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空洞のサキュバス

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「はぁ……、まさか吸血コウモリがあんなにいるなんて。仲間とはぐれちゃったし」

 ぼやっとした光を放つヒカリゴケが大量に苔むした洞窟の中。一人の少年がとぼとぼと孤独に歩みを進めていた。
 友人達と共に度胸試しとして村から少し離れた洞窟に来たのはいいものの、ある程度進んだ途中で天井から大量に姿を現した吸血コウモリに全員腰を抜かし、散り散りに逃げてはぐれてしまったのだ。

 その中でも、一人はぐれたこの少年テネアが一番不幸だろう。気づいてはいないが、出口とは真逆の方向に進み、どんどんと奥へ奥へと進んでいるのだから。

「一匹でいる弱めのモンスターがいるなら、【テイム】のスキルで手なずけて、道案内してもらえるんだけど」

 そうぼやくも、洞窟内に潜んでいるだろうスライムやゴブリンといったモンスターは一引きたりとも見当たらない。
 テネアはモンスターを配下にできる【テイム】のスキルを使えるものの、その対象となるモンスターがいなければただのか弱い子供だ。

 だんだんとテネアの不安が強くなってきた。吸血コウモリの大群に出会う前ならいくらか目印を残していたものの、正しいルートもわからずひたすら進んでいるだけの今の状況では、出口に到達できない。
 せめて空気の流れとか、弱いモンスターがいるとか、何か脱出への手掛かりになるものはないかと気を張り巡らせていると、少しだけ『匂い』に違和感があった。

「外の匂いだ!」

 風が運んでくるような木々や土の香りが混ざった匂いが、僅かながらにする。せめて外に出られればなんとか村に帰れるかもと、テネアは走り出す。村に帰ったらすぐに大人たちに謝罪し、友人を助けに来てもらおうと期待を抱きながら。

 外の光が見え、テネアは歓喜して洞窟から飛び出た。しかし、待っていたのは思いもよらない光景だった。

 絶壁。四方は高い崖に囲まれており、とても子供一人の力では昇れそうにない。
 それにネズミ返しのように、壁はやや窄まる様に傾いていて、飛んでいく手段が無ければ上には脱出できなさそうだった。日光は自由に降り注いでいるというのに。

「せっかく外に出たと思ったのに……。来た道を引き返せってこと?」

 せめて他の場所に通じる道や入り口は無いかと辺りを見回す。すると、岩肌の上に何か白いぼろきれのような物が見えた。
 いや、人だ。あちこちが切れたり引きちぎれたりしてるが、身にまとっているのは純白のドレスのようであった。そしてその純白のドレスに溶け込んでしまいそうな白髪をしているものだから、テネアが横たわるそれを人だと認識するのに時間がかかった。

「だっ、大丈夫ですか!?」

 もし上からこの奥底まで落ちてきたのなら、確実に命はないだろう。しかし、もしかしたらという小さな希望を抱いて、テネアは白いお姫様らしき人物に駆け寄った。

 幸い、人の形は保っていた。いや、あちこち確かに傷ついてはいるが、高い所から落ちたにしては軽傷で済んでいる。白いドレスにみっちりと詰められた大きな胸は微かに上下していて、呼吸をしているようであった。
 頭を強く打ってなければまだ意識はあるんじゃないかと、テネアは白い女性に呼びかけた。

「しっかりしてください! 意識ありますか!?」

 もう少し呼びかけようかと思ったテネアは、あることに気づく。白い女性の白銀の髪の両脇には白い角が生えており、純白のドレスの一部だと思った部位が白い翼であることに。近寄ってみなければ、それらが存在することはまったく分からなかっただろう。

 普通の人には存在しない角や翼を持っているとなると……。

「魔族……!?」

 洞窟といえど、どうしてこんな平和な村の近くに魔族がいるのだろう。もしかすると目を覚まさせないで、ここから静かに逃げてしまったほうが良いのかもしれないと、テネアはゆっくり後ずさろうとした。
 もし凶悪な者なら、目覚めた瞬間に魔族が得意とする魔法で焼かれてしまうかもしれない。しかし傷ついたものを放っておくわけにもいかず、この場を後にするか躊躇ちゅうちょする。

 だが、先程の呼びかけに応えたのか、白い少女の目がぱちっと開く。
 最初はただぼんやりと上を見ているだけで、次に辺りを見回すために視線だけ左右に動かして見回した。目に映るのは断崖絶壁と、口をぱくぱくさせているテネアである。

 テネアの茶髪の髪に角が無いことと、人間が普段着るシャツとズボンを着ていることから、ただの少年だと判断したようだ。
 少女は痛みに耐えるような仕草を見せながら、ぎこちなく上半身を起こそうとした。

「ま、まだ動いちゃだめ! あちこち怪我してるし……!」

 起き上がろうとしている上半身に手を添え、優しく元の位置に戻そうとするテネアの姿と行動を、少女はきょとんとした目で見つめた。
 直後にはやはりずきりとした酷い痛みが体を襲ったようで、少女は左肩を手で抑える。打撲か脱臼かは判別できないが、体を満足に動かすことはできないようだ。

「だ、大丈夫だよ? 僕はあなたを殺したりなんてしないし――」

「いい」

「えっ?」

 何が『いい』のだろうか。安心させようとした言葉に対して放たれた投げやりな一言に、テネアは純粋に疑問を抱いた。『いい』とは、テネアの助けようとする行為が鬱陶しいのか、それとも別の何かを示すのか。


「なにがいいの?」

「……殺しても、いいですの。もう、帰る場所、ない」

 少女の目尻から、涙がひとすじ流れた。帰る場所というのも理由もわからないが、この少女が相当につらい思いをしたということが、テネアには痛いほど理解できた。

「じゃ、じゃあ! ぼくの家においでよ!」

「……?」

 この少年はいったい何を言っているのだろうと、少女は涙を流しながらテネアを見つめる。魔族が人間の家に出入りするなど、本来ならほとんどあり得ないことだからだ。

「君の名前は? ぼくは、テネアっていうんだけど」

「……フェルストゥーナ。ストゥって、みんなに……呼ばれてましたの」

 そこまで言って、フェルストゥーナはぽろぽろと涙を流して泣き始めた。テネアは彼女の頭を優しく撫で、大丈夫だよと言い続けた。今ここには、彼女を傷つける者は誰もいないと。

 フェルストゥーナが泣き止んだのは、数十分も経ってからのことであった。
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