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六章 おっさんにミューズはないだろ!

年齢差があるからこそ

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「ありがとうございます、ミスター幸正。ライナスのために……」

「私ができるのはここまでです。後はよろしくお願いします」

「もちろんです。私の可愛い甥ですから、あの子の道がより良いものになるよう力を尽くします」

 ローレンさんはぎこちなく会釈すると、ソファから立ち上がり、ライナスを追って事務所を出た。

 残された俺が大仕事を終えて息をついていると、

「克己……お前、本当にこれで良いのか?」

 辻口に声をかけられ、俺はゆっくりと振り向く。

「良いも何も、最初からこの予定だったんだ。漆芸を続けるにしても、絵画に戻るにしても、アイツはここで埋もれていい奴じゃない」

「それは分かるが、今は昔と違う。こんな田舎からでもネットで世界に発信することはできるんだぞ」

「確かに可能だろうが、でもそれはライナスのためにならない。アイツは俺に夢中になり過ぎるから……」

 ふと脳裏にライナスとの日々がよぎって、胸の奥が甘く疼く。
 一緒にいるだけ、どこまでも二人だけの世界に沈んでしまう。俺たちしかいない限界集落で、漆黒だけの世界に没頭する。夢中になるほど二人だけになって、感覚すら溶け合って、ひとつでいられるような気すらしていた。

 それはあまりに心地良くて、胸が満たされる。余分なものが俺たちの間に入り込まない、特殊で幸せな時間。付き合って一年も経たないのに、ライナスとの日々は俺を虜にし、愛に溺れさせた。

 今もまだ俺は甘くて愛おしい世界から抜け出せていない。一人だけでは寂しさが募るだけなのに。

 それでも俺は、これ以上ライナスとはやっていけない。
 俺と愛し合うほどに、ライナスの世界は俺だけになってしまう。その先にあるのは、漆黒よりもさらに深い闇の世界だ。だから――。

「幸正さんの気持ち、分かります。でも俺、ライナスの気持ちも分かるので、自分のことじゃないんですけど……ちょっとショックです」

 淡々とした濱中の声に振り向くと、珍しく泣きそうな顔をしている。もしかすると叶わぬ恋をライナスに重ね合わせ、自分を慰めていたのかもしれない。

 期待通りにならなくて悪いな、と思っていると、さらに濱中が話を続ける。

「見たところ、ライナスには寝耳に水だったみたいですね。二人でもう少し話し合えば、別れなくても折り合いが付けられるのでは――」

「悪いが無理だ。俺が突き放す理由は、別にあるんだ」

「別の理由、ですか?」

「……濱中、辻口。良かったらこれからもライナスのサポートをしてくれ。俺がいなくても漆芸で活動ができるように……頼む」

 俺が深々と頭を下げると、辻口から大きなため息が聞こえてきた。

「そういうことか……まあ、なあ。順番からすれば、俺たちのほうが早いもんな。ライナスとは十六歳差だし」

「どういうことですか?」

 まだ察しがつかない濱中へ、俺の代わりに辻口が教えてくれた。

「克己はあの家でライナスを独りにしたくないんだ。事故や病気がなければ、先に亡くなるのは俺たちのほうだ」

「あ……」

「あそこへ縛り付けて独りにさせたくない……克己、お前本当にライナスが好きなんだな」

 俺が頭を上げると、隣に並んだ辻口がポン、と背中を叩いてくる。顔を合わせた辻口の表情は、意外にも笑みが零れていた。

「俺も似たようなこと考えてるから、克己の気持ちはよく分かる。俺にはやめろだなんて言えんわ」

「辻口……」

「分かったから、せめて孤立はするなよ。俺からは以上だ」

 この人懐っこい人脈おばけが、俺に理解を示すとは思わなかった。
 分かってくれるなら助かると思っていると、濱中が小首を振った。

「年齢差なんて、何をやっても変えられない理不尽なものじゃないですか。それが要因だなんて……」

「そうだな、理不尽だな。それでも俺は……自分のエゴでアイツを苦しめたくない」

 本音を言えば離れたくない。ずっと温かなまま過ごしたいと願ってしまう。しかし俺が亡くなった後のことを考えると、俺は自分の幸せのためにライナスを犠牲にできなかった。

 何を言っても心が変わらないと悟ったのか、悔しげに顔を歪めながら濱中が口を閉ざす。

 俺はテーブルに乗ったままのライナスの蒔絵に視線を送る。姿を描かずに俺を閉じ込めてしまった蒔絵。二度と実物を見ることはないだろうと思い、俺はしっかりと目に焼き付けた。
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