月の啼く聲

真田

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第26話 いくさ世の法

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 瑞城たまきの城は、籠原かごはらの屋敷とは比べ物にならぬほど、広大で壮麗である。
 ろうはその居間の一つに座り、大窓から城下町を眺め下ろしていた。
 高さは鳥の視点である。
 今の篭は、新しい着物と袴の上に羽織を着ていた。それだけでなく瑞城の人々は、彼の左手に手袋をかぶせて、左目に飾り模様のある眼帯を巻いた。ごてごてと色々なものを付けられて、部屋の中に無言で座っている置物の仲間にでもなったような気がする。
 先ほどまで彼のお喋りに付き合ってくれていた比良目ひらめは、居間の隅に座り、ぼんやりと煙管きせるをふかしている。
 ふと、襖の向こうから、細い女の声がした。
「失礼いたします」
 比良目が顔を上げ、煙管を口から離すと、そばに置いていた陶磁器に灰を落として蓋を載せる。
 襖が開き、麗しい姫君が現れた。
 重ねた単衣の裾を引きずり、長い髪を背の上で束ねている。
 座ったまま、比良目が訊ねる。
ゆめ希人まれひとは」
「兄上さまも、じきにいらっしゃるはずです」
 姫君は、なんとか聞き取れるくらいの、静かな声で答える。
 この夢という姫君は、先ほどから何度かここを覗いては、比良目と話していた。静かに喋るがどうにも忙しそうであり、篭はまだ夢とは、言葉を交わしていない。
 すぐに、襖の向こうから複数の足音が近付いてきた。
 襖を開けて入ってきたのは、膳を掲げた給仕たちだった。四客の膳と座布団を素早く置くと、足早に去ってゆく。
 その給仕たちと入れ違いに、大柄な青年が部屋に入ってきた。
 仕立ての良い、明るい色の着物を着ており、やんわりと微笑む顔は鷹揚な印象を与える。
 これが希人だろうと、篭は何となく思った。
 希人は、彼の顔を見ると笑顔を作った。
「ようこそ、貴方が籠原十馬とおまどのか。お待たせしてしまいかたじけない。お初にお目見えする、私が瑞城希人だ」
 正確には、彼は籠原十馬の体に棲んでいる篭なのだが、頷くべきだろうか。
 迷っていると、夢が小さな声を挟んだ。
「兄上さま、十馬どのではなく、篭どのです」
 それを聞いて、希人はああと手を打った。
「そう、そうであった。失礼。篭どの、事態が急を要したといっても、突然お招きしてしまったこと、許してほしい。とはいえ、空腹のまま話すのもなんであるから、まずは、朝餉でも頂こう」
 希人に訊ねようと思っていたことがあったのだが、篭にとってはいつも通り、命の危機に晒されているわけでもなければ、一番重要なのは目の前の食事である。
 彼は頷いた。

