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第三章
23.生きてこそ
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その夜、リリアーヌの診察のためにコンスタンティンが屋敷を訪れた。
元々リリアーヌは口数がかなり少ないほうだが、その日はいつも以上に黙りこくったままだった。
診察が終わるとコンスタンティンは寝台の横の椅子にゆっくりと腰かけてリリアーヌに笑顔を向けた。
「さて、どうしたね?」
「……先生……」
「もう限界だって顔をしてるよ?」
「そんなに酷い顔してますか、わたくし?」
「うん、してる。顔だけじゃない、ずっと思っていたのだけど、体調がなかなか回復しないのは、何か辛いことがあるからだよね?」
「……」
「あの時の恐怖から抜け出せない?」
「……少しはありますが、それほど負担にはなっていないと思います」
「じゃあ、マテオ、だっけ?奴に復讐したい?」
「いいえ。むしろ、どうでもいいとしか」
「……ローレンスが憎い?」
「‼︎ 」
いきなり直球を振られて、リリアーヌは答えに詰まった。だがコンスタンティンはリリアーヌから目を逸らさず、なおも言葉を続けた。
「あいつのことを恩人だなんて思う必要はないんだよ。むしろ、今回のことで一番責められるべきはあいつだ。全てあいつの身勝手さが招いたことで、貴女は巻き添えを食らっただけだ。そうだろ?」
「違うんです、先生。憎いんじゃなくて、わたくし……辛いんです」
「何が辛いの?」
思わずコンスタンティンの言葉を否定したリリアーヌの瞳を、コンスタンティンが捉える。
「いいんだよ。言ってごらん。言ってくれないとわからないよ?前にも言ったよね、僕は医者だから、患者の何が痛いのか何が苦しいのか、知る必要があるんだ」
リリアーヌは俯いて、涙声で呟いた。
「わたくし……その日が来るのが辛いのです……いつか、ローレンス様のお側にいられなくなる日が来るのが……その日が来るのが分かっているのに、ローレンス様が優しくして下さるのが、辛くて……」
「そっか」
「借金を完済したら、わたくしはもうここにいる理由がありません……ここを出て、ローレンス様の……いない人生を生きていくことなんて、できない……でも、いつまでもこのままではいられないことも分かっているんです……」
「うんうん、それから?」
「マテオは……今でも書類上はわたくしの夫です……彼は意地でもわたくしを手放そうとはしないと思います……ならば、わたくしが自由になれる日は来ない……わたくしの人生って、いったい何なのでしょう……」
そこまで話し終わるとリリアーヌは、もう耐えられないとでも言うように目を閉じた。コンスタンティンはその目の下に酷い隈ができていることにも当然気がついていた。
「そうか、つまり君は、その時が来たらローレンスが貴女を放り出すと思っているんだね?そうなるとマテオの元に帰るしかない、と」
「……」
「それについてローレンスと何か話したかい?」
「いいえ。ただ今日、あまりに辛くてつい死ねば良かったと言ってしまったら、次に言ったら殺してやると言われました……」
「はあ?あいつ、バカじゃないの?」
コンスタンティンは心底呆れた声で叫ぶと、慰めるような口調でリリアーヌに言った。
「それは恐かったね……しかしどうしてそんな会話になったのか、良かったら話してくれないかい?」
そこでリリアーヌは午後の一件を詳しくコンスタンティンに話した。用があったら呼べと言われていたのについ無理をして結果的に迷惑をかけてしまったこと、うんざりだと言われたこと、それでつい言い合いになってしまったこと、それから……
その間コンスタンティンは腕を組んで天井を見上げ、うーん、と考えを巡らせていたが、リリアーヌが話し終わると溜息をついて頭を掻いた。
「そうか……」
「愚かだったと悔やんでいます。ローレンス様はきっとわたくしに失望なさったでしょう」
「うーん、それは違うと思うよ?」
「?」
リリアーヌが怪訝な顔になる。
「ローレンスはあんな見た目だから誤解されがちだけど、根はかなりの世話好きなんだよね」
「世話好き……あ、でも商会の社員の皆様のことはいつも気にかけていらっしゃいますね。事務所に食堂があっていつも温かい食事が取れますし、誰かが結婚されたり子供が生まれたりした時は必ずお祝いを渡されてますわ」
「良く見てるね、流石」
コンスタンティンはふざけて口笛を吹いた。
「だからね、あいつは貴女の世話がしたいんだよ。世話……というか、辛い思いをさせた贖罪もあるかな。なのに貴女は遠慮ばかりしてちっとも思い通りに世話されてくれない。それが却ってローレンスは自分が責められているように感じてしまう。だから自分に腹を立てているのさ。まあそこで貴女に当たるのも心得違いだけどね。男ってのはそんなもんだよ」
「贖罪なんて……そんなことこれっぽっちも求めておりませんのに……」
「貴女がそういう人だということは良く分かってるよ。でもね、もう少し甘えてやってくれないか。僕も男だから、あいつのつまらない自尊心も理解できるんだ。それに医者の意見としても、貴女は無理をし過ぎてる。ここ最近のことだけじゃない、もう数年来ずっと心が休まらない生活をして来たんだろう?良くないよ。いい機会だから、一度ゆっくり休むんだ」
「……」
「リリアーヌ嬢」
「はい」
「生きてこそ、だよ」
「生きてこそ……」
「そう」
リリアーヌが繰り返すとコンスタンティンが静かに頷いた。
「……あまり僕の口から詳しくは言えないけれど、ローレンスにとってこの屋敷は悲しい記憶が多いんだ」
「悲しい記憶?ずっとこのお屋敷でお育ちになったのでしょう?」
「そうなんだけど……まあ色々とね。今、貴女にまでもしものことがあったら、また悲しい記憶が一つ増えてしまう。それではあいつがあまりにも気の毒だ。だから自分のためだけにではなく、ローレンスのために元気になってやってくれないか。そして、何があってもあいつの手を離さないで。大丈夫、貴女の気持ちはちゃんとあいつに伝わっているよ。僕の言うことを信じて。僕は名医だろう?」
そう言うと片目をつぶって右手を出してくる。至極重い話をしているはずなのに、最後にふざけてくるところがいかにもコンスタンティンらしい。リリアーヌはその手を握り返して笑いながら答えた。
「王国広しと言えども、コンスタンティン先生以上のお医者様はいらっしゃいませんわ。先生、ありがとうございます。ローレンス様が望んで下さっているのなら、わたくし、できそうな気がします」
「良かった。……今日話したことは内緒だよ?」
「勿論ですわ」
元々リリアーヌは口数がかなり少ないほうだが、その日はいつも以上に黙りこくったままだった。
診察が終わるとコンスタンティンは寝台の横の椅子にゆっくりと腰かけてリリアーヌに笑顔を向けた。
「さて、どうしたね?」
「……先生……」
「もう限界だって顔をしてるよ?」
「そんなに酷い顔してますか、わたくし?」
「うん、してる。顔だけじゃない、ずっと思っていたのだけど、体調がなかなか回復しないのは、何か辛いことがあるからだよね?」
「……」
「あの時の恐怖から抜け出せない?」
「……少しはありますが、それほど負担にはなっていないと思います」
「じゃあ、マテオ、だっけ?奴に復讐したい?」
「いいえ。むしろ、どうでもいいとしか」
「……ローレンスが憎い?」
「‼︎ 」
いきなり直球を振られて、リリアーヌは答えに詰まった。だがコンスタンティンはリリアーヌから目を逸らさず、なおも言葉を続けた。
「あいつのことを恩人だなんて思う必要はないんだよ。むしろ、今回のことで一番責められるべきはあいつだ。全てあいつの身勝手さが招いたことで、貴女は巻き添えを食らっただけだ。そうだろ?」
「違うんです、先生。憎いんじゃなくて、わたくし……辛いんです」
「何が辛いの?」
思わずコンスタンティンの言葉を否定したリリアーヌの瞳を、コンスタンティンが捉える。
「いいんだよ。言ってごらん。言ってくれないとわからないよ?前にも言ったよね、僕は医者だから、患者の何が痛いのか何が苦しいのか、知る必要があるんだ」
リリアーヌは俯いて、涙声で呟いた。
「わたくし……その日が来るのが辛いのです……いつか、ローレンス様のお側にいられなくなる日が来るのが……その日が来るのが分かっているのに、ローレンス様が優しくして下さるのが、辛くて……」
「そっか」
「借金を完済したら、わたくしはもうここにいる理由がありません……ここを出て、ローレンス様の……いない人生を生きていくことなんて、できない……でも、いつまでもこのままではいられないことも分かっているんです……」
「うんうん、それから?」
