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六章 裏切りと真実
月光が降り注ぐ中庭で
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◆ ◆ ◆
間もなく満ちる月がバルディグの真上で輝く頃。変装を解いたレオニードと浪司は気配を殺し、ナウムの屋敷を囲むレンガ塀を乗り越え、敷地内へと足を踏み入れた。
屋敷からの明かりはなく、人が起きている気配はない。
正門前には警備をしている者はいたが、突っ立ったまま居眠りしている。
瞳の色が元に戻った分、レオニードの目は心なしかいつもより辺りを鮮明に映した。
意外と手薄な警備に、レオニードが少し肩透かしを食らった気分になっていると、浪司が茶目っ気たっぷりに笑った。
「屋敷の人間に眠り薬でも使ってくれって、みなもに頼んでおいたんだ。多分起きないだろうが、念のために物音は立てないでくれ」
つくづく浪司の段取りの良さには感心してしまう。この調子なら事が簡単に運びそうだと思う反面、こんなに呆気なく目的を果たせるなんて、話が出来過ぎている気がしてならない。みなもの力を考えれば、これぐらい造作も無いことかもしれないが。
慎重に辺りの気配を伺うレオニードとは違い、浪司はいつもと変わらない調子で屋敷へ近づいていく。そして使用人の出入口まで行くと、懐から針金を取り出して鍵穴に挿す。
カチャカチャと動かしたかと思えば、あっさりと扉は開いてしまった。
「よっしゃ、これぐらい楽勝だぜ……って、どうしたんだレオニード? そんな怖い顔でワシを睨むなよ」
どう見ても初めて鍵穴をいじる手つきではない。
明らかに何度も繰り返し、勝手を掴んでしまっている。あまりに無駄がない。
浪司が盗みを働くような人間ではないことぐらい、重々承知している。
頭で分かっていても、心の中は複雑だった。
「……くれぐれもその力を悪事に使わないでくれ」
「そんなつまらん真似はせんよ。取っ捕まって、美味いメシが食えなくなるのはごめんだからな」
ニッと歯を見せると、浪司はゆっくりと扉を開けた。
中は暗く、手を伸ばした先ですらよく見えない。ロウソクの明かりでも無ければ、行き先を見失ってしまいそうだ。
不意に浪司は右腕の袖をたくし上げる。
すると太くたくましい腕が、満遍なくぼんやりと光っていた。
「浪司、その腕は?」
「ここへ来る前に、ルウア石の粉を振りかけておいたんだ。ワシは夜目がきくから、明かりがなくても先へ進める。お前さんはこれを目印にして、ついてきてくれ」
何から何まで、浪司の力に頼りっぱなしだ。無事にヴェリシアへ戻った時には、国の銘酒を彼に贈ろう。
浪司の背中を追いながら、レオニードは口端を軽く上げた。
駆け出したい気持ちを抑えながら中を進んでいくと、月明かりに照らされた室内庭園が見えてくる。
昼間とは違い、月の青白い光を受けた草花は、しとやかな空気をまとう。
そして庭園の中央には、中背の人影が真上を仰いでいた。
まだ起きている人がいたのかとレオニードは警戒するが、浪司は平然と庭園へ進んでいく。
あそこにいるのは誰か――浪司の態度を見ればすぐに答えは出た。
細い廊下を抜けて開けた場所へ出ると、レオニードは人影へ駆け寄る。
こちらに気づき、その人は振り向いて微笑みを浮かべた。
着ているのは、いつも彼女が身につけていた男物の服。
月の光を浴びた短い黒髪は艶やかに輝き、夜の闇よりも色濃い瞳を潤ませていた。
「みなも……!」
レオニードが名前を呼ぶと、彼女は小走りにこちらへ近づき、胸へしがみついてきた。
ギュッと服を強く握ってくる感触が、愛おしくて仕方がない。
レオニードは己の中へ閉じ込めんばかりに、彼女を抱き締めた。
腕の中でみなもの肩が縮まり、体が小刻みに震える。
「貴方がここまで来てくれるなんて思わなかった……何も言わずに去ったから、もう俺に愛想をつかしているんじゃないかって……」
「そんなことある訳ないだろ。君を一人にしないと約束したのに……本当に会えてよかった」
彼女から伝わってくる体温と息遣いをもっと感じたい。
レオニードの頭がそんな思いに支配されていると、
「ゴホン……ワシもいることを忘れんなよ」
浪司が隣から咳をして、二人の注意を引く。
顔を上げたみなもは、苦笑しながら「ごめん」と肩をすくめた。
「浪司にも会えて嬉しいよ。こんな所まで来るなんて、お人好しにも程があるだろ」
半ば呆れたように浪司は「いつものお前さんで良かったぞ」と笑い返す。
しかし次の瞬間、いつになく真面目な顔でみなもを見据える。
「そりゃあ可愛い弟分のためだ、と言いたいところだが、ワシは目的があってここまで来た。どうしてもお前さんから聞かなきゃいかんことがあるんだ」
「それは手紙にも書いてあったけど、俺に聞きたいことって?」
「まずはワシらについて来てくれ。多分話は長くなると思う……ここで話していたら、寝ているヤツらを起こしちまうかもしれんからな」
再会の喜びに浸りたいところだが、今はそんな悠長なことは言ってられない。
