171 / 539
第170話 されど道のりは遠く(2) at 1995/8/4
しおりを挟む
「怖いなあ、ハカセ……。まるで超一流の、頑固で偏屈な建築家みたいな気難しさだよ……」
すごすご退散せざるを得なかった僕は、自分の居場所であるちゃぶ台に戻ろうとしつつ、カタカタタタタ……というリズミカルな打鍵音を耳にして吸い寄せられるように文机へ近寄った。
音の主は、水無月さんである。
「もぅ……こ、ここも変なカンジです……こ、こうして……うん、この方が……ぶつぶつ……」
「えーっと……、ツ、ツッキーさん?」
「こ、ここはぁ……やっぱり、こっちにした方が……う、うん、いいカンジ……ぶつぶつ……」
「お、おーい! ツッキー? 聴こえてるー?」
「ぶつぶつ……え? あ! は、はいっ! な、なんでしょう、古ノ森リーダー?」
女子特有のぺたんこ座りのまま、座布団ごとくるりと僕の方を振り返った水無月さんの顔は、もうすっかりいつものやわらかい微笑みを浮かべていた。けれど、ほんのついさっきまでは鬼気迫るカンジで、ちょっと狂気じみて見えたんだけど……。
うん、たぶん気のせいだ気のせい。
「進捗、どうかなって。そっちのプログラムはほぼ完成してるから、あとはチェックだけ――」
「ま、まだ結構……かかっちゃいますね……た、たぶん……ですけど」
「ええ!? どうして! もしかして、動かなかった? 僕が見た時には――」
「あ、いえ……う、動きます。動いてました。けど……ち、ちょっと……」
う……。
まさかとは思うんだけれど、デバッグの延長であちこちいじってるうちに動かなくしちゃったのかな? それは結構な痛手だ。早いところ、新しいプログラムの方を進めたいのに……。
「あ、あの、ソ、ソースが……う、美しくなくて。ど、どうしても、気になってしまって……」
「………………え? じゃあ動くの?」
「あ、当たり前じゃないですか!」
僕が思わず安堵の声を上げると、水無月さんは見るからに傷ついたような表情で声を上げた。
「いやいやいや! ご、ごめんよ、ツッキー! もしかしてー……とか思っちゃったもんで」
「ひ、ひどいです……あたし……ショックです……ううう……」
「ちょ――泣かないで泣かないで! 今のは僕が悪い! ごめん! すみませんでしたー!」
僕はすんすん鼻を鳴らし始めた水無月さんの前で、その場飛び着地をするように即座に土下座の姿勢をとった。水無月さんの繊細な心にダメージを負わせてしまったこともあったけれど、それよりなにより背後から突き刺さる真冬の月光のごとき冷たく鋭い視線に、全身の産毛が総毛立ったからだ。『彼』を怒らせたら、将来、物理的にも社会的にも抹殺されかねない……。
と、顔を伏せていた水無月さんが顔を上げた。
なぜか満面の笑みである。
あ、あれ?
「な、なーんちゃって……い、今のは泣き真似です……お、驚きました……?」
「あー! もー! やめてよぉ!? そんな子じゃないでしょ、ツッキーは!」
「ロ、ロコちゃんに……お、教えてもらいました……! えへ……えへへ……」
「くっそ! とっても嬉しそうすぎて怒るに怒れない!」
普通の女の子としての日々を再出発したばかりの水無月さんだ。今までは友達すらまともにいなかったけれど、こうやって一緒に部活をしているどころか軽い冗談まで口にできるようになった。これはとっても喜ばしい、うん。
確かにそうなんだけど……今じゃないだろ感が凄い。
「ともかく、早めにソース整理を完了させて欲しいんだ。次のプログラムに取りかからないと」
「わ、わかりました! い、急ぎます!」
水無月さんは新兵のようにぎこちない仕草で額に手を添え敬礼すると、再び座布団ごとぐるりと回転するようにして『98』の画面に目を通しはじめた。もうこれで……大丈夫そうだ。
そして僕は、部室の真ん中に置かれたちゃぶ台の前に正座をし、視線を原稿用紙に落とす。
「……」
少し時間を置いてみたものの、特に変化もなく、まったくの白紙であったりする。
「とか言って、一番進捗危ないの、僕だよなぁ……はぁ」
と、ふと気づいてしまった。
佐倉君が、火曜日以降一度も部活に参加していない、という事実に。
すごすご退散せざるを得なかった僕は、自分の居場所であるちゃぶ台に戻ろうとしつつ、カタカタタタタ……というリズミカルな打鍵音を耳にして吸い寄せられるように文机へ近寄った。
音の主は、水無月さんである。
「もぅ……こ、ここも変なカンジです……こ、こうして……うん、この方が……ぶつぶつ……」
「えーっと……、ツ、ツッキーさん?」
「こ、ここはぁ……やっぱり、こっちにした方が……う、うん、いいカンジ……ぶつぶつ……」
