おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~

天岸 あおい

文字の大きさ
上 下
31 / 79
三章 ライナスのぬくもりに溶かされて

引っかかるやり取り

しおりを挟む



「はぁぁ……寒くなってきたなあ、克己。もうタイヤは変えたか? 去年は雪が少なくて楽だったが、今年はすごいらしいぞ――」

 朝、漆芸館の控室で準備を進めていると、ノックしてすぐに辻口は部屋に入り、ヒーターの前へ陣取った。

「辻口。俺のヒーターを取るな」

「館長権限で、今だけ俺のだから」

「お前の頭の中は未だにガキか? 今度お前の家に行ったら愛娘に言っておくからな」

「ああっ、言わないで。最近娘の目が厳しいから。親父ギャグ言おうものなら、絶対零度の眼差しで睨まれるから」

 謝りながら辻口は、ストーブ前から体を半分だけずらす。完全に譲らないあたり辻口らしいと思うが、ヒーターを点けていても部屋は肌寒い。温風が俺に届くようになったからいいかと、辻口が暖を取ることをそのままにする。

「タイヤはライナスが替えてくれた。手際が良くて驚いた」

「おお、良かったな。便利な弟子が来てくれてよかったな」

「弟子は雑用させるもんじゃないぞ。いつの時代の弟子だ、それは?」

「克己、お前……随分と変わったな。あれだけライナスの弟子入りを迷惑がっていたのに」

「事情が変わったからな。もう迷惑だとは考えていない。真剣にライナスに応えるだけだ」

 俺が本音を漏らすと、辻口が声を上げる。

「そいつは良かった! って、まさかもう絆されて付き合ったなんてことは――」

「ある訳ないだろうが、馬鹿野郎」

 すかさず即答した俺に、「だよな」と辻口は愉快げに笑う。

「こんなに早く受け入れるなんて思わなくて、つい……な。でも、それだけお前もライナスに見込みあるって思ったんだな」

「辻口……お前、最初からライナスの正体に気づいていたのか」

「いいや。メールでやり取りしてた時はまったく知らなかった。俺が知ったのは、克己に迫っているのを助けてやったその後からだ」

 一旦ぶるりと体を震わせてから、辻口が口元を綻ばせる。

「車に載せてた絵を俺に差し出して、この最後の絵を寄付するから、克己に弟子入りさせて欲しいって土下座されてなあ……応えてやりたくなるだろ。今までの人生を捧げられたら」

「……そうだな。俺にその価値があるとは思えんのだがな」

「克己はもう少し自分の価値を認めろ。お前も凄いから」

「凄くないぞ、俺は。親父やじいさんに比べたら、まだまだ未熟だ。二人が生きていたら、こんな腕で弟子を取るなんて……と顔をしかめられそうだ」

「いや、鬼才と人間国宝と比べたら駄目だろ……」

「俺の師はその二人だ。どちらもいない今、比較しながら腕を磨くしかないだろ」

 親父とじいさん。いつも黙々と作業する背中を見て俺は育ってきた。物心ついた頃から人間国宝にまで腕を極めた祖父と、変わり種を好んで作っていた祖父を見てきたのだから、今思えばとんでもない英才教育を受けていたなと思う。

 職人気質というのか、二人とも物静かで漆芸に人生を捧げてきた。家族仲は悪くないが、深く交わろうともしない。そんな時間があれば漆に向き合いたい。そんな人たちだった。俺も同じだと思っていたが――。

「とにかく自信を持て。卑下するな克己」

「下手に自信を持ったら成長できない気がするんだが……」

「自虐も成長にならんからな。ライナスに褒められて、もっと自分を認めるようになれ」

 辻口がやけに俺に言い募ってくる。反論するだけ疲れそうだと思い、「まあ努力する」と適当に話を切り上げる。

 そしてボソリと呟く。

「ライナスが褒めてくれるなら、少しは自分を誇れる」

「え……?」

「独り言だ。気にするな」

 他の誰でもない、ライナスの言葉だから受け止められる。俺が心から惹かれる作品を手がけるアイツの言葉なら――。

 一旦言葉を止め、俺を凝視してから辻口が呟き返す。

「ホント、変わったな克己」

「まあな」

「このまま付き合うことになっても、俺は心から祝福するから安心してくれ」

「笑えん冗談は言うな」

 ムスッと返した俺に、辻口は真顔で首を横に振った。

「冗談じゃなくて本気。弟子でも恋人でも大切にしろよ」

 余計に笑えんことを言うな。
 心で呟きながら、俺は何も返さなかった。
しおりを挟む
ツギクルバナー
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…

まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。 5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。 相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。 一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。 唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。 それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。 そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。 そこへ社会人となっていた澄と再会する。 果たして5年越しの恋は、動き出すのか? 表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

旦那様と僕・番外編

三冬月マヨ
BL
『旦那様と僕』の番外編。 基本的にぽかぽか。

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

処理中です...