64 / 79
五章 二人で沈みながらも
協力してくれる理由
しおりを挟む
「……っ。ありがとうございます」
「ようオレの手を見とる。ここまで天才やと、妬みを通り越して逆にどこまでやれるか見たくなるわ」
小声で水仲さんは一笑した後、より低くかすれた声で呟く。
「幸正の親父も天才やったんやけどなあ。認めるにはオレは若過ぎた」
「水仲さん……」
「今から三十年くらい前やったか。世ン中が不景気になって、山ノ中の職人が食べていくのが難しいなってな。オレも苦しかった――」
あの時の世間の暗さを、俺も子供心ながら覚えている。
景気が極端に悪化して最初に削られるものは、嗜好品や高級品。当時は伝統工芸全般にかかわる者が窮地に陥った。職人はもちろん、漆芸の材料を売る店も、卸問屋も、皆が苦労した。
俺の所も打撃はあったが――。
「――だが幸正の親父は仕事があり続けた。誰も作れん変わり物ばかり。伝統を壊すもんやと、みんな文句言っとった。俺もそうやって愚痴っとった」
そう。俺の家は前より売り上げが少し下がっただけで済んだ。母が財布の紐を軽く締める程度で良かった。
当時の俺はまだ子供で、状況はよく分かっていなかった。ただ、時間が経過していく内に、ちらほらと不穏な話を学校で聞くことが増えた。
親が職人を辞めてトラック運転手になった。一家で夜逃げ。命を断った。次第に珍しい話ではなくなった。俺が高校を卒業して漆芸の道を進み出した頃も、多少景気が回復したとはいえ、以前の勢いはなく、悲観の色が強かった。
そんな中でも親父は変わらず漆で食っていけた。親父の凄さを、同じ道に進んで初めて実感した。
昔を思い出していると――ぽん、と水仲さんの小さな手が、俺の腕を軽く叩いていた。
「悪かったんな。オレもなりふり構わず、幸正の親父に相談すりゃあ良かった。意地張って、馬鹿なことした」
「もしかして、その罪滅ぼしでライナスに教えてくれているんですか?」
「少し、な。それよか、頼られて、まあ、なんだ……分かってくれ」
横目で隣を見たら、水仲さんの顔が赤い。この人、本当に必要とされて嬉しかったんだな。俺も今まで苦手意識が強くて水仲さんを避けていたが、これからは漆芸の先人として関わりたい。
懐に入ってみないと分からないもんだ。軽く息をつきながら口元を綻ばせていると、水仲さんから小さく吹き出す音がした。
「それにしても、師匠の顔を蒔絵にするとはなあ」
「ああ、はい。なんか複雑です」
「こんだけ弟子に好かれとる師匠、ようおらんわ。家族になりたいって言っとったのも本気なんやな」
俺とライナスの関係を知ったら、水仲さんはどう思うだろうか? もう気づいているかもしれないが、俺たちが明言しなければ疑惑のままだ。確定したら理解できんと拒絶されないだろうか?
周囲と最低限の繋がりがあればいいと思っていたのに、ライナスと繋がってから、人付き合いを同じように考えられない。今は人との繋がりがありがたい。できればもっと――。
「なあ幸正の。五月の連休の漆器まつり、ライナスの作ったやつ出さんか? オレが口利いてやっから」
「良いんですか?」
「そのほうが精が出るやろ。あと町のもんと顔合わせられる。他のこと知りとうなった時、話がはよ済むやろ」
欲しかった人脈のきっかけ。俺は思わずバッと水仲さんへ振り向く。
目が合うと水仲さんは、少し寂しげに笑った。
「一応昔は何人も弟子取っとったから、少しは幸正のせがれの気持ちは分かる。どうしていきたいかも、なんとなく見えとる……協力しちゃる。オレんことは良いように使えや」
多分、水仲さんは俺たちの事情を半分も分かっていない。しかし俺の望みには確信を持っている――これが年の功というやつなのか。
俺は湧き上がりそうになった眼の熱を抑え込んだ後、ゆっくりと浅い会釈をした。
これで心置きなくライナスという弟子を育てられる。ローレンさんと約束した時までの間、俺のすべてを注いでやれる。
ライナスのほうへ目を戻せば、真剣な顔で薄美濃紙に焼き漆で線をなぞっている最中だった。
深く入り込んでいる。こうなっている時は、音は何も入ってきていない。ライナスは今、集中して己の感性の底へ沈んでいる。
絵を描いている時のライナスの顔がやけに凛々しく見えて、直視できず視線をずらす。
ボソリ、と。水仲さんが呟いた。
「あとな、もうお前らがただならぬ仲やろうと、みんな噂しとるわ。からかわれること言われると思うけんど、堂々とすりゃあいい」
「そ、そう、でしたか……」
「二人とも分かりやすいわ。ライナスは隠す気ないんし」
「俺も、分かりやすいですか?」
「ずっと堅物やったクセに、色んなもんが柔らこうなった。前とは別人や」
そんなに変わってしまったのか……周りにもう気づかれているなんて。頭が痛くなってきたが、話が広がってしまったのならもうどうしようもできない。俺は否が応でも開き直るしかなかった。
「ようオレの手を見とる。ここまで天才やと、妬みを通り越して逆にどこまでやれるか見たくなるわ」
小声で水仲さんは一笑した後、より低くかすれた声で呟く。
「幸正の親父も天才やったんやけどなあ。認めるにはオレは若過ぎた」
「水仲さん……」
「今から三十年くらい前やったか。世ン中が不景気になって、山ノ中の職人が食べていくのが難しいなってな。オレも苦しかった――」
あの時の世間の暗さを、俺も子供心ながら覚えている。
景気が極端に悪化して最初に削られるものは、嗜好品や高級品。当時は伝統工芸全般にかかわる者が窮地に陥った。職人はもちろん、漆芸の材料を売る店も、卸問屋も、皆が苦労した。
俺の所も打撃はあったが――。
「――だが幸正の親父は仕事があり続けた。誰も作れん変わり物ばかり。伝統を壊すもんやと、みんな文句言っとった。俺もそうやって愚痴っとった」
そう。俺の家は前より売り上げが少し下がっただけで済んだ。母が財布の紐を軽く締める程度で良かった。
当時の俺はまだ子供で、状況はよく分かっていなかった。ただ、時間が経過していく内に、ちらほらと不穏な話を学校で聞くことが増えた。
親が職人を辞めてトラック運転手になった。一家で夜逃げ。命を断った。次第に珍しい話ではなくなった。俺が高校を卒業して漆芸の道を進み出した頃も、多少景気が回復したとはいえ、以前の勢いはなく、悲観の色が強かった。
そんな中でも親父は変わらず漆で食っていけた。親父の凄さを、同じ道に進んで初めて実感した。
昔を思い出していると――ぽん、と水仲さんの小さな手が、俺の腕を軽く叩いていた。
「悪かったんな。オレもなりふり構わず、幸正の親父に相談すりゃあ良かった。意地張って、馬鹿なことした」
「もしかして、その罪滅ぼしでライナスに教えてくれているんですか?」
「少し、な。それよか、頼られて、まあ、なんだ……分かってくれ」
横目で隣を見たら、水仲さんの顔が赤い。この人、本当に必要とされて嬉しかったんだな。俺も今まで苦手意識が強くて水仲さんを避けていたが、これからは漆芸の先人として関わりたい。
懐に入ってみないと分からないもんだ。軽く息をつきながら口元を綻ばせていると、水仲さんから小さく吹き出す音がした。
「それにしても、師匠の顔を蒔絵にするとはなあ」
「ああ、はい。なんか複雑です」
「こんだけ弟子に好かれとる師匠、ようおらんわ。家族になりたいって言っとったのも本気なんやな」
俺とライナスの関係を知ったら、水仲さんはどう思うだろうか? もう気づいているかもしれないが、俺たちが明言しなければ疑惑のままだ。確定したら理解できんと拒絶されないだろうか?
周囲と最低限の繋がりがあればいいと思っていたのに、ライナスと繋がってから、人付き合いを同じように考えられない。今は人との繋がりがありがたい。できればもっと――。
「なあ幸正の。五月の連休の漆器まつり、ライナスの作ったやつ出さんか? オレが口利いてやっから」
「良いんですか?」
「そのほうが精が出るやろ。あと町のもんと顔合わせられる。他のこと知りとうなった時、話がはよ済むやろ」
欲しかった人脈のきっかけ。俺は思わずバッと水仲さんへ振り向く。
目が合うと水仲さんは、少し寂しげに笑った。
「一応昔は何人も弟子取っとったから、少しは幸正のせがれの気持ちは分かる。どうしていきたいかも、なんとなく見えとる……協力しちゃる。オレんことは良いように使えや」
多分、水仲さんは俺たちの事情を半分も分かっていない。しかし俺の望みには確信を持っている――これが年の功というやつなのか。
俺は湧き上がりそうになった眼の熱を抑え込んだ後、ゆっくりと浅い会釈をした。
これで心置きなくライナスという弟子を育てられる。ローレンさんと約束した時までの間、俺のすべてを注いでやれる。
ライナスのほうへ目を戻せば、真剣な顔で薄美濃紙に焼き漆で線をなぞっている最中だった。
深く入り込んでいる。こうなっている時は、音は何も入ってきていない。ライナスは今、集中して己の感性の底へ沈んでいる。
絵を描いている時のライナスの顔がやけに凛々しく見えて、直視できず視線をずらす。
ボソリ、と。水仲さんが呟いた。
「あとな、もうお前らがただならぬ仲やろうと、みんな噂しとるわ。からかわれること言われると思うけんど、堂々とすりゃあいい」
「そ、そう、でしたか……」
「二人とも分かりやすいわ。ライナスは隠す気ないんし」
「俺も、分かりやすいですか?」
「ずっと堅物やったクセに、色んなもんが柔らこうなった。前とは別人や」
そんなに変わってしまったのか……周りにもう気づかれているなんて。頭が痛くなってきたが、話が広がってしまったのならもうどうしようもできない。俺は否が応でも開き直るしかなかった。
1
お気に入りに追加
49
あなたにおすすめの小説

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。
虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する
あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。
領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。
***
王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。
・ハピエン
・CP左右固定(リバありません)
・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません)
です。
べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。
***
2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜
天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。
彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。
幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。
運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。
「誕生日前日に世界が始まる」
悠里
BL
真也×凌 大学生(中学からの親友です)
凌の誕生日前日23時過ぎからのお話です(^^
ほっこり読んでいただけたら♡
幸せな誕生日を想像して頂けたらいいなと思います♡
→書きたくなって番外編に少し続けました。
夢では溺愛騎士、現実ではただのクラスメイト
春音優月
BL
真面目でおとなしい性格の藤村歩夢は、武士と呼ばれているクラスメイトの大谷虎太郎に密かに片想いしている。
クラスではほとんど会話も交わさないのに、なぜか毎晩歩夢の夢に出てくる虎太郎。しかも夢の中での虎太郎は、歩夢を守る騎士で恋人だった。
夢では溺愛騎士、現実ではただのクラスメイト。夢と現実が交錯する片想いの行方は――。
2024.02.23〜02.27
イラスト:かもねさま
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる