世界を動かすものは、ほかならぬ百合である。

虚仮橋陣屋(こけばしじんや)

文字の大きさ
上 下
24 / 55
第二章 美しきにはメスを

美しきにはメスを(11)

しおりを挟む
 美弥みやさんをモデルに迎えて行われた裸婦デッサン会は、結果として美術部員の皆様にかなりの良い刺激を与えたようです。

 ある方は白いキャンバスに油絵具で若々しくのびやかな肢体したいを、ある方は水粘土を使って女性らしく滑らかな起伏と表情を見せる塑像そぞうを。彼女たちは、ありとあらゆる方法とさまざまな画材を使って、それぞれの目に映った「一人の名も知らぬ裸婦」を表現しようとしたのです。



 しかしもう今は、その誰の姿もありません。



 彼女と彼女たちが確かにそこにいた証である「作品たち」が、夕闇が忍び込んでくる美術室の中にぽつぽつと静かに佇んでいるのみです。





 わずかな人影は四つきり。

 それは――霧島きりしまさん、赤坂先生、『動かざる名探偵』こと四十九院つるしいん安里寿ありす、そしてあたし。





 深刻そうな状況をお察ししてお暇しようかと声を掛けたものの、霧島さんご本人の口から、安里寿さんとあたしにも聞いて欲しい、と残るよう言い含められてしまったからです。

「で……話というのは何だ、霧島?」
「……」

 あまりに長すぎる沈黙にとうとう痺れを切らした赤坂先生が切り出しましたが、霧島さんはまだ無言のままです。その表情には逡巡と苦悶が色を濃く浮かび上がっています。見ているこちらまで息が詰まるような、そんな緊張感で空気がピンと張り詰めていました。



 そうすること、五分。



「あ、あの……。私は美術部をめなければなりません」

 霧島さんは血を吐くように小さな呟きを漏らしました。

「辞めようと思う、じゃなく、辞めなきゃいけない、と来たか……理由、教えてくれるか?」
「許されないことを……したからです。芸術をこころざす者として」
「なあ、おい、霧島――?」

 赤坂先生は少し笑ったように見えました。

「おいおい。許すも許さないも、俺は見てのとおり教会の神父様じゃない。そんな御大層な人間じゃないんだぞ。けどな? ……懺悔がしたいのなら聞いてやる。正直に話してみろよ」
「……はい」



 またしばらくの沈黙。
 けれどあたしたちは無言のまま、霧島さんの言葉を待ちます。



「たぶん……嫉妬したのだと思います。私は嫉妬したんです。してしまったんです」

 霧島さんはスカートの上で、きゅっ、と二つの拳を関節が白く浮き出るほど握り締めます。

「だから、あんなことをしてしまった……! 決して許されない行為をしてしまった……!」
「それは、あなたと浅川さんの、二つの作品に関係することなのかしら?」
「……はい」

 安里寿さんの質問に短く答えた霧島さんの瞳から涙が溢れ出ました。

「私は――私は許せなかったんです……! あんな物で、あんな程度の物で! 尊敬する鷺ノ宮さぎのみや先輩の美しさや素晴らしさが表現できていると思われるのが嫌だったんです! 私がどれほどの時間をかけて……うううっ……!」



 ああ、当たらなければ良い、と思っていたあたしの予想が当たってしまった――。

 その瞬間は、確かにそう思っていました。
 だからこそ、赤坂先生の次の問いかけには何の疑問も抱かなかったのでしょう。



「それで、浅川の作品に手を出したのか」
「……はい、そうです。申し訳ございません……」

 それまで止めていた息を吐き出して、赤坂先生は大きく肩を落とします。

「しでかしたことは、もう今となってはどうにもならんだろ。退部した生徒の作品だったのがまだ救いだったな……。しかしだ」

 赤坂先生の力ない笑いが引き締まり、いつになく真剣な眼差しで霧島さんを射抜きます。

「霧島、お前の決して振り返らないひたむきさと常に完璧であろうとする強い意志は、間違いなくお前の長所だ。ただそれは同時に短所にもなりうる。それは自覚すべきだ。分かるな?」