 篭が一言も口をきかずに食べ物に集中している間に、早くも食し終えていた希人が、彼のほうを向いて話し始めた。
「先ほどは失礼した。比良目が連れてくるのは鬼になったというご本人だと思っておったので、先ほど夢に聞いたことをもう忘れてしまってな」
 どうやらお喋りの時間に移りつつあるらしいと悟り、篭はまだ食べ物が詰まった口のまま、訊ねた。
「はんへ、ほおまにふぁいははっはの?」
 夢が瞼を伏せたが、篭はその意味には気付かなかった。
 聞き取れなかったらしい希人がぽかんと口を開け、それを見た比良目が言った。
「多分、なんで十馬に会いたいのかって聞いてる……」
 ああ、と希人が頷いた。
「いや……、単なる、野次馬心であるよ。比良目が、鬼に憑かれた小国の領主がいると言うだろう。私も国を継ぐ身であるから、同じ立場の十馬どのに何が起きたのか、鬼と化して何を為すのか、平凡な興味を抱いたというだけのことだ」
 篭は、やっと食べ物を飲み下し、答えた。
「どうして十馬が鬼になったのかは、知らない。でも、十馬は鬼になったあと、自分で腹を切ったって。でも死ねなかったから、茂十……お坊さんが封印してたんだ。……おれが、それを起こしちゃったんだけど」
 そこまで口にして、彼は手にしていた箸を握り締める。突如として、食欲がなりをひそめた。
 一方で希人は、目を丸くした。
「何と、腹を切ったとな」
 希人は一度唇を引き結び、それから、口を開いた。
「ならば、貴方が遠夜の手に落ちずに済んでよかった」
 ならばとはどういうことだろう。彼が疑問を言葉に変える前に、希人は続けた。
「ご存じやもしれぬが、瑞城は父の代に遠夜と密盟を結んでいる。もしかしたら同じ有秦ありはたの籠原氏よりも、遠夜について知っているかもしれぬ。篭どのは、遠夜充國公が怪異の軍を作ろうとしていることは、ご存じかな?」
 もちろん篭は首を振った。
「かいいの軍って?」
「妖術使いや魔物を将兵として編んだ軍だ。もともと遠夜は異類の者を忍として使っていたが、それらのものを影から日なたへ出して戦場で使おうとしているらしい」
 今度は篭がぽかんとした。まだ、話の実像を掴めない。
 希人は頷いた。
「そう、私も初めは同じように思ったよ。あまりに狂気じみておる。しかし充國どのが比良目を返せとしつこく言ってくるので、本気らしいとわかってな。それゆえ、十馬どのが遠夜に手を貸すつもりなのか興味があった。……あ、比良目はもとは遠夜の忍だったのだよ。私の父が当主となった頃、瑞城へやってきた。ここに比良目がいなければ、私も怪異の軍などと聞いても子供のおとぎ話と思っただろう」
 箸を握ったまま、篭は頭を整理しようとした。
 遠夜充國は化物の軍を作ろうとしており、そのために、鬼を持つ十馬を勧誘か誘拐しようとしていたということだろうか。
 ふと思いついたことを、彼は口にしていた。
「十馬の鬼は、そんな風に使えるものじゃ、ないよ。……おれは人間の戦を、遠くから見たことしかないけれど」
 再度、希人は頷く。
「私も夢も比良目も、そう思っている。あまりに浮世離れした話だよ」
 篭は、首を振った。
 相手に自分の言わんとしていることが伝わったように思えず、彼は言葉を変えて、もう一度言った。
「十馬の鬼は、戦に使うとか使わないじゃなくて、この世にないほうがいいものだと思う。使うと何かを壊すし、おれもほしくないし、嫌なだけのものだよ。だから十馬は腹を切ったんだよ。自分で本当に鬼を見たら、わかると思う」
 彼はなぜか、必死だった。
 黒い鬼が現れた時の自分の鼓動と、昨夜の來の悲鳴が、脳の裏に貼り付いている。
 充國という人は、実際に鬼を見たことがないし、その存在を感じたこともないのではないか。もし知った上でそういうことを考えたのだとしたら、恐らく充國自身が、もう鬼になってしまっているのだろう。
 彼の顔色の変わりようをみて、希人が黙り込んだ。
 代わりに夢が、呟くように言った。
「万に一つ怪異の軍が実現したとして、充國公は、そんなもので取った天下にどんな国を築くおつもりなのでしょう」
 希人が咳払いをすると、篭に向かって、言った。
「篭どの。今、人間たちは戦ばかりしているが、歴史を紐解けば明らかなように、それは永遠に続くものではない。だとすれば、勝者が誰であろうと一日も早くそれを終わらせるのが、私たちの願いだ。充國どのの試みは、いたずらにそれを引き延ばすだけだと私達は思っている」
 夢が静かな言葉を挟んだ。
「勝者が誰でも、というのは、違いますよね」
「夢、言葉の綾だよ。もちろん充國どのの天下は御免だ」
 細かいなあ、と希人がぼやいたところで、襖の向こうから男の声がした。
「若殿、寺本てらもと治部じぶ少丞しょうじょうさまがお見えになりました」
 途端に、希人の背筋がぴんと伸びた。
 夢の表情に、不安のようなものが差し込む。
 襖に向かって、希人が言う。
「こんな、朝のうちにか」
「はい、もうご本人がご到着にござります。どうなさいますか」
 もう一度咳払いすると、希人は言った。
「では、朝餉を召し上がったか伺って、朝餉か茶の用意をしてくれ。藤の間がよいかな。私もすぐに向かう」
「かしこまりました」
 襖の向こうの男は、承諾と共に去ったようだった。
 篭を振り返り、希人は言った。
「篭どの、申し訳ない。慌ただしいことだが、私は別のお客をもてなさねばならなくなった。あとは夢と比良目に任せるので、ご随意にされよ」
 希人は落ち着きなく部屋を出て行き、間もなく、篭と比良目も夢に案内されて居間を出た。

 長い板張りの廊下を歩きながら、比良目が夢に訊ねた。
「寺本治部少丞って、誰」
「今の寺本家ご当主岳昇たけのぶさまのご子息で、京で官職をお持ちのため家臣があのようにお呼びしていましたが、お名前は昂輝のぶてるさまと仰います。兄上さまは京にいた頃寺本家で過ごされましたから、お二人は幼馴染みのようなものです」
 子供時代の友人が訪ねてきたにしては、希人は緊張して見えた。
 案の定、比良目がもう一度訊ねる。
「俺は会うとまずい?」
 夢は、白い顔に難しい色を表した。
「実は、暫く前に岳昇さまから兄上さまへ、比良目どのについて訊ねる書簡が届きました。寺本は瑞城と同じく将軍家ゆかりの家ですが、東方に地盤を築いて近畿に背を向けた瑞城と異なり、今も名実ともに将軍家に仕えております。岳昇さまはもしかしたら、充國どののように、比良目どのを政争の具、戦の武器としようとお考えかもしれません」
 ふうん、と比良目は呟く。
惟人これひとさん、賢かったな」
 突然、夢姫が立ち止まり、背の高い魔物を振り返った。
 静かだった瞳が、青い火のようなものを灯して見えた。
「父上さまは、賢いお方です。でも、兄上さまと私は、比良目どのをずっと蔵に閉じ込めたりは致しません」
 そして再び踵を返すと、姫君は静かに、しかし足早に進み始めた。
「……ん」
 同じくらい静かな声で、比良目が呟いた。
 篭は二人の背を見つつ、何のことだろうと考え、思い至った。
 惟人は遠夜からやってきた比良目を、蔵に隠していたのだろう。比良目を外に連れ出せば、遠夜や寺本のように利用しようとする輩が現れるとわかっていたということだろうか。
 そもそも人間たちは、何をそんなに争っているのだろうか。
 食べ物を巡って争うことは、他の生き物にも同じことだ。しかし宋十郎も渡喜も、戦をするから食が不足し流民が増えると言っていた。
 では、人々は、何のために争っているのだろう。

 居織城は広すぎる。
 やっと比良目の部屋へ戻ってきた時、篭はそう思っていた。
 部屋に入り戸を閉めるなり、夢は篭に言った。
「篭どの、貴方は鬼を祓うために、籠原宋十郎どのと京へゆかれるのですよね」
「うん。だからそろそろ、宋十郎を探しにいかなきゃって思ってて……」
 彼が答えると、夢は頷いた。
「比良目どのに、府中の外まで見送りをお願いいたします。本当はもう少しお話ししたかったのですが、昂輝どのがいらっしゃったので、そうも言っていられなくなってしまいました」
 その時、戸の向こうから女中の声がした。
 色々と荷物を運んできてくれたようである。夢はそれを受け取ると、盆の中の頭巾を比良目に手渡し、草鞋と風呂敷包みを篭へ差し出した。
 篭は、それを両手で受け取る。
「これ、もらっていいの?」
 彼が訊ねると、夢は頷いた。
「我々は、十馬どのがここへ来て、充國公にお味方すると仰れば、力ずくで捕えてしまおうとも考えていました。私たちは無用な戦を避けたいと思っておりますが、犬が犬を食う乱世では、争いを広げぬための戦を避けられぬ場合もあります」
 静かだが早口に喋る夢の瞳を、篭は見つめ返す。
「ですが篭どのは、鬼の力は祓うべきだと仰いました。兄上さまと私はあなたの旅が成就することを、祈っています」
 そして夢は彼の右目から視線を外すと、頭を下げて礼をした。
 一方で既に頭巾を着け、部屋に置かれていたと思しき草鞋を履いた比良目は、壁際の槍架そうかから棒を持ち上げたところだった。
 頭巾の隙間から覗く比良目の両目に向かって、夢は言う。
「比良目どの、昂輝さまは忍を連れているそうです。あれらの目に留まる前に、篭どのを府中の外へ出していただけませんか」
 比良目は短く頷き、篭を振り返る。
「それ、履いて。おまえ、とべる?」
 履くのは、草鞋のことだろう。そして、彼はとべる。
 篭は頷いた。

 比良目は、窓から出て、屋根へのぼった。
 頭巾に長い棒という出で立ちの比良目も動きやすそうには見えないが、慣れない羽織の上に荷を背負った篭は、必死にそれを追いかけた。
 しかし屋根の上へ立つと、絶景があった。
 窓から眺める風景とはまた違うように思うのは、天井がないからだろうか。
 蔵の中に囚われていれば、見ることのない景色だろう。
 一瞬呆とした彼を見て、比良目が足を止めた。
「どうした」
 彼は首を振り、長身を追いかける。
「何でもない。夢と希人は、やさしいね」
 瓦の上を渡りながら、比良目は呟いた。
「……んん」
「比良目は、あの二人を守ってるの?」
 同じように瓦を渡りつつ、篭は訊ねた。
 彼は比良目に、京まで一緒に来てほしいと頼みたかったが、恐らくそれは叶わないのだろう。
「いや、あいつらが、俺を守ってる」
 つまり、三人は友達だ。
 彼と喜代が友達だったのと、同じだろう。

 彼らは屋根を伝い、塀と堀を飛び越した。
 比良目はそれを軽々とやってのけたが、篭は使っている体が半分魔物の十馬のものでなければ、とてもついてゆけなかっただろう。
 水堀に沿って伸びる、人通りのない小路を選んで、比良目は降り立った。
 それに続いて篭も、何とか川端に着地した。
 彼を待って歩きだした比良目は、訊ねた。
「おまえの連れ、まだ東にいるかな」
「多分、そうだと思う」
 篭は、比良目のあとを歩きながら答えた。
「東なら、」
 そこまで言って、比良目がひたと足を止めた。
 篭も、頭巾の向こうに立つ人影に気付いた。
 堀川が折れる角に、男が立っている。
 地味だが品の良い着物を着て帯刀した、一見すると侍風の男である。
 瞬きする前まで、そこに人などいただろうか。
 見止められたと気付いたからだろう、男が、彼らの方を向いた。
「あんさんら、こない昼間に窓から出なすって。誰が見てるかわかりまへんえ」
 藪から棒に、男が言った。
 色白の顔に、薄笑いを浮かべている。
 しかし細めた目が笑っているように見えないのは、どういうことだろう。
 比良目が言った。
「寺本の忍」
 へっへと、男が笑った。
「ほしたらあんさんは、瑞城の忍と......そちらはんは、どなた?」
 篭は、体を硬くする。
 この男が先ほど夢が言っていた寺本の忍なら、正体を知られてはいけないのだろう。
「そこ、どいて」
 棒を握り、比良目が短く言った。
「つまり、重要なお人ってこっとすなぁ。了解。そらそうとあんさん、ほんまに忍なん? 頭巾に棒いうたらお坊はんちゃいます?」
 愉快そうに喋りつつ、寺本の忍は、無造作に手を腰の刀に置いた。
 棒を構えた比良目の膝が、それに合わせて沈む。
 魔物の長い足が地面を蹴る寸前に、糸目の男は両手を腰から離し、宙に上げた。
「やめ、やめよ。あんさんが比良目やったら、俺がどないかでけるわけあらへんよなぁ。たま抜かれたらかなんしなぁ。窓から出てったせっかち見えたさかい、ちょと気になっただけなんよ」
 半分眠ったような眼で、比良目が相手を睨んでいる。
 篭はその背後で、息を殺した。
 寺本の忍は彼らを見てへらりと笑うと、気だるげに肩を竦めた。
「ご挨拶に伺うただけやのに、いけずやなぁ。まあ、あんさんらが重要なお人やったら、またすぐにお目にかかりますやろ。その時お話ししまひょ」
 そして手を小さく振ると、踵を返し、何事もなかったかのように堀川沿いを歩いてゆく。
 忍が皆、堀と見れば飛び越えるわけではないらしい。
 比良目が音もたてずに溜め息を吐いたのを感じ、篭は頭巾を見遣った。
「あの人、何しに来たんだろ?」
「多分、俺を見にきた。でも、おまえも見られた。……悪い。さっきの聞かれてたと思うから、東には行かないほうがいい」
 えっと篭は声をあげた。
「じゃあ、どうするの?」
「この辺にもいないほうがいい。希人が、寺本に影貫かげぬきって綽名の、面倒な忍がいるって言ってた。多分あいつだ」
「でも、東には行かないんだよね?」
 彼は混乱し、もう一度訊ねる。
「西に行け。おまえの連れ、多分追いかけてくるだろ」
 唐突に不安に襲われ、篭は頭巾の隙間の目を見つめた。
 彼はまだ一度も、一人で旅をしたことはない。
 比良目は彼の表情を見つめつつ、付け足した。
「急がずに歩いて、富多川ふたがわって川の手前まで行ったら、止まって待つといい。人間の使う街道は一つだから、同じ道をゆっくり進んでれば、絶対会う」
「でも、どれが富多川かって、おれ知らないよ?」
「富多川は、こっから京までで一番広いから、見たらわかる。それに、おまえ今人間なんだから、そこらの人間に聞けばいい」
 そういえばそうだった。
 宋十郎がいた時は、むしろ他の人間と話すなと言われていたが、一人になれば自分で人間と同じことをするしかない。
「わ、かった」
 何とか決意をしたつもりで、頷いた。
 比良目は口を閉じると、ゆっくりと歩き始めた。

