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三章 ライナスのぬくもりに溶かされて
引っかかるやり取り
しおりを挟む「はぁぁ……寒くなってきたなあ、克己。もうタイヤは変えたか? 去年は雪が少なくて楽だったが、今年はすごいらしいぞ――」
朝、漆芸館の控室で準備を進めていると、ノックしてすぐに辻口は部屋に入り、ヒーターの前へ陣取った。
「辻口。俺のヒーターを取るな」
「館長権限で、今だけ俺のだから」
「お前の頭の中は未だにガキか? 今度お前の家に行ったら愛娘に言っておくからな」
「ああっ、言わないで。最近娘の目が厳しいから。親父ギャグ言おうものなら、絶対零度の眼差しで睨まれるから」
謝りながら辻口は、ストーブ前から体を半分だけずらす。完全に譲らないあたり辻口らしいと思うが、ヒーターを点けていても部屋は肌寒い。温風が俺に届くようになったからいいかと、辻口が暖を取ることをそのままにする。
「タイヤはライナスが替えてくれた。手際が良くて驚いた」
「おお、良かったな。便利な弟子が来てくれてよかったな」
「弟子は雑用させるもんじゃないぞ。いつの時代の弟子だ、それは?」
「克己、お前……随分と変わったな。あれだけライナスの弟子入りを迷惑がっていたのに」
「事情が変わったからな。もう迷惑だとは考えていない。真剣にライナスに応えるだけだ」
俺が本音を漏らすと、辻口が声を上げる。
「そいつは良かった! って、まさかもう絆されて付き合ったなんてことは――」
「ある訳ないだろうが、馬鹿野郎」
すかさず即答した俺に、「だよな」と辻口は愉快げに笑う。
「こんなに早く受け入れるなんて思わなくて、つい……な。でも、それだけお前もライナスに見込みあるって思ったんだな」
「辻口……お前、最初からライナスの正体に気づいていたのか」
「いいや。メールでやり取りしてた時はまったく知らなかった。俺が知ったのは、克己に迫っているのを助けてやったその後からだ」
一旦ぶるりと体を震わせてから、辻口が口元を綻ばせる。
「車に載せてた絵を俺に差し出して、この最後の絵を寄付するから、克己に弟子入りさせて欲しいって土下座されてなあ……応えてやりたくなるだろ。今までの人生を捧げられたら」
「……そうだな。俺にその価値があるとは思えんのだがな」
「克己はもう少し自分の価値を認めろ。お前も凄いから」
「凄くないぞ、俺は。親父やじいさんに比べたら、まだまだ未熟だ。二人が生きていたら、こんな腕で弟子を取るなんて……と顔をしかめられそうだ」
「いや、鬼才と人間国宝と比べたら駄目だろ……」
「俺の師はその二人だ。どちらもいない今、比較しながら腕を磨くしかないだろ」
親父とじいさん。いつも黙々と作業する背中を見て俺は育ってきた。物心ついた頃から人間国宝にまで腕を極めた祖父と、変わり種を好んで作っていた祖父を見てきたのだから、今思えばとんでもない英才教育を受けていたなと思う。
職人気質というのか、二人とも物静かで漆芸に人生を捧げてきた。家族仲は悪くないが、深く交わろうともしない。そんな時間があれば漆に向き合いたい。そんな人たちだった。俺も同じだと思っていたが――。
「とにかく自信を持て。卑下するな克己」
「下手に自信を持ったら成長できない気がするんだが……」
「自虐も成長にならんからな。ライナスに褒められて、もっと自分を認めるようになれ」
辻口がやけに俺に言い募ってくる。反論するだけ疲れそうだと思い、「まあ努力する」と適当に話を切り上げる。
そしてボソリと呟く。
「ライナスが褒めてくれるなら、少しは自分を誇れる」
「え……?」
「独り言だ。気にするな」
他の誰でもない、ライナスの言葉だから受け止められる。俺が心から惹かれる作品を手がけるアイツの言葉なら――。
一旦言葉を止め、俺を凝視してから辻口が呟き返す。
「ホント、変わったな克己」
「まあな」
「このまま付き合うことになっても、俺は心から祝福するから安心してくれ」
「笑えん冗談は言うな」
ムスッと返した俺に、辻口は真顔で首を横に振った。
「冗談じゃなくて本気。弟子でも恋人でも大切にしろよ」
余計に笑えんことを言うな。
心で呟きながら、俺は何も返さなかった。
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