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二章 『好き』は一日一回まで

ライナスの正体

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「箱よりそっちが気になるか?」

「は、はい。材料は、同じ木の皮ですよね? でも、なぜかバラバラというか――」

「ツギハギな感じがするか?」

「そうです、ツギハギです。別のものと皮を繋げているような感じに見えます」

 おお、良い目をしているな。俺は軽く驚きながら頷いた。

「よく分かったな。あれは本物の松の皮と、漆で松の皮っぽくしたものを交互に繰り返して作った物だ」

「えーっ! 違いが分からないです」

「そうだろう。今まで俺が知っている人間の中で、誰も初見でそれに気づいた奴はいない

「すごいですね、カツミさんのお父さん」

「まあな。寡黙で笑わんクセに、妙な遊び心はあったんだ。金になるかどうかより、自分の狙いを形にしたい人だったんだ」

 親父は変わった物を作りたがった。今でこそネットで調べれば親父の作った物と似た物は出てくるし、変わった物も入手しやすい。だが昔は今より情報が見つけにくく、周囲と違う物を作ればよく目立った。

 ただ自分の作りたいものを作るために漆芸に打ち込み、生涯を漆に捧げた親父。

 景気が悪くなって売り上げが下がり、それでも売れる物より作りたい物を優先して、生活の質が落ちても気にせず、それで母親が耐えられず離婚して出て行っても変わらず作り続けた。

 俺が人と距離を取るようになったのは、親父と、両親の離婚の影響が大きい。誰かの顔色をうかがいながら物を作るぐらいなら、最初から近づかず、己が目指す漆芸と向き合っていきたい。誰にも分かってもらえずとも――。

「カツミさんのお父さん、すごいです。でも、カツミさんもすごいです。漆の黒、カツミさんのほうが深く見えます」

 ライナスの突然の褒め言葉に、俺は思わず目を丸くする。

 どうして分かる? 俺は親父のような感性はなかった。だからより深い黒を生み出そうとしてきた。

 誰が見ても気づくことはない。俺だけが分かる世界。まさか漆芸を身に着け始めたばかりのライナスが気づくなんて。

「……ライナス、お前――」

 いったい何者なんだ?
 問いかけそうになり、俺はグッと言葉を飲み込む。

 こっちの迷惑を考えない行動力に集中力。時折感じさせる非凡さ。
 俺はもしかすると何も知らない子犬ではなく、猛獣を相手にしているのかもしれない。ふとそんな考えがよぎってしまう。

「なんでしょうか?」

「いや。他の所を見ていくか?」

 まだ閉館までには時間がある。ライナスの返事を聞かず、俺は踵を返して展示室を出ようとする。

 不意に、俺の視界へ色が飛び込んできた。
 ロビーの壁に飾られた一枚の油絵。ぼやけた色彩の風景画だ。川の上にかかった橋。灰色のような、水色のような色合いに、赤みがいくつか入れられている。

 思わずフラフラと絵に近づき、俺は額の中の世界に見惚れてしまう。
 不思議な絵だ。霧がかっているようにも見えるし、朝日が水面を照らして輝いているようにも見える。

 芸術の世界に身を置いてはいるが、絵画は専門外。絵を見て心が動くなんてことは、今まで経験したことがない。しかも風景画。美術の教科書で名画と呼ばれる風景画を見たことはあったが、心に響くものは何もなかった。

 それなのにこの絵は一目見ただけで心が揺れた。
 いつの間にこんな絵が飾られたんだ? つい最近だよな? 前からあれば気づいているはず――。

 絵の下に小さなプレートがあることに気づく。書かれていたのは作者名。

『ライナス・モルダー・コンウェイ作』

 俺はしばらく無言で立ち尽くす。ライナスは何も言わない。俺の背後でずっと立っているだけ。

 ゴクリ。大きく唾を飲み込んでから、俺は振り向かずに尋ねた。
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