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一章 押しかけ弟子は金髪キラキラ英国青年

早く現実を知ってもらうために

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   ◇ ◇ ◇

 ライナスは根気強かった。
 ずっと中腰で刃物を研ぎ、一本では足らないと何年もしまいっ放しだったなまくら包丁を何本も探し出し、研いでしまった。

 おかげで家の包丁に切れ味がよみがえり、夕食を作る際に感動した。

 野菜が、肉が、すんなり切れる。こんなに気分が良くなるものだったのか。できるクセに面倒だと研がなかったことを後悔するほど、俺は心底感動した。感動はしたが――。

「……おい、ライナス。いい加減起きろ。もう外は暗いぞ」

 すべての包丁を研ぎ終えた後、少し休ませて欲しいと横になってから、ライナスはそのまま寝てしまった。肩を軽く揺すってみるが目を覚まさない。

 師匠の家でここまで爆睡する弟子なんて、聞いたことがない。半ば呆れはしたが、異国で慣れないことをしているのだから疲れて当然だとも思う。

 このまま飯も食わずに寝泊る気か? そもそもコイツはどこに住んでいる?
 ふと気になり、俺はスマホで辻口にメッセージを送る。

『おい、ライナスはどこに住んでいるんだ? お前の所で面倒を見ているのか?』

 俺がメッセージを送って一分も経たない内に返事は来た。

『昨日はこっちに泊めた。でも迷惑かけたくないからって、今日は他に泊まるって』

『まさか俺の所に?』

『冗談で勧めたら、全力で遠慮してたぞ』

 辻口の返信に俺は内心安堵した後、込み上げる腹立たしさのまま勢いよくスマホで文字を打ち込む。

『悪ノリするな! 相手は人生の貴重な時間を使ってここに来ているんだぞ!』

『あれ、意外と彼のこと受け入れてる? 昨日より好意的な感じする』

『一応師匠になったから。まだ認めてないが』

 次第に文章を組み立てるのが面倒になってしまい、電話をかけて言い合おうとした時、

「んー……っ、あ、カツミさん、おはよーございます!」

 軽く背伸びをしてからライナスが体を起こし、昼間の太陽並みに顔を輝かせて笑う。ここまで陰がないと文句を言う気にもなれず、俺は息をつくだけに留める。

「もう作業は終わりだ。メシの時間だが、ライナスはどうする?」

「近くのコンビニで買ってきます」

「かなり車で走らないとないからな、コンビニ」

「え? 歩きはキツい、ですか?」

「限界集落ナメるなよ。そもそもここらは、もう俺しか住んでいないからな。人がおらん所にコンビニは出来ん」

 コンビニが近くにないことが想定外だったのか、ライナスが呆然となって固まる。しかしすぐに気力溢れる表情を浮かべ、グッと拳を握った。

「じゃあ、狩ります。一応ウサギは獲ったことあります」

「食材を現地調達するな! 今日は鍋にしたから食っていけばいい」

「カ、カツミさん……!」

 歓喜に目を潤ませるライナスから、俺はふいっと視線を逸らす。俺だって鬼じゃない。練習のためとはいえ、俺の包丁を研いでくれたんだ。これぐらいの礼はして当然だ。

 居間のコタツ机の上に鍋敷きを置き、台所からグツグツと煮立った鶏野菜みそ鍋を運んでくると、ライナスの目がよりきらめいた。

「鍋、前から食べてみたかったんです! しかもカツミさんの手料理……」

「切って鍋の素を入れて煮ただけだぞ? あまり感激するな」

 具材を器に入れてライナスの前に置いてやれば、手を合わせてすぐに熱々を頬張る。口から湯気が零れるほどの熱さ。ライナスはバタバタと暴れながらも破願する。

「おいひーです! 今まで食べた中で、一番美味しいです!」

「旅館や店でもっと良いもん食べてるだろ? いくら師匠だからって、無理におだてるな」
「ここに来て、旅館、レストラン、行ってないです。車の中で寝泊まりして、ご飯はコンビニです。お金、かけられないので」

 ……車中泊、だと?
 熱い鍋を食べているはずなのに、俺の頭と背筋が冷えた。

「ライナス、まさかと思うが、これ食べたらどうするんだ?」

「車に戻って寝ます。あ、今停めている所を使っていいですか? 朝になったらすぐに来ますので――」

「田舎の寒さを甘く見るな! ここは県内でも一、二を争う極寒の地なんだぞ!」

「大丈夫です。寝袋、ありますから」

「だとしても、寝心地は良くないだろ。それで二年も続けられるのか? 俺の所で病気になって倒れられても困るんだがな」

 異邦の地へ学びに来たにしては無謀というか、無計画じゃないか?
 批判を含んだ俺の言葉にライナスが押し黙る。そしてポツリと呟いた。

「……カツミさんに迷惑はかけません。キアイで病気は跳ね除けますから」

 変な根性論が染みついているな。ひと昔前の日本の情報を鵜呑みにでもしたのか? 冗談を言うなと一蹴したかったが、ライナスの思い詰めた顔から本気さが伝わり、俺は出かかった言葉を呑み込む。

 このまま放置はできない。はぁぁ……と大きなため息をついた後、俺は額を押さえながら不本意なことを言ってやった。

「空き部屋があるから、俺の所で学ぶ間は使え。汚いし、今の時期はヘクサが入りやすくて大変だが――」

「本当にいいんですか!」

「良くないが、倒れられるよりはマシだ。その代わりルールは厳守しろ」

 ライナスの目が夜にもかかわらず輝く。かぶれて腫れぼったくなったまぶたの下でもよく分かる。

「ありがとうございます! シショーの元で住み込み……憧れてました!」

「フン。ここで二、三日やってみたら、何も言えなくなると思うぞ」

 純粋な眩しい笑顔に対し、俺は不穏な笑みをニヤリと浮かべる。
 知り合って間もないが、ライナスが漆芸に妙な憧れを抱いているのは分かる。憧れは強ければ強いほど、現実のギャップに気づいた時、その輝きを一気に翳らせてしまう。

 落差の洗礼を受けてみろ。
 まだ何も知らないライナスは、俺の意図など気づかず、嬉しそうに鍋を頬張るばかりだった。
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