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第一章 溜息は少女を殺す
溜息は少女を殺す(8)
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「ど――どういうことなんですか!?」
「まあまあ」
もう!
歩くの早いんですってば!
ちっとも距離の縮まらない、その僅かに丸まった猫背に向かって潜め声を投げます。
「もしかして白兎さん、もう『溜息の主』が誰なのか分かったって言う気です!?」
「まあ、強いて言えば……勘だけどな?」
またですか……。
でも白兎さんの勘はあたしなんかレベルの物とは大違いで、何処かにそうだと確信させる『何か』を秘めた勘だってことはさっきの『推理ごっこ』ですでに証明済みでした。
「あ、あの、何処に行こうっていうんです?」
「おいおい。さっき言っただろ? 『戻るぞ』ってな」
「『戻る』って……あ、あれ? 美弥さんがいないです!!」
「ほっとけ。みゃあは猫みたいなモンだからな。勝手に消えるし、勝手に戻ってくる」
「そんなあああああ! 酷いですよっ! 可哀想ですっ!」
頬を膨らませてぷりぷり怒りながらも白兎さんに誘導されるままに歩き続けていると――。
「――! ここ、昇降口じゃないですか!」
「そりゃ決まってるだろ。他に何処に見えるってんだ?」
一応、守衛さんたちまでには届かないくらいに潜めた声で白兎さんは呆れたように言い放ちました。ということは、ここに何か決定的な証拠があった……!? 何処に!?
その刹那、りん、と守衛室の電話が鳴ったのです。
「はい、もしもし? ……こ、これはこれは学長! はい……はいはい……ああ! それは良かったですね! 意識不明だと聞かされた時には、私も生きた心地が……。え……? では、これからお戻りになられると……? はいはい、そちらからであれば、タクシーで三〇分もあればお着きになるでしょうな。ええ……ええ……では、先生方にもそうお伝えしておきます。……はい? ああ、なるほど。しばらくはお見舞いは控えるように、ですね。わかりました」
ちん、と受話器が置かれた音を合図に、壁に貼り付き耳をそばだてていた白兎さんはあたしの方を振り返って見事なウインクを一つしました。
「ともあれ良かったな。『眠り姫』様は意識を取り戻したってさ」
「良かった……」
「じゃあ、急ぐか」
「………………はい?」
何を言っているのでしょうか、この自称『名探偵』さんは?
「病院だよ、病院。決まってるじゃないか。俺の方は推理も終わったけど、祥子ちゃんはちっとも肝心な『溜息の主』が誰かってこと、分かってないだろ? 直接、その耳で聞くと良い」
「えええっ!?」
言ってることが無茶苦茶ですよ!
思わず囁き声のトーンが一段階上がってしまったあたしの口を素早く塞いでしまうと、白兎さんは必死にいやいやと横に首を振り続けるあたしを悪戯っぽく見つめ、こう諭します。
「なあに、ここから車で三〇分圏内にある急患受付のある病院は二軒だけだ。その片方にはいないことは調べが付いてる。……なあ、祥子ちゃん? 本人の口から聴けるのは、今がチャンスなんだぜ? あらかたの治療も終わって意識を取り戻せば、じきに自宅に送り返されて静養ってことになるだろうからな。一旦落ち着いちまったら、もう喋ってはくれないだろうよ」
「ぷ――ぷはっ! で、でも……」
何とか白兎さんのほっそりとした力強い手を引き剥がし、逡巡しつつ抵抗したのですが、
「良いのかい? 本当に? 白百合の園の奥に何が潜んでいたのか知りたくはないのかい?」
「何が……いたっていうんです……か……?」
動悸が――止まりません。
そんな筈なんてない、そう思っているのに、そう信じているのに、もしかすると――。
その時です。
あたしを見つめる白兎さんの瞳の奥の色が、いまだかつて見たことのないほどの冷たさを帯びているように感じてしまい、思わず身体の芯から止めようのない震えが湧き上がりました。
そして、きっと白兎さんはそれに気付いているのでしょう。
「あー。駄目だよ、駄目駄目。俺の口からそれを伝えたところで、きっと祥子ちゃんは信じない。だから、君自身の目で見てごらん、って言ってるのさ。真実を知ることは、ときには代償を、心の痛みをも伴うものだってことだよ。君はそれを知るべきなんだ」
「あ……あ……」
「真実は必ずしも善じゃない。そして……嘘は必ずしも悪じゃない。そうなんだよ」
白兎さんは――。
本当にあたしに向かってその言葉を伝えているのでしょうか。
何となく……本当にただ何となくですけれど、違うような、そんな気がしてきて――。
