは、一瞬躊躇ってから意を決したようにリリアーヌに言った。
「来週の水曜の午後、空けておいてくれ」
「水曜、でございますか?承知しました」
わざわざ日付や時間を指定されることなど滅多にないのに、どうされたのだろう。リリアーヌはそれほどまでに重要な用事なのか不思議だったが、何も訊かずに返事をした。
必要だと判断されたら話して下さるだろう、ローレンス様はそういうお方だ、と。
週が明け、指定された水曜の午後になった。
珍しくローレンスはリリアーヌの服装に細かく口を出し、リリアーヌは言われるままに新しく作ったばかりのヴィジティングドレスに袖を通した。
それはリリアーヌの瞳の色に寄せた少し灰色がかった緑の光沢のあるタフタ生地で、高い立ち襟のついた胴着と膨らんだ袖に、スカートは最大限たっぷりと襞を取った二枚重ねで、上のスカートは腰の後ろでたくし上げてボリュームを出してある。
そして下のスカートは角度によって色が変わる変わり織りの生地がゆったりと裾を引き、同色のオーガンジーのリボンで作った蝶結びがいくつも飾られているという凝ったデザインで、その年に仕立てたドレスの中でも特に格が高く高価なものだった。
髪はまだ少し長さが心もとなかったがなんとか一つに纏め、細い金細工の台に真珠が編み込まれた櫛を刺す。
そしてこれもローレンスの指示で、バックルのついた繻子のヒールを履き、山羊革の手袋を嵌め、バッグには絹の扇子をしのばせた。
(こんなに正装して、どこへ行くのかしら……)
鏡の中の自分をまるで他人のように感じながら玄関へと降りていったリリアーヌだったが、そこにいたローレンスの姿を見ると全てを理解した。
ローレンスが纏っていたのは最高級の濃紺の絹地にびっしりと刺繍を施した上着とジレと細身のトラウザーズで、襟元には純白のタイをふんわりと結び、折り返しのついた長靴を履いている。
いつも無造作に顔に垂らしている銀灰色の髪も今日はぴったりと櫛目を入れて撫でつけられていて、そのせいで左頬の傷跡が際立っていたが、その豪華な服装と相反するにもかかわらず、全身から何とも近寄り難い品格が溢れていた。
更に玄関先に停まっていたのはいつも商会への行き帰りに使っている一頭立ての小ぶりの馬車ではなく、全体に豪華な装飾が施された四頭立ての大型馬車だった。
「……王宮、ですか?」
小さな声で尋ねたリリアーヌの問いにはローレンスは答えず、ただ黙って手を貸してリリアーヌを馬車に乗せ、自分も乗り込むと向かい合わせに座った。
軽い鞭の音がして、馬車が動き出した。
(ローレンス様がお仕事で王宮に出入りされているのは知っていたけれど、わたくしを同伴されるということは、今日はお仕事ではないということ?)
王宮への道すがらもローレンスは言葉を発さず、その沈黙に押されてリリアーヌも言葉を飲み込んでただ座っていることしかできなかったが、途中、一度だけローレンスが口を開いた。
「リリアーヌ」
「はい」
「……今日これから貴女は、色々なことを見たり聞いたりするだろう。だが一つだけ……俺が貴女を心から愛しているということだけは信じていてほしい」
リリアーヌが目線を上げると、そこには思いつめた表情のローレンスの瞳があった。
「……はい」
開け放たれた厨房のドアをノックする音にリリアーヌが振り向くと、コンスタンティンが立って手を振っている。
「まあ先生、いらっしゃいませ」
「こんにちは、リリアーヌ嬢」
腰を屈めて大袈裟にお辞儀をするリリアーヌと、同じく右手を胸にあててうやうやしく礼をするコンスタンティン。
「ローレンスいるかい?事務所に寄ったら今日はもう屋敷に帰ったと言われたんだけど」
「はい、執務室に。どうぞ二階へお上がり下さいませ。すぐにお茶を」
「……いや、お茶はいいよ。自分でやるから」
「でも……」
「うん、本当に大丈夫だから。……それよりリリアーヌ嬢、いつも忙しそうだね。たまにはどこかに出かけてゆっくり羽を伸ばしたらどうかな?」
いつもと違う、何か含みのあるコンスタンティンの言葉にリリアーヌは首を捻ったが、あ、と小さく呟いた。
コンスタンティンはローレンスと二人きりで話がしたいのだ。そしてその内容はたぶんリリアーヌに聞かれたくないことなのだろう。
意図を瞬時に理解したリリアーヌは、にっこりと笑ってコンスタンティンに答えた。
「まあ先生、どうしてわたくしの考えていることがお分りになるのかしら。実は市場の角に新しいパン屋が出来て、一度行ってみたいと思ってましたの」
「ああ、あそこね。うんうん、是非行ってきたらいい」
リリアーヌはいそいそとエプロンを外しながら言った。
「では先生、申し訳ありませんが1時間ほど留守をお願いしてもよろしいですか?」
コンスタンティンは片目をつぶって答えた。
「十分だよ。楽しんでおいで」
「お前の婚約者殿は聡い人だな」
執務室の肘掛け椅子に腰かけながらコンスタンティンはローレンスに言った。
デスクで新聞を読んでいたローレンスが目線を上げる。
「何だ急に」
「いや、俺とお前との間に聞かれたくない話があるんだろうということを瞬時に見抜いて、気持ちよく出かけてくれた。話が早くて助かる」
「当たり前だ。俺の婚約者を誰だと思ってる。そんなことより聞かれたくない話って何だ」
コンスタンティンはゆっくりとデキャンタからブランデーをグラスに注ぎ、一口味わってからおもむろに口を開いた。
「今日、王宮に行ってきた」
その言葉を聞いた瞬間、ローレンスの眉間にぎゅうっと皺が寄った。
「……それはリリアーヌに聞かせたくない以前に、俺が聞きたくない話だ。わざわざ言いに来たということは……そういうことだな?」
「ああ、特に用はないが、ただ呼ばれたから行ってきた」
「……」
ローレンスは暫く考え込んでから顔を上げた、コンスタンティンの視線とぶつかる。
「あれのことか」
観念したように言って、背中越しに親指でドアの向こうを指す。あれ、というのが何を指すのか、当然二人には分かっていた。リリアーヌだ。
「正解」
「コレか?」
今度は頭の両脇に人差し指を立てる。怒っているのか、とのゼスチャーだ。
「いや、怒ってはいない。仲間外れにされて拗ねているというところかな」
コンスタンティンは天気の話でもするような声で答えた。
「言う必要はない」
「お前がそうでも、向こうはそうじゃないらしい」
ローレンスは椅子の背にもたれると、大きな溜息をついた。コンスタンティンは涼しい顔でグラスのブランデーの香りを楽しんでいる。
「あーーーーーーーーっ!」
突然ローレンスの叫び声が執務室に響いて、コンスタンティンは飛び上がった。
「何だよいきなり。驚かせるなよ」
「分かったよ。会わせればいいんだろ、リリアーヌを」
「だろうな。もう腹を括れ。リリアーヌ嬢なら大丈夫だ。お前よりずっと肝が据わってるよ」
「それは分かってはいるんだが」
煮え切らない態度のローレンスを見ていたコンスタンティンはははん、という顔をした。
「何だその顔は」
「……お前、リリアーヌ嬢を宮廷の人間に見せたくないんだろう。特に貴族の男達に」
「!」
「ま、気持ちは分からんでもない。皆、間違いなく色めきたつだろうからな。あの美しい令嬢は誰だ、ってな。そりゃあ心配だ」
「……そうじゃない」
珍しく歯切れの悪いローレンスの反応に、コンスタンティンの眉がぴくりと上がった。
「お前まさか……まだ話してないのか?リリアーヌ嬢に」
「……」
「隠して結婚するつもりじゃないだろうな?」
「……」
「ローレンス!」
「分かってる。式までには話す。それから会わせようと……」
「そりゃ無理だろう」
あーあ、といった表情でコンスタンティンが椅子に頭を預ける。
「知らんぞ、どうなっても」
「放っておいて欲しいんだよ俺は」
「だとしてもリリアーヌ嬢には話しておく必要があるだろう。死ぬまでこうやって逃げ続けるのか?」
「……分かってると言ってるだろ」
そのまま黙ってしまったローレンスの姿をコンスタンティンはしばらく見つめていたが、やがて静かにグラスをおいて立ち上がった。
「とにかく俺は伝えるべきことは伝えた。あとはお前とリリアーヌ嬢の問題だ。ちゃんと話し合え」
「……ああ。向こうには俺から連絡する。わざわざすまなかったな、コンスタンティン」
「全くだ。ブランデー一杯じゃ割が合わんよ。じゃあな」
コンスタンティンは執務室を出て行きざまにローレンス、と声をかけた。
「……いい加減意地を張るのを止めろ。運命からは逃れられん。お前の役割を果たせ」
その夜リリアーヌはローレンスからこう質問された。
「貴女は社交界にはデビューしていないと言っていたな」
「はい」
王国では通常、貴族の子女は16歳になると成人とみなされる。
毎年秋に開催されるデビュタントと呼ばれる舞踏会の席で、貴族社会へのお披露目を迎えるのだ。
国中の貴族の令息、令嬢が一堂に集まり、一人一人国王夫妻の前に歩み出てお言葉を賜ることで正式に社交界への出入りが認められるようになる。
令息にとっては将来の出世の、令嬢にとっては嫁ぎ先の足掛かりとなる、人生で最初にして最大の重要なイベントだと言っても過言ではない。