 篭と比良目は、府中の町外れにある大きな河の渡しまで、並んで歩いた。
 みなとには関所だけでなく、そこを通る旅人が滞留する茶屋などが立ち並んでおり、多くの旅人で賑わっていた。
 比良目は関所へ入ってゆくと、まっすぐ番所の役人のところへ行った。
 懐から札のようなものを取り出し、無言で役人に示すと、役人は目を瞠り、頭巾の男と札とを見比べた。
「こいつも一緒に通る」
 そう言いながら、比良目は篭を指す。
 今の篭は、瑞樹城主にもらった上等な着物を着て、左目には包帯でなく眼帯を巻いている。
 役人は頷いた。
「どうぞ、お通りください」
 彼らは関所を抜けて、河原へ辿り着く。
 先に広がる川を見て、篭はどきどきと走っている心臓を感じた。比良目はどこまでついてきてくれるのだろうか。
 比良目は立ち止まると、「じゃあ」と言った。
 ここか。
 篭は、息を呑んだ。
 怖いし、寂しいと思う。彼はもう、比良目と友達になったと思っていた。
 せっかく友達になったのに、もう別れなければいけない。
「うん」
 思ったより、覇気のない声が出た。
 その彼を見て比良目は、静かな声で、ゆっくりと言った。
「おまえ、色々背負ってるように見える。大変だろうけど、頑張れ。……強くなったら、お前が好きな奴のことも、もしかしたら、守ってやれる」
 いつの間にか、うつむいていたらしい。篭は、顔を上げた。
 頭巾の隙間から、蛍色の瞳が彼を見つめていた。
 確かに、比良目の言う通りだろう。
 彼が自分で自分の身を守れるようになれば、鬼を抑えることができれば、宋十郎も傷つかない。もしかしたら、十馬のことも、助けることができるだろうか。
「うん」
 今度はもう少し、強い声が出た。
 比良目の目が、少し微笑んだような気がした。
「じゃあ」
 今度こそ、比良目が言った。
 声は静かで言葉は短い。
 言葉の長さと重さは、比例するわけではないのだろう。
 ひょろりと長い背が彼の方を向いて、比良目は河原を戻ってゆく。
「ありがとう」
 彼は言って、その背を見送った。



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