「マテオは……今でも書類上はわたくしの夫です……彼は意地でもわたくしを手放そうとはしないと思います……ならば、わたくしが自由になれる日は来ない……わたくしの人生って、いったい何なのでしょう……」
そこまで話し終わるとリリアーヌは、もう耐えられないとでも言うように目を閉じた。コンスタンティンはその目の下に酷い隈ができていることにも当然気がついていた。
「そうか、つまり君は、その時が来たらローレンスが貴女を放り出すと思っているんだね?そうなるとマテオの元に帰るしかない、と」
「……」
「それについてローレンスと何か話したかい?」
「いいえ。ただ今日、あまりに辛くてつい死ねば良かったと言ってしまったら、次に言ったら殺してやると言われました……」
「はあ?あいつ、バカじゃないの?」
コンスタンティンは心底呆れた声で叫ぶと、慰めるような口調でリリアーヌに言った。
「それは恐かったね……しかしどうしてそんな会話になったのか、良かったら話してくれないかい?」
そこでリリアーヌは午後の一件を詳しくコンスタンティンに話した。用があったら呼べと言われていたのについ無理をして結果的に迷惑をかけてしまったこと、うんざりだと言われたこと、それでつい言い合いになってしまったこと、それから……
その間コンスタンティンは腕を組んで天井を見上げ、うーん、と考えを巡らせていたが、リリアーヌが話し終わると溜息をついて頭を掻いた。
「そうか……」
「愚かだったと悔やんでいます。ローレンス様はきっとわたくしに失望なさったでしょう」
「うーん、それは違うと思うよ?」
「?」
リリアーヌが怪訝な顔になる。
「ローレンスはあんな見た目だから誤解されがちだけど、根はかなりの世話好きなんだよね」
「世話好き……あ、でも商会の社員の皆様のことはいつも気にかけていらっしゃいますね。事務所に食堂があっていつも温かい食事が取れますし、誰かが結婚されたり子供が生まれたりした時は必ずお祝いを渡されてますわ」
「良く見てるね、流石」
コンスタンティンはふざけて口笛を吹いた。
「だからね、あいつは貴女の世話がしたいんだよ。世話……というか、辛い思いをさせた贖罪もあるかな。なのに貴女は遠慮ばかりしてちっとも思い通りに世話されてくれない。それが却ってローレンスは自分が責められているように感じてしまう。だから自分に腹を立てているのさ。まあそこで貴女に当たるのも心得違いだけどね。男ってのはそんなもんだよ」
「贖罪なんて……そんなことこれっぽっちも求めておりませんのに……」
「貴女がそういう人だということは良く分かってるよ。でもね、もう少し甘えてやってくれないか。僕も男だから、あいつのつまらない自尊心も理解できるんだ。それに医者の意見としても、貴女は無理をし過ぎてる。ここ最近のことだけじゃない、もう数年来ずっと心が休まらない生活をして来たんだろう?良くないよ。いい機会だから、一度ゆっくり休むんだ」
「……」
「リリアーヌ嬢」
「はい」
「生きてこそ、だよ」
「生きてこそ……」
「そう」
リリアーヌが繰り返すとコンスタンティンが静かに頷いた。
「……あまり僕の口から詳しくは言えないけれど、ローレンスにとってこの屋敷は悲しい記憶が多いんだ」
「悲しい記憶?ずっとこのお屋敷でお育ちになったのでしょう?」
「そうなんだけど……まあ色々とね。今、貴女にまでもしものことがあったら、また悲しい記憶が一つ増えてしまう。それではあいつがあまりにも気の毒だ。だから自分のためだけにではなく、ローレンスのために元気になってやってくれないか。そして、何があってもあいつの手を離さないで。大丈夫、貴女の気持ちはちゃんとあいつに伝わっているよ。僕の言うことを信じて。僕は名医だろう?」
そう言うと片目をつぶって右手を出してくる。至極重い話をしているはずなのに、最後にふざけてくるところがいかにもコンスタンティンらしい。リリアーヌはその手を握り返して笑いながら答えた。
「王国広しと言えども、コンスタンティン先生以上のお医者様はいらっしゃいませんわ。先生、ありがとうございます。ローレンス様が望んで下さっているのなら、わたくし、できそうな気がします」
「良かった。……今日話したことは内緒だよ?」
「勿論ですわ」
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