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第二章 美しきにはメスを
美しきにはメスを(12)
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その後、ぽつぽつながらも霧島さんの口から語られたのは以下のような筋書きでした。
浅川さんの描き上げた鷺ノ宮先輩の肖像画をどうしても自分だけの物にしたいと考えた霧島さんは、わざと浅川さんと竹宮さんに厳しく接することで、自分たちからもう辞めたいと言い出すように仕向けたこと。
そして、浅川さんの作品を手にする――その許されざる穢れた行為を実行に移すためには、それに値する対価を支払うべきだと考えた霧島さんは、『供物』として――これは霧島さん自身の表現です――自分の不出来な作品を捧げようと計画したこと。あの一面の『赫』は、もしかすると生贄の流した血のイメージだったのかもしれません。
しかし、自分がその場に居合わしてしまえば哀れな犠牲者としていらぬ同情心を集めてしまうことを是としなかった霧島さんは、何処かのクラスが美術室を使うタイミングで事が露呈するよう椅子に細工をしていたこと――これは後で確認して分かったことでしたが、あの時、有海が座った椅子の背の部分には霧島さんの長い髪が結び付けられていて、そのもう一方はあのイーゼルの脚の一本に結わえ付けられていたのです。なので、有海が椅子を引いた瞬間に、イーゼルは霧島さんの目論見どおりバランスを失って倒れてしまった、ということだったのです。
最後に霧島さんはこう呟き、あの恐ろしくも恍惚とした表情でもう一度微笑んだのでした。
「あの人の描いた鷺ノ宮先輩の肖像画は、私の部屋に飾られています。大切に、大切に――」
◆ ◆ ◆
『四十九院探偵事務所』に戻ったあたしたちは、しばらく無言のまま重苦しい時間を過ごしていました。
そして、いつかと同じように、その沈黙に耐え切れなくなったのは、やはりあたしです。
「あの……安里寿さん?」
「なあに、祥子ちゃん?」
「さっきの霧島さんの、何処まで分かってたんですか?」
「嫌ね。このあたしでもさすがに分からなかったわ。白兎なら見抜いたかもしれないけれど」
え――思わず声が漏れ出ていました。
「じ、じゃあ、『可能性の段階』とか『直接確かめるしかない』って言ってたのは……?」
「ん? ああ、あれね。あれは祥子ちゃんの言葉がヒントだったのよ」
所長デスクの向こうで椅子ごとくるりと振り返り、ソファーの上でうずくまるように丸くなって眠っている美弥さんを見つけて微笑みながら安里寿さんは答えます。白いパルプ地のゆったりとしたロングドレスを纏った美弥さんの寝姿はまるで猫のようで――ふと、襟元から覗いた美弥さんのデコルテの眩さにあたしは激しく慌てます。
ち、ちょっと待ってください!
まさか……ノー下着!?
裸婦モデルをやる方は、跡が付かないように下着を着けないと聞いたことがあります。う、うーん、この角度じゃよく見えませんね。まだ『可能性の段階』です。これぞまさしく『直接確かめるしかない』って奴では――!!
「……え? えっと。何してるのかな、祥子ちゃんは?」
「ナ、ナンデモゴザイマセン」
不自然すぎる角度まで傾いていた上半身を素早く起こし、あたしは乾いた愛想笑いを浮かべて居住まいを正します。その一部始終を見届けた安里寿さんは非難がましく片眉を吊り上げ、意味ありげに微笑んでから淹れ立てのアールグレイティーのカップに唇を付けました。
「祥子ちゃんが言ってたでしょ? 『もしかすると鷺ノ宮先輩の肖像画は、三つあったのかもしれない』って。そこで仮説を立てたのよ、あたし」
「仮説、ですか?」
「そ」
安里寿さんはティーカップをソーサーの上にそっと置くと、ゆっくりと所長デスクの周りをヒールの音を立ててゆっくりと回りながら言います。
「祥子ちゃんの指摘が正しかったとして――ま、実際そうだったのだけれど――そこで立てられる仮説は、塗り潰されて切り裂かれたキャンバスの持ち主が霧島さんではなかったとしたら? ってことね」
「ですね。あたしもそう考えてました」
実のところ、はじめから不思議だったのです。
霧島さんがキャンバスに描いていたのは、心から慕い、敬愛している先輩、鷺ノ宮真子さんの肖像画だったのです。それを塗り潰され、あまつさえ無残に切り裂かれ台無しにされてしまったにしては、あの霧島さんはあまりに平然としているようにあたしには思えたからです。
「疑いたくはなかったのですけれど……もしかすると、あれは浅川さんのかもしくは竹宮さんの作品であって、被害者の筈の霧島さんがやったことなのかな、って考えちゃいました」
「うんうん」
安里寿さんはそう頷きましたが、
「でもね? そうすると、犯人は何故キャンバスを一面赤く塗り潰したのか、っていう謎に矛盾が生じると思ったのよ」