「おっと。ごめんごめん。悪かったな」
ふっ、とそよ風が吹いた気がした直後、目の前の白兎さんは元どおりの白兎さんに戻っていました。皮肉めいた色を含んだ悪戯っぽい目でウインクをすると、あたしのおかっぱ髪を、くしゃり、と搔き乱しました。呪縛を解かれたあたしも、はっ、としてその手を追いやります。
「まー何だ。知りたくなければ別にいいんだ。無理強いするつもりはない。ただ……祥子ちゃんはこっち側のニンゲンかと思っただけだから」
「ど……どういう意味ですか? ……って、やめてくださいってば、もうっ!」
「お? もしかして、あたまぽんぽんとか、くしゃくしゃとか、免疫ないのかな?」
「そーやって、茶化してはぐらかさないでくださいってばっ!」
「……むー。祥子、いじめる。良くない」
「で、ですよねー! ……って美弥さんいつの間にぃいいい!」
全っ然気配なんて感じなかったのに、いつの間にか白兎さんとあたしの間にするりと割り込むようにして美弥さんが立っていました。今は……あたしの身体を……うぉう……ぎゅっと抱きかかえてぇ……あたまをぽんぽんとぉ……これは……やばい……やっばいですぅ……。
「ちょうどいいところに帰ってきたな、みゃあ。じゃあ、三人揃って病院に移動するぞ」
白兎さんは中腰の姿勢をしゃきりと伸ばしてそう告げましたが、まだ情緒が不安定なところに思わぬご褒美を頂戴してすっかりあたしの精神の箍は外れておりました。子供じみた仕草で白兎さんを指先ながら、目の前にあった二つの隆起に無遠慮にも大胆に顔を押し付けます。
「いじめるんですよぉ、あの人ぉ。くんくん」
「……良い子良い子」
「ふぁあ……美弥さぁん、良い匂いがぁ……ふすふす」
「……くすぐったい。ぎゅ」
「く、苦し――くない! も、もっと! もっとお願いしまふ!」
しばらくそんなあたしたちのやりとりを呆れた顔付きで眺めていた白兎さんでしたが、
「あー、何だ。一応忠告しておくんだが………………みゃあは両刀だからな?」
え? と思わず身を引き剥がすと、目と鼻の先でとろけそうな笑顔を浮かべる美弥さんが。
「……ちょこ。可愛い」
「ふぁりがとうございまふっ! はむんっ!」
「ったく……いい加減にしとけ。ほら。行くぞ」
白兎さんはお構いなしにあたしたちを一括りに引っ張り出すと、呆れる守衛さんたちを尻目に昇降口を後にして、呼び付けたタクシーの中に無理やり押し込んでしまいました。
行先は――華佳和会富士見ヶ丘病院です。
「まあまあ」
もう!
歩くの早いんですってば!
ちっとも距離の縮まらない、その僅かに丸まった猫背に向かって潜め声を投げます。
「もしかして白兎さん、もう『溜息の主』が誰なのか分かったって言う気です!?」
「まあ、強いて言えば……勘だけどな?」
またですか……。
でも白兎さんの勘はあたしなんかレベルの物とは大違いで、何処かにそうだと確信させる『何か』を秘めた勘だってことはさっきの『推理ごっこ』ですでに証明済みでした。
「あ、あの、何処に行こうっていうんです?」
「おいおい。さっき言っただろ? 『戻るぞ』ってな」
「『戻る』って……あ、あれ? 美弥さんがいないです!!」
「ほっとけ。みゃあは猫みたいなモンだからな。勝手に消えるし、勝手に戻ってくる」
「そんなあああああ! 酷いですよっ! 可哀想ですっ!」
頬を膨らませてぷりぷり怒りながらも白兎さんに誘導されるままに歩き続けていると――。
「――! ここ、昇降口じゃないですか!」
「そりゃ決まってるだろ。他に何処に見えるってんだ?」
一応、守衛さんたちまでには届かないくらいに潜めた声で白兎さんは呆れたように言い放ちました。ということは、ここに何か決定的な証拠があった……!? 何処に!?
その刹那、りん、と守衛室の電話が鳴ったのです。
「はい、もしもし? ……こ、これはこれは学長! はい……はいはい……ああ! それは良かったですね! 意識不明だと聞かされた時には、私も生きた心地が……。え……? では、これからお戻りになられると……? はいはい、そちらからであれば、タクシーで三〇分もあればお着きになるでしょうな。ええ……ええ……では、先生方にもそうお伝えしておきます。……はい? ああ、なるほど。しばらくはお見舞いは控えるように、ですね。わかりました」
ちん、と受話器が置かれた音を合図に、壁に貼り付き耳をそばだてていた白兎さんはあたしの方を振り返って見事なウインクを一つしました。
「ともあれ良かったな。『眠り姫』様は意識を取り戻したってさ」
「良かった……」
「じゃあ、急ぐか」
「………………はい?」
何を言っているのでしょうか、この自称『名探偵』さんは?
