男装の薬師は枯れぬ花のつぼみを宿す

天岸 あおい

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七章 決着

異変

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 みなもがナウムの屋敷に戻ったのは、山際がほんのり白ばみ始めた頃。
 自室へ戻った後、少しでも眠らなければとベッドへ潜り込んだ。

 目を閉じてすぐ意識は遠のき、眠りの底へと落ちていく。
 が、それはほんの一瞬だけ。あっと言う間に意識が浮上した。

 うまく寝付けないと心で唸り、みなもはうっすらと目を開ける。

 あまり時間は経っていないだろうと思っていたが、部屋は明るくなっており、窓から眩しい光が入り込んでいた。

(思ったよりも眠れたのか。……あんまり寝た気がしない)

 みなもは気だるい体を起こすと、横目で時計を見やる。
 いつも目覚める時間よりも、針は少し遅い時間を指していた。

 ……やばい。
 まだ半分眠っていた頭が、完全に目覚める。

 朝食を終えたらナウムの執務を手伝うことが日課なのだが、ほんの少し寝過ごしただけで、「お仕置きだ」と言って人の体にイタズラしてくる。
 今日、ナウムから離れることができるのに、最後の最後まで弄ばれるのは嫌だった。

 みなもはベッドから抜け出すと、慌ただしく着替えを始める。
 男物に着替えるなら楽なのだが、ナウムからはドレスを着るよう命じられている。

 まだ意思を取り戻したことを悟られる訳にはいかない。
 不本意ながらも、みなもは衣装棚を開けてドレスを手に取った。

 慣れない手つきで下着を身につけ、ドレスに袖を通す。
 それから背中のボタンをとめにかかっていると――。

 ――バンッ! 荒々しく扉を開ける音がした。

 この屋敷で、人の部屋へノックもせず勝手に入ってくる人間は一人しかいない。
 みなもは一瞬顔をしかめるが、すぐに平然とした表情で待ち構える。

 コツ、コツ、と鋭い足音を鳴らしながら、ナウムが姿を現した。
 その顔にいつものような軽薄さはなく、苛立ちを隠さない鋭い眼光をこちらに向けていた。

「おはようナウム。どうしたの? そんな怖い顔して」

 二人きりの時は敬語を使わず、今まで通りに接しろと命令されている。
 しかしナウムからの返事はなく、その場に立ち尽くして睨みつけてきた。

 しばらくして大きな舌打ちをすると、ナウムは「今のコイツにできる訳がないか」と呟き、みなもとの間を詰めてきた。

「……今、城内が大変なことになっているらしい」

「大変なこと?」

「オレもついさっき、城から駆け込んできた部下から聞いたばかりで、詳しい状況までは分からねぇ。ただ、城内の人間が次々に倒れて、街のほうにも被害が出始めているようだ」

 乏しい表情を演じたまま、みなもは小さく息を引き、驚いてみせる。
 しかし頭の中は、冷静かつ俊敏に働き出す。

 これはきっと浪司の仕業だ。
 少しやりすぎの感もあるが、目的を果たして生き延びるには必要だと判断したのだろう。

 巻き添えを食らった市民や、城で働く人々のことを思うと気が重たくなる。だが、恐らく人が死ぬような代物は使っていないだろう。
 それなら腹をくくって、一刻も早く事を終わらせたほうが良いように思えた。
 
 みなもはナウムの目を真っ直ぐに見据える。

「もし毒が使われていても、俺ならどんな毒でも耐性がある。原因を突き止めるために、俺を城へ連れて行って欲しい」

「元からそのつもりだ。今すぐ準備して――ああ、そうだ。可能な限り、耐毒の薬を用意しろ。オレの部下たちは多少の耐性はあるが、念のために飲ませたい」

 手短にみなもが「分かった」と返事をすると、ナウムは踵を返して足早に部屋を出て行く。

 ナウムの足音が遠ざかるのを確かめてから、みなもは着替え途中のドレスを脱ぎ捨て、着慣れた男物の服を身にまとう。
 そして素早く荷袋を開けると、中からいくつかの小瓶と、粉末入りの包み紙を取り出した。

(さて、と。じゃあ作るとするか……毒の耐性を消す薬を)

 すうっ、と目を細めてみなもは手元を見つめる。
 久しぶりに扱う毒と薬。自然と集中力が高まり、心の焦りと緊張が薄れていった。



 半刻ですべてを準備すると、みなもはナウムや集まった部下たち十余名と共に、馬を走らせて城へと向かう。

 近づくにつれ、道の脇に倒れた者を何人も見かけるようになった。
 みなもはそんな人々を横目で見やり、顔をしかめる。

(ひどい状況だ……これを浪司がやったのか)

 あくまで体を痺れさせる程度の毒。
 しかしこの状況から言えることは、毒性の強い物を使えば、多くの人命を奪うこともできてしまうという事実。
 頭では分かっていたことだが、実際に目の当たりにすると肝が冷えてくる。

 毒を容易に使えば、取り返しのつかないことになるかもしれない。
 ふと、浪司がそう釘を刺しているような気がした。

 城の門まであと少しという所で、どの馬の足も止まっていく。
 ナウムや部下たちがどうにか前へ進ませようと足で腹を蹴っても、馬たちは頭を振るばかりで、言うことを聞いてくれなかった。

 真っ先にみなもは馬から降りると、ナウムの元へ駆け寄った。

「もうここまで毒が流れていますから、これ以上は馬で進めません」

「そうか、分かったぜ。……全員馬から降りて、こっちに集まれ!」

 馬を降りながらナウムが大声を張り上げると、部下たちは一秒を争うように機敏な動きで集まってきた。

 ナウムに目配せされ、みなもは腰に下げた小さな袋の中から、準備してきた丸薬を取り出した。

「みなさん、これは耐毒の薬です。まったく毒が効かなくなる訳ではありませんが、濃い毒が充満する中でも長く動くことができます」

 みなもは一人一人に丸薬を配った後、ナウムにも「どうぞ」と差し出す。
 だがナウムは小さく首を横に振った。

「オレはいつも飲んでいる物があるから大丈夫だ。もし城の中で動ける人間がいたら、そいつに渡してくれ」

 飲んでくれれば、こっちも楽に動けるのに。
 心の中で舌打ちをしてから、みなもは「分かりました」と素直に引き下がる。

 部下たちが丸薬を飲み込んだことを見計らい、ナウムは口を開いた。

「今から二手に分かれて行動する。みなも、お前に部下を五人ほど貸してやるから、城の西側を調べてくれ。もし不審者を見つけたら即座に始末しろ」

 ナウムの目から離れられるのはありがたい。この好機、逃す訳にはいかない。
 無言で頷いたみなもの目へ、わずかに力が入る。

 その刹那、ナウムが訝しそうな表情を浮かべる。
 しかしそれは一瞬だけで、すぐにみなもから部下たちへと視線を移した。

 視線を外されて、みなもは密かに胸を撫で下ろす。

(……本当にコイツは目ざといから、油断ならないよ)

 あともう少しの辛抱だと自分に言い聞かせ、ナウムの指示を待つ。

 部下とのやり取りを終えた直後、ナウムが「行くぞ」と駆け出す。
 それに合わせて、みなもと部下たちは彼の後ろをついていった。
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