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追手
第25話 盟いの杯
しおりを挟む孔蔵が海から戻ってきた時、宋十郎は夜の浜辺で傷の手当てを受けていた。
青白い魔物が起こした波は、不自然に彼だけを攫って海へ引きずり込んだ。彼は山の生まれである。泳げないことはないが、刀を持ったまま浜へ戻るに|は労力と時間がかかった。
水面に顔を出した時、青白い魔物が篭を抱えて去るのが見えた。魔物は、またこれも不自然な方向へ立ち上がる波の上を、飛ぶような速さで渡ってゆく。
浜の向こうでは、狗面の忍を助けに走っていった女忍が、唖然とそれを見送っていた。
彼が浜まで戻る間に、遠夜の女忍はどこからか出現させた武者姿の妖に狗面の忍を抱えさせ、立ち去っていた。
やっとのことで水から上がった宋十郎のところへ、郷の家族が集まってきた。
あれは何だと口々に尋ねられたが、宋十郎はそれに逐一答える余力を残していなかった。
篭が、十馬が連れ去られた。下手人は正体不明である。
遠夜の女忍の様子から、また魔物が西へ向かったことから、行き先は遠夜ではないように思える。ではあの妖怪は何だろうか。目的は何なのか。
郷の一家は、鬼や魔物を見たが、傷つけられたりしたわけでない。怒っている様子はないが、何が起きた、あんたらは何者だと、不安がっていた。
状況からして黙り通すわけにもいかず、宋十郎は彼を囲む家族に向かって言った。
「驚かせて申し訳ない。篭は病でなく、鬼に憑かれていた。恐らくそのために魔物に攫われた。しかし、あの水を使う妖物が何かは、私にもわからない。あなたたちは、ご存じないか」
郷の家族は顔を見合わせ、一様に首を振った。郷の二人目の息子が言った。
「この辺りであんな魔物を見たなんて話、聞いたこともねえですよ」
「でも、待ちなされ。府中じゃお国が乱れて、希人さまが妖魔を飼い始めたなんて噂があるじゃないか」
横から、郷嫗が言った。
再び次男が返す。
「ただの噂だろうよ。噂にしたって出鱈目だし、府中の殿さまの魔物がなんだってここに出んだよ」
すると、長男の妻が、宋十郎の左腕から血が流れていることに気が付いた。
「あの、腕を怪我してるようだけど……」
長男の妻は真水や布を運んできて、腕の手当てをしてくれるという。
次男は郷に言われ、子供たちを連れて家の中へ戻ってゆく。
いずれにしろ彼らは、お畝さんとやらを鎮めにいった長男と孔蔵が戻ってくるのを待たねばならない。
宗十郎が腕に布を巻いてもらっている時、海の向こうに小さく燃える松明が現れた。
明かりは徐々に近付き、やがて宋十郎の目に、舟の上の坊主と漁師が見て取れるようになった。
「戻ってきた」
彼が言うと、女はちょうど巻き終えた布から手を離して立ち上がった。
「あんた!」
女が沖に向かって声を張り上げると、舟の上の男が手を振った。
宋十郎が着物の袖に腕を通しているうちに、舟はみるみるうちに近づいてきて、浜辺に辿り着いた。
「無事だったかい」
妻が夫に駆け寄る横で、孔蔵は宋十郎に向かって歩いてきた。
「宋どの、やりましたよ」
若い僧侶の顔は、こんな夜更けでも漲る活力で輝いている。宋十郎は頷いた。
「どうやら、そのようだ」
彼の様子から何かを感じ取った孔蔵が、濃い眉を上げた。
「宋どの、何かありましたか。ずぶ濡れですし、そりゃ新しい怪我ですか」
裂けた袖から、先ほど巻いてもらったばかりの布が覗いている。
彼は言った。
「篭が、……あるいは十馬が、攫われた」
顎が外れそうなほど、孔蔵の口が開いた。
「え? この、一刻かそこら空けてた間にですか?」
宋十郎はもう一度頷いた。
「不甲斐ない話だが、そうだ」
「いえ、とんでもないですよ。一難去ってまた一難てやつですね。えっと、遠夜の忍ですか?」
「いや、それもはっきり言えないのだが……」
そう前置きし、つい今し方起きた一連の出来事を、宋十郎は説明した。
一通り聞き終えた孔蔵は、ううんと唸りつつ、腕を組んだ。
「どっかの魔物が、お仲間を連れに来たとか? どこの話だったか忘れちまいましたが、そういう言い伝えを聞いたこと、ありますよ。鬼に呼ばれた人が鬼の里へ入ったきり本物の鬼になって、それから戻ってこなかったっていう」
興味深い話だとは思いつつ、宋十郎は首を捻った。
「女忍は魔物に向かって、黒鬼を頼むと言った。つまりあの者たちは知り合いだ。ただその魔物が遠夜の者で女忍を裏切ったのか、協力関係にあった余所者なのかはわからない」
「ううううん……つまり何もわかんねえってことですよね。手掛かりもなきゃ、どこに探しに行きゃいいかもわからんのですよね」
腕を組んだまま、孔蔵は悩ましげに唸った。
「まあ、そうなる。しかし、妙な話ではあるが、郷どのが言っていた、府中の魔物の話がひっかかってはいる」
純粋に、これは彼の勘でしかない。しかし遠夜は昔から密約を好む家でもあり、二代か一代前の頃に瑞城と結んだという噂を、彼は聞いたことがあった。
「まあ、火のない所に煙は立たぬって言いますもんね。何より他に行き先もないわけですし……夜が明けたら噂話を集めつつ、府中に向かって歩きますか」
孔蔵の提案に、彼は頷いた。
「私は、今夜から歩いても構わないが」
彼が言うと、孔蔵は大仰に首を振った。
「いや、あんたもまた怪我しましたし、休んだ方がいいですよ。それに、逢魔が時って言うでしょう。俺たち人間は、日が昇ってから動いたほうが、何かと上手くいくってもんですよ。それとも、あんたまで物怪だってなら話は別でしょうけど」
宋十郎は、坊主の顔を斜め上へ見た。
「確かに、体を悪くしては元も子もない」
「そうそう」
孔蔵が頷いたところで、家の中から、郷が出てきた。
既に息子とは再会を果たしたようで、皺だらけの顔がいっぱいの笑顔を湛えていた。
「孔蔵さま、どうもありがとうございます」
老女は目尻に涙を浮かべている。
「お畝さんは、やっとお休みになられたんですね。わしらも、これで安心して漁に出られます」
郷は両手を合わせながら僧侶の前まで来ると、砂の上に膝を着いた。
「いや、ご老嫗、およしくださいって」
慌てて膝を折った孔蔵が、老人を立ち上がらせた。
*
翌朝、宋十郎と孔蔵は、郷の一家を始めとした村人たちに見送られ、小さな漁村を後にした。
郷の息子の立ち合いのもと、孔蔵が無事魔物を鎮めたということで、二人は食料から古びた簪まで、色々なものを謝礼として受け取った。
篭の不在によって頭数も減っているため、暫く路銀の心配をする必要も、その余裕もなさそうである。
瑞城府中へは、日暮れ前に着く見通しである。
孔蔵は、急ぐことより情報を集めることが重要だと主張した。
それに従い、彼らは鈴原という街で、噂を拾う目的も兼ねて、茶でも一服しようということになった。
何が一服なのか。
茶屋というよりは酒家らしい店に入り孔蔵が酒を注文した時点で、宋十郎は思った。
「なぜ酒を注文する必要があるのか、聞いてもよろしいか」
彼が口出しすることでないとは思う。危急の時であるという認識を共有しているのかを確かめる目的で、向かいに座る孔蔵に、敢えて訊ねた。
孔蔵は眉を上げると悪びれた様子もなく、彼の顔を見返した。
「太畠で一杯やるって言ってたじゃないですか。太畠でできなかったんで、今やりましょうってね」
そういえばそんなことを言っていたとは思うが、そんな場合ではないと彼は言いたい。
「なるほど。では、好きにされよ。私は茶でも頂く」
間も良く、給仕の娘が酒瓶と杯を運んできてくれた。
彼は娘に、茶を頼む。
娘は愛想良く頷くと、盆を持ったまま去ってゆく。
その後ろ姿が卓からさして離れぬうちに、孔蔵が言った。
「いや、茶って。宋どの、今日はあんたにも酒を飲んでもらいますよ」
顰め面をしているのを承知で、彼は坊主を見返した。
「なぜだ。私たちがこの店に入ったのは噂を集め、」
言いかけた彼の言葉を、孔蔵が遮る。
「いえ、まあ、もちろんそうですよ。ただ、それだけじゃなくて、せっかくあんたと俺、一対一になったんです。この際だから、ちったあ腹割って話したいと思ったんですよ」
宋十郎は眇めた目で、孔蔵を見つめる。
「酒を飲むことがなぜ、腹を割って話すことになるのか」
孔蔵のほうも、言葉に迷ったように、眉を顰めた。
「んあ、……それが、俺が育った裏小路の流儀だったからですよ。じゃなくて、そうじゃなくてですね。ったく、面倒臭えなあ」
面倒臭いのはどちらだ。
彼が黙ると、僧侶は沈黙を繕うためというよりは言わんとしていたことを整頓したといった風に、言葉を続けた。
「あんた、色々隠してることがあるでしょう。郷ばあさんに聞いたんです。あんたが、魔物に向かって妙な呪文を使ったって」
宋十郎は、絶句した。
呪文とは、昨夜彼が使った『遠吠』のことか。あれはほとんどの魔物や人間には音として聞こえないはずだが、稀に聞き取れる者がいるらしいと伝えられていた。偶然そういう人間が居合わせてしまったのは、運が悪かったとしか言いようがない。
しかし、彼はこの時も、眉一つ動かしてはいない。
「孔蔵どの、貴殿も呪文を使うだろう」
単調に返すと、孔蔵は納得いかないと言いたげに彼を睨んだ。
「そういう話じゃないですよ。宋どの、あんたは、人間ですか」
この男は、何を言うのか。しかもこんな場所で。二つ向こうの席の浪人が、彼らの会話を聞いていないとも限らないだろう。
それを言葉にはせず、彼は坊主を睨み返した。
「当然だ」
「本当に?」
しつこくも訊ねられ、宋十郎は言った。
「疑うならば、訊くことに何の意味がある」
坊主は一度口を引き結び、どうやら何かを整理したあと、話し始めた。
「あの篭どのが人じゃねえのは本当なんでしょうけど、あんたらが何者で本当は何をしたくて京に向かってるのか、俺にはよくわからない。和尚はそれでもいいって言いましたけど、俺は嘘も隠し事も、ほんとなら我慢ならねえ性分なんですよ。篭どのは何か気の毒だしあんたらを助けたいって俺も思ってますけど、命賭けるって以上、何にそれを賭けてるのか、知っときたいじゃないですか」
それは確かに道理であろうと、宋十郎は認める。
そして孔蔵が疑うように、彼には、黙っていることも嘘をついていることもある。
彼は、背筋を正すと、正面から目の前の男を見据えた。
「仰る通り、私は正直者ではない」
孔蔵は、唇を曲げた。
「そこは、正直ですね」
「好んで嘘を吐くわけではない」
そう言い返してから、彼は言葉を続けた。
「事情がある。ものごとを進めてゆくために、隠しておかねばならないことがある。これらには、貴殿から隠しているわけではないこともある。しかし秘密を知る頭と口は少ないほうがよい。だから私は、貴殿にも語らない」
言葉が進むにつれ曲がっていった孔蔵の口が、唸り声を漏らした。
「うむむ……つまりあんた、兄貴……篭どのにも嘘を吐いてます?」
「あの者が、私と共謀して孔蔵どのに隠し事をできるように見えるのか」
むむうと、孔蔵はますます唸り声を上げた。
武骨な手が卓の上の杯を掴み、酒を注ぐ。
「まあ、そうですね。すると俺としてはですよ、あんたが一人で何か企んでるんじゃないかって、ますます想像が膨らんじまうんですけどね」
心なしか低い声で言い、坊主は酒を舐めた。
彼は頷いた。
「しかし、私たちが篭に憑いている魔物を祓うために京へ向かっているというのは、まことだ。私は家と故郷に、安寧をもたらしたいだけだ。今はそれしか言えない。不足ならば、私に貴殿を引き留める手立てはない」
孔蔵は、わずかに傾けた杯の向こうからじっと彼を見つめ、鼻息を吐いた。
「ま、いいでしょう。解決すりゃ、全部お披露目されるんでしょう。あんたの兄貴に何が憑いてんのかとか何がどうしてそんなことになったのかとか、気になることはいくらでもありますけど、あんたが話してくれる時を待つことにしますよ」
