236 / 539
第235話 帰ってきた日常ノット・イコール at 1995/9/18
しおりを挟む
また新しい週のはじまり、月曜日の朝だ。
「おはよう、ケンタ君!」
「あ。おはよう、スミちゃん」
今日は僕の方が少しだけ早かったようだ。純美子はうっすらと汗粒の光る額をハンカチで拭きながら、机の脇のフックに通学鞄を引っかけて座った。思わず、ふぅ、と声が漏れ出る。
「昨日まで雨だったのに、また晴れて暑くなっちゃったから、なんだか蒸し暑いよね……」
「ああ、うん。なんだかべたべたして気持ち悪いよね……」
確かに暑い。まだ朝早いのに、登校中、アスファルトに染みた雨が強い日差しに照らされて、陽炎のようにゆらゆらと立ち昇っていた。きっと、予報の24℃より体感温度は高そうである。
「――でも、まだ九月いっぱいはこんな感じの気温みたいだね。雨は降らないみたいだけれど」
「そっかぁ……ほら、(一緒にお出かけしようね、って約束したでしょ? 困っちゃうよね)」
透明なプラスチック製下敷きで涼を得ようとぱたぱた仰ぎながら、僕の耳元に身を寄せてそっと囁く純美子。いくぶん涼しげな風に乗って、純美子のシャンプーと制汗剤の入り混じった甘い香りが僕の鼻をくすぐり、余計にどぎまぎとして落ち着かない気持ちにさせられてしまう。
「ん? どうかした?」
「い、いやいやいやいや……」
いかんいかん。これでも『僕』――『俺』は今年四〇にもなるオトナの男だ。この程度でうろたえていたら、せっかく再スタートをきれた純美子とのカンケイがぎくしゃくしてしまう。
(ここはひとつ――!)
「ちょっと、スミ! 相談……っていうか、ハナシがあるんだけど、今、いい? 大丈夫?」
「うん、平気だよ、もちろん! 相談って、ロコちゃん、なんか悩みごとなの?」
「実はさー……って、なんであんたががっくりしてんのよ、ケンタ?」
「あー……いいんだ。僕のことは放っておいてくれ……」
いつにもまして絶妙なタイミングでカットインしてきたロコにハナシをすべて持っていかれ、奮い立たせたココロがぽっきり折れた僕は机の上で溶けたスライムのようになる。ロコは、でろん、と机の上にだらしなく寝そべっている僕の方をちらりと見たが、咎めることはなかった。
「あ、あのさ……? ハナシってのは、ツッキーのことなんだけど……」
「水無月さん? ……あれ? そういえばまだ来てないね?」
純美子はそう言って教室内をぐるりと見回した。確かに、いつもならもう登校していてもいい時間だ。純美子がロコの顔に視線を戻すと、うん、と不安そうな表情がうなずき返してくる。
「――来てないの。今朝、ツッキーのお父さんから電話があったんだ。体調不良で休む、って」
「そう……なんだ。『西中まつり』でがんばりすぎちゃったのかな……?」
「かもしれない。かもしれないんだけど――」
ロコはひとり考えを巡らせているようで、きりり、とした目つきがいつも以上に鋭くなる。
「その電話の時にね、ツッキーパパに言われたの――よかったら、今日の放課後、お見舞いがてら遊びに来てくれませんか、って。あと、あたしにぜひ話しておきたいことがある、って」
「話しておきたいこと、って……なんだろう……ね……?」
ロコの口を借りて伝えられたツッキーパパのセリフを耳にして、えもいわれぬ不安の陰を感じ取ったのは僕だけではなかったらしい。僕は机の上に伏せた姿勢のまま、わずかに身構えた。
(お前がいくら足掻こうと、決して変わらない『未来』がある――)
(あの少女、水無月琴世は、中学二年生でその短い生涯を終えるということなのさ――)
忘れたくても、忘れられるわけがないそのセリフ。
あれは自らの未来を予見した水無月さん自身から発せられた救難信号だったのだろうか?
「あたし一人きりだと、なんだか不安で……さ」
「おい、ロコ! 僕たちも一緒に行くぞ。僕ら『電算論理研究部』はみんなでひとつだからな」
「おはよう、ケンタ君!」
「あ。おはよう、スミちゃん」
今日は僕の方が少しだけ早かったようだ。純美子はうっすらと汗粒の光る額をハンカチで拭きながら、机の脇のフックに通学鞄を引っかけて座った。思わず、ふぅ、と声が漏れ出る。
「昨日まで雨だったのに、また晴れて暑くなっちゃったから、なんだか蒸し暑いよね……」
「ああ、うん。なんだかべたべたして気持ち悪いよね……」
確かに暑い。まだ朝早いのに、登校中、アスファルトに染みた雨が強い日差しに照らされて、陽炎のようにゆらゆらと立ち昇っていた。きっと、予報の24℃より体感温度は高そうである。
「――でも、まだ九月いっぱいはこんな感じの気温みたいだね。雨は降らないみたいだけれど」
「そっかぁ……ほら、(一緒にお出かけしようね、って約束したでしょ? 困っちゃうよね)」
透明なプラスチック製下敷きで涼を得ようとぱたぱた仰ぎながら、僕の耳元に身を寄せてそっと囁く純美子。いくぶん涼しげな風に乗って、純美子のシャンプーと制汗剤の入り混じった甘い香りが僕の鼻をくすぐり、余計にどぎまぎとして落ち着かない気持ちにさせられてしまう。
「ん? どうかした?」
「い、いやいやいやいや……」
いかんいかん。これでも『僕』――『俺』は今年四〇にもなるオトナの男だ。この程度でうろたえていたら、せっかく再スタートをきれた純美子とのカンケイがぎくしゃくしてしまう。
(ここはひとつ――!)
「ちょっと、スミ! 相談……っていうか、ハナシがあるんだけど、今、いい? 大丈夫?」
「うん、平気だよ、もちろん! 相談って、ロコちゃん、なんか悩みごとなの?」
「実はさー……って、なんであんたががっくりしてんのよ、ケンタ?」
「あー……いいんだ。僕のことは放っておいてくれ……」
いつにもまして絶妙なタイミングでカットインしてきたロコにハナシをすべて持っていかれ、奮い立たせたココロがぽっきり折れた僕は机の上で溶けたスライムのようになる。ロコは、でろん、と机の上にだらしなく寝そべっている僕の方をちらりと見たが、咎めることはなかった。
「あ、あのさ……? ハナシってのは、ツッキーのことなんだけど……」
「水無月さん? ……あれ? そういえばまだ来てないね?」
純美子はそう言って教室内をぐるりと見回した。確かに、いつもならもう登校していてもいい時間だ。純美子がロコの顔に視線を戻すと、うん、と不安そうな表情がうなずき返してくる。
「――来てないの。今朝、ツッキーのお父さんから電話があったんだ。体調不良で休む、って」
「そう……なんだ。『西中まつり』でがんばりすぎちゃったのかな……?」
「かもしれない。かもしれないんだけど――」
ロコはひとり考えを巡らせているようで、きりり、とした目つきがいつも以上に鋭くなる。
「その電話の時にね、ツッキーパパに言われたの――よかったら、今日の放課後、お見舞いがてら遊びに来てくれませんか、って。あと、あたしにぜひ話しておきたいことがある、って」
「話しておきたいこと、って……なんだろう……ね……?」
ロコの口を借りて伝えられたツッキーパパのセリフを耳にして、えもいわれぬ不安の陰を感じ取ったのは僕だけではなかったらしい。僕は机の上に伏せた姿勢のまま、わずかに身構えた。
(お前がいくら足掻こうと、決して変わらない『未来』がある――)
(あの少女、水無月琴世は、中学二年生でその短い生涯を終えるということなのさ――)
忘れたくても、忘れられるわけがないそのセリフ。
あれは自らの未来を予見した水無月さん自身から発せられた救難信号だったのだろうか?
「あたし一人きりだと、なんだか不安で……さ」
「おい、ロコ! 僕たちも一緒に行くぞ。僕ら『電算論理研究部』はみんなでひとつだからな」
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
校長先生の話が長い、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。
学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。
とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。
寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ?
なぜ女子だけが前列に集められるのか?
そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。
新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。
あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる