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第二章
6.能力と尊厳
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秋の終わりから冬の初めにかけて、ローレンスは多忙を極めていた。
彼の表向きの主な事業は海運と造船、それから銀行であるが、この時期同時に決算を迎える。
各地の支店から届く財務諸表や決算報告書に逐一目を通して、辻褄が合わない部分は修正させ、最終的に期限内に税務署に提出しなければならない。
「ああ、あいつら本当にやる気があるのか⁉くそったれが!」
忌々し気に決算書を机の上に放り投げて、ローレンスは毒づいた。
その怒号と音は厨房で茶を淹れていたリリアーヌにも微かに聞こえてきて、思わず背中がビクッと跳ねる。
(ああいう音は嫌い……嫌な記憶を思い出すから……)
思わず横にいたアランに尋ねた。
「ローレンス様、大丈夫でしょうか」
「大丈夫大丈夫、いつものことですから。そっとしておいて差し上げるのが一番ですよ」
アランは眉一つ動かさない。
しばらくしてリリアーヌはローレンスの執務室をノックした。
「お茶をお持ちしました」
返事がない。
(おかしいわ。まさかご気分でも悪くなって倒れてらっしゃる……?)
思い切ってリリアーヌは執務室のドアを開けた。
いつもはきちんと整頓されている執務室が、書類や書き付けやらがあちこちに散乱して大変な有様になっている。相当煮詰まっているようだが、ローレンスの姿はそこにはなかった。
(さっきまでいらしたはずなのに、どちらへ?)
執務室を見渡しながら歩を進めていたリリアーヌの足がふと止まった。
「あら、これ……」
脇机に開いたままおかれた決算書の数字を指でなぞったその時。
「何をしている⁉」
背後から聞こえてきた厳しい声に、リリアーヌは固まった。
ローレンスは大股歩きでリリアーヌに近寄ると、更に厳しい表情で詰問した。
「ここで何をしている?こちらから声をかけた時以外はここに入るなと言ってあったはずだが?」
「も、申し訳、ございません……あの、アランさんからお茶を頼まれて……声をおかけしたのですがお返事がなく……」
真っ青になって弁明するリリアーヌがガタガタと震えているのを見てローレンスは我に返った。
「ああ、すまん。怖がらせるつもりはなかった。……外の空気を吸いに出ていたのだ。今ちょっとこういう時期で、機密書類もあって、神経質になっている。気をつけてくれ」
「はい、申し訳ございませんでした……あ、あの、お茶はここに」
「分かった」
だがその場から立ち去ろうとせずもじもじと何かを言いたそうなリリアーヌの様子がローレンスは気になった。
「何だ?まだ何かあるのか?」
「あ、あの……いえ……その……決算書……」
「決算書が何だ?言いたいことがあるなら言いなさい」
リリアーヌは意を決して決算書のページを指した。
「ここ……費目が間違っているような気がするのですが……」
「何だって⁉」
ローレンスの大声にまたリリアーヌが全身を強張らせる。
「い、いえ、差し出がましいことを申し上げました……失礼します」
「待て」
踵を返して執務室から走り去ろうとしたリリアーヌをローレンスの鋭い声が呼び止めた。
「どこだ?」
「え?」
「どこが間違っている?」
リリアーヌは仕方なく決算書を手に取り、ある部分を指で指した。
「ここです。あと関税の税率も正しくないのではと……」
ローレンスはリリアーヌから決算書を奪うと、上下に目を走らせ、やがて大きく息を吐いて椅子にもたれかかった。
「なんてこった……」
今だわ。リリアーヌはこの隙に逃げようとしたが、ローレンスは逃がしてくれない。
「待て。待ってくれ」
「?」
「確かに費目と税率が違うな。こいつを正しい税率で計算して貸方に振り替えると合計が合う……そうか、ここだったのか」
そう言うとローレンスは立ち上がり、リリアーヌの前に来て、ひどく真剣な顔でリリアーヌを見下ろした。
「貴女は帳簿が読めるのか?」
リリアーヌは予想もしていなかったローレンスの質問に面食らって、固まったままうんうんと顔だけ動かしてから、やっとの思いで答えた。
「読めます……」
「簿記はどこまでできる?」
「……決算、まで……やったことがあります……」
ローレンスは大きな溜息をつくと片手を額にあてて天を仰ぎ、心底呆れたような声で言った。
「早く言ってくれよ……ちょ、待て、いいから、ちょっとそこへ座ってくれ」
そしていきなりリリアーヌの手を掴むと、強引に脇机に座らせた。
「ローレンス様?あの、どうなさいました?」
だがローレンスはリリアーヌの困惑には目もくれず、デスクの上を漁り始めた。
「ちょっと待ってくれよ……ええと、これと、これと、ああこれもか」
そして数冊の書類を選び出すと、リリアーヌの前に置いた。
「チェックしてくれ」
「え?ええ?」
リリアーヌはあっけに取られてローレンスを見上げた。だがローレンスの表情は真剣そのものだった。
「ここの支店からの報告書はいつも酷いんだ。財務諸表と決算書があるから、中身を確認して、間違っているところがあったら抜き出してくれ」
「でも、ローレ……」
「いいから急いでくれ。時間がないんだ」
リリアーヌの表情が引き締まり、それまでローレンスが聞いたこともないような力強い声が返ってきた。
「分かりました」
彼の表向きの主な事業は海運と造船、それから銀行であるが、この時期同時に決算を迎える。
各地の支店から届く財務諸表や決算報告書に逐一目を通して、辻褄が合わない部分は修正させ、最終的に期限内に税務署に提出しなければならない。
「ああ、あいつら本当にやる気があるのか⁉くそったれが!」
忌々し気に決算書を机の上に放り投げて、ローレンスは毒づいた。
その怒号と音は厨房で茶を淹れていたリリアーヌにも微かに聞こえてきて、思わず背中がビクッと跳ねる。
(ああいう音は嫌い……嫌な記憶を思い出すから……)
思わず横にいたアランに尋ねた。
「ローレンス様、大丈夫でしょうか」
「大丈夫大丈夫、いつものことですから。そっとしておいて差し上げるのが一番ですよ」
アランは眉一つ動かさない。
しばらくしてリリアーヌはローレンスの執務室をノックした。
「お茶をお持ちしました」
返事がない。
(おかしいわ。まさかご気分でも悪くなって倒れてらっしゃる……?)
