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二章 『好き』は一日一回まで
共に漆黒に沈む
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「だ、大丈夫、か?」
顔の前で手を振ってみるが、ライナスの反応はない。よく見れば瞬きすらしていない。
まさか気絶しているのか?
ここまで粘るとは思わず、俺は血相を変えてライナスの肩を揺らした。
「しっかりしろ! 死ぬな。俺の所で命をかけられても困る」
何度も揺らしてようやくライナスがハッと息を引いた。
「ぁ……カツミ、さん。もう終わったんですか? 早いですね」
ぼんやりとした声で答えたライナスに、俺は思わず唖然となった。
「お前、まさか、寝てたのか?」
「いえ。ちゃんと見てました。やっぱり美しくて見惚れていました」
フッと微笑んだライナスの顔があまりに甘くて、今度は俺が固まる。
「そういうことは言うなと言っただろうが」
「『好き』は一日一回までですが、褒めるのは止められていなかったような――」
「賛辞も一日一回だ。あと美しいは禁止だ。どう考えても俺にそぐわない」
俺の話を理解しているのか、ライナスが不思議そうに首を傾げた。
「漆器は美しいです。その漆の黑を作るカツミさんも、漆に馴染むようで美しいと思うのは、おかしいですか?」
始めの言葉は分かる。俺も心からそう思う。だが、だからといって俺もそうだとなるのは理解できん。
顔をしかめる俺を、ライナスは笑顔で照らす。
「上塗り、また見せて下さい。ワタシのミューズ――」
膝を立て、そこに手を乗せてライナスが立ち上がろうとする。
――ドタッ。力がうまく入らなかったのだろう。体勢を崩して倒れ込んでしまった。
「あ、あれ……足が、シビれて……」
「この寒い中、長時間座ってたらそうなる。ほら、早く立てるよう手伝ってやる」
俺は了承を得ずにライナスの脚を軽く叩いてやる。埃が立たぬよう、ささやかに弾ませるだけの叩きをトン、トン、とやる度にライナスが「うっ」だの「ひゃっ」だの声を上げる。
見事な痺れっぷりだ。普通はこうなる前に音を上げるものだ。根性もここまでくると感心を通り越して、心配になってくる。
この男は俺が寝食も忘れて打ち込めば、ずっと付き合ってしまうのだろうか?
俺が漆のことしか考えられなくなって、それに命をかけるとなれば、そのまま一緒にくたばるのか?
文句ひとつ言わず、俺がくたばった隣でライナスも倒れて転がるのか?
ぞくり、と寒気を覚える。だが同時に胸の奥にぬるいものが流れ込む。寒い中にいた俺にとって、それは丁度いい温度で――困る。
思わず叩く手に力が入った。
「ぅひゃあ……っ!」
あまりに間の抜けきった声で、俺は思わず吹き出してしまった。
「す、すまない。悪かった」
軽く頭を下げると、ライナスが目を点にした後、ふにゃりと顔を緩めた。
「カツミさん、笑ってくれて嬉しいです」
「……っ」
こ、この男、隙あらば寒気のすることを言いやがって。
羞恥とともにゴスッとライナスの脚を叩く。未だ痺れ続けるライナスは身悶えるばかりで、痺れが落ち着くのを待つことしかできなかった。
どうにか立って歩けるようになったライナスと塗り部屋を出れば、薄っすらと外が白ばんでいた。
廊下の空気がやけに冴えている。さっきのやり取りで興奮してしまったせいか、体の火照りを自覚する。
いつもはここまで寒いと思わないんだが……。
「カツミさん、何か飲みますか? 飲み物、レンジでチンします」
「じゃあコーヒーをもらおうか」
「分かりました。それぐらいなら、指をケガしていても作れますから」
背後でライナスが嬉々とした声を出す。
俺に何かできることがそんなに嬉しいのか? 理解に苦しむ。
居間へ向かいながら、なんとなく察してしまう。俺が強く拒絶しない限り、ライナスはここへ居ついてしまうのだろう。
自分に懸想している男をこのまま置き続けていいのか? と自問したくなるが、職人としての俺が渋ってしまう。
ライナスを仕込めば、俺と同じように漆へ深く向き合える。より深い漆黒を求めて、黒を重ね、闇より暗く艶ややかな世界を生み出せる気がする。
……妙なことをしでかしたら問答無用で追い出すだけだ。師匠を押し倒すなんて真似はしないと信じて、しっかり仕込んでやる。
やっと今、腹を括ったなんてライナスが知ったら嘆くだろうか。歓喜するだろうか。
わずかに口端を引き上げながら、俺は強張った体を伸ばすために背伸びする。冴えた空気が鼻へ入り、火照った体を心地良く冷ました。
顔の前で手を振ってみるが、ライナスの反応はない。よく見れば瞬きすらしていない。
まさか気絶しているのか?
ここまで粘るとは思わず、俺は血相を変えてライナスの肩を揺らした。
「しっかりしろ! 死ぬな。俺の所で命をかけられても困る」
何度も揺らしてようやくライナスがハッと息を引いた。
「ぁ……カツミ、さん。もう終わったんですか? 早いですね」
ぼんやりとした声で答えたライナスに、俺は思わず唖然となった。
「お前、まさか、寝てたのか?」
「いえ。ちゃんと見てました。やっぱり美しくて見惚れていました」
フッと微笑んだライナスの顔があまりに甘くて、今度は俺が固まる。
「そういうことは言うなと言っただろうが」
「『好き』は一日一回までですが、褒めるのは止められていなかったような――」
「賛辞も一日一回だ。あと美しいは禁止だ。どう考えても俺にそぐわない」
俺の話を理解しているのか、ライナスが不思議そうに首を傾げた。
「漆器は美しいです。その漆の黑を作るカツミさんも、漆に馴染むようで美しいと思うのは、おかしいですか?」
始めの言葉は分かる。俺も心からそう思う。だが、だからといって俺もそうだとなるのは理解できん。
顔をしかめる俺を、ライナスは笑顔で照らす。
「上塗り、また見せて下さい。ワタシのミューズ――」
膝を立て、そこに手を乗せてライナスが立ち上がろうとする。
――ドタッ。力がうまく入らなかったのだろう。体勢を崩して倒れ込んでしまった。
「あ、あれ……足が、シビれて……」
「この寒い中、長時間座ってたらそうなる。ほら、早く立てるよう手伝ってやる」
俺は了承を得ずにライナスの脚を軽く叩いてやる。埃が立たぬよう、ささやかに弾ませるだけの叩きをトン、トン、とやる度にライナスが「うっ」だの「ひゃっ」だの声を上げる。
見事な痺れっぷりだ。普通はこうなる前に音を上げるものだ。根性もここまでくると感心を通り越して、心配になってくる。
この男は俺が寝食も忘れて打ち込めば、ずっと付き合ってしまうのだろうか?
俺が漆のことしか考えられなくなって、それに命をかけるとなれば、そのまま一緒にくたばるのか?
文句ひとつ言わず、俺がくたばった隣でライナスも倒れて転がるのか?
ぞくり、と寒気を覚える。だが同時に胸の奥にぬるいものが流れ込む。寒い中にいた俺にとって、それは丁度いい温度で――困る。
思わず叩く手に力が入った。
「ぅひゃあ……っ!」
あまりに間の抜けきった声で、俺は思わず吹き出してしまった。
「す、すまない。悪かった」
軽く頭を下げると、ライナスが目を点にした後、ふにゃりと顔を緩めた。
「カツミさん、笑ってくれて嬉しいです」
「……っ」
こ、この男、隙あらば寒気のすることを言いやがって。
羞恥とともにゴスッとライナスの脚を叩く。未だ痺れ続けるライナスは身悶えるばかりで、痺れが落ち着くのを待つことしかできなかった。
どうにか立って歩けるようになったライナスと塗り部屋を出れば、薄っすらと外が白ばんでいた。
廊下の空気がやけに冴えている。さっきのやり取りで興奮してしまったせいか、体の火照りを自覚する。
いつもはここまで寒いと思わないんだが……。
「カツミさん、何か飲みますか? 飲み物、レンジでチンします」
「じゃあコーヒーをもらおうか」
「分かりました。それぐらいなら、指をケガしていても作れますから」
背後でライナスが嬉々とした声を出す。
俺に何かできることがそんなに嬉しいのか? 理解に苦しむ。
居間へ向かいながら、なんとなく察してしまう。俺が強く拒絶しない限り、ライナスはここへ居ついてしまうのだろう。
自分に懸想している男をこのまま置き続けていいのか? と自問したくなるが、職人としての俺が渋ってしまう。
ライナスを仕込めば、俺と同じように漆へ深く向き合える。より深い漆黒を求めて、黒を重ね、闇より暗く艶ややかな世界を生み出せる気がする。
……妙なことをしでかしたら問答無用で追い出すだけだ。師匠を押し倒すなんて真似はしないと信じて、しっかり仕込んでやる。
やっと今、腹を括ったなんてライナスが知ったら嘆くだろうか。歓喜するだろうか。
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