おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~

天岸 あおい

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六章 おっさんにミューズはないだろ!

おっさんにミューズはないだろ!

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「そんな大げさな……」

「もう、ここを離れたら、ワタシは生きていけないんです」

「ライナス、お前のそれは一時的なものだ。熱はいつか冷める。だから決めつけて思い込むな。他を見ろ。俺のせいでその才能を無駄にするな――」

「カツミさんは、ワタシのミューズです。カツミさんがいるから、ワタシは輝けます!」

 ライナス……やっぱり、おっさんにミューズはないだろ。
 もっとインスピレーションを受けるものが、この世にあるだろ。人でも植物でも、物でも、なんでもあるじゃないか。

 よりによって、どうして俺なんだ。お前は……お前は――。

 ポロリ、と。今まで抑え込んでいたものが目から溢れた。

「馬鹿だ、お前は……っ。ここがどんな所か、この一年で分かっただろうが。どっちかが欠ければ、ずっと独りなんだ……こんな寂しい所で」

「欠けません。ずっと、二人です」

「別れる、別れないって話じゃない。人はいつか死ぬ。順番で言えば俺のほうが先だ。十六も上だからな……俺は、お前にここで、独りになって欲しくない」

「だからカツミさんが独りになることを選んだのですか?」

「俺はいいんだ。ここで生まれて、ずっと生きてきたんだ。俺は……耐えられる――」

 話を遮るように、ライナスが俺を抱き寄せ、腕に閉じ込めてくる。
 ちゃんと体が温かい。もう心配しなくてもいいという安堵感の後、俺の体に温もりが染み込んできて胸が詰まってしまう。

 離れてから一日も経っていないというのに、俺の体はライナスの体温に歓喜して、胸を高鳴らせる。

 あれだけ冷え切っていた体が熱い。とっくに俺はライナスに生かされる体になっていることを感じながら、どうにか息を整えて覚悟を溜めていく。

 もう一度離れる覚悟を……だが――。

「……カツミさん」

 ライナスが柔らかな声で俺に囁く。

「ワタシは、ずっとここにいたいです。カツミさんが居なくなった後も、命がなくなるまでずっと……」

「やめろ。今でも俺に染まり切っているくせに、俺がいなくなったら泣き暮らすだろ、お前は」

「アナタを思い出して泣く時はあると思います。でも……」

 一旦言葉を止めて、ライナスが俺の顔を覗き込んでくる。
 そっと愛おしげに、涙が止まらない俺の目元に口付けてから優しく告げる。

「カツミさんの思い出と気配が染みついたこの家で、カツミさんを想いながら作品を作りますから。ずっとワタシはカツミさんと同じ世界に沈んで生きます」

 俺は息も忘れてライナスを見つめる。少し物悲しげに眉を下げながらも、その瞳は喜びで恍惚とした光すらある。

 慰めではない。本心からの言葉だ。俺がいなくなった後も、ここに価値を見出している。むしろここでなければ、どこへ行っても生きられないと暗に言われている気がする。

 とっくに手遅れだったのか。
 ライナスが俺の塗りを一目見て惹かれたあの時から、もうコイツの世界は俺のみになったんだ。

 じゃあ俺が手を取ってやらないと、ずっと独りなんだな。
 多彩な色が溢れた世界で誰もたどり着くことのない底で独り、自分の世界を紡ぐ――。

「ライナス」

「はい、なんですか?」

「後悔しても責任は取らんからな」

「……? 後悔は絶対しないので、カツミさんは責任取らなくてもいいんです」

 心底分からないと言いたげにライナスは首を傾げる。そして、喜びに顔を溶かす。

「ずっとカツミさんを愛して生きること、許して下さい」

 ゆっくりとライナスの顔が近づいてくる。

 もうここで凍えなくてもいいのか。
 本当はこんな雪に閉じ込められた日、こうして向き合える誰かが欲しかった。だが、この家に縛り付けたくなくて諦めていた。

 我慢しなくてもいい。俺からも温もりを求めてもいい。自分を押さえつけていた枷が外れた気がして、思わず俺は首を伸ばし、自分からライナスを迎える。

 唇の柔らかさと熱い吐息が重なる。数え切れないほどこなした行為なのに、心臓が痛いほど高鳴ってめまいを覚えてしまう。

 辺りは静か。雪が俺たちを閉じ込めていく。
 もうどこまでも二人で温まりながら、沈んでいくしかない。

 未来も、才能も、何もかもを俺が奪ってしまう。そのことに罪悪感は残り続ける。それでも嬉しい。

 俺はライナスの背に手を回し、すべてを預ける。さぞ重たいだろうに、ライナスは軽やかに俺を抱き締め、長く吐息を絡め続けた。
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