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第437話 行くも帰るも at 1996/1/29
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「……誰から聞いたんです?」
新しい週のはじまり、月曜日のLHRを終えて職員室に戻ろうとする荻島センセイを引き留めて僕が尋ねると、温和で人なつっこい丸顔が険しくなった。僕は考えてきた嘘を口にする。
「日曜に家族で買い物に出かけたんですけど、その時、たまたま駅のあたりでみかけたんです」
「……ふうむ」
たちまち用心するような鋭い視線にさらされるが、僕は愛想笑いを浮かべてそれをかわした。
「もし――もし、ですよ? 君が見た姿が、間違いなく赤川君であったとして。どうします?」
「ど、どうします、って言われましても……」
「君――古ノ森君と赤川君の間に多少の因縁めいたものがあることは、センセイ知ってますよ」
そこで荻島センセイは、左手首を返し、ちらり、とダイバーズウォッチを見たが、このあとの予定までには余裕があったのか、特段急ぐ様子も見せずに言葉をつなげる。
「――古ノ森君。君は仲間思いで、困っている人間がいると、つい、手を差し伸べてしまう、そういう性分を持ったココロ優しい生徒です。通知表にもそう書きましたよ。……ですがね?」
「……」
「どこまで行ったら危険なのか、どこまで踏み込んだら戻れなくなるのか、そういう限界点、リスクをしっかりと見極めるのも大切なことなんですよ。そう――分水嶺――わかりますか?」
「わ、わかっている……つもりです……けど……」
僕がかろうじてそう返すと、しばらく荻島センセイは黙り込み、深く息を吐いてから言った。
「ならば、ここがその、分水嶺、ですよ」
荻島センセイは知っている。
だからこそ、これ以上は踏み込むな、そう警告しているのだ。
しかし――。
「タツヒコは、僕に執着しています。僕の――いや、僕のまわりのモノすべてを壊してやる、そう言っていたんです。何もわからなければ、守りようがありません。……違いますか?」
「たまたま――ね」
どのみち通用しないと思っていた嘘だ。ならば、と強気のストレートで僕は一気に切り込む。荻島センセイは冷ややかな目で僕の嘘を繰り返すと、やれやれ、と首を何度も振ってみせた。
「それでも、ですよ、古ノ森君。たかだか一介の中学生男子にすぎない君に、一体何ができるというんです? 赤川君のことなら、もうオトナに任せておきなさい。そして君は、普通の学校生活を送るんです。ごく普通の、どこにでもいる中学二年生としての青春を謳歌するんです」
「……っ」
「中学二年生でいられるのも、あと二ヶ月ですよ? 三年生になれば、高校受験を控えてひたすら勉強に勉強を重ねる試練の日々がやってきます。それまでに悔いのないよう過ごすんです」
「けど、センセイ――!」
何かが起きてしまってからでは遅すぎる――そんなひりつくような焦燥感に背中を焦がされ、僕はあえぐように叫んだのだが、荻島センセイは頑としてうなずこうとはしなかった。
「ふぅ――」
代わりに、いつもきっちりしめているネクタイに指をかけ、わずかにゆるめると息を吐く。
「いいかい、古ノ森君? 私は君から特別なモノを感じとって、この一年間、君の行動に一切手も口も出さず静かに見守ってきたんです。そして君は、私の期待にこたえてくれた。水無月さんのこと、小山田君のこと、それ以外にもたくさん――そりゃあ、見事すぎるくらいにね?」
その口調は、センセイというより、もっと近くてもっと親しげで、そして厳しいものだった。
「だからです。今度は私の――私たちの番なんです。君が、君のまわりの仲間たちを守りたいのと同じように、私は、私たちは君たちを守りたい。それがね、教師っていう生き物なんです」
僕は、僕の守りたい人の中のひとりの拳を胸のど真ん中で、どすん、と受け止め、うなずいたのだった。
新しい週のはじまり、月曜日のLHRを終えて職員室に戻ろうとする荻島センセイを引き留めて僕が尋ねると、温和で人なつっこい丸顔が険しくなった。僕は考えてきた嘘を口にする。
「日曜に家族で買い物に出かけたんですけど、その時、たまたま駅のあたりでみかけたんです」
「……ふうむ」
たちまち用心するような鋭い視線にさらされるが、僕は愛想笑いを浮かべてそれをかわした。
「もし――もし、ですよ? 君が見た姿が、間違いなく赤川君であったとして。どうします?」
「ど、どうします、って言われましても……」
「君――古ノ森君と赤川君の間に多少の因縁めいたものがあることは、センセイ知ってますよ」
そこで荻島センセイは、左手首を返し、ちらり、とダイバーズウォッチを見たが、このあとの予定までには余裕があったのか、特段急ぐ様子も見せずに言葉をつなげる。
「――古ノ森君。君は仲間思いで、困っている人間がいると、つい、手を差し伸べてしまう、そういう性分を持ったココロ優しい生徒です。通知表にもそう書きましたよ。……ですがね?」
「……」
「どこまで行ったら危険なのか、どこまで踏み込んだら戻れなくなるのか、そういう限界点、リスクをしっかりと見極めるのも大切なことなんですよ。そう――分水嶺――わかりますか?」
「わ、わかっている……つもりです……けど……」
僕がかろうじてそう返すと、しばらく荻島センセイは黙り込み、深く息を吐いてから言った。
「ならば、ここがその、分水嶺、ですよ」
荻島センセイは知っている。
だからこそ、これ以上は踏み込むな、そう警告しているのだ。
しかし――。
「タツヒコは、僕に執着しています。僕の――いや、僕のまわりのモノすべてを壊してやる、そう言っていたんです。何もわからなければ、守りようがありません。……違いますか?」
「たまたま――ね」
どのみち通用しないと思っていた嘘だ。ならば、と強気のストレートで僕は一気に切り込む。荻島センセイは冷ややかな目で僕の嘘を繰り返すと、やれやれ、と首を何度も振ってみせた。
「それでも、ですよ、古ノ森君。たかだか一介の中学生男子にすぎない君に、一体何ができるというんです? 赤川君のことなら、もうオトナに任せておきなさい。そして君は、普通の学校生活を送るんです。ごく普通の、どこにでもいる中学二年生としての青春を謳歌するんです」
「……っ」
「中学二年生でいられるのも、あと二ヶ月ですよ? 三年生になれば、高校受験を控えてひたすら勉強に勉強を重ねる試練の日々がやってきます。それまでに悔いのないよう過ごすんです」
「けど、センセイ――!」
何かが起きてしまってからでは遅すぎる――そんなひりつくような焦燥感に背中を焦がされ、僕はあえぐように叫んだのだが、荻島センセイは頑としてうなずこうとはしなかった。
「ふぅ――」
代わりに、いつもきっちりしめているネクタイに指をかけ、わずかにゆるめると息を吐く。
「いいかい、古ノ森君? 私は君から特別なモノを感じとって、この一年間、君の行動に一切手も口も出さず静かに見守ってきたんです。そして君は、私の期待にこたえてくれた。水無月さんのこと、小山田君のこと、それ以外にもたくさん――そりゃあ、見事すぎるくらいにね?」
その口調は、センセイというより、もっと近くてもっと親しげで、そして厳しいものだった。
「だからです。今度は私の――私たちの番なんです。君が、君のまわりの仲間たちを守りたいのと同じように、私は、私たちは君たちを守りたい。それがね、教師っていう生き物なんです」
僕は、僕の守りたい人の中のひとりの拳を胸のど真ん中で、どすん、と受け止め、うなずいたのだった。
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