レオニードはみなもから腕を離すと、目配せして移動するよう促す。こちらの合図を受けて、みなもは「分かった」と小さく頷いた。
間もなく満ちる月がバルディグの真上で輝く頃。変装を解いたレオニードと浪司は気配を殺し、ナウムの屋敷を囲むレンガ塀を乗り越え、敷地内へと足を踏み入れた。
屋敷からの明かりはなく、人が起きている気配はない。
正門前には警備をしている者はいたが、突っ立ったまま居眠りしている。
瞳の色が元に戻った分、レオニードの目は心なしかいつもより辺りを鮮明に映した。
意外と手薄な警備に、レオニードが少し肩透かしを食らった気分になっていると、浪司が茶目っ気たっぷりに笑った。
「屋敷の人間に眠り薬でも使ってくれって、みなもに頼んでおいたんだ。多分起きないだろうが、念のために物音は立てないでくれ」
つくづく浪司の段取りの良さには感心してしまう。この調子なら事が簡単に運びそうだと思う反面、こんなに呆気なく目的を果たせるなんて、話が出来過ぎている気がしてならない。みなもの力を考えれば、これぐらい造作も無いことかもしれないが。
慎重に辺りの気配を伺うレオニードとは違い、浪司はいつもと変わらない調子で屋敷へ近づいていく。そして使用人の出入口まで行くと、懐から針金を取り出して鍵穴に挿す。
カチャカチャと動かしたかと思えば、あっさりと扉は開いてしまった。
「よっしゃ、これぐらい楽勝だぜ……って、どうしたんだレオニード? そんな怖い顔でワシを睨むなよ」
どう見ても初めて鍵穴をいじる手つきではない。
明らかに何度も繰り返し、勝手を掴んでしまっている。あまりに無駄がない。
浪司が盗みを働くような人間ではないことぐらい、重々承知している。
頭で分かっていても、心の中は複雑だった。
「……くれぐれもその力を悪事に使わないでくれ」
「そんなつまらん真似はせんよ。取っ捕まって、美味いメシが食えなくなるのはごめんだからな」
ニッと歯を見せると、浪司はゆっくりと扉を開けた。
中は暗く、手を伸ばした先ですらよく見えない。ロウソクの明かりでも無ければ、行き先を見失ってしまいそうだ。
不意に浪司は右腕の袖をたくし上げる。
すると太くたくましい腕が、満遍なくぼんやりと光っていた。
「浪司、その腕は?」
「ここへ来る前に、ルウア石の粉を振りかけておいたんだ。ワシは夜目がきくから、明かりがなくても先へ進める。お前さんはこれを目印にして、ついてきてくれ」
何から何まで、浪司の力に頼りっぱなしだ。無事にヴェリシアへ戻った時には、国の銘酒を彼に贈ろう。
浪司の背中を追いながら、レオニードは口端を軽く上げた。
駆け出したい気持ちを抑えながら中を進んでいくと、月明かりに照らされた室内庭園が見えてくる。
昼間とは違い、月の青白い光を受けた草花は、しとやかな空気をまとう。
そして庭園の中央には、中背の人影が真上を仰いでいた。
まだ起きている人がいたのかとレオニードは警戒するが、浪司は平然と庭園へ進んでいく。
あそこにいるのは誰か――浪司の態度を見ればすぐに答えは出た。
細い廊下を抜けて開けた場所へ出ると、レオニードは人影へ駆け寄る。
こちらに気づき、その人は振り向いて微笑みを浮かべた。
着ているのは、いつも彼女が身につけていた男物の服。
月の光を浴びた短い黒髪は艶やかに輝き、夜の闇よりも色濃い瞳を潤ませていた。
「みなも……!」
レオニードが名前を呼ぶと、彼女は小走りにこちらへ近づき、胸へしがみついてきた。
ギュッと服を強く握ってくる感触が、愛おしくて仕方がない。
レオニードは己の中へ閉じ込めんばかりに、彼女を抱き締めた。
腕の中でみなもの肩が縮まり、体が小刻みに震える。
「貴方がここまで来てくれるなんて思わなかった……何も言わずに去ったから、もう俺に愛想をつかしているんじゃないかって……」
「そんなことある訳ないだろ。君を一人にしないと約束したのに……本当に会えてよかった」
彼女から伝わってくる体温と息遣いをもっと感じたい。
レオニードの頭がそんな思いに支配されていると、
「ゴホン……ワシもいることを忘れんなよ」
浪司が隣から咳をして、二人の注意を引く。
顔を上げたみなもは、苦笑しながら「ごめん」と肩をすくめた。
「浪司にも会えて嬉しいよ。こんな所まで来るなんて、お人好しにも程があるだろ」
半ば呆れたように浪司は「いつものお前さんで良かったぞ」と笑い返す。
しかし次の瞬間、いつになく真面目な顔でみなもを見据える。
「そりゃあ可愛い弟分のためだ、と言いたいところだが、ワシは目的があってここまで来た。どうしてもお前さんから聞かなきゃいかんことがあるんだ」
「それは手紙にも書いてあったけど、俺に聞きたいことって?」
「まずはワシらについて来てくれ。多分話は長くなると思う……ここで話していたら、寝ているヤツらを起こしちまうかもしれんからな」
再会の喜びに浸りたいところだが、今はそんな悠長なことは言ってられない。
レオニードはみなもから腕を離すと、目配せして移動するよう促す。こちらの合図を受けて、みなもは「分かった」と小さく頷いた。
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