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二章 『好き』は一日一回まで

悪気がなければいいってもんじゃないだろ

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 漆芸館へ到着して、俺より先にライナスが車を降りる。それから素早く後部座席に置いてあった本を手にし、俺が降りようとドアを開ける時には前に待機している。

 ニコニコしながら手を差し出し、エスコートしたそうな素振り。わざとかと怒りたくなるが、一か月同居して分かった。コイツのこれは素だ。

 呆れて小さく首を横に振ってから、俺は車を降りる。取られない手を残念そうに見つめると、ライナスはすぐにまた笑顔を見せ、俺の隣に並んだ。

「やっぱり見学、ダメですか?」

「こっちはダメだ。明日上塗りするから、見たいなら早起きして見ろ」

「はい! じゃあ、今日は我慢して読書します」

 ライナスが手にした本を軽く振る。漆芸館の近くにある図書館で借りた本。小学生向けの振り仮名のある本だ。

 漆芸の技術を学ぶためには言葉も必要だ。意思の疎通はできるが、専門書を読めるだけの力があればより深く学ぶことができる。だから漆芸館で俺を待つ時は読書するよう俺が提案した。

 俺から直接学びたいと反論されるかと思ったが、ライナスは素直に読書を取り入れてくれた。まだ読むスピードは遅いが、少しずつ身になってきている。出会った時よりも語彙が増えたような気が――。

「もし速く読み終えたら、カツミさんを見に行ってもいいですか?」

 諦めていないのか。おい。
 俺は眉間を寄せながら、ハァ、と大きく息をつく。完全に諦めさせるのは無理だと判断して、渋々頷いた。

「ちゃんと完読したらな。あ、ズルはするなよ? 後で濱中に確認するからな」

「はいっ! しっかり声を出して読みます」

「朗読するな。濱中たちの迷惑になるだろ。目で読むだけでいい」

 やり取りしつつ裏口から館内へ入り、俺が入る部屋の前でライナスと別れる。
 パタンとドアを閉じて、俺は思いっきり長い息を吐き出す。今まで独りでやってきたのに、ライナスと同居するようになって俺だけの時間がごっそり減った。

 寝る時は別々の部屋だが、それでもライナスの気配を感じてしまう。週に三日の観光客に公開する塗り。その控室で準備をする時間が、今の俺にとって完全に独りだと感じられる時間。

 ……変わり過ぎだ。親父と一緒にいた頃ですら、ここまで誰かと時間を共有しなかったというのに。ましてや漫才のごとくな言葉の応酬も、漆を教えることも、他愛のない話も――。

 コンコン。突然のノック音に思わず俺は肩を跳ねさせる。仕事前に驚かすなと苛立ちを覚え、俺は顔をしかめながらドアを開けた。

「ライナス、どうした――」

「おはよう克己。仲良くやってるようで何より」

 てっきり何か言い忘れたライナスだと思ったら、部屋の前にいたのは辻口だった。

 小さなテーブルを挟んで互いに座ってから、俺は辻口を睨む。

「まったく、どうしてくれるんだ。俺は誰かとつるむのが苦手だっていうのに」

「でも傍から見てると仲良さそうで、俺も事務員さんたちも微笑ましく見てるぞ」

「ライナスがグイグイくるから、仕方なく相手しているだけだ」

「その割には楽しそうだぞ? 漆のこともしっかり教えてるし、案外と彼のことを気に入ってるだろ?」

「……弟子としてなら悪くはない。だがな、アイツは距離感が近いし、隙あらば詰めてくるんだ。あり得んことに、俺相手に懸想してるからな」

 からかい気味にニヤついていた辻口の顔が固まった。

「え? 本当にそうなのか? 事務員さんたちのネタじゃなくて?」

「待て。裏で事務方が俺たちをそんな目で見てたのか!?」

「あ、しまった……いや、その、ほら、ライナスの懐きっぷりがすごいから、事務員さんたちが嬉しそうに『あれは絶対に恋ね』とはしゃいでいて……悪気はないんだ」

「なければいいってもんじゃないだろ。あっても困るが……勘弁してくれ」

 周囲がどんな目で見ているのかを知ってしまい、俺は頭を抱えてしまう。住み込み弟子に懸想されているが、関係性は師弟の枠からはみ出ていない。騒がれるだけ気が散って、漆芸を教えにくくなる。

 さっさと離れてくれと望んでいるはずなのに、ライナスを教えることを考えてしまう自分に気づき、俺はまたため息をつく。

 ライナスの師を受け入れてしまっていることを自覚していると、辻口は苦笑しながら頬を掻いた。
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