16 / 55
第二章 美しきにはメスを
美しきにはメスを(3)
しおりを挟む
「はぁ……」
あたしは狭く薄暗い階段の下で溜息を溢します。
ちょ、大丈夫だし! を連呼する有海を引き摺るように保健室まで連れて行き、保険医の似鳥莉々先生の判断で、頭部への打撲もあることですし念のため病院に連れて行きましょう、ということになりまして、あたしは泣く泣く有海のことは似鳥先生にお任せしました。本当であれば付き添いたかったのですけれど……。そして、かく言うあたしも美術室で軽いパニック症状を引き起こしたこともあって、今日は帰宅して休養しなさい、と命じられてしまった訳です。
で。
結局気付けば、あたしはあの『四十九院探偵事務所』へと足を運んでいたのでした。
「何だか顔を合わせづらいですよねぇ……はぁ」
早くも二回目の溜息。
その時、背後に気配を感じて振り返りますと、
「あれ。ちょこじゃん」
「み、美弥さんっ!?」
そこには自称『ペット』のJK、美弥さんの姿がありました。あいかわらず首元には真っ赤な革製のチョーカーが巻かれ、だらりと下げた両手にはスーパーの袋が二つ。何やら大量に詰め込まれていて、いかにも重そうです。いーよ、という制止を振り切って一つ預かることにしました。
「もう。来ないと。思った」
「あー……まあ、いろいろとありまして」
ふわり、と寂しげに微笑んだ美弥さんの視線を避けるようにあたしはさっと顔を伏せます。美弥さんはあの夜、あたしと安里寿さんとの間に何があったのかは知るはずもありません。どうなのでしょうか、美弥さんは真実を知っている――知っていてここにいる?
「ちょっと。待ってて」
「?」
重く、ひんやりとしたスーパーの袋という事務所へ上がる口実を得たあたしが階段の一段目に足をかけようとすると、美弥さんが制止します。はて? と思っているうちに、美弥さんはあたしの隣をすり抜け、とんとん、と薄暗い階段を一人で登っていってしまいました。
が、すぐに戻って来ます。
「まだ。駄目。安里寿がお話中。座ろ」
「よく意味が――」
「ん」
ここ、といち早く階段に腰を降ろした美弥さんが隣に座るよう手招きします。成程、はじめて出会った時に美弥さんがここにいたのには訳があったんですね。正直言って、隣に座るよりはこのまま短いスカートからすらりと伸びたおみ足の隙間から見え隠れするスカイブルーのおぱんつを見ていたかったのですけど……座ることにします。近いですかね。良いですよね。
「お話中って、どなたかいらしてるんですか?」
「違う。電話」
あいかわらず必要最低限以上の言葉を話さない美弥さんですから、知りたければ尋ねるしかありません。これ幸いにと、さらに美弥さんと密着するようにお尻を動かし距離を詰めます。
「どなたとですか? お客様とか?」
「違う。良く知らないけど。電話は電話。ちょこ。くすぐったい」
「はうっ……! すみません、つい」
気付けば美弥さんの脇腹あたりに伸び触れていた手を引っ込め、あたしは謝ります。ええ、決してわざとではありません。普段のあたしならこんなことしませんもの。
「それにしても……毎度電話があるたびに外に出されてたらいい迷惑ですよねぇ。そういえばこの中身、何なんです?」
無遠慮にも、両足の間に置いてあるスーパーの袋をがさごそ覗き込むと――あるのは大量の缶コーヒーとカップ麺ばかり。これ、どうみても白兎さん用じゃないですか……。ふと浮かんだそんな感想に苦笑しつつ、あたしは不思議な気持ちになります。
(あたしの中でも、まだ安里寿さんと白兎さんは別人として認識されているんですね……)
