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四章 新たな毒
条件
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小さな文字を目にした時、頭の中が真っ白になった。
『いずみのことを教えてやる』
仲間の、しかも最愛の姉の名をこんな紙で見ることになるとは思いもしなかった。
姉の名を自分から他の人間に言ったことはないし、ベスーニュの宿屋でレオニードに寝言を聞かれてしまったが、彼の口の堅さは自分がよく分かっている。外に漏れることはまずあり得ない。
つまり、前々から姉のことを知っていなければ書けない名前。
警戒と戸惑いを乗せたみなもの問いに、ナウムは喉でくぐもった笑いを零した。
「ククク……簡単な話だ。オレはいずみのことを昔から知っている。そして、今どこにいるのかも知っている。元気でやってるぜ」
ナウムの言葉を聞いて、みなもの顔に不覚にも微笑みが出てしまった。
大好きな姉が生きている。
離れ離れになってから、ずっと知りたかったことだった。
喜ぶ顔をナウムに見られまいと、みなもはその場にうつむき、こみ上げてくる喜びに破顔した。
「姉さんが生きていてくれたなんて……本当に良かった」
この話をナウム以外の人間から聞きたかったところだが、それでも嬉しさが止まらない。
どうにか自分の気持ちを落ち着かせようとしていると、ナウムから「なあ」と声をかけられた。
「オレがいずみに会わせてやろうか?」
思わずみなもの頭が上がり、虚を突かれて呆然となった顔を露にする。
「本当に、会わせてくれるのか?」
「いずみもお前のことを心配してたからな、できれば会わせてやりたいと思っていたんだ。ただ――」
上機嫌に一笑してから、ナウムの笑みが不敵なものに変わる。
「――オレはお人好しじゃないんだ。見返りがなければ、残念だがいずみに会わせる訳にはいかねぇな」
みなもは軽く顎を引き、顔つきを引き締める。
「条件はなんだ?」
「簡単なことだ、オレのものになれ」
この男のことだから、何となく察しはついていたけれど……。
みなもが心底呆れていると、ナウムは机に肘を置き、身を前に乗り出した。
「本音を言えば、オレはお前のすべてが欲しい。その体も、心も、毒の知識も、何もかもな」
こちらの体を舐め回すように見てくる視線に耐えられず、みなもはわずかに視線を逸らした。
「それだったら、この話はなしだ。自力で姉さんを探し出して、俺から会いに行く」
「まあまあ、最後まで話を聞けよ。オレはお前をものにしたいが、力づくで押し倒したところで、お前は毒で抗おうとするだろ? わざわざ痛い目に合って喜ぶ趣味はねぇ」
ナウムはそう言うと、顔から笑みを消した。
「みなも、オレの部下になれ。そしてオレと共に、いずみを守ってくれ」
ここで姉の名前を出されるとは思わず、みなもは首を傾げる。
「姉さんを守るって……どういうことだ?」
「言葉通りさ。詳しいことは一緒にバルディグへ行った時に教えてやるよ。意地悪で言っているんじゃない。いずみの立場はかなり特別でな、身内であっても容易に教えられるものじゃねーんだ。悪く思わないでくれよ」
かなり特別な状態? 姉さんはどんな状況にあるんだ?
さらにみなもは尋ねようとしかけたが、揺らがないナウムの目を見て口を閉ざす。
これ以上は、どれだけ粘っても教えてくれる気がしない。
おそらく事情があることをちらつかせて、少しでもこちらの興味を引くことが狙いだろう。しかし、ナウムの言葉に偽りはなさそうだった。
姉が――守り葉として守るべき人がバルディグにいる。
容易に再会できない状況に身を置きながら。
これだけの事実で、自分の取るべき行動は決まっている。
それでも即答できないのは――。
みなもが答えに詰まっていると、ナウムが鼻で笑いながら、椅子の背もたれへ寄りかかった。
「この場ですぐに答えを出せっていうほど野暮じゃねーよ。少し考える時間をやる……まあオレも忙しい身だからな、明日の朝にバルディグへ発つ。それまでにここへ来なかったら、オレは二度とみなもの前には現れねぇからな。いずみと会うのは一生諦めてもらうぞ」
返事をする気になれず、みなもは無言で立ち上がり、部屋から出ようとする。
扉を開ける間際、背後から「いすみに悲しい思いをさせんなよ」とナウムが追い打ちをかけてくる。
悔しいが、認めるしかなかった。
この男はこちらの性格も考えも、よく理解している。たった三度しか会ったことがないのに、まるで昔からの知己のようだ。
ナウムの手の平で踊らされているという感覚が、全身へ麻酔がかかるように広がっていく。
それが体を這いずり回り、言いようのない不快感を与えてくる。
もしナウムについていくとすれば、ずっとこんな思いをするのかと、みなもは顔をしかめた。
『いずみのことを教えてやる』
仲間の、しかも最愛の姉の名をこんな紙で見ることになるとは思いもしなかった。
姉の名を自分から他の人間に言ったことはないし、ベスーニュの宿屋でレオニードに寝言を聞かれてしまったが、彼の口の堅さは自分がよく分かっている。外に漏れることはまずあり得ない。
つまり、前々から姉のことを知っていなければ書けない名前。
警戒と戸惑いを乗せたみなもの問いに、ナウムは喉でくぐもった笑いを零した。
「ククク……簡単な話だ。オレはいずみのことを昔から知っている。そして、今どこにいるのかも知っている。元気でやってるぜ」
ナウムの言葉を聞いて、みなもの顔に不覚にも微笑みが出てしまった。
大好きな姉が生きている。
離れ離れになってから、ずっと知りたかったことだった。
喜ぶ顔をナウムに見られまいと、みなもはその場にうつむき、こみ上げてくる喜びに破顔した。
「姉さんが生きていてくれたなんて……本当に良かった」
この話をナウム以外の人間から聞きたかったところだが、それでも嬉しさが止まらない。
どうにか自分の気持ちを落ち着かせようとしていると、ナウムから「なあ」と声をかけられた。
「オレがいずみに会わせてやろうか?」
思わずみなもの頭が上がり、虚を突かれて呆然となった顔を露にする。
「本当に、会わせてくれるのか?」
「いずみもお前のことを心配してたからな、できれば会わせてやりたいと思っていたんだ。ただ――」
上機嫌に一笑してから、ナウムの笑みが不敵なものに変わる。
「――オレはお人好しじゃないんだ。見返りがなければ、残念だがいずみに会わせる訳にはいかねぇな」
みなもは軽く顎を引き、顔つきを引き締める。
「条件はなんだ?」
「簡単なことだ、オレのものになれ」
この男のことだから、何となく察しはついていたけれど……。
みなもが心底呆れていると、ナウムは机に肘を置き、身を前に乗り出した。
「本音を言えば、オレはお前のすべてが欲しい。その体も、心も、毒の知識も、何もかもな」
こちらの体を舐め回すように見てくる視線に耐えられず、みなもはわずかに視線を逸らした。
「それだったら、この話はなしだ。自力で姉さんを探し出して、俺から会いに行く」
「まあまあ、最後まで話を聞けよ。オレはお前をものにしたいが、力づくで押し倒したところで、お前は毒で抗おうとするだろ? わざわざ痛い目に合って喜ぶ趣味はねぇ」
ナウムはそう言うと、顔から笑みを消した。
「みなも、オレの部下になれ。そしてオレと共に、いずみを守ってくれ」
ここで姉の名前を出されるとは思わず、みなもは首を傾げる。
「姉さんを守るって……どういうことだ?」
「言葉通りさ。詳しいことは一緒にバルディグへ行った時に教えてやるよ。意地悪で言っているんじゃない。いずみの立場はかなり特別でな、身内であっても容易に教えられるものじゃねーんだ。悪く思わないでくれよ」
かなり特別な状態? 姉さんはどんな状況にあるんだ?
さらにみなもは尋ねようとしかけたが、揺らがないナウムの目を見て口を閉ざす。
これ以上は、どれだけ粘っても教えてくれる気がしない。
おそらく事情があることをちらつかせて、少しでもこちらの興味を引くことが狙いだろう。しかし、ナウムの言葉に偽りはなさそうだった。
姉が――守り葉として守るべき人がバルディグにいる。
容易に再会できない状況に身を置きながら。
これだけの事実で、自分の取るべき行動は決まっている。
それでも即答できないのは――。
みなもが答えに詰まっていると、ナウムが鼻で笑いながら、椅子の背もたれへ寄りかかった。
「この場ですぐに答えを出せっていうほど野暮じゃねーよ。少し考える時間をやる……まあオレも忙しい身だからな、明日の朝にバルディグへ発つ。それまでにここへ来なかったら、オレは二度とみなもの前には現れねぇからな。いずみと会うのは一生諦めてもらうぞ」
返事をする気になれず、みなもは無言で立ち上がり、部屋から出ようとする。
扉を開ける間際、背後から「いすみに悲しい思いをさせんなよ」とナウムが追い打ちをかけてくる。
悔しいが、認めるしかなかった。
この男はこちらの性格も考えも、よく理解している。たった三度しか会ったことがないのに、まるで昔からの知己のようだ。
ナウムの手の平で踊らされているという感覚が、全身へ麻酔がかかるように広がっていく。
それが体を這いずり回り、言いようのない不快感を与えてくる。
もしナウムについていくとすれば、ずっとこんな思いをするのかと、みなもは顔をしかめた。
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