上 下
32 / 58
4 デイオフ

#1α

しおりを挟む
涼しい音色の入店チャイムが鳴る。
レジに立つ男性店員はその音の主に視線を向ける。
音の主=彼女はこの店の常連だった。(あれ?)
男性は彼女が目深に帽子を被っているのに首を傾げる。
いつもなら堂々と素顔で店内に入るはずだからだ。
(……?)
そう思いながら彼女の姿を観察する。いつものように柿の種とレトルトカレーを買っていくようだ。そして最後にデザートコーナーへ……新商品をじっくり吟味しているようだ。と、その背中へ子供が勢いよく体当たりをかけた。
「!」思わず転びそうになる彼女……「だっ……大丈夫ですか!?」慌てて駆け寄る店員、二人の無事を確認しようとしたとき……彼は異変に気付いた……。落ちた帽子を拾おうと屈んだ彼女の頭からピン!と伸びる一対のケモノの耳が見えたのだ。
***
コンビニの駐車場、駐車スペースのハジには白髪混じりの無精ひげの老人が座っていた。タバコの箱を取り出したが中身が入っていないことに気が付き舌打ちする。その横を通り過ぎようとする女性にふっと目が止まった。女は自分の方を振り向くことなく真っ直ぐ歩いていった……。女の頭に動物のものと思われる毛むくじゃらの長い三角形の物体が二つ揺れていた……。
「……え?なんで!?」男の目が大きく見開いた……。
***
「ふ~っ」
あれから二日過ぎた日曜の朝、アタシは日課のジョギングに出た帰りに自宅マンション一階のコンビニに立ち寄った。おやつの時間にワカちゃんと食べるデザーットは外せないね。エレベーターに乗り込みつつ、、アタシは一昨日の事を振り返った……
* * *
「私は外道というか、機転が利くんだよ」
救急車の中で謎の液体に体を横たえたアタシに顔を近づけエミが囁く。
あれから十数分、アタシ達を乗せた救急車は一目散にT大を目指しひた走っている。車内の会話といえば時折
「こっちだ!」、「早くしろ!」、そんな怒号めいたやりとりが聞こえてきたくらいなものだ。……だけど今になって思う。なにもこんな状況で助けに来てくれなくても良かったのでは? なんて考える暇もなく、救急車のはものの数分でT大の裏門に到着した。
* * *
裏門前に到着するなり救急隊員達がバタつき始めた。そして間もなく担架が用意される運びとなったのだけれども、その最中の事だった。何事だろうか。いきなり背後から
「ドいてェェ!」
というバーシアちゃんの叫び声が聞こえた。直後、馬のいななきに似た異形の声と同時に、視界の端でバーシアちゃんのお兄さんが悠然と歩み寄ってくる姿が目に飛び込んできた。どうやらバーシアちゃんを追ってT大の敷地に入り込んでしまったようだ。
「兄上!ダメデショ!下の公園でマッテなきゃ!!」
バーシアちゃんが超大型バイク級の青い異形を叱りつける。恐らく公園とは第一章でアタシとワカちゃんが出会った場所に程近い市の中央公園の廃墟だろう。あそこならそう遠くはない。
バーシアちゃんに食って掛かろうとする保安要員にエミとリョウスケ君が
「勘弁してあげて、この子私のイトコで今朝、N市から遊びに来たんだよ。電車が一時間に一本の!」だの「僕、実は救急車のマニアでぇ、乗せてもらった記念にぃ撮影していいすかぁ?」等、様々な言い訳を駆使して場を収めようとするのを尻目にアタシは別の車に乗せられラボに運ばれた。
***
ラボに着いたアタシは一旦処置室のような場所で眠らされ、そのまま蘇生措置が行われた……らしい。意識が朦朧としてあまりよく覚えていない。ただ、眠りに落ちる直前、髪と瞳が菫(スミレ)色の謎の少女がその華奢な顎に指をそえ物憂げな面持ちで私を見下ろしていたっけ。……誰?