「病院だよ、病院。決まってるじゃないか。俺の方は推理も終わったけど、祥子ちゃんはちっとも肝心な『溜息の主』が誰かってこと、分かってないだろ? 直接、その耳で聞くと良い」
「えええっ!?」
言ってることが無茶苦茶ですよ!
思わず囁き声のトーンが一段階上がってしまったあたしの口を素早く塞いでしまうと、白兎さんは必死にいやいやと横に首を振り続けるあたしを悪戯っぽく見つめ、こう諭します。
「なあに、ここから車で三〇分圏内にある急患受付のある病院は二軒だけだ。その片方にはいないことは調べが付いてる。……なあ、祥子ちゃん? 本人の口から聴けるのは、今がチャンスなんだぜ? あらかたの治療も終わって意識を取り戻せば、じきに自宅に送り返されて静養ってことになるだろうからな。一旦落ち着いちまったら、もう喋ってはくれないだろうよ」
「ぷ――ぷはっ! で、でも……」
何とか白兎さんのほっそりとした力強い手を引き剥がし、逡巡しつつ抵抗したのですが、
「良いのかい? 本当に? 白百合の園の奥に何が潜んでいたのか知りたくはないのかい?」
「何が……いたっていうんです……か……?」
動悸が――止まりません。
そんな筈なんてない、そう思っているのに、そう信じているのに、もしかすると――。
その時です。
あたしを見つめる白兎さんの瞳の奥の色が、いまだかつて見たことのないほどの冷たさを帯びているように感じてしまい、思わず身体の芯から止めようのない震えが湧き上がりました。
そして、きっと白兎さんはそれに気付いているのでしょう。
「あー。駄目だよ、駄目駄目。俺の口からそれを伝えたところで、きっと祥子ちゃんは信じない。だから、君自身の目で見てごらん、って言ってるのさ。真実を知ることは、ときには代償を、心の痛みをも伴うものだってことだよ。君はそれを知るべきなんだ」
「あ……あ……」
「真実は必ずしも善じゃない。そして……嘘は必ずしも悪じゃない。そうなんだよ」
白兎さんは――。
本当にあたしに向かってその言葉を伝えているのでしょうか。
何となく……本当にただ何となくですけれど、違うような、そんな気がしてきて――。
「おっと。ごめんごめん。悪かったな」
ふっ、とそよ風が吹いた気がした直後、目の前の白兎さんは元どおりの白兎さんに戻っていました。皮肉めいた色を含んだ悪戯っぽい目でウインクをすると、あたしのおかっぱ髪を、くしゃり、と搔き乱しました。呪縛を解かれたあたしも、はっ、としてその手を追いやります。
「まー何だ。知りたくなければ別にいいんだ。無理強いするつもりはない。ただ……祥子ちゃんはこっち側のニンゲンかと思っただけだから」
「ど……どういう意味ですか? ……って、やめてくださいってば、もうっ!」
「お? もしかして、あたまぽんぽんとか、くしゃくしゃとか、免疫ないのかな?」
「そーやって、茶化してはぐらかさないでくださいってばっ!」
「……むー。祥子、いじめる。良くない」
「で、ですよねー! ……って美弥さんいつの間にぃいいい!」
全っ然気配なんて感じなかったのに、いつの間にか白兎さんとあたしの間にするりと割り込むようにして美弥さんが立っていました。今は……あたしの身体を……うぉう……ぎゅっと抱きかかえてぇ……あたまをぽんぽんとぉ……これは……やばい……やっばいですぅ……。
「ちょうどいいところに帰ってきたな、みゃあ。じゃあ、三人揃って病院に移動するぞ」
白兎さんは中腰の姿勢をしゃきりと伸ばしてそう告げましたが、まだ情緒が不安定なところに思わぬご褒美を頂戴してすっかりあたしの精神の箍は外れておりました。子供じみた仕草で白兎さんを指先ながら、目の前にあった二つの隆起に無遠慮にも大胆に顔を押し付けます。
「いじめるんですよぉ、あの人ぉ。くんくん」
「……良い子良い子」
「ふぁあ……美弥さぁん、良い匂いがぁ……ふすふす」
「……くすぐったい。ぎゅ」
「く、苦し――くない! も、もっと! もっとお願いしまふ!」
しばらくそんなあたしたちのやりとりを呆れた顔付きで眺めていた白兎さんでしたが、
「あー、何だ。一応忠告しておくんだが………………みゃあは両刀だからな?」
え? と思わず身を引き剥がすと、目と鼻の先でとろけそうな笑顔を浮かべる美弥さんが。
「……ちょこ。可愛い」
「ふぁりがとうございまふっ! はむんっ!」
「ったく……いい加減にしとけ。ほら。行くぞ」
白兎さんはお構いなしにあたしたちを一括りに引っ張り出すと、呆れる守衛さんたちを尻目に昇降口を後にして、呼び付けたタクシーの中に無理やり押し込んでしまいました。
行先は――華佳和会富士見ヶ丘病院です。
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