おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~

天岸 あおい

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五章 二人で沈みながらも

初めての蒔絵は俺の顔

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   ◇ ◇ ◇

「……オイ。そっち座れ」

 漆黒の香合に金粉を振りながら、前触れなく水仲さんがライナスに促す。
 曖昧な内容にライナスが軽く困惑し、取り敢えず水仲さんの近くに座る。

 チラッと見やり、はぁ……とライナスへ敢えて聞かせるようなため息をついてから、水仲さんは部屋の隅にある作業机を指さした。

 前に来た時はなかった飴色の作業机。中央は色が剥げており、誰かが使用していた中古のものだと分かる。

 まさか、ライナスのためにわざわざ用意してくれたのか?
 ライナスも意外だったようで、思わず俺と顔を見合わせる。目配せして座るよう促すと、ライナスは戸惑いながら置かれた座布団に座った。

「引き出しのヤツは好きに使え。オレの予備のヤツやし」

「え、あ、ありがとうございます、水仲さん!」

「今、手ぇ空くから、少し見てやる……幸正の。あっちの風呂にある板、ひとつ持って来てやれ」

 水仲さん……蒔絵道具どころか、練習用の板も準備したのか!
 内心驚きつつ、俺は「ああ、はい」と表向きは淡々とした調子で言われたままに動く。使い込まれた風呂の戸を開けば、中に何枚も上塗り済みのはがきサイズの板が置かれていた。

 態度は愛想ゼロで口数少なく、顔はどこか怒っているようにムスッとしているのに……。どうしてここまで協力的なのか分からないが、ありがたいことだ。俺は言われた通りに漆黒の板を一枚手に取り、ライナスに手渡す。

 俺たちを見やって確かめた後、水仲さんは作業しながら口を動かす。

「幸正の。置き目、教えてやってくれ。絵は好きなもんでいい。はよしね」

 この『しね』は早くしろと急かす言葉。地元民じゃなければ別の物騒な意味に聞こえてしまうことが多い。

 突然の単語にライナスの肩がビクッと跳ねる。思わず吹き出してから、俺は「大丈夫だ」と伝えて引き出しの中にある薄い紙――薄美濃一枚と鉛筆を取り出し、机の上に広げた。

「その紙に何か好きな絵を描け。なんでもいいが、初めてだから簡単な物がいい。花とか、模様とか」

「好きな絵……こうですか?」

「待て。これ、俺か?」

「ワタシの一番好きな絵です」

 一本線でササッと描いた俺の顔を、ライナスは人差し指の先で優しく撫でる。
 蒔絵の初練習が俺の顔。趣味が悪いぞライナス。描き直しを要求したかったが、水仲さんが早くしろと望んでいる以上、それは苛立たせることになる。どうにか我慢して、俺は次の工程を伝えた。

「次にその紙を裏返して、蒔絵筆で焼いた漆を薄くつけてなぞっていくんだが……水仲さん、漆は――」

「オレん所に置いてあるの使え。そこにあるやろ?」

「ああ、はい、じゃあ持っていきます」

 いつの間にか俺が二人の助手と化しているな……と心の中でごちりながら、アルミホイルごと焼き漆を持ち上げ、ライナスの元へ運ぶ。

「とにかくこれで薄く線をなぞれ。慣れない間は上手く線が描けないと思うが」

「大丈夫です。水仲さん、見ていましたから」

 小さくそう言うと、ライナスが息を止める。細い蒔絵筆をそっと摘まみ、焼き漆をつけて線をなぞっていく。

 薄く塗られた線は恐ろしいほどにブレがない。息継ぎとともに筆に焼き漆を新たに乗せ、別の線を描く。ライナスの筆に見入っていると、

「本当に初めてなんか?」

 作業を一段落させた水仲さんが俺の隣に並び、ライナスを見ながら尋ねてくる。

「はい。俺の所でやらせていませんでした」

「大したもんやな。描いてるもんはどうかと思うがな」

「同感です」

 ボソボソと水仲さんと話している間に、薄美濃紙に俺が浮き上がる。

「できました! 次はこれを表にして、この漆の板に移せば良いんですよね?」

「そや。板にくっつけて、ヘラでこすりゃあいい」

 言われた通りにしていけば、俺の顔が板に写る。なまじ似ているだけに恥ずかしい。
 俺が穴に入って悶えたくなっている間、絵に消銀粉が綿でつけられ、輪郭を明確にする。これが置き目。蒔絵にもいくつか種類はあるが、どれをやるにしても最初にこれをしなければ始まらない。

 いつの間にかライナスの隣に並んだ水仲さんが、「それ寄越せ」と板を手にした。

「こんだけできるんなら、もっと細かいもんも描いてみい」

 言いながら水仲さんは板を風呂へ置く。そこから新たな別の板を三つほど取り出し、ライナスへ手渡した。

「はいっ、もっと細かくカツミさんを描きます」

「「いや、別のを描け」」

 まさか水仲さんと声が被るとは。二対一。ライナスは渋々「分かりました……」と引き下がり、図案を考え始めた。

 俺は気を散らさないようにライナスから距離を取り、静かに床へ座る。少し様子を見てから水仲さんも同じように離れ、俺の隣へ腰を下ろした。

「幸正の。ありゃあ、良い弟子やなあ」

 思いがけずライナスを褒められ、俺は驚きで息を引いてしまう。

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