異世界冒険記『ストレージ・ドミニオン』

増やそう経験

PHASE-300【異世界転生、辺境の葡萄園でスローライフ（仮）】

「フッ」
　切れのいい一息に遅れて、グチリと鈍く重い音が、骨伝導で体全体によく響いた……。
　当然の如く俺の口内に広がる馴染みの味は……、鉄の味……。
　もちろん前者の切れのいい一息はベル。後者の音は俺発信だ……。

　いつもならここで、痛みに襲われた声を上げるんだが、本日のベルの拳は別格も別格。
　殴られた途端に声は出せなくなってしまった……。

「ひゅう……ひゅう……」
　と、口内は瞬く間に腫れ上がり、変な呼吸音しか出せない。

　一撃で俺の両目からは、パッキンが壊れたのかな？　とばかりに涙が止まらなくなる。
　この光景を目にした野郎達からは、「「「「オウ……」」」」と、追体験でもしているのか、自分たちが殴られた気持ちに支配されているようだ。
　涙目で見れば、皆、顔が引きつっていた…………。



「お前――――は！」

「ぎゅい……」
　おっと……、今回の中佐はしつこいですよ。
　俺、この間に何発殴られたんだろう？　もう分からないよ……。
　抵抗したくとも、俺の両腕は力なくダラリと垂れてしまっているし……。
　意識も段々と遠のいていく感じ。

　喉に当てられた死神の鎌が、今にも勢いよく俺の首を斬り飛ばしてしまいそうな恐怖。
　その恐怖が精神と体を支配してくる。

「ごめん……ら……ふぁい……」
　何とか呼吸を整えて、懸命になって声を出せば、何とか聞き取れるくらいの発言は出来たはず……。
　とにかく鬼神様に怒りをお鎮めいただきたいと、一心に祈るのみ。
　ベルはなんだかんだで優しいから、懇願すればきっと止めてくれるはず……。

「少しはまともになったと思えば、直ぐに調子に乗る！　徹底的に痛めつけないと分からないようだ」
　俺の国でその発言と実行は、間違いなくマスメディアに取り上げられるぞ。
　よかったな異世界で……。
　止むことなく継続される事は、俺にとって全くもってよくない状況だけど…………。
　
　――……死ぬ……。本当に死んでしまう……。
　
　俺はただ戦いを有利に進めるために、しかも言質とっての行為だったのに……。
　まあ、調子に乗ったのは真実だけども。今回はしつこくないか？

　――――ひたすらに俺が殴られる音が一帯を支配し、野郎達からの悲痛な声も消え去り、ただしじまだけの世界になっていた。
　俺の耳が馬鹿になったのか、それとも皆が単純に恐怖に呑まれたのか。

「ふん！」
　ベルの声は聞こえるから後者なのだろう……。
　でもって、トドメとばかりに顎先にめり込むように掌底が入る。
　拳を痛めない選択をするところは、流石は軍人。プロである……。

　最早、自力で立つのも不可能な俺……。
　でも安堵もする。ようやく解放されると思うと……。
　瞼が腫れ上がっているようで、俺はしっかりと見ているつもりなんだが、視界がどうにも狭い……。
　薄目をしている時のような、普段よりも細く見える、線のような世界だ。
　
　視界が捉える光景の後に耳朶に届くのは、ドサリと重さのある音。
　音の発信源は俺……。
　ベルはまるでゴミをその場に捨てるかのように俺を転がす。
　地面に生えた雑草の感覚。
　風が若干だが吹いているのだろうか、下生えが俺の顔を撫でている。
　――……ような気がした。
　
　現状、俺は痛覚を感じない。痛覚どころか肌から伝わってくる触覚すらも鈍いものになっているようだ……。
　
　これが死ぬという事なのだろうか……。
　
　徐々に力が抜けていくような、全ての感覚が遠のいていくような……。
　以前は突発的に死んだから、こんな感覚を覚えることも皆無だったが、きっとこれが死というものなのだろう。
　
　死神の鎌がついに俺の首を刎ねたんだな……。後は魂をお持ち帰りするだけ……。
　
　今度は一体どんな世界に転生するんだろうか。
　平和な場所がいいな。
　
　またセラが俺を担当してくれるなら、今度はちょっとしたチート能力を俺自身に付与してもらって、辺境で葡萄畑でも作ろう。
　
　そして葡萄をワインにして皆に振る舞うんだ……。
　皆の笑顔を見て、毎日が楽しいスローライフを堪能するんだ…………。