男装の薬師は枯れぬ花のつぼみを宿す

天岸 あおい

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五章 葛藤

覚悟は決まった

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 みなもは身支度を整えて朝食を済ませると、ナウムの書斎の扉を叩いた。
 こちらが口を開く前に、中から「みなも、遠慮せずに入れよ」という声が聞こえてくる。

 まだ声も聞いていないのに、どうして誰が来たのかが分かるんだ? 恐らく廊下からの足音や気配を読んでいるのだろうけど……。

 ナウムのこういう資質は、悔しいが流石だと思ってしまう。
 だからこそ気は許せないと身構えながら、みなもは「失礼するよ」と扉を開けて部屋の中へ入った。

 正面に大きな窓と机が臨んでいたが、そこにナウムの姿はなかった。
 みなもが辺りを見渡すと、彼は隅に置かれた本棚の前で、分厚い装丁の本を読んでいた。

 本を閉じて顔をこちらに向けると、ナウムは目を細めて微笑んできた。

「よう。お前からオレの所に来るなんて珍しいな。どうかしたのか?」

 これから伝えることを察しているのか、ナウムの顔がやけに上機嫌だ。
 先読みされてばかりで、甚だ面白くない。思わずムッとしそうになるが、みなもは我慢して己の顔から感情を消した。

「……やっと覚悟が決まったから、ここへ来たんだ」

 次の一言を口にすれば、もう後には引けない。
 軽く目を閉じて大きく息を吸い込み、先の見えない闇に飛び込む勇気を蓄える。
 
 瞼を開けてナウムを見据えてから、みなもはその場に跪いた。

「姉さん……いえ、エレーナ様をお守りするために、私を貴方の部下に加えて下さい。貴方がエレーナ様に忠誠を誓い続ける限り、私はこの守り葉の力を捧げましょう」

 わずかにナウムの目が丸くなり、面食らったような表情を見せる。
 しかし、すぐに不敵な笑みを浮かべてみなもへ近づくと、彼はしゃがんで目線を合わせてきた。

「その言葉、待っていたぜ。お前はオレの欲しいものを全部持っているんだ、どの部下よりも大切にしてやるよ」

 ナウムが腕を伸ばして、みなもの頬に優しく手を当てる。
 何度も見た夢が脳裏に過ぎり、体が強ばってしまう。そんな弱みを知られまいと、みなもは頭を垂れてナウムの手から逃れた。

「ありがとうございます。ただ、一つお願いしたいことがあります」

「何だ? 無茶な内容じゃなければ、どんなことでも聞いてやる」

「どうか、近々エレーナ様と二人きりでお話しする機会を下さい。お伝えしたいことは、まだまだたくさんありますから」

 ナウムから小さく唸る声が聞こえる。
 しばらくして、こちらの肩に手を乗せ「顔を上げろ」と命じてきた。
 みなもが言われるままに顔を上げると、ナウムは苦笑を漏らした。

「その頼み、聞いてやるが……オレの頼みも聞いてくれ」

「頼み、ですか?」

「オレと二人きりの時は、今まで通りにしてくれ。その敬語に態度、思いっきり距離を取られた感じで面白くねぇ」

 今度はみなもの目が丸くなり、不敵な笑みを浮かべ返す。

「部下になる以上、立場をわきまえたほうが良いと思ったんだけどね。まあ、白々しいやり取りをしなくていいのなら、俺もありがたいよ」

「そうそう。それぐらい生意気なほうが、口説き甲斐があっていい」

 愉快げに声を弾ませながら、ナウムが肩に乗せていた手でみなもの顎を持つ。
 咄嗟にみなもはその手を払い、素早く立ち上がる。

「調子に乗るな。俺はあくまでも部下だ、お前を喜ばせる娼婦になる気は一切ない」

「クク……お前はそのままで十分にオレを喜ばせてくれる。娼婦にする必要もねぇよ。だが――」

 ナウムがニヤニヤしながら立ち上がり、こちらの体を舐め回すように見つめてきた。

「気づいてるのか? お前、オレに少し触れられるだけで面白いくらいに熱くなってんだぞ。いつか耐えられなくなって、みなもからオレを求めるようになるかもな」

 ドクン、と鼓動が大きく跳ねる。

 まさか夢のことを知っているのか?
 そんなはずはない。
 夢は夢。独り言ですら口にしたことのない内容を、ナウムが知るはずもない。

 少し落ち着いて考えれば、ナウムには何度も触られている。
 その都度、頭に血が上っていたのだ。体も熱くなって当然だ。

 みなもは呆れたように肩をすくめ、「ありえないよ」と踵を返そうとした。
 が、動きを止めて、顔だけをナウムのほうへと向けた。

「ナウム……先日ここまで足を運んで下さったイヴァン様に、お礼の手紙をお渡ししたいんだ。だから失礼にならないような便箋と封筒を、いくつか譲って欲しい」

「律儀なヤツだな。あの人はそんな物がなくても、まったく気にしない人だが……まあお前が渡したいって言うなら譲ってもいいぜ。後で侍女にお前の部屋まで運ばせる」

「ありがとう。じゃあ、俺は失礼する――」

 今度こそ立ち去ろうとした時。
 みなもの腕が強く掴まれ、後ろへ引っ張られる。

 耳元で、一段と低くなった声が囁いた。

「一つ尋ねるが、ヴェリシアの男に書いて送る気じゃないだろうな?」

 つられるように、みなもの声も低くなる。

「……俺はあの人を裏切って姉さんを選んだんだ。書ける訳がないだろ」

「お前は目的のために、本心も性別すらも偽ってきた人間だ。無条件にお前を信用するほど、オレはお人好しじゃないぜ」

 ざわざわと、みなもの腰から背筋に沿って悪寒が這い上がってくる。
 けれど悪寒が頭の上まで登り切った後、熱を帯びた鈍い痺れが、ゆっくり足から上へと広がっていく。

 早く離れなければ、自分がおかしくなってしまう。

 みなもは震えそうになる足に力を入れ、ナウムを横目で睨んだ。

「今度姉さんと会わせてくれた時に、手紙を姉さんへ渡す。それなら心配ないだろ? 他の人に渡さないか、見張ってもらっても構わないよ」

「なるほど。そこまで言うなら本当に送る気はなさそうだな。疑ってすまなかったな」

 ナウムに声の調子が戻り、みなもの腕から手を離す。
 そして「良い子だ」と頭を撫でてきた。

 慌てて彼の手を払おうと、みなもは手を上げようとする。

 しかし力は入らず、ナウムの手を払うどころか、自分の腕すら動かすことはできなかった。
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