思い切ってリリアーヌは執務室のドアを開けた。
いつもはきちんと整頓されている執務室が、書類や書き付けやらがあちこちに散乱して大変な有様になっている。相当煮詰まっているようだが、ローレンスの姿はそこにはなかった。
(さっきまでいらしたはずなのに、どちらへ?)
執務室を見渡しながら歩を進めていたリリアーヌの足がふと止まった。
「あら、これ……」
脇机に開いたままおかれた決算書の数字を指でなぞったその時。
「何をしている⁉」
背後から聞こえてきた厳しい声に、リリアーヌは固まった。
ローレンスは大股歩きでリリアーヌに近寄ると、更に厳しい表情で詰問した。
「ここで何をしている?こちらから声をかけた時以外はここに入るなと言ってあったはずだが?」
「も、申し訳、ございません……あの、アランさんからお茶を頼まれて……声をおかけしたのですがお返事がなく……」
真っ青になって弁明するリリアーヌがガタガタと震えているのを見てローレンスは我に返った。
「ああ、すまん。怖がらせるつもりはなかった。……外の空気を吸いに出ていたのだ。今ちょっとこういう時期で、機密書類もあって、神経質になっている。気をつけてくれ」
「はい、申し訳ございませんでした……あ、あの、お茶はここに」
「分かった」
だがその場から立ち去ろうとせずもじもじと何かを言いたそうなリリアーヌの様子がローレンスは気になった。
「何だ?まだ何かあるのか?」
「あ、あの……いえ……その……決算書……」
「決算書が何だ?言いたいことがあるなら言いなさい」
リリアーヌは意を決して決算書のページを指した。
「ここ……費目が間違っているような気がするのですが……」
「何だって⁉」
ローレンスの大声にまたリリアーヌが全身を強張らせる。
「い、いえ、差し出がましいことを申し上げました……失礼します」
「待て」
踵を返して執務室から走り去ろうとしたリリアーヌをローレンスの鋭い声が呼び止めた。
「どこだ?」
「え?」
「どこが間違っている?」
リリアーヌは仕方なく決算書を手に取り、ある部分を指で指した。
「ここです。あと関税の税率も正しくないのではと……」
ローレンスはリリアーヌから決算書を奪うと、上下に目を走らせ、やがて大きく息を吐いて椅子にもたれかかった。
「なんてこった……」
今だわ。リリアーヌはこの隙に逃げようとしたが、ローレンスは逃がしてくれない。
「待て。待ってくれ」
「?」
「確かに費目と税率が違うな。こいつを正しい税率で計算して貸方に振り替えると合計が合う……そうか、ここだったのか」
そう言うとローレンスは立ち上がり、リリアーヌの前に来て、ひどく真剣な顔でリリアーヌを見下ろした。
「貴女は帳簿が読めるのか?」
リリアーヌは予想もしていなかったローレンスの質問に面食らって、固まったままうんうんと顔だけ動かしてから、やっとの思いで答えた。
「読めます……」
「簿記はどこまでできる?」
「……決算、まで……やったことがあります……」
ローレンスは大きな溜息をつくと片手を額にあてて天を仰ぎ、心底呆れたような声で言った。
「早く言ってくれよ……ちょ、待て、いいから、ちょっとそこへ座ってくれ」
そしていきなりリリアーヌの手を掴むと、強引に脇机に座らせた。
「ローレンス様?あの、どうなさいました?」
だがローレンスはリリアーヌの困惑には目もくれず、デスクの上を漁り始めた。
「ちょっと待ってくれよ……ええと、これと、これと、ああこれもか」
そして数冊の書類を選び出すと、リリアーヌの前に置いた。
「チェックしてくれ」
「え?ええ?」
リリアーヌはあっけに取られてローレンスを見上げた。だがローレンスの表情は真剣そのものだった。
「ここの支店からの報告書はいつも酷いんだ。財務諸表と決算書があるから、中身を確認して、間違っているところがあったら抜き出してくれ」
「でも、ローレ……」
「いいから急いでくれ。時間がないんだ」
リリアーヌの表情が引き締まり、それまでローレンスが聞いたこともないような力強い声が返ってきた。
「分かりました」
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