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五章 葛藤
奪われゆく自我
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バタン、と扉が閉まり、いずみの目から完全に見えなくなる。
麻痺の毒に苦しむ男たちへ見向きもせず、ナウムがみなもに近づいてきた。
その顔は憤りではなく、むしろ嬉々とした表情を浮かべていた。
見た瞬間、みなもの全身が凍りついた。
「さて、みなも……オレの屋敷でこんな真似をして、ただで済むとは思っていないよな?」
咄嗟にみなもは口を動かそうとするが、唇すら思うように動かない。自分に何が起きているか分からず内心激しく困惑していると、
「みなも、声は出してもいいぞ。あと表情も出していい。ただし、舌を噛んで死のうとするなよ」
ナウムに妙な命令を告げられて、みなもは思わず顔をしかめる――今まで動かなかった顔が動くようになり、より内心の戸惑いがひどくなった。
何だ、この妙な命令は?
みなもは訝しく思いながら口を開く。
「ナウム……一体、俺に何をしたんだ?!」
「なあに、ちょっとオレの言うことを聞いてもらえるように、暗示をかけさせてもらった。言っただろ? オレはお前を無条件で信用するほど、お人好しじゃないってな」
「暗示だって?! いつの間にそんなことを――」
バルディグへ来てからのことを思い出していくが、一体いつ仕掛けられたのかがさっぱり分からない。
困惑を隠せず狼狽えてしまうみなもへ、ナウムが心底嬉しそうに口端を引き上げた。
「覚えがなくて当然だ。これが夢だと思うように暗示をかけていたからな。夢うつつでも最初は俺に鋭い眼差しを向けていたのに、俺が頭を撫でてやると目が蕩けて、最後には俺が抱き締めると大人しくなって……可愛かったなあ」
夢――あの、繰り返し見続けていた悪夢。
まさかあれが現実に起きていて、俺に暗示をかけていたのか?
嘘だ。
コイツの言うことは信用できない。
みなもは反論しようと喉に力を入れる。
しかし出てきた声は、寒さに震える小鳥のようにか弱かった。
「この屋敷に来て同じ夢をよく見ていたけど……あんな夢、現実にはありえない。適当なことを言うな」
「夢だと思わせるようにしたから、非現実なところがあるんだろ。クク……認めたくない気持ちは分かるぜ。だが――」
ゆっくりとナウムがみなもの背中に腕を滑り込ませ、優しく抱擁する。
今まで感じてきた悪夢の感触が、生々しく現実に浮上してきた。
「――お前の心と体は、しっかりとオレを覚えている」
記憶の中の悪夢が、一瞬にして現に躍り出る。
自分が心で思っていたことは、口に出してナウムと会話していた。
最初は拒んでいたのに、段々と彼に体を触られることが心地良くなって、このまま流されてしまいたいと思ってしまった。
夢だと思い込んで、何度もナウムの抱擁も告白も拒むことを諦めてしまった。
信じたくない悪夢のすべてが、現実だった。
愕然となるみなもへ、ナウムが間近に顔を合わせてきた。
「本当はな、お前がこんな真似をしなければ、暗示をかけるだけで終わっていたんだ。みなもがオレを憎み続けたとしても、同じ目的のためにここへ居てくれるなら、それで構わなかった」
軽薄で人の悪い笑みがナウムから消えた。
どこか陰がありながら、熱くこちらを射抜いてくる眼差し。初めてナウムの素顔を見た気がした。
「何度も言ったと思うが、オレに向けるのは愛情でも、憎しみでもいい。どんな形でもいいからお前と一緒にいずみを守ることができればそれでよかった。だがな、いずみを傷つけるというなら話は別だ」
愛おしそうに、ナウムはみなもの頬を両手で包み込む。
そして唇が重なる寸前まで、顔を近づけた。
「もう容赦はしない。オレが命も欲も捨てて守り続けたものを傷つけられるぐらいなら、お前の心なんていらない。その体と守り葉の力だけで十分だ」
言い終えた直後。
ナウムに深く口づけられ、みなもの息が詰まる。
そして別れを惜しむかのようにゆっくりとナウムの唇が離れ、そっと耳元で囁く。
「ずっと悩みに悩んで、辛かっただろうなあ。だが……もうお前は何も考えなくてもいいんだ。ただ、オレの言うことを聞いて、オレだけを感じていればいい」
一言、一言、耳に入っていく度に、思考が麻痺していく。
ナウムに屈したくないと憤る心が消えていく。
このまま彼を受け入れたくないと、拒む気持ちも霧散する。
頭の頂から徐々に自分が消えていく感覚。
せめてレオニードのことを想う気持ちは無くしたくなかった。
けれど、ナウムに夜の闇が眠りを誘うような抱擁をされて、その想いすら闇へと沈み、無と化してしまった。
麻痺の毒に苦しむ男たちへ見向きもせず、ナウムがみなもに近づいてきた。
その顔は憤りではなく、むしろ嬉々とした表情を浮かべていた。
見た瞬間、みなもの全身が凍りついた。
「さて、みなも……オレの屋敷でこんな真似をして、ただで済むとは思っていないよな?」
咄嗟にみなもは口を動かそうとするが、唇すら思うように動かない。自分に何が起きているか分からず内心激しく困惑していると、
「みなも、声は出してもいいぞ。あと表情も出していい。ただし、舌を噛んで死のうとするなよ」
ナウムに妙な命令を告げられて、みなもは思わず顔をしかめる――今まで動かなかった顔が動くようになり、より内心の戸惑いがひどくなった。
何だ、この妙な命令は?
みなもは訝しく思いながら口を開く。
「ナウム……一体、俺に何をしたんだ?!」
「なあに、ちょっとオレの言うことを聞いてもらえるように、暗示をかけさせてもらった。言っただろ? オレはお前を無条件で信用するほど、お人好しじゃないってな」
「暗示だって?! いつの間にそんなことを――」
バルディグへ来てからのことを思い出していくが、一体いつ仕掛けられたのかがさっぱり分からない。
困惑を隠せず狼狽えてしまうみなもへ、ナウムが心底嬉しそうに口端を引き上げた。
「覚えがなくて当然だ。これが夢だと思うように暗示をかけていたからな。夢うつつでも最初は俺に鋭い眼差しを向けていたのに、俺が頭を撫でてやると目が蕩けて、最後には俺が抱き締めると大人しくなって……可愛かったなあ」
夢――あの、繰り返し見続けていた悪夢。
まさかあれが現実に起きていて、俺に暗示をかけていたのか?
嘘だ。
コイツの言うことは信用できない。
みなもは反論しようと喉に力を入れる。
しかし出てきた声は、寒さに震える小鳥のようにか弱かった。
「この屋敷に来て同じ夢をよく見ていたけど……あんな夢、現実にはありえない。適当なことを言うな」
「夢だと思わせるようにしたから、非現実なところがあるんだろ。クク……認めたくない気持ちは分かるぜ。だが――」
ゆっくりとナウムがみなもの背中に腕を滑り込ませ、優しく抱擁する。
今まで感じてきた悪夢の感触が、生々しく現実に浮上してきた。
「――お前の心と体は、しっかりとオレを覚えている」
記憶の中の悪夢が、一瞬にして現に躍り出る。
自分が心で思っていたことは、口に出してナウムと会話していた。
最初は拒んでいたのに、段々と彼に体を触られることが心地良くなって、このまま流されてしまいたいと思ってしまった。
夢だと思い込んで、何度もナウムの抱擁も告白も拒むことを諦めてしまった。
信じたくない悪夢のすべてが、現実だった。
愕然となるみなもへ、ナウムが間近に顔を合わせてきた。
「本当はな、お前がこんな真似をしなければ、暗示をかけるだけで終わっていたんだ。みなもがオレを憎み続けたとしても、同じ目的のためにここへ居てくれるなら、それで構わなかった」
軽薄で人の悪い笑みがナウムから消えた。
どこか陰がありながら、熱くこちらを射抜いてくる眼差し。初めてナウムの素顔を見た気がした。
「何度も言ったと思うが、オレに向けるのは愛情でも、憎しみでもいい。どんな形でもいいからお前と一緒にいずみを守ることができればそれでよかった。だがな、いずみを傷つけるというなら話は別だ」
愛おしそうに、ナウムはみなもの頬を両手で包み込む。
そして唇が重なる寸前まで、顔を近づけた。
「もう容赦はしない。オレが命も欲も捨てて守り続けたものを傷つけられるぐらいなら、お前の心なんていらない。その体と守り葉の力だけで十分だ」
言い終えた直後。
ナウムに深く口づけられ、みなもの息が詰まる。
そして別れを惜しむかのようにゆっくりとナウムの唇が離れ、そっと耳元で囁く。
「ずっと悩みに悩んで、辛かっただろうなあ。だが……もうお前は何も考えなくてもいいんだ。ただ、オレの言うことを聞いて、オレだけを感じていればいい」
一言、一言、耳に入っていく度に、思考が麻痺していく。
ナウムに屈したくないと憤る心が消えていく。
このまま彼を受け入れたくないと、拒む気持ちも霧散する。
頭の頂から徐々に自分が消えていく感覚。
せめてレオニードのことを想う気持ちは無くしたくなかった。
けれど、ナウムに夜の闇が眠りを誘うような抱擁をされて、その想いすら闇へと沈み、無と化してしまった。
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