「お、おーい! ツッキー? 聴こえてるー?」
「ぶつぶつ……え? あ! は、はいっ! な、なんでしょう、古ノ森リーダー?」
女子特有のぺたんこ座りのまま、座布団ごとくるりと僕の方を振り返った水無月さんの顔は、もうすっかりいつものやわらかい微笑みを浮かべていた。けれど、ほんのついさっきまでは鬼気迫るカンジで、ちょっと狂気じみて見えたんだけど……。
うん、たぶん気のせいだ気のせい。
「進捗、どうかなって。そっちのプログラムはほぼ完成してるから、あとはチェックだけ――」
「ま、まだ結構……かかっちゃいますね……た、たぶん……ですけど」
「ええ!? どうして! もしかして、動かなかった? 僕が見た時には――」
「あ、いえ……う、動きます。動いてました。けど……ち、ちょっと……」
う……。
まさかとは思うんだけれど、デバッグの延長であちこちいじってるうちに動かなくしちゃったのかな? それは結構な痛手だ。早いところ、新しいプログラムの方を進めたいのに……。
「あ、あの、ソ、ソースが……う、美しくなくて。ど、どうしても、気になってしまって……」
「………………え? じゃあ動くの?」
「あ、当たり前じゃないですか!」
僕が思わず安堵の声を上げると、水無月さんは見るからに傷ついたような表情で声を上げた。
「いやいやいや! ご、ごめんよ、ツッキー! もしかしてー……とか思っちゃったもんで」
「ひ、ひどいです……あたし……ショックです……ううう……」
「ちょ――泣かないで泣かないで! 今のは僕が悪い! ごめん! すみませんでしたー!」
僕はすんすん鼻を鳴らし始めた水無月さんの前で、その場飛び着地をするように即座に土下座の姿勢をとった。水無月さんの繊細な心にダメージを負わせてしまったこともあったけれど、それよりなにより背後から突き刺さる真冬の月光のごとき冷たく鋭い視線に、全身の産毛が総毛立ったからだ。『彼』を怒らせたら、将来、物理的にも社会的にも抹殺されかねない……。
と、顔を伏せていた水無月さんが顔を上げた。
なぜか満面の笑みである。
あ、あれ?
「な、なーんちゃって……い、今のは泣き真似です……お、驚きました……?」
「あー! もー! やめてよぉ!? そんな子じゃないでしょ、ツッキーは!」
「ロ、ロコちゃんに……お、教えてもらいました……! えへ……えへへ……」
「くっそ! とっても嬉しそうすぎて怒るに怒れない!」
普通の女の子としての日々を再出発したばかりの水無月さんだ。今までは友達すらまともにいなかったけれど、こうやって一緒に部活をしているどころか軽い冗談まで口にできるようになった。これはとっても喜ばしい、うん。
確かにそうなんだけど……今じゃないだろ感が凄い。
「ともかく、早めにソース整理を完了させて欲しいんだ。次のプログラムに取りかからないと」
「わ、わかりました! い、急ぎます!」
水無月さんは新兵のようにぎこちない仕草で額に手を添え敬礼すると、再び座布団ごとぐるりと回転するようにして『98』の画面に目を通しはじめた。もうこれで……大丈夫そうだ。
そして僕は、部室の真ん中に置かれたちゃぶ台の前に正座をし、視線を原稿用紙に落とす。
「……」
少し時間を置いてみたものの、特に変化もなく、まったくの白紙であったりする。
「とか言って、一番進捗危ないの、僕だよなぁ……はぁ」
と、ふと気づいてしまった。
佐倉君が、火曜日以降一度も部活に参加していない、という事実に。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
校長先生の話が長い、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。
学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。
とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。
寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ?
なぜ女子だけが前列に集められるのか?
そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。
新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。
あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる