【完結】導く者に祝福を、照らす者には口づけを 〜見捨てられた伯爵夫人は高利貸しの愛で再び輝く〜

碓氷シモン

文字の大きさ
上 下
3 / 60
第一章

3.運命は動き出す

しおりを挟む
「わ、わたくしが、貴方のお宅の家事を、ですか?」
「ああ、ちょうど長く勤めてくれた婆やが引退してしまって困ってたところだ。悪い話じゃないと思うが?」
「で、でも、貴方のような方なら、いくらでも使用人を雇えますでしょう?」
「……いや、俺は家にあまり使用人を置きたくない。洗濯と掃除と皿洗いは通いのメイドが二人ばかりいるが、基本的には俺と執事だけだ。だから俺の身の回りの世話だけやってくれればいい」
「……」
 半信半疑といった様子で考え込んでいたリリアーヌが顔を上げた。
「本当にお給金を下さいますの?それで借金を帳消しにするということですか?」
「そうなるな」
「でも、金貨300枚と利息ですから、いつ返し終わるか……」
 ローレンスはポケットから手帳とペンを出すと素早く何か計算式を書き付け、それをリリアーヌに見せた。
「給料はこれでどうだ?これなら、3年待たずに完済できる」
「3年……」
 しばしの時が流れた。

「やらせて頂きますわ」
「奥様!なりません!」
 いつの間にかリリアーヌの前に立ちはだかっていた執事が悲鳴のような声で叫ぶ。
「聞いていたのか」
「僭越ではございますが、全部聞かせて頂きました。奥様、なりません。奥様が平民の家で使用人の真似事など……」
「でもヨハネス、そしたら借金はどうやって返すの?うちにはもう売れるものは何一つないのよ」
「わたくしが何とかいたします!どうか、お考え直し下さいませ」

 ローレンスが少しイラついた声で割って入る。
「どっちでもいいが、早く決めてくれ。俺は忙しい。うちで働くか、この爺さんに金を工面してもらうか、さもなくば身体を売るか」
「な、何と酷いことを!奥様の事情もご存じないくせに……」
「止めてヨハネス。いいのよ、もう決めたの。フィッツジェラルド様のお屋敷にご奉公に上がるわ。……旦那様をお願いね、ヨハネス」
「奥様……」
 がっくりと項垂れる執事の肩にそっと手を置いてから、リリアーヌはローレンスにまっすぐ向き直り、腰を屈めてお辞儀をした。
「不束者ですが、精一杯努めます。どうぞよろしくお願いいたします」
 その凛とした瞳に見つめられたローレンスは一瞬たじろいだが、すぐに平静を取り戻してリリアーヌに告げた。
「明日の朝、迎えを寄越す。支度をしておいてくれ」
 そして伯爵家の門を出ると馬車に乗り込んだのだった。

「何だって?それで伯爵夫人がここに奉公に来るだって?お前、気は確かか?」
 ローレンスの屋敷の書斎で大声を上げたのは、幼馴染のコンスタンティン・モルダーだ。
 腕のいい医者なのだが、酒好き女好きで、時々思い出したようにローレンスの屋敷にやって来てはシェリーやらウイスキーやらをあおり、取り留めのないことをダラダラと話しては帰って行く。
 だが今日はローレンスがうっかり口にしてしまったオルフェウス伯爵家での顛末に即座に食いつき、興味津々で根掘り葉掘り質問されて、夫人が明日ここにやって来ることを白状させられてしまった。
「何かおかしいか?」
「おいおい、どういう風の吹き回しだ?借金が返せないならいつものようにとっととそこいらの娼館に売り飛ばしちまえばいいじゃないか。伯爵夫人が身体を売るなんて、客が大喜びして行列になるぞ」
「別に狂っちゃいない。婆やが辞めて以来、真剣に困ってたからな。一人で家事を全部こなしていると言うのに、屋敷には塵一つ落ちてなかったから、腕は確かだろう。それだけだ」

「ふーん……上玉か?」

 コンスタンティンのあからさまな質問に、ローレンスは改めてリリアーヌの姿を思い出す。確かに彼女は大層美しい。
 豊かに波打つ艶やかな黒髪、透けるように白い肌、ぽってりとした小さな唇、そして何と言ってもあの灰緑色の瞳。だが……とローレンスは考える。なぜ彼女はあんなにも怯えて俯いてばかりいるのだ?そしてなぜあの夫はあんな年増の愛人といちゃつくだけでは飽き足らず、美しい妻をあんなにも辱め忌み嫌っているのだろうか?
「下品だなお前は。まあ、かなりの美人だ。だが社交界で全く見かけた覚えがないのは何故だろう。伯爵夫人ならだいたいの夜会には出席してるだろうに」
 コンスタンティンはそれを聞いて大声で笑い出した。
「そりゃ、そういうお方はお前や俺みたいな下賤な人間なんぞ目に入れることがないからさ。同じ空間にいても、接してる地面の高さが違うんだよ。大体お前の目に入るのは色と欲にしか興味がない爛れたお歴々だけだろう?」
「確かにな」

 笑うのを止めたコンスタンティンがふと真顔になり、グラスに視線を落としたまま呟いた。
「そうか、かなりの美人か。まあ気を付けろ。ミイラ取りがミイラにならんようにな」

 翌朝、リリアーヌは小さなトランク一つを手に馬車から降りて来た。
 フィッツジェラルド邸のただ一人の使用人である執事のアランが執務室のドアをノックして告げた。
「旦那様、お見えになりました」
「入ってくれ」
 遠慮がちにリリアーヌが姿を現す。
「座ってくれ」
「失礼します」
 ローレンスはリリアーヌの前にいくつか書類を並べた。
「これが雇用契約書だ。貴女と個人的に契約しようかとも思ったのだが、うちの商会の従業員として雇う形にしておいた。そのほうが税金やら諸々の手続きが簡単になると思ってそうさせて貰ったが、構わないか?」
「お気遣いありがとうございます。構いません」
「では内容を確認して、問題なければここにサインを」
「はい」
 リリアーヌは書類に目を通すと、ローレンスに手渡されたペンでさらさらとサインをした。
「あと、これは当面の生活費だ。食材は週に2回、市場が届けてくれることになっているから、必要なものがあればその時伝えればいい。他にも細々した支払いがあればここから出してくれ。足りなくなったら補充する」
「承知しました」
 頷いて財布を受け取る。ローレンスは続けた。
「この屋敷の中では自由にしてもらって構わない。ほとんどの部屋は使ってないからそれほど掃除も大変ではないだろう。ただこの執務室は必要に応じてこちらから声をかけるから、基本は入らないでもらいたい。あとはアランに訊いてくれ」
「かしこまりました、旦那様」
 ローレンスがちょっと困ったような顔になった。
「その、旦那様というのはおかしくないか?貴女には旦那がいるのだから。ローレンスでいい」
 リリアーヌは一瞬迷ってから答えた。
「はい、ローレンス様」
 アランが声をかける。
「では、こちらに」
「頼んだぞアラン」
 リリアーヌがアランに従って執務室を出て行くと、ローレンスは立ち上がって窓から外を眺めた。

 コンスタンティンの奴、何を言っているのだ。俺があの灰緑色の瞳に惑わされるとでも?
 そんなことは決してない。俺が、ローレンス・フィッツジェラルドが誰かを愛することなど、決してない……。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた

菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…? ※他サイトでも掲載中しております。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています

水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。 森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。 公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。 ◇画像はGirly Drop様からお借りしました ◆エール送ってくれた方ありがとうございます!

処理中です...