 こくり、と霧島さんは頷きます。

「お前の芸術的センスはずば抜けている。それは俺が保証してやる。……だがな? それだけじゃ駄目なんだよ。お前のような奴は特にだ。もっと笑え。もっと楽しめ。あの浅川あさかわ竹宮たけみやのようにだ。そのために俺は、鷺ノ宮に言って、お前たちを組ませるようアドバイスしたんだ」



 その一言で、その場にいる誰もが仰天します。



「え――? 赤坂先生のアイディアだったんですか!?」
「何だよ、おかしくないだろ。俺だって教師なんだぞ?」

 浅黒い顔を赤黒く染めてむっつりと顔を顰めた赤坂先生はまるで子供みたいです。

「駄目にしちまったものは仕方ない。でも、話せばきっと分かってくれるんじゃないか?」





 その瞬間でした。





 霧島さんは言われたことが理解できなかったように、心底不思議そうに首を傾げたのです。





「あ、あの……。駄目にした……って、何の話ですか?」
「いや、だから――」

 そして続いて語られた霧島さんの次の台詞で、あたしたちはもちろんのこと、赤坂先生が愛想程度に浮かべていた笑顔もまた、たちまち凍りつくことになったのです。










「あの時、あの場所で、皆さんがご覧になったあの絵は、確かに・・・私の・・作品・・です・・よ?」








「な……に……?」
「どういうこと?」



 言葉を失くしたあたしたちの前で、霧島さんは静かに微笑んでいます。

 途端、ぶるり、とあたしの背中に冷たいものが駆け抜けました。それほど綺麗で、怖い微笑みを霧島さんは浮かべ、そこにいない誰かを懐かしみ愛しむかのように宙を見つめていたのです。



「そう。私は嫉妬してしまったんです――あの浅川さんの描き上げた鷺ノ宮先輩の肖像画に。入部してまだたった一ヶ月。油絵を描くどころか、真剣に芸術と向き合ったこともない素人の描いた稚拙ちせつな絵だ、最初はそう思うことで自分を上手く騙せたつもりになっていたんです。でも……無理でした。完成が近づくにつれ、日に日に私の心は浅川さんの描いたあの絵に、いや、彼女のキャンバスの中にいる鷺ノ宮先輩に囚われてしまったんです。ですから――」



 霧島さんは一瞬泣き出しそうに顔を歪めてから、素早くそれを隠し、あたしたちに告白したのでした。



「私は、愚かな私自身の生み出してしまった陳腐な贋作イミテーションを葬り去ることに決めたのです」
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

【完結】共生

ひなこ
ミステリー
高校生の少女・三崎有紗(みさき・ありさ)はアナウンサーである母・優子(ゆうこ)が若い頃に歌手だったことを封印し、また歌うことも嫌うのを不審に思っていた。 ある日有紗の歌声のせいで、優子に異変が起こる。 隠された母の過去が、二十年の時を経て明らかになる?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

【キャラ文芸大賞 奨励賞】壊れたアンドロイドの独り言

蒼衣ユイ/広瀬由衣
キャラ文芸
若手イケメンエンジニア漆原朔也を目当てにインターンを始めた美咲。 目論見通り漆原に出会うも性格の悪さに愕然とする。 そんなある日、壊れたアンドロイドを拾い漆原と持ち主探しをすることになった。 これが美咲の家族に大きな変化をもたらすことになる。 壊れたアンドロイドが家族を繋ぐSFミステリー。 illust 匣乃シュリ様(Twitter @hakonoshuri)

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~

八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」  ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。  蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。  これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。  一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。

彼女が愛した彼は

朝飛
ミステリー
美しく妖艶な妻の朱海(あけみ)と幸せな結婚生活を送るはずだった真也(しんや)だが、ある時を堺に朱海が精神を病んでしまい、苦痛に満ちた結婚生活へと変わってしまった。 朱海が病んでしまった理由は何なのか。真相に迫ろうとする度に謎が深まり、、、。

処理中です...