おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~

天岸 あおい

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四章 試練と不調と裸の付き合い

見るに見かねて

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   ◇ ◇ ◇

 元々漆に対して真摯に向き合っていたライナスだったが、さらに集中して漆芸に取り組むようになった。

 俺の動作を盗み見ながら下地を塗り、研ぎを施し、美しく均一な形を作り上げていく。
 良い物を作るためには、良い道具が欠かせない。最初に刃物の研ぎを仕込んだおかげで、扱いやすいヘラを削ることができたし、刷毛の状態も良かった。

 目に見えて成長していく姿は、横で見ていて嬉しい。師匠として優秀な弟子は誇らしい。もちろん、まだライナスの絵画の価値には届いていない。だが土台は出来上がりつつあった。

 雪が降ったり止んだりで、減らない雪に囲まれ、一日中家の中で二人で過ごす日々。漆芸が終われば、否応なくお互いを向き合う時間となる。ここは問題ないだろうと軽く考えていた。

 ――まさか許した途端に、今までよりもライナスが俺に手を出さなくなるとは、夢にも思わなかった。

「――あっ……」

 黙々と作業している中、唐突にライナスが声を上げる。
 顔を上げて目を向ければ、ヘラに取った下地がライナスの手の上にボトリと落ちているのが見えた。

「早く取って、テレピンで拭いておけ。後回しにしていると、しばらくかぶれて大変だぞ」

 漆は肌に着くと、きれいに拭き取るだけではかぶれてしまう。テレピン油をティッシュに染み込ませた物で拭く必要がある。

 言われた通りにライナスが作業台の脇にあるテレピンを手にし、ティッシュに出しかけ――ドペッと多めに出てしまい、テレピン独特の甘みと油臭さが混じったにおいが部屋に広がる。

「ああ……す、すみません……っ」

 申し訳なさそうにうつむきながら、ライナスは零してしまったテレピンを拭き取り続ける。その姿を見て俺は密かに息をつく。

 ここ数日、ライナスの調子が悪い。明らかに他愛のないミスが増えている。しかし弛んでいるかといえば、やる気は十分過ぎるほどある。空回りして気疲れを起こし、手元が狂う――何が原因かはなんとなく察している。

「おい、ライナス」

 俺は立ち上がって蓋つきのごみ箱を手にし、ライナスの所へ持っていく。

「こっちに入れろ。それだけ量が多いと、キツいにおいがずっと中に充満するからな」

「あ……は、はい」

 言われてライナスがモタつきながらゴミを捨て終えた時、俺は居間の方角に向かって顎をしゃくる。

「休憩するぞ。一緒に来い」

 少し言い方が雑だったせいか、ライナスの表情がさらに翳る。
 ローレンさんとやり取りした後から、眩しいばかりの笑顔を見ていない。正直面白くない。

 先に立ち上がり、俺はライナスの頭を撫でてやる。ほんの一瞬、俺を見上げるライナスの目に熱と喜びの輝きが宿る。

 しかしギュッと固くまぶたを閉じ、ライナスはブンブンと頭を振ってから立ち上がる。その時にはもう元の沈んだ目に戻っていた。

 作業部屋を出て一緒に居間に足を踏み入れてすぐ、

「ライナス、ちょっと屈め」

「……? これでいいですか?」

「おう。丁度いい」

 俺は顔が近くなったライナスに口付ける。頬や額じゃなく、逃げずにしっかり唇に自分からキスをかます。

 今までならライナスが勝手にやってきたこと。俺からするのはこれが初めてだ。

 驚いているのか、ライナスの唇に力が入って固くなっている。ここまですればコイツから動くだろうと思っていたが、予想に反して動きは皆無。これでも足らないのかと舌も差し入れてみるが、ビクッと跳ねるものの、反応が返ってこない。

 人が勇気を出して、慣れないことをしているのに……っ。
 次第に腹が立ってきてキスを切り上げ、ギロリとライナスを睨む。

「もう俺に飽きたなら飽きたと言え。そんなことで破門はせんから」

「まさか! 飽きるハズがないです。ただ……」

 俺を見下ろすライナスの顔が泣きそうに歪む。そっと俺の頬に手を当て、やけに切なそうに覗き込んできた。

「ワタシのために、無理しているのが分かって……辛いです。カツミさんに無理させたくないです」

 お前な。初対面から俺に無理を押し付けてきたくせに、今さらそれを言い出すのか。そうやって俺に無理をさせ続けて始まった関係だ。今になって無理強いしたくないだなんて、ふざけるな。

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