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4 デイオフ

#5β2

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淡々とオソレの説明が始ま……─不躾で恐縮ですが、ワカ様はご自身が何者か、お分かりですが?─りませんでした。
ふいにあくびをしたかと思うと目をとろんとさせ酩酊状態に陥ったのです。そして……
つい今しがたまで、澄まし顔で食後のお茶を供していたはずのトヨミさんが急に(急や)、妙なことを尋ねてきました。
─もちろん自分でも自分が普通じゃないのは知っていますよ。ただ、ものを尋ねるにもタイミングってものがあるでしょう、大人なのだから……─
……藪から棒になんですかトヨミさん、さっきまではいい感じに接してたじゃありませんか。私がそう返すとトヨミさんは青いガラス玉のような瞳でこちらを見据えて
「……申し訳ございません、……訂正致します」
と鷹揚に応じます。
「つまりです、あなたはここがどういう場所かご存知で来訪されたのか、ということです、少々乱暴な言葉を使いますと何で戻って来やがったゴラァ!という心境なのでございます」

ぼんやり灯ったテーブルの蝋燭の炎のせいか、はたまた怒りのためなのか分かりにくいものの、その瞳には激しい感情の揺れ動きがありました。そして乱暴な口調。こうして見ると本当にクロエさんに瓜二つです、やっぱり生き写しとかそっち系なのでしょうか?

(そう言われてもなぁ……『連中』の動向をゆっくり探ってたらこの子がグイグイ押して来たんやしなぁ……)
と、あれこれ考えていることもおくびに出さず、なぜ?今そんな話を?と年相応を装ってきょとんと首を傾げる私。

「……先程、私めの事をまるで異形か幽霊を見るように眺められていのはわかっております。正直なところ否定する材料もないのでそこは良いのです、問題は……」

とみみ、ろみずをくらさいら、らとてれみのかいぶちゅぐまぁろとくびゃんろくぎゃしておきらさい……(トヨミ、お水をくださいな、あと、テレビの怪物熊の特番、録画しておきなさい……)
……は~っ、大事な話の途中でオソレが割り込んでくる、泡の出るブドウジュースで酔ったのか、私には何を言ってるのかさっぱりわからないがトヨミさんには理解できるようで、
「……お嬢さま、お忘れですか?ここは地下1キロ等々の理由にてスタンドアローンとなっております……それにあたし、テレビとかあんまり見ないから……ぽぽぽ」
最後にボソリと呟くトヨミさん、どうやら丁寧な言葉使いは演技で素の口調は普通のようです。でも語尾のぽぽぽは『素』、なんですね、なるほど。

「こほん、失礼しました」
軽い咳払いひとつ、話を仕切り直す。
「……単刀直入に申しましょう、お客人。
貴方がここに来訪してから<同じもの>が騒がしいのです。普段は─ドアやカーテンの─隙間から覗くだけなのに、先ほどから外で悲鳴のような声をあげたり、あやしいおどりを踊ったり……はっきり言って迷惑なのですよ、私はこのお屋敷、黒江館のお世話と、たまに遊びに来るオソ嬢のお話相手をさせて頂きながら静かに暮らしたいだけなのです、それなのに……」
背筋がゾクッとしました、何故なら……、トヨミさんが脅すようにぐいっと顔を寄せててきたから、息のかかる距離まで……そして、エプロンの裾を鉢巻きのように捻りながらこんなことを言い出すのだから。
「貴女が、私達の平穏を壊すつもりならば、このトヨミ、容赦しません。あなたが<原典>、しかもオソレのお気に入りでも……ぽぽぽ……」
ここでようやく事態を把握しました。
屋敷の異変とは別にこの人は私の『正体』とオソレとの関係性に嫉妬のような感情を抱いているのです。


─オソレをたぶらかす存在として警戒してる感じか……─
ここで、そういうのやめてください、非生産的ですよ、などど言おうものなら何をされるかわかったものではありません。
そこで私は当たり障りのない友達の家を辞去する理由を
「トヨミさん落ち着いて、そろそろ見たいテレビがあるんで帰りますから……競馬中継とか夕方アニメとか……」
と直球で伝えてみました、すると一瞬の沈黙……
(……ゆ、許された?)
ほっと安堵したのも束の間、「この卑しんぼ!!!」
先ほどまでは想像もつかなかったドスの効いた声音で私の言葉を遮ります、そしてついにトヨミさん、私につかみかかって来ました、爪こそ立ててはいませんがものすごい力です
彼女の体臭でしょうか?腐った水のような匂いが鼻先にわっと広がって……その時です。

「うーん、お母さん、おじいちゃん……まだビスケットにシロップはかけないで…今年のクリスマスは……」
酔いから覚めつつあるのか、寝言のようにつぶやくオソレの声。
「…ぽぽぽ……興ざめしました……」
真顔ともあきれ顔ともつかない微妙な表情で頭をかくトヨミさん。
「お嬢様は天才技術者でもありますがこう見えて寂しがり屋でございます故、何かあったときはお助け下さいませ。特に街の外にお出になる際は……ぽぽ、そういえば、お名前、伺ってませんでしたよね?」
─今度こそ、ゆ、許された!?─
色々あって聞きそびれたものですから、と微笑む彼女を見て私も思わず引きつった笑みで返します。
「……とりあえず、<原典>とかご大層な呼び名はやめてください、私はワカ、漢字で書くと和歌の和に……」

パリン…
、そう説明しようとした矢先、テーブルに突っ伏して酩酊していたオソレが誤ってグラスを床に落としてしまいます。肘でも当たったのでしょうか?

「はぁ……飲み過ぎや」
トヨミさんが割れたグラスを片付けようとエプロンから絹のハンカチを広げたその時、ふっ、蝋燭の灯りが消え、一瞬の闇が訪れます。同時に柱時計が間延びした音で3回鳴りました。

─な に ?─
、そして次の瞬間……
「……出ちゃいましたねぇ、大きな音」
一瞬の静寂と暗転のあとブザーと共に赤色灯に照らされた食堂、血のような赤色に染まったトヨミさんがポツリとつぶやきます。
そういえば─大きな音をたてるな─と、この謎の地下施設に入る直前オソレに忠告された気がします。

「ワカ様……少々厄介なことになりました……割りとヤバいかも」
(私とあんたら以上にヤバいやつがこの世界におるんかい)
そう心の中でツッコミたくなる気持ちを抑えて 、一体何がヤバいんです?─外の子達が怒ったんですか?グラスが割れたり私たちの出した音のせいで─と尋ねます。
その刹那 <バン!> 食堂と一階のエントランスを隔てるドアが勢いよく開きます。ドアの影には白いもやが浮かんでいて……

「ふぁ~、いい旅夢気分ですわ……って……ぬぁ!」
長い酩酊から目覚めたオソレは窓の外を見つめ一瞬表情を凍りつかせましたが……その瞳に再び理知的な光が宿りました。
「……出しましたね、大きな音」
そして私達を交互に見遣りながら……少しうんざり顔でそう言うのです。

つづく
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