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六章 おっさんにミューズはないだろ!

ライナスが作り出したもの

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   ◇ ◇ ◇

 約束の十一月になった。ローレンさんなりに気遣ったのだろうか、俺たちの前に現れたのは月末ギリギリだった。

 家まで来てもらうのは大変だと思い、漆芸館で落ち合う約束をし、辻口の好意で事務所を使わせてもらうことになった。

 ソファに座ったライナスとローレンさんが木製のローテーブルを挟んで睨み合う中、俺や辻口、濱中はライナスの後ろで様子を見守る。

 そっとライナスは脇に置いていた浅い木箱を持ち上げ、テーブルに置く。ゆっくりと蓋を開き、蒔絵の全貌が分かるにつれて皆が息を呑む音が聞こえてきた。

「これをライナスが作ったのか……やっぱりセンスが違うな」

 ボソリと辻口が感嘆の言葉を漏らす。濱中がすかさず頷き、俺に耳打ちしてくる。

「反応が良さそうですね。ローレンさん、驚いてますよ」

「そりゃあライナスが本気出して作ったやつだ。驚いてもらわんと困る」

 俺たちが声を潜めて話をしている中、ローレンさんが早口にライナスへ話しかける。あまりに早すぎて単語が一切聞き取れない。

 英語ができる辻口が聞き耳を立て、ざっくりと訳してくれた。

「めちゃくちゃ感動してるみたいだ。なんだこの宝石は、だと。ベタ褒めだ」

 そりゃあそうだろう、と俺は心の中で胸を張る。あれが俺との思い出のひとつということが分からなくても、色にこだわったライナスの蒔絵は誰が見ても惹かれるものがあると思う。

 小さな粉の一粒すら計算しているかのような繊細さ。様々な輝きを重ね、浮かび上がらせる漆黒。少なくとも現地でのライナスの知名度を考えれば、十分に高く売れるだろう。文句のつけようがない作品に仕上がったと思うが――。

 俺が考えていると、不意にローレンさんはライナスの手を両手で握る。そして首を少し傾け、俺のほうを見た。

「ミスター幸正、感謝します。素晴らしい作品ですわ」

「すべてライナスの努力の賜物です。俺は漆器の基本を教えただけです」

「この作品なら今までの絵画の代わりになります。最初の宣伝が肝心ですから、しばらくライナスには英国で活動してもらおうと考えています」

 話を聞いた瞬間、ライナスが全力で首を横に振る。

「嫌です! カツミさんから離れたくないです。ずっとここにいます。宣伝はローレンが――」

「ライナス、師匠命令だ。しばらくあっちで活動して、土台をしっかりと作って来い」

 俺の言葉にライナスは勢いよく振り返り、今にも飛び出そうなほど目を見開いていた。

「カツミさんと一緒がいいです……そうだ。旅行も兼ねて、カツミさんも来て下さい。それなら行きま――」

「俺は行かんぞ。あと、お前はもう一人前だ。弟子卒業だ。だから、これからは自分の作業場を持って活動しろ。いいな」

 まさか俺から突き放されるなんて、ライナスは思ってもいなかっただろう。しばらく茫然となってから、急に立ち上がってソファから身を乗り出す。

「ワタシはカツミさんと一緒に居たいです! これからも、ずっと……」

「駄目だ。俺は独りがいいんだ」

 ズキリ、と胸の奥が痛む。
 だがこれは前から決めていたこと。ライナスが外へ羽ばたくための、最後の仕上げだ。

「今すぐにとは言わんが、本格的に冬が始まる前に家から出て行ってもらうぞ。一人で工房構えて、完全に独り立ちするまでは会わんから、そのつもりでな」

「そんな、どうして急に……」

「急にも何も、俺はお前の師匠だ。師匠の役目は弟子を早く一人前にすること。今までのことは全部その一環だ」

 ライナスの目が、驚きから悲しみへと歪む。

「じゃあ、ワタシを受け入れてくれたことも……」

「早く一人前にするためだ。漆に集中してもらったほうが良いと思ってな。実際、もう一人前になれただろ? そして一緒にいる理由はなくなった」

 本気だと伝わるよう、俺はライナスの目を見据えた。

「終わりだ、ライナス。弟子の飛躍を邪魔する師にはなりたくない」

「……っ、イヤ、です。ワタシは……っ!」

 こっちに来かけたライナスを、俺は眼力を強めて制する。
 もう俺はお前を受け入れない。視線に気迫を込めてぶつければ、ライナスはよろめき、事務所から飛び出ていった。

 誰もこの事態を想定していなかったのか、俺以外の人間が全員キツネにつままれたような顔で押し黙る。

 しばらくして、ローレンさんが目を細くしながら俺を見つめてきた。
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