だがそれは同時に、陰謀と甘言と悪意と嫉妬が渦巻く貴族社会の闘いの場へ足を踏み入れる最初の一歩でもあった。
当然リリアーヌの元にも招待状は届けられていたが、以前ローレンスに話したとおりオルフェウス伯爵家の経済状況は火の車で、一人娘の社交界デビューにふさわしい支度を整える金など逆さにして振っても出せなかった。それで結局リリアーヌは出席とも欠席とも返事を出さないまま、気が付くと舞踏会の日は過ぎてしまっていた。
「両親は酷く落ち込んでおりましたけれど、わたくし自身はそんなことのためにこれ以上借金を重ねてほしくありませんでしたし……それに当時既に水面下でマテオとの縁談が進んでおりましたから、わざわざ結婚相手を見つけるためだけに王都まで行こうとは思えませんでしたの。ただ舞踏会で皆さんがお召しになるドレスにどんな刺繍がされているのか、この目で見られないことだけは残念でした」
リリアーヌは特にそのことに何の感情も持っていないような口調で答えた。
「なるほど」
「あの、ローレンス様、それが何か?」
なぜ今になってそんな昔のことを訊いてくるのか、ローレンスの真意がわからない。
「……いや」
そう短く答えたローレンスは、一瞬躊躇ってから意を決したようにリリアーヌに言った。
「来週の水曜の午後、空けておいてくれ」
「水曜、でございますか?承知しました」
わざわざ日付や時間を指定されることなど滅多にないのに、どうされたのだろう。リリアーヌはそれほどまでに重要な用事なのか不思議だったが、何も訊かずに返事をした。
必要だと判断されたら話して下さるだろう、ローレンス様はそういうお方だ、と。
週が明け、指定された水曜の午後になった。
珍しくローレンスはリリアーヌの服装に細かく口を出し、リリアーヌは言われるままに新しく作ったばかりのヴィジティングドレスに袖を通した。
それはリリアーヌの瞳の色に寄せた少し灰色がかった緑の光沢のあるタフタ生地で、高い立ち襟のついた胴着と膨らんだ袖に、スカートは最大限たっぷりと襞を取った二枚重ねで、上のスカートは腰の後ろでたくし上げてボリュームを出してある。
そして下のスカートは角度によって色が変わる変わり織りの生地がゆったりと裾を引き、同色のオーガンジーのリボンで作った蝶結びがいくつも飾られているという凝ったデザインで、その年に仕立てたドレスの中でも特に格が高く高価なものだった。
髪はまだ少し長さが心もとなかったがなんとか一つに纏め、細い金細工の台に真珠が編み込まれた櫛を刺す。
そしてこれもローレンスの指示で、バックルのついた繻子のヒールを履き、山羊革の手袋を嵌め、バッグには絹の扇子をしのばせた。
(こんなに正装して、どこへ行くのかしら……)
鏡の中の自分をまるで他人のように感じながら玄関へと降りていったリリアーヌだったが、そこにいたローレンスの姿を見ると全てを理解した。
ローレンスが纏っていたのは最高級の濃紺の絹地にびっしりと刺繍を施した上着とジレと細身のトラウザーズで、襟元には純白のタイをふんわりと結び、折り返しのついた長靴を履いている。
いつも無造作に顔に垂らしている銀灰色の髪も今日はぴったりと櫛目を入れて撫でつけられていて、そのせいで左頬の傷跡が際立っていたが、その豪華な服装と相反するにもかかわらず、全身から何とも近寄り難い品格が溢れていた。
更に玄関先に停まっていたのはいつも商会への行き帰りに使っている一頭立ての小ぶりの馬車ではなく、全体に豪華な装飾が施された四頭立ての大型馬車だった。
「……王宮、ですか?」
小さな声で尋ねたリリアーヌの問いにはローレンスは答えず、ただ黙って手を貸してリリアーヌを馬車に乗せ、自分も乗り込むと向かい合わせに座った。
軽い鞭の音がして、馬車が動き出した。
(ローレンス様がお仕事で王宮に出入りされているのは知っていたけれど、わたくしを同伴されるということは、今日はお仕事ではないということ?)
王宮への道すがらもローレンスは言葉を発さず、その沈黙に押されてリリアーヌも言葉を飲み込んでただ座っていることしかできなかったが、途中、一度だけローレンスが口を開いた。
「リリアーヌ」
「はい」
「……今日これから貴女は、色々なことを見たり聞いたりするだろう。だが一つだけ……俺が貴女を心から愛しているということだけは信じていてほしい」
リリアーヌが目線を上げると、そこには思いつめた表情のローレンスの瞳があった。
「……はい」
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