***
「よーし完了っと……」
聞き慣れた声に瞼を開くとそこには、お馴染みクマーリンのふっくらした背中が見えた。
傍らにはラブラクラの遺体が……。
「うん、大丈夫。もう泣いてないみたいね。」「なんだ、元気じゃん。」「若干の後遺症は残るも被験者に目立った外傷なし……」クマーリンと十数人の助手が見守る中、アタシは寝台の上でゆっくりと目覚めた。
肉体の奥底からじわじわと力がみなぎる。はじめにお腹、次に胸筋から両腕、両脚そして首筋までがその力で満たされる。最後に頭の天辺から爪先に至るまで神経が行き渡る感覚を覚えたところで、アタシは身を起こした。
「今回は大リーグ級にヤバかった……本当に……オソレ様、今後はもっと慎重に……」
「──そうかもしれないわね……私も、後先のことなんて全然考えずにライブ感で実験をやり過ぎたのかもしれない……もっと過去の記録が必要かも」
どこか弱々しいクマーリンの言葉に違和感を覚えつつも、私は自分の置かれた状況を把握すべく周囲を観察することにした。
どうやらここはラボのようだったけれど、アタシがキャタピラ生物に喰われた部屋とは別の場所らしく、普通の病院の集中治療室のようにガラス張りの壁に囲まれているせいで妙に落ち着かない感じである……
「クロエ君……」クマーリンが(※もうクマでいいか)、アタシに声をかける。奴は相変わらず、何とも言えない表情をしていたけど、何かを言い淀んでいるように見えた。
なんだろう? アタシがが首を傾げる。と、同時に
「落ち着いて聞いてほしい、君の蘇生には無事成功した…但し……」と、もったいぶるように間を開けるクマ。んん?
アタシは自分の肉体が無事だという一報に浮かれて立ち上がってクマにハグしてから、やった!わたし……アタシの体だ!どこも違和感とか後遺症はな…い、と言葉を継ごうとして自分の肉体(※主に頭)の異変に気づいた。……ん?……え?ウソでしょ……
何気なく髪を弄ろうと手をを頭に伸ばしたアタシは自分の頭頂部付近、左右にに適度な弾力の突起があるのに気づいた。そのアタシの反応を見て何かを察するクマ。
「マジすか……」「……」
クマはぬいぐるみのように急に黙り込んだ。
「ちょっと鏡貸して!」取り乱すアタシ、駆け寄ってきた防護服姿の女性研究員から手渡された手鏡に映し出されたのは、頭にネコかキツネのかわいい耳を生やしたアタシの姿だった……。
その後何をされたのかを詳しく聞こうとしたんだけど、「うむ、まぁなんだアレがコレなんだけどネコは固体と液体、両方の性質があるからね30年近く前の論文でも……」
みたいな要領を得ない回答を連発されて終ぞ真相を掴むことは叶わなかった、どうやらアタシは一度死にかけた事で体質が大きく変化してしまったらしい。とりあえず家に帰る、とクマに言うと奴は少し躊躇したものの、渋々と同意してくれたので帰路につくことにしたのであった。
アタシが丸1日眠っていたのこと。クマがお土産にハチミツカステラを一本くれたこと。件の研究員が帰り際にツーショット写真の撮影と引き換えにチューリップハットを貸してくれたことを付記しておく。(注:この物語に登場する人物設定等は作者の創作であり実在の団体・組織等とは髪の毛程も関係ありません、念の為……)
***
エレベーターが目的の階に到着して扉を開くと同時に回想タイム終了。
「……ったく」と呟きながらスマホを取り出すと画面にはメッセージアプリの受信通知が表示されていた。差出人はエミか、内容は……要約すると"昨日バーシアちゃんと買い物に出掛けたらスーパーの入口で警備員員に入店を断られたこと。理由はバーシアちゃんが鎧を着ていたから。どうにかならへんかな~という相談。二つ目はワイトの奴が一昨日、現場に来る途中でバイクが故障したせいで現着に遅れた上に結局いれ違いに現場に辿りついたこと、本人はしれっと今回は活躍したい。などと意味不明な供述をしていたらしい。まったくどいつもこいつもいい加減にしろよ!?
そして最後の三つ目のメールには ─来週、例のお店に集合ですわよ♡待ってますわ byエミ ***……アイツも本当に好きだな!また厄介事に巻き込まれそうな予感がする……!
(はぁー)私は小さく溜め息をつくと、再び歩き出した。4階のフロアを行く私の耳にふと声が入り込んだ。
「この部屋のはずだが……ぶつぶつ」
見るとアタシの部屋の前でワカちゃんより少し年上に見える女の子が佇んでいる。何だか知らないけど上品な雰囲気だ。
(あの子、どっかで見たような……?)私が思わず、むぅ、と視線を向けるとそれに気付いたらしく彼女がこちらを振り向いた。
そしてそのまま固まってしまう。彼女の目は私を捉えたまま離さない、まるで時が止まってしまったかのように彼女は微動だにしなかったけど、しばらくしておもむろに口を開いた。
「おはようございます。ワカさんはご在宅でしょうか?今日あの子と会う約束をしておりましたが待ち合わせ場所がわからなくて……あっ!!もしかしてもしかするとあなたがワカさんのお母様?」
いきなり質問攻めにあって戸惑ってしまう……
「え?……違います…けど…一緒に住んではいるんですが……最近」
私の言葉を聞くなり目の前の少女の顔がみるみると綻んでいった。
「良かったーお会いできて……ずっと探していましたの……だってわたくしワカが初めて出来た友だちなのですもの」「そ、そうですか……よかったですね……ところで、ドア開けたいんでそこ退いてもらって良いですか?それと、えぇとその手の中のものは一体……」
話の途中で急に表情を曇らせて
「あらヤダ、これったらつい嬉しくなっていつの間にか持っていましたわ……恥ずかしい……」
少女の手の中にはなぜか鍵束が握られていた……。ええと何コレ?
「その鍵の束はなんでしょうね……」
素朴な疑問を口にしてみた。なんか凄く嫌なものを感じている。多分だけどこれはあれだ。アレに違いないよね。大家さんのいとこかな?そうに違いない。
***
リビングの扉が開く。あの子が帰宅したようだ。わたしは(やっと帰ってきた)と心のなかで安堵の気持ちが広がるのを感じた。
(ん?)わたしは不意に嫌な予感を覚え玄関へ向かう、そこには見覚えある薄い紫の少女。そう、ドクがあの子の隣で微笑んでいた。しかもオーバーオールを着こなしている。
わたしを見るや否や、ぱあぁと顔を輝かせるドク。
「やぁやぁワカ君日曜日だけど元気にしてるかい!」いきなり話しかけてきた。
(あんたアメリカ人か!……)とあしらいたいところだがそれはさすがにぐっと堪えてしばらく様子を窺うことにする。
「ねぇワカ。先日の件なんだけど、覚えてる?これから遊びに行かない?実はあの後いろいろあって大変だったんだけど……」
「はぁ?先日の件?」
わたしはあまり思い出したくない記憶を振り返った。
***
M(混人)……あれもあなたが作ったの?
異形の群れが駅を覆い尽くす映像を眺めながら
わたしは謎の少女ドクに恐る恐る尋ねた。
「うん」……一体どんな仕組みなの……それにその体…特殊メイクじゃないよね……。
「私の作った薬を使ったらこうなったんだよ、すごいでしょ?」
いひひっと笑うドクニの顔は無邪気に見えた。
「でもね『私自身』もまだ研究途中なんだ、これからちょっと忙しくなるよー」
そう言って自分の肩を抱き、嬉しさを表現するように立ち上がってくるりと回ってみせるドク。
画面の向こうでは異形が深海魚の群れのように回遊している、それはおぞましくも美しい光景だと思った。
「オソレ様はこれからラブラクラの回収作業や君の飼い主の蘇生作業にとりかかるのだ。出口まで案内するからさっさと着替えて帰り給え」
おっさんが威圧的な態度でわたしに指示を出す。
(……こいつが……?)