そう言って、僧侶は杯を干した。
宋十郎は、目礼するつもりで目を伏せた。
「感謝する」
また間の良いことに、給仕の娘が茶を運んできた。
彼の前に急須と湯呑みが置かれる。
宋十郎が礼をする間に、孔蔵が声をあげた。
「あ、姐さん。こいつもう一本と、この人にも杯を頼みます」
「かしこまりました」
娘は柔らかく微笑むと、下駄を鳴らして店の奥へ歩いてゆく。
着物の後姿を見送る孔蔵の表情が、へらりと崩れた。
つい今まで何の話をしていたのだったか、忘れそうになる顔である。
それとも、もう片付いた話は、置いておけということか。
憮然とする宋十郎に気付いたらしく、孔蔵が彼に目を寄越した。
言われる前に、宋十郎は言った。
「杯を頼んだ覚えはないが」
すると、孔蔵は笑った。
「盟いの酒ですよ」
「何の盟いだ」
「俺が、あんたらを助けて京まで行くっていう」
「では、今までは何だったのか」
「和尚のお言い付けを、守ってたんです」
なるほどと、それには彼は納得した。師の言葉を守ることと、自分で決めたことを守るのは、この男の中では別のことなのだろう。
たまには、相手の流儀に従うことも礼儀だろう。
今度も間の良い娘が、新しい瓶と杯を持ってきた。気の利く者は、どこにでもいるものなのだろう。
彼が杯を手に取ると、孔蔵が瓶を持ち上げて、酒を注いでくる。
彼は、細く溜め息を吐く。
「じゃあ、一献」
孔蔵が、実に嬉しそうに笑った。
*
半刻後、宋十郎と孔蔵は鈴原の通りを歩いていた。
「どうやら、瑞城希人が魔物を飼い始めたってのは、有名な話みたいですね」
孔蔵が言った。ほんのり明るい色の額からして、ほろ酔い気分のようである。
この辺りに出る魔物の噂を求め、彼らは酒家の娘や、店の中で居合わせた客に訊ねた。
孔蔵が鎮めたばかりのお畝さんの話のほか、北の山に盗賊が出るというような話もあったが、府中の若殿さまが出自のわからぬ新参者を側近として置き始めたという話は、土地の者たちは皆知っているようだった。
もっとも、鈴原では、その新参者は魔物のような外見をした病者だと言われていた。本物の魔物がお国の中央で政に参じるなどという話は、瑞城のように開けた国の大きな町では、あまりに眉唾じみて聞こえるのだろう。
宋十郎は言う。
「しかし、ここからどうするかが問題だ。病者だろうが異形の忍だろうが、仮に希人の側近が本当に篭を攫ったとして、私たちでそれをどう確かめるのか」
ふとその時、後頭部に視線を感じた。
歩みは止めず首を回し、振り返る。
十歩ほど離れた後方を、旅装の娘が歩いていた。
それは、太畠の手前で出会った娘と、そして昨晩浜辺に現れた遠夜忍と同じ顔をしていた。
体の向きを返し、剣の柄を握る。
隣の孔蔵も振り返り、宋十郎の視線の先を見て身構えた。
娘が、にいと笑う。
「よう、お二人さん。武器はいらねえよ。ちょっくら話せねえかな?」
切った張ったをする気はないということか。街中で声を掛けてきたことにも意図があるのだろう。
彼は言った。
「狙いは兄上だと思っていたが」
にやにやしたまま、娘は答える。
「そうなのよ。あんたもご覧になったと思うけど、まずい連中に横取りされちまってね。まだあんたらに返したほうがましかもと、そう思ったからお声掛けさせていただいてるわけ」
「まずい連中とは?」
「でっかい声で言い辛いんで、ちと歩きましょうかと」
まだ彼らの間には十歩の間がある。
躊躇った宋十郎の横で、孔蔵が言った。
「そうは言っても、近寄りたくないな。また毒でも使われちゃかなわん」
いひひと笑った娘は首を傾ける。
「だいじょぶ、だいじょぶ、二対一っしょ。大の男二人が、こんなちっちゃい小娘相手にびびってんのも妙だわな」
「お前は妖術を使う」
宋十郎は言った。
「そんなら、両手縛って歩こうか?」
