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6 私と彼女と石のつゆざむ
#7(β版)
しおりを挟む買い物を終え家路についたクロエは、マンション付近の街路樹の陰に「何か」が潜んでいるのに気づいた。
───隠れてないで出てこい、何もんだてめぇ!
クロエが買い物袋をガサガサと振り回し、すごんでみせると「それ」は観念したかのように姿を現わした。
それは、O(オー)製薬のマスコット、ザ・ベアーだった。
(ザ・ベアーじゃねえか……!?)
一瞬呆然となったものの、クロエは頬が自然と緩んでゆくのがわかった。何を隠そう、彼女はこのクマの熱烈なファンだった。
中学生の頃、小遣いのほとんどをザ・ベアーグッズの収集、関連イベントの参加費用につぎ込んだ。とある事情でグッズは全て手放したが…正にこれが私の推しです、と胸を張って言えるくらいに大好きなキャラクターだったのだ。
(ザ・ベアー通信の定期講読…、春と秋、年2回のコンサート…、クルーズには年齢制限で参加できなかったけれど…、お前には一体いくらつぎ込んだか!わかってんのか、ザ・ベアーよォ~~!!)
そう声高に叫んでやりたいところだったが一応彼女も節度ある大人である、そこは自重しておいた。
そうこうしているうちに、ザ・ベアーはクロエにゆっくりと歩み寄ると、何事か囁いた。
「○※□◇#△さんはどこですの?」
(なんだ?)
どうやらザ・ベアーは何かを探している、あるいは追跡している途中のようだ。クロエはCAがファーストクラスの客に対して行うように丁重な物腰で尋ねた。
「ごめんなさい、あなたの言葉が少し聞き取り辛くて……、もういっぺん言ってくれない?」
ザ・ベアーは、そのつぶらな瞳をスゥと細め、やれやれ、こいつは使えねーぜと言った表情を一瞬浮かべた後に、クロエを見上げて言った。
「今日一日、ワカさんを一度もお見かけしませんでした。これっぽっちも、ですわ。連絡しても、なしのつぶて……もしかして、ワカさん、ケガとかご病気でもされているのでしょうか?」
(さすが、ザ・ベアー様、何でもお見通しってわけか…そういうところ、痺れるぜ!)
クロエは幼少時からの教育の賜物か、ザ・ベアーの盲信者
だった。会話の辻褄が合わない事に、これっぽっちも気が付いていない。
ザ・ベアーが足の爪を磨けと言えば磨くだろうし、尻を舐めろと言えばそのすみれ色の毛皮に覆われた尻を喜んで舐めるだろう。T市で『生まれた』子供たちはこのクマのぬいぐるみに洗脳されて育っていると言って過言ではない。
「ここで話していても埒があきませんわ、お部屋に入れてくださいまし」
(───あ、あたしの部屋に、ザ・ベアーが!…う、嬉しすぎるッ!!いや……いかんいかん、ここは心を鬼にして……)
流石に見ず知らずの着ぐるみを招き入れるほど、クロエも阿呆ではなかった。
「……いいや、ダメだね」
「なぜですの?」
ザ・ベアーが鼻の穴をぷぅと膨らませて食い下がる。
「だってアンタみたいな着ぐるみって、大抵中身は企業の広報のおっさんじゃん、うっかり部屋に上げて、襲い掛かられでもしたらシャレになんねーもん、それに家には今、病人がいんだよ、だからまた、今度、な」
「まぁ……!」
(よし、言ってやったぞ。大人として、これ以上なく完璧な対応だ……)
心中ガッツポーズをとるクロエ。と、そこでザ・ベアーがおもむろに自らの頭に手をかけ、ぬいぐるみの頭を脱ぎ捨てた。
「誰がオッサンですか……失礼ですね!」
現れたのはすみれ色がトレードマークの小柄な女の子、オソレだった。学校ではワカの世話役を率先して担っている、らしい。
「こんにちは、オソレちゃん」
「こんにちは、ワカさんの身元保証人のクロエさん」
二人の間で見えない火花が散る、実はこの二人、あまり仲が良くない。
「ごめんねー、あいつ今、具合悪くて寝込んでるるんだー、また元気になったら遊びにきてやってくんない?」
「ええ!?そうなんですの!?心配です~!!」
「だよね~」
(ようし、乗ってきたな、このまま立ち去らせよう……)
「…じゃあ、お姉さんは夕飯の支度とかあるから、気をつけて帰ってね」
クロエがやんわりとオソレを追い払おうとすると、彼女は唐突に切り出した。
「ところで、先刻からワカさんの位置情報が完全にロスト、どう見ても行方不明なのですけれど」
「……え?」
「わたくし先日、ワカさんを見守るために、発信機付きの髪留めをプレゼントしましたの、それがつい数時間前、パッタリと反応が消えたのです……」
(こいつ、何言ってんだ?)
「それってただ故障しただけじゃないの~?」
クロエが少し小馬鹿にしたように言ってやるとオソレは、
それならそれで構わないのですけれど…一応念のため確認させて下さいな。
言うや否や、オソレは着込んだぬいぐるみの腹ポケットをまさぐり、鍵を取り出した。
(げ!?)
クロエはオソレの取り出した鍵に、なんとなく見覚えがあった、嫌な予感がする……。
「『合鍵』持ってますの、お邪魔しますわ♪」
言うや否や、オソレはクロエの買い物バッグをひったくると、マンションのエントランスを易々とくぐり抜けた。
(テメー!?)
クロエは内心慌てふためきながら後を追ったが、玄関先に辿りついた時には既に彼女はドアノブをガチャリと開けていた。
「ちょ!ちょっと待ったあああ!!!」
「お邪魔しま~す、あら、素敵な帆かけ船ですわね、清々した気分になりますわ」
オソレは言葉と裏腹に老婆のように目を細め、靴箱の上の帆船模型、靴箱に並んだロエとワカの靴
(もっとも二人とも靴に金をかけるタイプではなく、安価な普段使いの物ばかりだった)
をじろりと品定めすると不意に黙りこんだ。そしておもむろに呟いた。
「あの子、やっぱりいませんわ」
(この子、そのうち泊めろとか風呂沸かせとか言い出すに決まってるぜ、早く帰ってくれねーかな……)
なんか頭痛くなってきたわ…、うんざりしたクロエが腕時計をチラと見遣るともうすぐ夜の7時である事に気付いた。時間的に前後する事になるが、ワカが神社で意識を失ったのはこの時間帯である。
夜の闇が、街を、人々を飲み込もうとしている……。
つづく
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