と続けたので、あたしはハテナ? と首を傾げます。
「……ん? フツーに考えれば、台無しにするためじゃないんですか?」
「ううん、だけじゃないわね。誰の作品か分からないようにするためよ」
「あ、そうか!」
恨みによる犯行だとすればあたしの推測どおりですが、安里寿さんが言うとおりもう一つの目的もあったのでしょう。しかし、安里寿さんは『矛盾が生じる』と言いましたよね。
「でも……それなら矛盾はしないんじゃないですか?」
「ま、矛盾、ってのは大袈裟かもしれないわね」
安里寿さんは足を止め、あたしの前で軽く肩を竦めてから先を続けます。
「でも仮に、あれが浅川さんもしくは竹宮さんの作品だったとして、もう退部した部員の作品な訳じゃない? そんな芝居がかったやり方をしたところで、本人たちには痛くも痒くもないのよ。ほら、実際にそうだったでしょ? あの二人にとっては、もう過去の話なのだから」
「ですね……もうどうでもいい話、って感じでした」
お二人に伺った際も、自分たちの作品についての話は一言も出て来ませんでした。たとえ廃棄されてしまったと告げたところで、あまりショックと感じなかったのではないでしょうか。
それよりも、作品を真っ赤に塗り潰しなおかつ無残に切り裂いてしまう、というやり方にどことなく執念めいた物を感じずにはいられませんでした。単なる不仲や仲違いであそこまではできないでしょう。であるならば、そうする行為そのものに意味があったか。――とすると?
「あれじゃまるで、何かの儀式みたいですもんね」
「そう――そこなのよ、祥子ちゃん。あたしの仮説が導き出した結論というのは」
え――安里寿さんの台詞を耳にして、思わずあたしは声を漏らしました。
「この一件の犯人は、霧島さんだ、ってあたしはそこで確信したの。でもね……まさかあんな動機だったとまでは思わなかったわ」
「霧島さんが自分でやったことだって……気付いてたんですか!?」
「ううん。気付いたというより、推理によって導き出した結論ね。だから『直接確かめないと』って言ったのよ。どうしてあんなことをしたのか、彼女の真意を確かめたかったの」
そして、『動かざる名探偵』こと四十九院安里寿は、最後に小悪魔めいた微笑を浮かべてこう言ったのです。
「さて……綺麗な白百合の園を掻き分けて進んだ先に、祥子ちゃんは何を見たのかしら?」
浅川さんの描き上げた鷺ノ宮先輩の肖像画をどうしても自分だけの物にしたいと考えた霧島さんは、わざと浅川さんと竹宮さんに厳しく接することで、自分たちからもう辞めたいと言い出すように仕向けたこと。
そして、浅川さんの作品を手にする――その許されざる穢れた行為を実行に移すためには、それに値する対価を支払うべきだと考えた霧島さんは、『供物』として――これは霧島さん自身の表現です――自分の不出来な作品を捧げようと計画したこと。あの一面の『赫』は、もしかすると生贄の流した血のイメージだったのかもしれません。
しかし、自分がその場に居合わしてしまえば哀れな犠牲者としていらぬ同情心を集めてしまうことを是としなかった霧島さんは、何処かのクラスが美術室を使うタイミングで事が露呈するよう椅子に細工をしていたこと――これは後で確認して分かったことでしたが、あの時、有海が座った椅子の背の部分には霧島さんの長い髪が結び付けられていて、そのもう一方はあのイーゼルの脚の一本に結わえ付けられていたのです。なので、有海が椅子を引いた瞬間に、イーゼルは霧島さんの目論見どおりバランスを失って倒れてしまった、ということだったのです。
最後に霧島さんはこう呟き、あの恐ろしくも恍惚とした表情でもう一度微笑んだのでした。
「あの人の描いた鷺ノ宮先輩の肖像画は、私の部屋に飾られています。大切に、大切に――」
◆ ◆ ◆
『四十九院探偵事務所』に戻ったあたしたちは、しばらく無言のまま重苦しい時間を過ごしていました。
そして、いつかと同じように、その沈黙に耐え切れなくなったのは、やはりあたしです。
「あの……安里寿さん?」
「なあに、祥子ちゃん?」
「さっきの霧島さんの、何処まで分かってたんですか?」
「嫌ね。このあたしでもさすがに分からなかったわ。白兎なら見抜いたかもしれないけれど」
え――思わず声が漏れ出ていました。
「じ、じゃあ、『可能性の段階』とか『直接確かめるしかない』って言ってたのは……?」
「ん? ああ、あれね。あれは祥子ちゃんの言葉がヒントだったのよ」
所長デスクの向こうで椅子ごとくるりと振り返り、ソファーの上でうずくまるように丸くなって眠っている美弥さんを見つけて微笑みながら安里寿さんは答えます。白いパルプ地のゆったりとしたロングドレスを纏った美弥さんの寝姿はまるで猫のようで――ふと、襟元から覗いた美弥さんのデコルテの眩さにあたしは激しく慌てます。
ち、ちょっと待ってください!
