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第三十三話 洋館の女主人
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「………………す、すみませんでしたぁ」
「いっ! いえいえいえいえっ! こっちの方こそ急にお邪魔してすみませんでしたっ!」
見るからに激ヘコみで、しなしなに萎れてしまった丸眼鏡の女主人に食い気味に頭を下げる俺。
人見知りが激しく、対人恐怖症のケがあるという彼女だったが、灯りのない館の中では迷ってしまうだろうと、俺とエリナを案じて勇気を振り絞って出迎えに来てくれたらしいのだが、
「……」「……」「……」
極度の近眼ということもあり、誰もいない俺の右側からできる限り近づいたところで気配を察知した俺が叫んだことにより、驚き慌てふためいて、挙句に気絶してしまったとのことだ。今は回復し、広い居間の豪奢なテーブルを囲むように、ソファーに向かい合わせに座っている。
にしても……。
「……?」
豊かな黒髪――というより、永年放置したためにもっさり感が否めない胸元まで届くぼさぼさの髪。ただでさえそれで暑苦しい印象だというのに、前髪も伸び放題で、トレードマークのやたら大きな丸眼鏡が前髪から生え出ているようにすら思えてしまう湿度高めの独特の重さ。その割にやたらとぷるんとした小さめで肉感的な唇。鼻筋はきゅんと上向きで、髪型と手入れさえすればかなり美人なのでは? と俺には思えた。
けれど。
「あ、あのあの……! え、えと……! よ、ようこそおいでらっしゃひ――。……ううっ」
それらをすべてチャラにしてしまうほど対人スキルは皆無らしく、まともに会話が進まない。
そんなに急ぐこともないだろうに、かなりの時間をかけて彼女の言葉を待っていると、ようやく飛び出すのは身の丈に合わないスピード感のある早口で、案の定噛み噛みのボロクソ状態になって盛大に自爆した挙句、再び涙目で沈黙してしまうのであった。今ここ。
(ちょっと! 大丈夫なの、この人?)
(俺にだって分からないんだって! ラピスさんの友だち、らしいんだけど――)
(この調子じゃ、たとえ協力してくれることになったとしても使い物にならないじゃない!)
(つ、使い物にならないって……。ラピスさんをきっかけに話してみるから、落ち着けって)
「えっと……」
じとー、と自虐と負い目と卑屈と怯えの色が入り混じった視線を感じながら、俺はアンティーク調のテーブルにそっと手をつき、なるべく刺激しないように優しく、を心掛けて口を開く。
「《正義の天秤》魔法律事務所の、ラピス・タルムードさんに相談させていただいて、あなたを頼ればきっと力になってくれるはずだから、ってアドバイスをもらって訪ねてきたんです」
「ラ――!」
とんでもない調子外れの高音が飛び出した。
真っ赤になって身体を縮こませている彼女の、次の言葉を辛抱強く待つことにする俺。咳払いをひとつ。出てきたリテイク声はまともだった。
「ラピ――いえ、ラピスは、あたしの幼馴染なんですよぅ。……そんなこと言ってました?」
「はい。彼女なら、きっと力を貸してくれるから、と」
俺は迷うことなくうなずいてみせる。
……が、実際には『あの子が力を貸してくれるかどうかはあなた次第ですわよ?』であり、それを口にしたラピスさんは妙に悪戯っぽい顔つきで、明らかに面白がっている様子だった。多少の齟齬はあるかもしれない。まあ、俺がなんとかできればいいだけの話だ。
「……ふひ」
すると、いくぶん彼女の緊張が緩んだように思えた。笑い声らしきものが唇から漏れ出る。
「ふひひ……。ラピちゃんが……ふひ……。あたしのこと……ふひひ……うれしいぃ……!」
……ちょっとぬめっとした笑い声で気持ち悪い。
「でも、なぜかラピスさんは、あなたの名前もどんな方なのかも一切教えてくれなくって――」
「ですですぅ。それぇ、あたしからラピに、そうするようにぃお願いしてるのでぇ」
「……へ? ど、どうしてです??」
「そ、それはぁ……あたしがぁ……」
俺とエリナは固唾を飲んで次の言葉を待った。
――待った。
……頼む、そろそろ息がもたない……。
さんざん迷いに迷った挙句、ようやく彼女は囁くようにこう告げた。
「サ……サキュバスだから、ですぅ」
「「………………ん?」」
俺とエリナのリアクションが見事にハモった。
聴こえなかった訳ではない。しっかりと、一言一句余すところなくきっちりと耳で拾い上げた上で、それでもまるで理解ができなかったからこそ自然と出てきたナチュラルな疑問だった。
「ええと……」
おそるおそる口を開いたのはエリナだ。
「それって、どういう感じのジョークなんです? 求められている反応が分からなくって……」
「ジ、ジョークではないですよぅ」
「なら……お名前がサキュバスさん、ってことですかね? それ、ファーストネームですか?」
「な、名前っていうか、種族名なんですってばぁ」
マジか。
「……ねえ、勇者A? ちょっといい? そこ、立ってみてくれる?」
「お、おう。なんで急に――?」
――どすっ!
