私の邪悪な魔法使いの友人

ロキ

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シーズン1 魔法使いの塔

第五章 8)バルザの章8

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 「魔法を使わないで、騎士の突進を止められるなんてね。僕も強くなったものだ」

 魔法使いはバルザの大剣をさすりながら、ゆっくりとそれを押し返してくる。「ところで下衆な魔法使いとやらはどこにいるんだろうか?」

 形勢は逆転してしまった。
 魔法使いの貧弱な力に抵抗せず、バルザは押されるがままになった。

 「この指輪に見覚えがおありのようだね、騎士殿」

 魔法使いは先程よりも冷酷な笑みを投げかけてきた。「あなたには愛人がおられる。彼女も実は僕の手の中にあるんだ。この指輪はあなたが彼女に贈った者ですよね?」

 「ひ、卑劣な・・・」

 バルザは再び剣を持つ手に力を込めようとした。

 「卑劣だって? 誰が? 僕がですか? もう貞節振るのはやめるがいい、騎士の典範とやらなど、聞いて笑ってしまうよ」

 魔法使いはバルザの横を通り過ぎ、堂々と背中を見せながら歩いていった。

 「その愛人に、騎士の妻としての教育は行き届いているのですか? 行き届いていませんよね。確かに奥様はさっさと自死されてしまった。騎士には自死は許されていないのに、妻にはそれが奨励されているというのは何とも言えないことだが。しかし夫に迷惑をかけまいと、その決心は早かった。一方、愛人のほうはまるで逆。命だけは助けてくれと哀願するばかり。まあ、まだかなりお若いのだから仕方ないですよね」

 魔法使いは振り返って、勝ち誇ったような表情を向けてきた。

 「まず剣を捨てよ。僕の足元に放り投げて跪け。さもないとあなたの美しい愛人を、白い柔肌に飢えた下層民どもの慰めものにしてやる・・・。もしかしたらその下層民の中に、僕も入っているかもしれませんよ」

 ああ、ハイネよ。

 バルザの全身から力が抜けていった。
 強く握りしめていたはずの大剣が手から滑り落ちた。
 バルザは上から押さえつけられたように崩れ落ちた。

 「もう私の騎士としての人生は終わった」

 いや、もうとっくの昔に終わっていたのかもしれない・・・。ハイネを愛してしまったあの瞬間から。

 「あなたは卑劣な騎士だ。妻の他に愛人がいるなんて。まさに魔法使いの番犬に相応しいじゃありませんか。だけど僕はあなたの武人としての実力と、仕事に対する責任感は認めている。コソコソと、妻の他に愛人をこしらえる卑怯な男だとしても、高い給金は払ってあげますから」

 「い、一時の気の迷いだったんだ」

 だけどそれがいつしか、本当の愛に変わってしまった・・・。

 「ハイネは私の優秀な腹心の妻だった。その腹心が戦場で戦死して、その死を報せに行ったとき、彼女と出会ってしまった。私の妻は、生まれることの出来なかった赤子を失って以来、人が変わったようになった。そのせいか、お互い伴侶を亡くした者同士のように惹かれ合ってしまった」

 「騎士殿、御見苦しいですよ。僕に向かって言い訳ですか? それにしても騎士の典範などというのは邪魔なものですね。そんなものに縛られていたら不自由にしか生きられない。誰もが、より愛するものを愛し、より自分の能力を発揮できる主君の下に仕えればいいのに」

 魔法使いはバルザの剣を拾い上げ、それを力一杯遠くに放り投げた。
 剣が大理石の床に跳ね返る金属音が、バルザの耳に差すように貫いた。

 「あなたの住んでいた都に噂を流しておきました。騎士団団長だったバルザという男は妻を殺し、愛人と共に隣国に逃げたと。民たちの反応は、それは見事なものだった。これまでの恩も忘れて、皆、あなたを裏切り者だとか、不逞の輩だとか罵っていましたよ。でも事実ですよね? もうあなたには帰る場所はないのだ。あなたはこれから愛人の命のためにここで生きていくしかない。この塔の番人としてね」

 「・・・ま、魔法使いよ、慈悲をくれ。私とハイネ、二人して殺して欲しい」

 バルザは屈辱に歯噛みしながら、声を振り絞るようにして哀願した。

 「駄目だ。あなたは愛するハイネのために生き続けるがいい」

 膝をついて呆然としているバルザの正面に、魔法使いは傲慢に足音を響きかせながらやってきた。

 「彼女の命は保証しよう。誰にも手を触れさせないことを約束する。だけどハイネとあなたを逢わすわけにはいかない。下手に逢わせて、二人で心中など画策されるとたまったものではないからね。だけどそうか、騎士は自死出来なかったんですよね。何て馬鹿げた規律だろうか!」

 魔法使いは天を振り仰いで高らかに笑ったかと思うと、瞬時に厳粛な表情に変わった。

 「あなたは僕に忠誠を尽くさないかもしれない。しかしあなたのように責任感が強い御仁は、意に沿わぬ仕事だとしても、申しつけられたことはやり遂げるはずだ。決して中途半端なことはしないだろうし、わざと敵の手にかかって死ぬこともないと信じている」

 そう言いながら歩いていき、魔法使いは玉座のような椅子に再び腰を下ろした。

 「バルザよ、明日から早速、門番としてこの塔を守れ。これは命令だ。それともう一つ約束してもらう。この塔に住む者に、全てのことを内密にしておくのだ。妻の死、愛人が監禁されていること、何一つ口外してはならない」

 魔法使いはそう言って、バルザの目の前にハイネの指輪を放り投げてきた。「その命令に従わなければ、あなたの愛するハイネに大変な屈辱を与えよう」

 その指輪は、最初は馬車の車輪のように軽快にバルザに向かって転がってきたが、しかしまるでバルザの辿った狂った運命のように、突如バタリと横に倒れた。

 「どうだ、全て御理解されたかな?」

 バルザはこの耐え難い屈辱に、身体が引き裂かれるような怒りを感じ、奥歯をギリギリと噛み締めていた。
 すると口の中で、何かが割れる音を聞いた。
 唇の横を血が流れる感触を感じて、奥歯が割れたことに気がついた。
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