まさか……ノー下着!?
裸婦モデルをやる方は、跡が付かないように下着を着けないと聞いたことがあります。う、うーん、この角度じゃよく見えませんね。まだ『可能性の段階』です。これぞまさしく『直接確かめるしかない』って奴では――!!
「……え? えっと。何してるのかな、祥子ちゃんは?」
「ナ、ナンデモゴザイマセン」
不自然すぎる角度まで傾いていた上半身を素早く起こし、あたしは乾いた愛想笑いを浮かべて居住まいを正します。その一部始終を見届けた安里寿さんは非難がましく片眉を吊り上げ、意味ありげに微笑んでから淹れ立てのアールグレイティーのカップに唇を付けました。
「祥子ちゃんが言ってたでしょ? 『もしかすると鷺ノ宮先輩の肖像画は、三つあったのかもしれない』って。そこで仮説を立てたのよ、あたし」
「仮説、ですか?」
「そ」
安里寿さんはティーカップをソーサーの上にそっと置くと、ゆっくりと所長デスクの周りをヒールの音を立ててゆっくりと回りながら言います。
「祥子ちゃんの指摘が正しかったとして――ま、実際そうだったのだけれど――そこで立てられる仮説は、塗り潰されて切り裂かれたキャンバスの持ち主が霧島さんではなかったとしたら? ってことね」
「ですね。あたしもそう考えてました」
実のところ、はじめから不思議だったのです。
霧島さんがキャンバスに描いていたのは、心から慕い、敬愛している先輩、鷺ノ宮真子さんの肖像画だったのです。それを塗り潰され、あまつさえ無残に切り裂かれ台無しにされてしまったにしては、あの霧島さんはあまりに平然としているようにあたしには思えたからです。
「疑いたくはなかったのですけれど……もしかすると、あれは浅川さんのかもしくは竹宮さんの作品であって、被害者の筈の霧島さんがやったことなのかな、って考えちゃいました」
「うんうん」
安里寿さんはそう頷きましたが、
「でもね? そうすると、犯人は何故キャンバスを一面赤く塗り潰したのか、っていう謎に矛盾が生じると思ったのよ」
と続けたので、あたしはハテナ? と首を傾げます。
「……ん? フツーに考えれば、台無しにするためじゃないんですか?」
「ううん、だけじゃないわね。誰の作品か分からないようにするためよ」
「あ、そうか!」
恨みによる犯行だとすればあたしの推測どおりですが、安里寿さんが言うとおりもう一つの目的もあったのでしょう。しかし、安里寿さんは『矛盾が生じる』と言いましたよね。
「でも……それなら矛盾はしないんじゃないですか?」
「ま、矛盾、ってのは大袈裟かもしれないわね」
安里寿さんは足を止め、あたしの前で軽く肩を竦めてから先を続けます。
「でも仮に、あれが浅川さんもしくは竹宮さんの作品だったとして、もう退部した部員の作品な訳じゃない? そんな芝居がかったやり方をしたところで、本人たちには痛くも痒くもないのよ。ほら、実際にそうだったでしょ? あの二人にとっては、もう過去の話なのだから」
「ですね……もうどうでもいい話、って感じでした」
お二人に伺った際も、自分たちの作品についての話は一言も出て来ませんでした。たとえ廃棄されてしまったと告げたところで、あまりショックと感じなかったのではないでしょうか。
それよりも、作品を真っ赤に塗り潰しなおかつ無残に切り裂いてしまう、というやり方にどことなく執念めいた物を感じずにはいられませんでした。単なる不仲や仲違いであそこまではできないでしょう。であるならば、そうする行為そのものに意味があったか。――とすると?
「あれじゃまるで、何かの儀式みたいですもんね」
「そう――そこなのよ、祥子ちゃん。あたしの仮説が導き出した結論というのは」
え――安里寿さんの台詞を耳にして、思わずあたしは声を漏らしました。
「この一件の犯人は、霧島さんだ、ってあたしはそこで確信したの。でもね……まさかあんな動機だったとまでは思わなかったわ」
「霧島さんが自分でやったことだって……気付いてたんですか!?」
「ううん。気付いたというより、推理によって導き出した結論ね。だから『直接確かめないと』って言ったのよ。どうしてあんなことをしたのか、彼女の真意を確かめたかったの」
そして、『動かざる名探偵』こと四十九院安里寿は、最後に小悪魔めいた微笑を浮かべてこう言ったのです。
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