「痛った! 痛ぇっつーの! いきなり何しやがる!?」
「……どうやら、夢や幻じゃないらしいわね」
自分のSAN値を計るために、俺の尻を気軽に使おうとするエリナの発想が実に怖ろしい。俺はじんじんする尻を撫でさすりつつ、サキュバスなのだとカミングアウトした女主人に尋ねた。
「サ――サキュバスだというのが真実だとして……どうして秘密にするんです? ええと……」
「あー。あたしの名前ぇ、まだ言ってませんでしたねぇ。あたしは、イシェナ・ゼムトですぅ」
洋館の女主人、イシェナさんは続けてこう言った。
「サキュバスってのはぁ、居住許可を取るのが大変なんですぅ。厄介な能力がありますからぁ」
「それは……サキュバスの持つ《催淫》の力ってこと?」
エリナは即座に思い当たったようだ。
サキュバスとは、性的な行為を通じて人間の男性から精力を吸い取り、自身の魔力・生命力にすると言い伝えられる悪魔であり、夢魔であったり淫魔であると言われる存在である。その行為の際、サキュバスは相手を《催淫》し、半ば強制的に発情させることで事をスムーズに進ませるとも言われているのだ。
けど……この地味眼鏡お姉さんが?
そんな俺の視線を敏感に察したのか、イシェナさんはたどたどしい口調でこう告げた。
「し、信じてませんねぇ……? な、なら、試してみますかぁ……? ふひ……!」
その時――不思議なことが起こった!(ニチアサ風ナレーション)
「いっ! いえいえいえいえっ! こっちの方こそ急にお邪魔してすみませんでしたっ!」
見るからに激ヘコみで、しなしなに萎れてしまった丸眼鏡の女主人に食い気味に頭を下げる俺。
人見知りが激しく、対人恐怖症のケがあるという彼女だったが、灯りのない館の中では迷ってしまうだろうと、俺とエリナを案じて勇気を振り絞って出迎えに来てくれたらしいのだが、
「……」「……」「……」
極度の近眼ということもあり、誰もいない俺の右側からできる限り近づいたところで気配を察知した俺が叫んだことにより、驚き慌てふためいて、挙句に気絶してしまったとのことだ。今は回復し、広い居間の豪奢なテーブルを囲むように、ソファーに向かい合わせに座っている。
にしても……。
「……?」
豊かな黒髪――というより、永年放置したためにもっさり感が否めない胸元まで届くぼさぼさの髪。ただでさえそれで暑苦しい印象だというのに、前髪も伸び放題で、トレードマークのやたら大きな丸眼鏡が前髪から生え出ているようにすら思えてしまう湿度高めの独特の重さ。その割にやたらとぷるんとした小さめで肉感的な唇。鼻筋はきゅんと上向きで、髪型と手入れさえすればかなり美人なのでは? と俺には思えた。
けれど。
「あ、あのあの……! え、えと……! よ、ようこそおいでらっしゃひ――。……ううっ」
それらをすべてチャラにしてしまうほど対人スキルは皆無らしく、まともに会話が進まない。
そんなに急ぐこともないだろうに、かなりの時間をかけて彼女の言葉を待っていると、ようやく飛び出すのは身の丈に合わないスピード感のある早口で、案の定噛み噛みのボロクソ状態になって盛大に自爆した挙句、再び涙目で沈黙してしまうのであった。今ここ。
(ちょっと! 大丈夫なの、この人?)
(俺にだって分からないんだって! ラピスさんの友だち、らしいんだけど――)
(この調子じゃ、たとえ協力してくれることになったとしても使い物にならないじゃない!)
(つ、使い物にならないって……。ラピスさんをきっかけに話してみるから、落ち着けって)
「えっと……」
じとー、と自虐と負い目と卑屈と怯えの色が入り混じった視線を感じながら、俺はアンティーク調のテーブルにそっと手をつき、なるべく刺激しないように優しく、を心掛けて口を開く。
「《正義の天秤》魔法律事務所の、ラピス・タルムードさんに相談させていただいて、あなたを頼ればきっと力になってくれるはずだから、ってアドバイスをもらって訪ねてきたんです」
「ラ――!」
とんでもない調子外れの高音が飛び出した。
真っ赤になって身体を縮こませている彼女の、次の言葉を辛抱強く待つことにする俺。咳払いをひとつ。出てきたリテイク声はまともだった。
「ラピ――いえ、ラピスは、あたしの幼馴染なんですよぅ。……そんなこと言ってました?」
「はい。彼女なら、きっと力を貸してくれるから、と」
俺は迷うことなくうなずいてみせる。
……が、実際には『あの子が力を貸してくれるかどうかはあなた次第ですわよ?』であり、それを口にしたラピスさんは妙に悪戯っぽい顔つきで、明らかに面白がっている様子だった。多少の齟齬はあるかもしれない。まあ、俺がなんとかできればいいだけの話だ。
「……ふひ」
すると、いくぶん彼女の緊張が緩んだように思えた。笑い声らしきものが唇から漏れ出る。
「ふひひ……。ラピちゃんが……ふひ……。あたしのこと……ふひひ……うれしいぃ……!」
……ちょっとぬめっとした笑い声で気持ち悪い。
「でも、なぜかラピスさんは、あなたの名前もどんな方なのかも一切教えてくれなくって――」
「ですですぅ。それぇ、あたしからラピに、そうするようにぃお願いしてるのでぇ」
「……へ? ど、どうしてです??」
「そ、それはぁ……あたしがぁ……」
俺とエリナは固唾を飲んで次の言葉を待った。
――待った。
……頼む、そろそろ息がもたない……。
さんざん迷いに迷った挙句、ようやく彼女は囁くようにこう告げた。
「サ……サキュバスだから、ですぅ」
「「………………ん?」」
俺とエリナのリアクションが見事にハモった。
聴こえなかった訳ではない。しっかりと、一言一句余すところなくきっちりと耳で拾い上げた上で、それでもまるで理解ができなかったからこそ自然と出てきたナチュラルな疑問だった。
「ええと……」
おそるおそる口を開いたのはエリナだ。
「それって、どういう感じのジョークなんです? 求められている反応が分からなくって……」
「ジ、ジョークではないですよぅ」
「なら……お名前がサキュバスさん、ってことですかね? それ、ファーストネームですか?」
「な、名前っていうか、種族名なんですってばぁ」
マジか。
「……ねえ、勇者A? ちょっといい? そこ、立ってみてくれる?」
「お、おう。なんで急に――?」
――どすっ!
「痛った! 痛ぇっつーの! いきなり何しやがる!?」
「……どうやら、夢や幻じゃないらしいわね」
自分のSAN値を計るために、俺の尻を気軽に使おうとするエリナの発想が実に怖ろしい。俺はじんじんする尻を撫でさすりつつ、サキュバスなのだとカミングアウトした女主人に尋ねた。
「サ――サキュバスだというのが真実だとして……どうして秘密にするんです? ええと……」
「あー。あたしの名前ぇ、まだ言ってませんでしたねぇ。あたしは、イシェナ・ゼムトですぅ」
洋館の女主人、イシェナさんは続けてこう言った。
「サキュバスってのはぁ、居住許可を取るのが大変なんですぅ。厄介な能力がありますからぁ」
「それは……サキュバスの持つ《催淫》の力ってこと?」
エリナは即座に思い当たったようだ。
サキュバスとは、性的な行為を通じて人間の男性から精力を吸い取り、自身の魔力・生命力にすると言い伝えられる悪魔であり、夢魔であったり淫魔であると言われる存在である。その行為の際、サキュバスは相手を《催淫》し、半ば強制的に発情させることで事をスムーズに進ませるとも言われているのだ。
けど……この地味眼鏡お姉さんが?
そんな俺の視線を敏感に察したのか、イシェナさんはたどたどしい口調でこう告げた。
「し、信じてませんねぇ……? な、なら、試してみますかぁ……? ふひ……!」
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