おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~

天岸 あおい

文字の大きさ
上 下
75 / 79
六章 おっさんにミューズはないだろ!

独り

しおりを挟む
   ◇ ◇ ◇

 予報通り、ライナスが去ってしばらくしてから雪が降り始めた。

 作業場にこもっていても、いつもより辺りが静かで、しんしんと降り続いているのが分かってしまう。もう飛行機で東京へ向かってしまっただろうか――とライナスのことを一瞬だけ考える。

 だがすぐに作業へ集中し、無心になって漆器を研いでいく。少しでも頭が動いてしまうと、別れたばかりのライナスの姿がよぎってしまい、胸に鈍い痛みが広がってしまう。
 その度に、これで良かったんだと自分に言い聞かせる。

 俺はライナスと出会う前に戻っただけだ。死ぬまでずっと独りで漆器と向き合い、夜よりも深い黒を追求していく――それを心から望んで生きてきた。

 独りでいいんだ。俺の人生に誰かを巻き込みたくない。大切な者にここの寒さも、孤独も、背負わせたくない……だから俺は特別な相手を作らずに生きてきたんだ。

 ふと作業机の奥に置いた時計を見れば、もう夜の八時を過ぎようとしていた。

「……何か食べないとな」

 ため息をついて立ち上がり、台所へと向かう。廊下も、居間も、どこもかしも寒々しくて、思わず俺の体がブルルと震える。

 ライナスがいなくなっただけで、家中の温度が下がってしまった。
 料理を作るのも面倒でカップ麺をすするが、いつまで経っても体は温まらない。口の中は熱いのに、体の芯まで熱が届かない。

 こたつの熱くしても、風呂へ入っても、体の奥が寒いまま。

 早く寝てしまおうと布団の中へ潜り込んでも、体が冷えて仕方がなかった。
 俺は頭まで布団を被り、背中を丸め、自分を抱き締めてどうにか体を温めて眠りにつこうとるす。

 ……寒い。ライナスの温もりを知ってしまったせいで、体が自分だけの熱では満足してくれない。

 ああ、こうなるから特別な奴を作りたくなかったんだ。
 一度でも覚えてしまえば、独りの寒さに気づくから。自分の部屋で初めて孤独の寒さに震えたのは、両親が離婚して、母親がこの家を出て行った日の夜だった。

 俺が成人して間もなく、離婚した母親。いつも寡黙で何を考えているか分からない親父の背が、明らかに縮こまって小さく見えて、動揺と落胆が俺にも伝わってきた。

 本当なら、心細い時に手を取り合って乗り越えてきただろうに――その相手がいなくなってしまった。どれだけそれが辛いことなのか、離婚後の親父の姿が如実に教えてくれた。

 目に見えて何も言わなくなり、気力が抜け出て、あっという間に老け込んだ。あまりの変化に、俺は恐怖すら覚えた。

 誰かを傍に置いた後、こんな孤独と苦しみを覚えてしまうぐらいなら、最初から作らないほうがいい。

 俺は味わいたくない。傍に置きたいほど心を許した相手にも、こんな思いをして欲しくない。

 痛みすら覚えるほどの寒さに、俺は息を詰める。そして心から思ったことを口にする。

「……やっぱり、ライナスにはこうなって欲しくないな」

 俺と一緒にやっている間は幸せかもしれない。
 だが俺が亡くなった後、ライナスがここで独りで苦しむなんて……嫌だ。考えたくもない。

 あれだけ俺に陶酔しているんだ。どれだけ絶望しながら生きるのだろうか?
 だから苦しむのは俺だけでいい。若くて有望なライナスに孤独は似合わない。多くの人間に囲まれ、力を貸してもらい、描きたい世界を全力で描く――きっとこれからはそんな人生を送るだろう。そのほうがいい。

 ライナスの分を俺が苦しんでいると思えば、この辛さも嫌ではない気がした。

 布団に入っても一向に体が温まらず、俺は一度体を起こし、ストーブの前まで這い寄る。背中に布団をかけ、赤々とした光に手をかざしていると――。

「ん?」

 一瞬、静けさが乱れた気がした。
 何か音がした訳ではない。それなのに、雪に閉じ込められていく中、突然異物が混じったような……。

 ふと気になってしまって、俺は立ち上がり、青いはんてんを着て部屋を出る。そして二階へ上がり、廊下の窓から外の様子を見た。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる

クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する

あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。 領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。 *** 王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。 ・ハピエン ・CP左右固定(リバありません) ・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません) です。 べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。 *** 2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。

旦那様と僕・番外編

三冬月マヨ
BL
『旦那様と僕』の番外編。 基本的にぽかぽか。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜

天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。 彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。 しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。 幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。 運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。

「誕生日前日に世界が始まる」

悠里
BL
真也×凌 大学生(中学からの親友です) 凌の誕生日前日23時過ぎからのお話です(^^ ほっこり読んでいただけたら♡ 幸せな誕生日を想像して頂けたらいいなと思います♡ →書きたくなって番外編に少し続けました。

夢では溺愛騎士、現実ではただのクラスメイト

春音優月
BL
真面目でおとなしい性格の藤村歩夢は、武士と呼ばれているクラスメイトの大谷虎太郎に密かに片想いしている。 クラスではほとんど会話も交わさないのに、なぜか毎晩歩夢の夢に出てくる虎太郎。しかも夢の中での虎太郎は、歩夢を守る騎士で恋人だった。 夢では溺愛騎士、現実ではただのクラスメイト。夢と現実が交錯する片想いの行方は――。 2024.02.23〜02.27 イラスト:かもねさま

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

処理中です...