なんかさっきと雰囲気が違う……。わたしは訝しんだ。
「んー……君、今私の態度を疑わなかったかい?」
鋭い指摘を受けた!……なにも言い返せない……。
「フッ……まあ良いだろう着替えと持ち物は預かってる。じゃあ、向こうで待っていてくれ私は用事があるんでな……」
男は顎で奥の部屋を指し示したあとドクと何やら相談を始めた。先日とは打って変わって真剣な様子だった。
***
「おつかれさま、また遊びに来てね」
数分後、着替え終わったわたしは玄関先でとつドクから抱きしめられた。別れの挨拶のつつもりらしい
(……)
こういう場面ではありきたりな表現なら『柔らかい』だの『甘い香り』だのあると思うけど残念ながらそんなことは微塵も感じなかった。あえていうならば(ゲ○に近い匂いがプンプン)といったところだろうか。
わたしがそんな風に思考を巡らせていると彼女はわたしの耳元で聞こえるか聞こえないかくらいの声量で何か呟いた。「今度行くときは、私も一緒に誘ってね……」
……わたしも色々な修羅場をくぐってきたつもりだけど、この子の微笑みの奥で獣のように爛々と輝く瞳だけは未だに苦手である。背筋が凍るような感覚に襲われると同時に何故か胸の内がくすぐられるような不思議な気分になってしまうからだ。だから何故か無意識のうちに頷いてしまったような気が……する。あれが世に言う人たらしか……恐ろしいヤツ。
「あの子、ウチで飼いたいな……」
「ふふ、気に入っていただけましたか」
「もちろん、あんな素敵な子は今まで見たことないわ!でも惜しいな……もう少し小さな……幼稚園児位ならもっと良かったんだけど」
「そうですね……、ですがそれは贅沢というものですよ」
少女は指先に口を当てて陶然とつぶやく。まるで父親に囁いているようであった。……というやり取りがあったかはさておき、案内された出口(どこかの雑居ビルをT大が借り上げたらしい)から出たところであの男が話しかけてきた。
少し離れた場所にあの子の赤レンガ風の壁のマンションが見えるんだけど……(近いね)
「ごめんね、おかしなことに巻き込んじゃって」
申し訳なさそうな口調とは裏腹に相変わらず悪びれた様子も見せず、男が言う。
「あなた一体何者なんですか……!」
わたしはこの男に対して無性に憤りを感じた。警戒するように問い質すと男は「クロエお姉ちゃんによろしくだぞ♪ばいば~い♪ミ」と言って建物の奥へと去っていった…(こっわ!)本当に今日は疲れた……早く帰って寝よ…わたしは解放され家路についた。
それから部屋中の鍵をロックしてからあの子の帰りを待った。
***
思い出してきた。あの時のことがフラッシュバックする。
「今日は地下迷宮の探索に行きますわよワカ。30分で用意なさい」
……どうせろくでもないことでしょ?と半目になりつつ問うとやはりとんでもないことを言い出した。
「いいえ、違いましてよ。あなたにとってもきっとプラスになる筈ですもの……。それに……今日のランチはハゲの作ったうな丼弁当と蜂蜜プリン……」「!?」
どうしようかな……。迷っているうちに話が進んでいく。
「面白そうじゃん。行ってきたら?こんな良い天気の日に引きこもってたらアタシみたいに白っぽくなっちゃうよぉー?」とあの子。
「決まりですね。わたくしオソレガミと申します。お母様。ワカさんをお借りしますね」「いや、母じゃなくて……」「それではお姉様なのですね?素敵……!あぁ私も妹がほしいですわー!…………。さ、行きましょう!ワ・カ♡」
(はっ!)気が付けばこの子と出かけることになってしまっていた……。
「決まりですね。わたくしオソレガミと申します。お母様。ワカさんをお借りしますね」
「いや、母じゃなくて……」
「それではお姉様なのですね?素敵……!あぁ私も妹がほしいですわー!……さ、行きましょう!ワ・カ♡」
(はっ!)気が付けばこの子と出かけることになってしまっていた……。
有無を言わさず手を引かれて出かけることになったわたし。あの子に助けを求めようと振り向くとソファーにどっかと腰かけて『早く行け』とばかりに手を払っている。
……クロエさん、あんた夏場に子供を車に放置するオカンになるよマジで……

ーつづくー
しおりを挟む

処理中です...