彼は、早くもこの会話を不毛に感じ始めた。
突然現れた手掛かりは、微塵も信用ならない相手である。しかし同時に、彼らが手詰まりであることも、事実である。
彼は、剣の柄から手を離した。
孔蔵が彼を見る。
「聞くんですか」
「他に策もない」
坊主は、むうと唸った。
「じゃあ、俺はちょいと離れて後ろを歩きます。そうすりゃあ、少なくとも一網打尽にされることはないでしょう」
彼の頭には閃かなかった妙案に、宋十郎は頷いた。
孔蔵は後方へ向かって歩き始め、忍とすれ違う際、大きな目で娘をひと睨みしていった。
歯を見せて笑う娘が、入れ替わりに、宋十郎の隣へやって来る。
「どうもどうも、宋の旦那」
当然、名前も知っているだろう。
「お前の名は」
「雨巳ってのよ。よろしくな」
彼の問いに娘が答えた。
彼らは通りを歩き始めた。
おかしな空気である。
宋十郎は遠夜忍の娘と並んで歩いている。彼らから十歩ほど遅れて、孔蔵があとをついてくる。
雨巳は宋十郎に、十馬を攫っていったのは、比良目という名の瑞城の忍だと話した。
比良目は古くは遠夜に仕えていた魔物であり、先代の瑞城当主惟人は、遠夜から比良目を受け取ったものの使わなかったが、希人はどうやら比良目を使う気らしいという話もした。
なぜ瑞城が十馬を攫うのかと宋十郎が訊ねると、忍の娘は歩きながら喋った。
「比良目も十馬も、上手く使えば最上級の殺しの道具っしょ。瑞城は夏納なんぞにやられて、今じゃ領内は梔邑や榁川に好き勝手食い荒らされてるじゃねえの。なのに病の惟人は戦に出れねえし息子の希人は戦下手ってきたら、刺客差し向けるくらいしか手がねえっしょ。そんで比良目のついでに、旦那んとこのお兄さまも持ってっちゃったんだと思ったけども」
聞くにつれて、宋十郎の眉間には皺が集まってきた。
「十馬は有秦の侍でどこの忍でもない。荒唐無稽だ。しかしまず、十馬が魔物憑きだと瑞城が知ったのは遠夜の筋だとして、なぜ遠夜がそれを知っている。瑞城が十馬を狙う理由についてはお前の推測を聞いたが、遠夜が十馬を狙う理由はなんだ」
すると雨巳は、肩を竦めた。
「そりゃあ旦那、忍に聞いても無駄ってもんよ、主の目的なんぞ問わねぇからね。それより旦那のほうこそ、お兄さまとうちの殿さまの蜜月ご存じなかったわけ? そっちのほうが初耳だわ。籠原さまも色々と大変よなあ」
ほええと、わざとらしく娘が口を開けて見せた。
宋十郎は、眉一つ動かさなかった。
訊ねるだけ無駄な問いは置いておくことにして、必要な問いを投げかける。
「十馬を攫ったのが瑞城の忍だとして、ならば兄上は今どこにいる?」
「そりゃあ恐らく居織城っしょ。居織城ってな、あんな街のど真ん中にあるお城だけど、中に魔物を仕舞っとく蔵があるのよ。その辺が怪しいと睨んでるんだけども」
「そこに、どう近付く」
忍は、思考を読ませない笑い顔を浮かべて、喋る。
「旦那、それを考えるのがお侍さまじゃございませんの。主上は頭、忍は手足。ついでに言うと今、その比良目が守ってっからいつもの忍び込みってやつもできそうにねえのよ。だから旦那にお伺い立てに来たわけで」
「私たちに取り返させて、そこから十馬を横取りしようと考えているのではないのか」
「まあ、だとしても、どっちにしろ旦那も瑞城からお兄さまを取り戻さねえと始まらねえでしょ?」
どこまで真実でどこまで本気だろうか。
昨晩の様子からすると、瑞城の魔物が遠夜の忍の獲物を横取りしたくだりは真実に思える。しかしその後両者が共謀していない可能性は、ないわけではない。しかし、その目的が想像できない。また同時に、忍の言うことが一周回って全て真実である可能性も、もちろんある。
「蔵の位置は、わかるのか」
宋十郎は訊ねた。
「お、早速妙計思いついたわけ?」
宋十郎は、細めた目で雨巳を見遣った。
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