安里寿さんなら、缶コーヒーなんて飲まないで自分で紅茶を淹れるはずだから。
安里寿さんなら、カップ麺なんて食べないでスコーンとか手作りしたりするはずだから。
あの夜から、これでもあたしなりに結構考えてみたんです。
どうして『四十九院安里寿は、誰かが望む限り存在していなければいけない』のかってことについて。それを『望む』のは誰なのか。どうしてそう『望む』のか。
あの夜のあの瞬間は、まんまと騙された! という悔しさばかりが募って、肝心なその点について、あたしは少しも考えようとはしなかった。何故か、どうしてなのか、それを想像しようとすることすら拒んだのです。
(解き明かさない方が良かった、そういう謎だってあるってことさ――)
ええ。確かに白兎さんが言ったとおりなのかもしれません。
けれど、もう。
あたしはそれを知らずにはいられない。
だからなんでしょうね。
あたしはさっきまでの陰鬱とした気持ちがいくぶん軽くなっていることに気付きながらも、美弥さんに尋ねてみました。
「そろそろお電話も終わった頃じゃないでしょうか?」
「ん。見てくる」
とん、とん、とん。
とん、とん、とん。
「ん。大丈夫。もう入れる」
「じゃ早速行きましょう」
こんこん。
「どうぞ」
やっぱり聴こえたのは女の人の声でした。
「し、失礼します」
「あら……。いらっしゃい、祥子ちゃん」
マホガニーの扉の向こうにいたのは――安里寿さん。
今日はアースグリーンのタイトスカートに白のハイネックのノースリーブを合わせ、滑らかな肩にはふんわりとしたグレーのショールを羽織っています。足元は、意外にも編み上げのミリタリーテイストのブーツ。栗色の髪は、太めの三つ編みにしてバレッタで留めてあります。
「そろそろ来る頃だと思ったの。ちょうど良かったわ」
あたしの瞳の奥を妖しげな微笑みとともに見つめながら、安里寿さんは言ったのです。
「さてと……。それじゃあ謎を解きましょうか。覚悟は良いわね、祥子ちゃん?」
あたしは狭く薄暗い階段の下で溜息を溢します。
ちょ、大丈夫だし! を連呼する有海を引き摺るように保健室まで連れて行き、保険医の似鳥莉々先生の判断で、頭部への打撲もあることですし念のため病院に連れて行きましょう、ということになりまして、あたしは泣く泣く有海のことは似鳥先生にお任せしました。本当であれば付き添いたかったのですけれど……。そして、かく言うあたしも美術室で軽いパニック症状を引き起こしたこともあって、今日は帰宅して休養しなさい、と命じられてしまった訳です。
で。
結局気付けば、あたしはあの『四十九院探偵事務所』へと足を運んでいたのでした。
「何だか顔を合わせづらいですよねぇ……はぁ」
早くも二回目の溜息。
その時、背後に気配を感じて振り返りますと、
「あれ。ちょこじゃん」
「み、美弥さんっ!?」
そこには自称『ペット』のJK、美弥さんの姿がありました。あいかわらず首元には真っ赤な革製のチョーカーが巻かれ、だらりと下げた両手にはスーパーの袋が二つ。何やら大量に詰め込まれていて、いかにも重そうです。いーよ、という制止を振り切って一つ預かることにしました。
「もう。来ないと。思った」
「あー……まあ、いろいろとありまして」
ふわり、と寂しげに微笑んだ美弥さんの視線を避けるようにあたしはさっと顔を伏せます。美弥さんはあの夜、あたしと安里寿さんとの間に何があったのかは知るはずもありません。どうなのでしょうか、美弥さんは真実を知っている――知っていてここにいる?
「ちょっと。待ってて」
「?」
重く、ひんやりとしたスーパーの袋という事務所へ上がる口実を得たあたしが階段の一段目に足をかけようとすると、美弥さんが制止します。はて? と思っているうちに、美弥さんはあたしの隣をすり抜け、とんとん、と薄暗い階段を一人で登っていってしまいました。
が、すぐに戻って来ます。
「まだ。駄目。安里寿がお話中。座ろ」
「よく意味が――」
「ん」
ここ、といち早く階段に腰を降ろした美弥さんが隣に座るよう手招きします。成程、はじめて出会った時に美弥さんがここにいたのには訳があったんですね。正直言って、隣に座るよりはこのまま短いスカートからすらりと伸びたおみ足の隙間から見え隠れするスカイブルーのおぱんつを見ていたかったのですけど……座ることにします。近いですかね。良いですよね。
「お話中って、どなたかいらしてるんですか?」
「違う。電話」
あいかわらず必要最低限以上の言葉を話さない美弥さんですから、知りたければ尋ねるしかありません。これ幸いにと、さらに美弥さんと密着するようにお尻を動かし距離を詰めます。
「どなたとですか? お客様とか?」
「違う。良く知らないけど。電話は電話。ちょこ。くすぐったい」
「はうっ……! すみません、つい」
気付けば美弥さんの脇腹あたりに伸び触れていた手を引っ込め、あたしは謝ります。ええ、決してわざとではありません。普段のあたしならこんなことしませんもの。
「それにしても……毎度電話があるたびに外に出されてたらいい迷惑ですよねぇ。そういえばこの中身、何なんです?」
無遠慮にも、両足の間に置いてあるスーパーの袋をがさごそ覗き込むと――あるのは大量の缶コーヒーとカップ麺ばかり。これ、どうみても白兎さん用じゃないですか……。ふと浮かんだそんな感想に苦笑しつつ、あたしは不思議な気持ちになります。
(あたしの中でも、まだ安里寿さんと白兎さんは別人として認識されているんですね……)
安里寿さんなら、缶コーヒーなんて飲まないで自分で紅茶を淹れるはずだから。
安里寿さんなら、カップ麺なんて食べないでスコーンとか手作りしたりするはずだから。
あの夜から、これでもあたしなりに結構考えてみたんです。
どうして『四十九院安里寿は、誰かが望む限り存在していなければいけない』のかってことについて。それを『望む』のは誰なのか。どうしてそう『望む』のか。
あの夜のあの瞬間は、まんまと騙された! という悔しさばかりが募って、肝心なその点について、あたしは少しも考えようとはしなかった。何故か、どうしてなのか、それを想像しようとすることすら拒んだのです。
(解き明かさない方が良かった、そういう謎だってあるってことさ――)
ええ。確かに白兎さんが言ったとおりなのかもしれません。
けれど、もう。
あたしはそれを知らずにはいられない。
だからなんでしょうね。
あたしはさっきまでの陰鬱とした気持ちがいくぶん軽くなっていることに気付きながらも、美弥さんに尋ねてみました。
「そろそろお電話も終わった頃じゃないでしょうか?」
「ん。見てくる」
とん、とん、とん。
とん、とん、とん。
「ん。大丈夫。もう入れる」
「じゃ早速行きましょう」
こんこん。
「どうぞ」
やっぱり聴こえたのは女の人の声でした。
「し、失礼します」
「あら……。いらっしゃい、祥子ちゃん」
マホガニーの扉の向こうにいたのは――安里寿さん。
今日はアースグリーンのタイトスカートに白のハイネックのノースリーブを合わせ、滑らかな肩にはふんわりとしたグレーのショールを羽織っています。足元は、意外にも編み上げのミリタリーテイストのブーツ。栗色の髪は、太めの三つ編みにしてバレッタで留めてあります。
「そろそろ来る頃だと思ったの。ちょうど良かったわ」
あたしの瞳の奥を妖しげな微笑みとともに見つめながら、安里寿さんは言ったのです。
「さてと……。それじゃあ謎を解きましょうか。覚悟は良いわね、祥子ちゃん?」
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説

【完結】共生
ひなこ
ミステリー
高校生の少女・三崎有紗(みさき・ありさ)はアナウンサーである母・優子(ゆうこ)が若い頃に歌手だったことを封印し、また歌うことも嫌うのを不審に思っていた。
ある日有紗の歌声のせいで、優子に異変が起こる。
隠された母の過去が、二十年の時を経て明らかになる?

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
【キャラ文芸大賞 奨励賞】壊れたアンドロイドの独り言
蒼衣ユイ/広瀬由衣
キャラ文芸
若手イケメンエンジニア漆原朔也を目当てにインターンを始めた美咲。
目論見通り漆原に出会うも性格の悪さに愕然とする。
そんなある日、壊れたアンドロイドを拾い漆原と持ち主探しをすることになった。
これが美咲の家族に大きな変化をもたらすことになる。
壊れたアンドロイドが家族を繋ぐSFミステリー。
illust 匣乃シュリ様(Twitter @hakonoshuri)
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~
八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」
ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。
蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。
これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。
一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。
彼女が愛した彼は
朝飛
ミステリー
美しく妖艶な妻の朱海(あけみ)と幸せな結婚生活を送るはずだった真也(しんや)だが、ある時を堺に朱海が精神を病んでしまい、苦痛に満ちた結婚生活へと変わってしまった。
朱海が病んでしまった理由は何なのか。真相に迫ろうとする度に謎が深まり、、、。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる